開拓地ヴェルニースに醸造樽が設置された。
現場では早速ワイン製造が始まったものの、初めての成果は散々だった。
「除梗が甘かったですね」
口へ広がる渋味に眉を潜めながらファリスが苦笑いする。これはこれでアリだとは思いますが、なんて零しながら口直しにチーズを齧る。独特の臭みはあるものの、咥内に張り付いたえぐみがまろやかさに相殺されていく。
「相談して下さればお手伝いしたのに」
彼女はワインで有名なオルヴィナ村の出身だ。当然ワインの原料となる葡萄の収穫を手伝っていたし、足踏みでの圧搾も経験していた。
「ああ、次は素直に頼らせてもらうよ……」
隣で大きな溜息をついたのは開拓監査官ロイテル。今は土いじりが趣味の酒飲みである。ファリスと同じく渋い顔をして、こちらは塩味のクッキーを頬張っていた。
初の酒造は彼の主導により行われた。ファリスがオルヴィナ出身であることは知っていたのだが、あいにく酒造を始めた時、彼女は出払っていた。冒険者と共にパルミアまで赴き、連日開催されるパーティーを盛り上げる仕事をしていた。
田舎女の古いライラなど耳が腐ると馬鹿にする貴族もいたが、最終的にはその歌声に歓喜の涙を流し大きな拍手をしていた。彼女は彼女の戦場で、立派な勝利を掴んだのだ。
そんな戦場から帰還したのが今日の昼。
ちょうど酒造ワイン1号の試飲会が開催されたタイミングだった。
試飲の結果、あまりの出来の酷さにその場にいた全員が微妙な反応をした。失敗作のワインの多くは粘土の材料に回された。
そして夜、半端に残った分を二人で飲んでいる。
ファリスが付き合う必要は全くなかったのだが、気がつけばなんとなくそういう流れになっていた。これまでも何度か似たようなことがあった。そしてそういう時は同衾していた。
「こちら、開けちゃいますね」
なんとか試作ワインを飲み干し、口直しにと新しい瓶を取り出すファリス。
「ほう、珍しい」
「演奏の報酬で頂いたんです」
クリム酒だが、酒場でよく見るクリムエールとは違う。発酵時間が短く大衆向けのそれよりも幾分上等なワインだった。ラベルには幸運の女神と黒猫がデザインされている。
「エールとは違うな」
ファリスが慣れた手つきでオープナーを手にする。すぐに小気味よい開栓音が響き、次いで小さな発泡音が聞こえた。
「ええ、スパークリングワインです。クリムは私も初めてですね」
空になった二人分のグラスに静かに注がれる液体。色味はロゼワインに近いピンク色で、微かに細かな泡が弾ける音がする。
「良い色です。香りも濃厚ですね」
「うむ、楽しみだ」
自然と顔を綻ばせるロイテルに向けて、ファリスもまた笑顔でグラスを傾ける。
「それでは……」
「何に乾杯するんだ?」
彼女に倣いグラスを差し出すロイテルが眉間に皺を寄せて問う。この顔は怒りでも悲しみでもなく、どちらかというと困惑のそれだ。理由に迷っている。思いつかない。
ファリスはしばらく思案したのち口を開いた。
「ヴェルニース酒造業の、素晴らしき第一歩に!」
「……乾杯」
唄うような口上。漏れた苦笑を誤魔化すように、二人のグラスがかち合った。