君はペット その後の2人 今世で手に入れた、夏油傑の親友兼ペット兼恋人という座。
なにその三種の神機最高じゃん、と思っていたのもつかの間、悟には目下のライバルがいる。
「さとるは本当にいい子だねぇ」
「にゃお~~~ん」
猫のくせに仰向けになり白い毛が薄く生えた腹を無防備にさらしている姿は、もはや犬の方が近いのではないだろうか。猫の『さとる』は今日も夏油家で健やかに育っていた。元野良猫にもかかわらず体格は良く、先日の検診ではやや肥満気味と診断されたくらいだ。たぶん、チュールの与えすぎだと思う。そのチュールだって、今となっては悟が傑のためにせっせと買い込んでいるものだ。この猫は、自分のおやつの出資元をきちんと理解したほうが良い。そうしたら、こんなに大きな顔をすることはないはずだ。
「……なんで猫なのに腹撫でられて喜んでるんだよ」
「可愛いじゃないか。ほら、悟も撫でてこらん」
立派な親ばかになった傑に促されるように手を伸ばすも、お呼びでないとでも言いたげに体を捩られる。そのまま空を切った手に、ふつふつと怒りが込み上げてきた。
「ぜんっぜん可愛くねーけど!?」
「おかしいな? さーとる?」
「んみゃぁ」
「こいつ、可愛い子ぶるの傑に対してだけなんだって! この泥棒猫!」
「シャーッ!」
「うーん。これが本当のキャッツファイトかぁ」
のん気な傑の横から向けられる、勝ち誇ったような青い瞳。悟と姿が似ているその猫は、性格も非常によく似通っていた。どちらも傑が好きで、唯一。同族嫌悪という言葉の意味を、身をもって実感させられている日々だ。
記憶を取り戻してから、傑は以前のように口うるさくなった。面倒な正論さえ、懐かしさに胸が震えそうになる。それ自体は喜ばしいことだが、ちゃんと働けだとか、家に帰れだとか、ちっとも嬉しくない小言も増えてしまった。猫はいつだって傑の家にいるのに、悟はあまり泊まらせてもらえない。自分だってペットなのにと抗議すれば、「悟には自分のハウスがあるだろう」と言われる始末。悟の家を巨大なキャットタワーとでも思っているのだろうか。あまりにも悔しいので、マーキングのように傑の家に荷物を持ち込んでいる。おかげで、元々物が多くなかった悟の自宅はほとんど空っぽの状態だ。傑の家に通ってばかりで自宅に呼ぶことはほぼないが、現状を見せたらきっと驚くだろう。
「なぁ。さとるばっかりじゃなくて俺にも構って」
抗議するように肩に頭をこすりつけると、傑の笑う気配がした。
「なんだい、悟。猫に妬いているのか?」
「当たり前だろ。こいつとは傑をめぐるライバルみたいなもんだし」
「ライバルって……君ねぇ」
呆れた視線を向けられ、抗議の意を示すべくふんと顔をそむける。その右頬に、軽くぬくもりが触れた。
「こういうことをするのは、人間の悟にだけだよ」
「オマエってほんと……ずるい奴」
もちろん頬だけなど足りるわけもなく、悟は勢いよく振り向いた先の唇にかみついたのだった。
***
なんだかんだ言いつつも、習慣とはなかなか変えられないもので。手土産の猫のおやつを調達するため、足を速める。今日はやたらと会議続きで退社が遅くなってしまった。社長出席必須のものばかりで業務調整がうまくいかない日に限って、傑の帰りは早い。
上司との問題はうまく片付いたらしく、今ではすっかり過去の信者のような存在になっているらしい。安堵する反面、この人たらしめと思う気持ちはぬぐえない。すっかり従順になった猿を従えて会社で邁進する姿は、確かに傑らしいけれども。
「こんな店あったか……?」
いつも立ち寄るドラッグストアのすぐ隣に、真新しい看板。どうやら新しくペットショップができたらしい。そういえばしばらく工事中だった記憶がある。せっかくなら専門店の方が良いだろうと、足の向き先を変えた。
「いらっしゃいませー!」
どこか懐かしい明るい声に出迎えられ、なんとなく店員に視線を向ける。
「灰原!?」
「あれ、五条さんじゃないですか。お久しぶりです!」
まるで数か月前にでもあったかのような気安さで、かつての後輩がからりと笑う。その笑顔は前世の記憶の中にある姿そのものだった。名前を呼ばれたということは、灰原は過去を覚えてるのだろう。
「まさかこんなところで会うなんてね」
「こっちの台詞ですよ! 五条さん、ペットショップとか無縁そうじゃないですか。今世では動物愛護活動にでも目覚めたんです?」
「まさか。傑の飼ってる猫への貢ぎ物だよ」
「わ! 夏油さんもいらっしゃるんですね! 会いたいなー!」
悟に対してよりもずいぶん良い反応をされ、内心面白くない。思い返せば、灰原は以前から夏油に傑に懐いていた。傑も灰原を大層可愛がっていたから、会わせたら喜ぶだろう。縁ある面子を集めて食事なんていうのも良いかもしれない。傑のためなら、面倒なことでも苦じゃないと思えることが不思議だった。
「じゃあ、今度はみんなで集まろうか。俺の部下に七海や硝子もいるし」
「七海もいるんですか! 五条さんの周りに集まってきてるみたいですね」
「……そうなのかも」
傑へと繋がる確かな糸になるべく、自分の周りには仲間たちが集まったのだろうか。今世こそ彼を一人にしないために、世界が強い後ろ盾をくれた。前世頑張った分が少しは報われたような気がする。傑が残したものを取りこぼさないように生きたかつての自分。今度は、傑という存在そのものから手を離さないでいたい。
「近いうちにセッティングするからさ、今日はサービスしてよ」
「夏油さんの猫ちゃん、どんな子ですか?」
「俺にそっくりな白くて傑が大好きな奴。食い意地ははってるから割と何でも食べると思う」
「猫にまで好かれるなんてさすが夏油さんですね! 前世と同じなら夏油さんの誕生日ももうすぐでしょうし、そのお祝いもかねて新商品おまけしちゃいます! チュールの新しい味なので猫ちゃんも喜ぶかと……」
灰原の言葉の一部分に、一瞬思考が停止する。
「……待って灰原、もう一回言って」
「え? 新商品の話です?」
「いや、その前」
「ああ! 夏油さんの誕生日、節分の日でしたよね?」
「…………うん」
「もしかして、忘れてました?」
「浮かれてたんだよ!」
なんなら、悟の心の中の季節は暖かな春。もしくは記憶の中で一番幸せだったかつての夏。猫のことや泊りの回数など多少の不満はあるものの、非常に満ち足りていたのだ。
「あはは。親友の誕生日忘れるのとか最悪ですね」
「親友だけじゃねーよ。恋人でペットなんだよ」
「ペットはよくわからないですけど、それならますますやばくないですか?」
「……やばい」
傑の誕生日までの残り日数を数えてさっと血の気が引いていく。顔色を悪くした悟に、おまけ増やしておきますね、と灰原が眉を下げたことだけはわかった。
***
「誕生日? 特に欲しいものはないけど。ああ、休みとか?」
「うちの会社そんなに福利厚生悪くないんだし、休みくらい好きなだけとればいいじゃん。ってそうじゃなくて!」
「うーん。特に欲しいものもないんだよね。悟ともまた会えたし」
「う……っ」
不意打ちで可愛らしいことを言うから心臓に悪い。俺だってそうだよ、の意味を込めてぎゅうと抱きしめれば、くすぐったそうに傑が笑った。
「じゃあ、悟も一緒に過ごしてくれる?」
「は? それはトーゼンの話だけど。むしろそれ以外の予定がある? 仕事も七海に連絡して休みにしたわ」
「また君は七海を困らせて……」
叱られそうな気配を察知して、悟は慌てて話題を変えた。
「そういえば灰原に会ったよ。ペットショップの店員になってた」
「灰原が!? でも似合いそうだ……元気そうだった?」
「もうピンピンしてたよ。傑に会いたがってた」
「そっか……私もまた会いたいな」
昔を思い出しているのか、しみじみと傑がつぶやく。灰原の命の炎が消えてしまったことは、確実に傑の傷の一つになっているのだろう。今世では、少しずつでも癒していきたいと思う。傑に何一つ憂いのない世界にしたいと、悟は割と本気で考えているのだ。
「休みとるから、傑も休みとって。それで一日中えっちしよ」
「ば! ばかじゃないか……そんな歳でもないだろうに……」
「いやまだ全然枯れてないし。傑のこと抱き足りないし。そもそも最近ご無沙汰じゃん! スローセックスもいいけどもっとガツガツドロドロみたいなのもしたい!」
「子供みたいなことを大声で言うな!」
「子供はセックスなんて言わねーだろ!」
「ふみゃぁ~~」
くだらない言い争いをしている横で、原因の一端が大きくあくびをする。恨めし気な視線を送ると、こら、と傑に窘められる。
「さとるにあたるのはダメだよ」
「……こいつがベッドにすぐ来るのが悪い」
「そんなに広い家でもないんだからしょうがないだろ。さとるは寒がりなんだ」
「傑のばーか」
傑のことが世界一好きで、世界一喜ばせたいのに、なかなかうまくいかなくて歯がゆさばかりが募る。
愛情を可視化したらシーソーはこちらばかりに傾いているに違いない。結局先に惚れた方が負けなのだろう。
***
そうは言っても、傑の誕生日に手ぶらなんてわけにもいくまい。当日、ケーキといくつかの食材を買い込んで向かうつもりが、家に行ってもいいかと傑から連絡が来たのは少し前のことだ。悟の家はほとんど空っぽだったので、急遽調理器具などを買い足す羽目になった。
傑への贈り物を考えた時、物というものがぱっと思い浮かばなかった。それならばと、傑が喜んでくれる行動は何かを考えた結果――
「まさか悟が料理を作ってくれるなんてね」
「今日は蕎麦と天ぷら! オマエの好きなやつ」
「ふふ、ありがとう」
カウンターの向こうから悟の手元をのぞき込んで、傑が目じりを緩める。その様子を見て、自分の選択肢が間違いじゃなかったのだと安堵する。誰かのために料理をしたいと思う日が来るなんて、誰も想像していなかっただろう。悟自身驚いているし、傑以外の人間相手にはこれから先も一生やらないだろうと確信している。
もっと大層なものだって用意できたのに、こんなことだけでひどく幸せそうにする傑が愛しくて仕方ない。
「……これからも一生祝わせてよ」
「え?」
「傑の誕生日。爺さんになっても、俺が誰よりもオマエのこと喜ばせるからさ。親友としても、恋人としても、ペットとしても――俺以上に傑を好きな奴なんていないよ」
それこそ、猫のさとるよりも。
言外に滲ませた意味を正確に受け取ったのか、傑が堪えきれないとでもいうように吹き出した。
「……うん、知ってる」
じわりと涙を滲ませた笑顔。それを見た瞬間、ちゃんと伝わっていたのだと安堵した。愛に疑り深い男が、こんなふうに穏やかに悟の愛を受け止めている。悟からの愛情を、正面から受け入れてくれている。それだけで、こっちの方が幸せでどうにかなってしまいそうだった。今日は、傑の誕生日なのに。
「ねえ、悟」
宝物を呼ぶかのようなまるい響きで、傑が呼ぶ。
「これを食べ終わったらさ、一日中セックスしようか」
「は?」
「ガツガツドロドロのやつ。私だって……物足りなさはあったよ」
「……オマエ、そういうこと言っちゃう?」
天ぷらのための油が、手元で沸々と音を立てている。顔が熱いのはそのせいだと強がりたいけれど、きっと傑にはお見通しなのだろう。
「そのために今日はあの子を預けてきたんだ。申し訳なかったけどね。情事中にあの子がいたら落ち着かないだろ。子供には親の性事情は見られたくないものだ」
「……子供」
「うん。私と悟の子供みたいなものだろう、さとるは」
傑の言葉一つで、あの気に食わなかった猫がひどく可愛らしい存在に思えてくるのだから不思議なものだ。だけど、それならどうしたって譲れないものがある。
「家族は一緒に暮らすものなんじゃないの。別居婚反対派なんだけど、俺」
「……そうだねぇ。そういえば、悟の家はペット可だったっけ?」
「可だよ! 部屋もたくさんあるこら子供部屋だって作れるし、寝室分ければえっちもし放題!」
考えるよりも先に言葉がついでででいた。何せ、このマンションのオーナーは悟だ。これまではペット不可物件だったが、傑のためなら明日から、いや、即日ペット可物件にしようと決めた。それくらいで、悟のものに来てくれるなら何も惜しくはない。このチャンスを逃してやるものか。
「今度はこの部屋ごと、俺を拾ってよ」
「ふはっ」
悟の渾身のプロポーズに、傑はひとしきり笑った後に頷いてくれた。
「とりあえず、まずは蕎麦食って、ケーキ食って、それから――」
期待していることはお互い同じ。誕生日に結婚初夜なんてなかなかおつじゃないか。