身を尽くし、澪標身を尽くし、澪標
山奥の白い幽霊が、池のほとりでさえずった。
「『わびぬれば 今はた同じ 難波なる』」
「? ……『みをつくしても 逢はむとぞ思ふ』……小倉百人一首ですか?」
「うむ」
鄙びた草庵の庭。池の前に、男が二人立っている。
一人は、着古した着流しのてっぺんに白髪頭を乗せているが高身長で、スタイルが良く、もう一人は白髪頭と比べると背は低いものの、映画の二枚目俳優のように甘い顔立ちをした男だった。臙脂色のネクタイに黒いスーツを着ている。よく見ると、小柄だが俳優めいた男の左目と左耳には、それぞれ切り裂かれたような古傷がついていた。
池を泳ぐ魚をそぞろ見ながら、黒いスーツの男――水木は、
「元良親王ですっけ。あだ名が確か、一夜めぐりの君」
わびぬれば、の和歌の詠み手に話を向けた。
「うむ。『源氏物語』の光源氏のモデルとも言われておる者じゃの」
男達は水辺のほとりに立ち、池の魚へ餌をやっている。季節は茹るような猛暑をやり過ごして秋。ドドメ色を示す水が浮草の隙間隙間に覗き、小さな魚影と水草が、気持ちよさそうに水中で揺らめいていた。
餌をパラパラと撒きながら、縹色の着流しの男が新たにうたった。池に着水していった餌がめいめいに波紋を作る。
「『みをつくし ちにぬれふしても みをつくし』」
「なんですかそれ」
「わしオリジナルじゃ」
すらりと白い偉丈夫は「『みをつくし ちにぬれふしても みをつくし』」と、もう一度同じ上の句をその薄桃色の唇へのぼらせると、
「『よりしろなれど よはしろくあれと』」
と下の句を結んだ。
たっぷり時間を置いて、隣のスーツの男が首を捻った。
「うーん。いまいち」
「うゥーむ!」
無理矢理漢字に起こすとすると「澪標(身を尽くし?)、地に塗れ伏しても(血に濡れ伏しても?)身を尽くし。依代なれど(より白なれど?)世は白くあれ、と(夜は白くあれ、と?)」だろうか。
「掛け言葉が多過ぎます。思いを伝えたいあまりに装飾過剰で、パッと何を言いたいかの文意が取れない」
キャッチボールで言えば投手が詠み手・作者で、捕手がそれを聴かされる側、すなわち読者である。まずは捕ってもらいやすいかたちで文意を投げなくては、カタルシスはありえない。難しい投球で得られるカタルシスもあるが、それは高度な仕掛けが必要になる技術である。
――「澪標(身を尽くし)」で始まる以上、水上の話のはずなのに、「地に塗れ」で地面がすぐ出てきて混乱するし、そこの解釈も「地に塗れ」なのか、はてまた「血に濡れ」なのか? 文意の取捨選択に戸惑う。
――「よりしろなれど」のよりしろは「依代」なのだろうが、前の句の「血に濡れ」で出てきた「血」を受けて血より白いと言いたいのか、あるいは「より『白』」を後ろの句の「よはしろくあれと」で掛けたいあまり、「世は白く」で世の中が白く明るく一歩進んだことを言いたいのか、それとも「夜は白く」と解して、夜は明けて、朝日で白くあれ、ということを示しているのか。
「言いたいこと詰め込みたいあまりに、主題がブレていませんか?」
「ぐぅ」
「らしくもない」
いつもの小説ならこんなことはないのに。と水木は付け加えた。水木のなりわいは都内のとある出版社の文芸編集部に勤める、編集者であった。
「前から思ってたんですけど、ゲゲ郎先生ってこの手の詩歌詠むの得意ではないですよね?」
「それを担当作家に直接言う担当編集がおるか?」
「本業を腐しているわけではないので」
「悪びれんのう」
魚へ餌をやりきり、水木はパンパンッ! と手のひらの餌の屑を払うと、スーツのポケットから煙草を取り出し火をつけた。池のほとりに紫煙が揺蕩う。
「全部の才能が尖っていなくても、口に糊できれば、それは立派な才能です。小説の場合、先生は糊どころか茶碗に白米山盛りでしょう」
「フン」
ぎょろりと視線を水木から逸らし、むくれた着流しの白髪痩躯の男――この池とそれを有する草庵の持ち主である彼、田中ゲゲ郎は作家であった。作風は怪奇小説を得意としている。文壇での活躍は派手ではないが、小学校の本棚にそっと差さっているようなロングセラー本が、そこそこの数存在する作家だった。
ゲゲ郎は縹色の長着の懐から、そうじゃ、と突っ込んでいた片手を取り出すと、
「それほど言うのなら、おぬしもひとつ詠んでみんか」
元の「わびぬれば」の歌のように熱烈にの。と、人差し指を指揮棒のようにくいっと揺らし、茶目っ気に注文をつけた。
反して、水木は不愉快そうに片眉を上げた。
「……俺に二十股三十股しろって言うんですか?」
これ、元良親王が、帝の女御と不倫がバレた時の和歌ですよ。と、そのぷっくりとした涙袋の根元に小皺を作った。アーァやだやだ。と、これ聞こえよがしに肩をすくめ、溜息をつく。
「同じ『みをつくし』の和歌なら、式古内親王の方が好きです。『かくとだに 岩垣沼の澪標 しる人なみに くづる袖かな』」
「はー。湿っぽいのう」
現代語訳すると――「このようにあなたを思っています」という最低限のことすら、人目につかない岩垣沼で立つ澪標のように思いを偲んで、我が胸の内を知る人はいません。知る人もなく身を尽くした澪標が、岩垣沼の波にさらわれ、朽ちていくように、あなたのために流す涙で、我が服の袖も濡れ、朽ちていくのです。
このような感じであろうか。しかし、式古内親王と言えば……と、ゲゲ郎は思考を巡らせた。
(「玉の緒の」のような男であるのに。水木は)
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする
――この命など、絶えるのならば絶えてしまえ! このまま命長らえていくうちに、あなたを密かに思う衝動に耐え忍ぶ力が、弱まってしまうといけないから……
「わびぬれば」の元良親王と同じく、小倉百人一首に収められている式古内親王の一句である。式古内親王といえば「かくとだに」よりこちらの「玉の緒よ」の方が有名である。しかし、元々は「澪標」で一句詠みたかったゲゲ郎から「わびぬれば」「かくとだに」に話が及んだわけなので、「玉の緒よ」に触れては話が逸れてしまうこともあり、言い出さなかった。
水木は、ふぅーっと長く煙草の煙を吐くと、
「だいたいが、澪標って今もあるんですか?」
出張で行く大阪を走る市バスや、大阪市営地下鉄、大阪の企業のマークでしか見たことないですけど。と反駁した。
「どうじゃろうの」
池の浅瀬で魚が跳ねた。澪標の「澪」とは、比較的水深が深く航行可能な場所のことである。澪標とは、澪とそうでない場所を分けるために建てられた、水辺の目印で、船が誤って水深の浅いところを通って座礁してしまわないよう、水難事故防止目的で建てられていた。いわば海の交通標識である。見た目は、おおかたが平い木の板の組み合わせで出来ており、「又」の字のクロスしている部分に縦棒を一本足した形で作られる。浅い海や湖、沼、川辺にこれを建てておくことで、通行する船に正しい水路や水深を知らせているのである。
「今もあるところにはあるのではないか?」
「先生の『今』って時々あやしいからなァ……」
携帯灰皿へ器用に灰を落として水木がぼやいた。深く吸いつけ、吸い尽くした殻を携帯灰皿に納める。
「ところで」
「む?」
「気分転換はもういいですか?」
何も呑気に二人で魚の餌やりをしに、庭へ出てきたわけではない。池から振り返ると在る平屋の日本家屋――草庵の文机の上には、最終段落の抜け落ちた原稿用紙がそよ風にそよいでおり、ゲゲ郎に書かれる時を今か今かと待っているのである。ゲゲ郎は懇願した。
「いま少し。もう少しじゃ」
「ダメです。ちょっとサボりモード入ってるでしょ」
適度を超して緩んできてる感じがあります。と水木は目くじらを立てた。編集側としては後は最終段落を残すだけなのであるから、一刻も早くゲゲ郎には仕上げてもらって、校正作業に入りたいのだろうが、
「こう見張られておっては気を寛げるのもかなわぬわ」
ゆるゆると餌やりを続けるゲゲ郎に、
「それは、……まあ、そうか」
水木は珍しく語気を口の中に収めた。何気ないていでポケットをまさぐり、二本目の煙草を取り出して火を付ける。
「あッ。二本目つけちまった」
しまった、という顔をして、じゃあこれ俺が吸い終わるまでってことで。と、水木が指に挟んだPeaceを掲げてみせたところで、
(わざとらしい。が、可愛いらしいの)
そして甘い。バニラのように甘い。あれこれ文句をつけながらも結局、なるべくゲゲ郎の望むように取りはからってくれるのだから。よくよく、甘い男じゃ。とゲゲ郎は薄い唇を舐めた。
そしてこうして甘やかされたからには応えねばならぬ。
ふいにゲゲ郎が黙ってしまったので、水木はそわそわと横で怪訝な顔をしている。
「気が寛がないんでしたよね。一本吸い終わるまで向こうにいます」
「すまぬの」
「あ。でも先生はここにいて下さいよ?」
「承知」
「……このまま山ン中、ふらっと散歩行くとかいうのもダメですからね!?」
「分かっておる」
はよう行け。と最早見もせず促して、ザッザッと遠ざかる足音をゲゲ郎は片耳で聞いていた。改めて古池に目を落とす。
小説とは――水。「文字」という器に掬い取るまで掴めず、透明で、感情はそこにあるのに意味を成さない。
そしてそんな小説が集まった、文学とは海である。深い歴史持つ海。その注がれた時と量の蓄積は果てしなく、広さを求めればとめどない。
航海には標(しるべ)が要る。ただ一心に書き連ねるだけでは、海に注ぐ前に深みにはまったり、力尽きて途中で絶えてしまう。そんな諸々で座礁しないよう水木は――水木、という澪標が、ゲゲ郎を気にかけて守ってくれているから、ゲゲ郎は人里離れた山奥の草庵という我が場所で、執筆という名の船を自由闊達に漕げるのであった。
手元に残っていた餌を全て投げる。池と庭を見渡せる縁側の方から遠く、薄く、甘くて苦いPeaceの香りが、風に乗って運ばれてきている。
<了>