展覧会の炎その博物館には炎がある。
厳密には、博物館の外れに建つ鬼狩りの資料館に展示されている。
炎は羽織の形をしていた。
真っ白な羽織の裾には、燃え盛る炎の如き朱色の紋様があしらわれている。
薄暗い展示室で照明を浴びたそれは、淡い光を帯びて静かに佇んでいた。
まるで絶えず炎が爆ぜているような、力強さを内に秘めて。
そんな羽織をガラス越しに熱心に見つめる少年の姿があった。
竈門炭治郎。幼い頃から足繫く博物館に通い、今年17歳になる。
6人兄弟の長男で、毎朝早くから家業のパン屋を手伝っている。しっかり者の高校生だ。
キャプションに「炎柱の羽織」と記された展示物は、炭治郎にとって縁もゆかりもない誰かの私物らしかった。けれど、幼い頃にそれを見て以来、炭治郎の心には確かに炎が宿っている。
炭治郎が初めて羽織を見たのは幼稚園に入りたての頃らしい。「らしい」というのも、自分では覚えていないからだ。
事の発端は、父・炭十郎に連れられて博物館で散歩をしているとき、炭治郎がしきりに資料館を見たいとせがんだことだった。資料館が掲げる「鬼狩り」という血生臭い文言に炭十郎は躊躇したが、炭治郎の必死の懇願に折れる他なかったという。ひとまず中をざっと見て退散するつもりが、炭治郎が羽織に釘付けになってテコでも動かない。抱え上げようにも全身でもって抵抗され、離れたくないと大泣きされてしまった。その様子をただごとではないと感じつつ、炭十郎は息子の気が済むまで留まることにした。まるで魂ごと掴まれてしまったようだったから。生前の炭十郎はそう懐かしんでいた。「あのときは炭治郎がギャン泣きして大変だったんだよ」と、朗らかに笑いながら。
そんな炭十郎は炭治郎が高校に上がってすぐの頃、若くしてこの世を去った。もともと体が弱かったとはいえ、大病を患っていたわけでもない。突然の別れだった。心が現実についていけない。それでも太陽は昇る。待ってくれと願っても、時間は寄り添ってはくれなかった。
長男の自分がいつまでも泣いているわけにはいかない。店を切り盛りする母を支えて、下の兄弟たちを励ましてやらなければ。そう思えば思うほど、朝が来るたび工房に父の気配を探してしまう。そうして、朝食の膳が一つ減った事実に打ちのめされた。
さらに追い打ちをかけるように、店の売り上げが落ちた。それだけ炭十郎のパンが愛されていたのだと実感する一方、暗に自分の力不足を突き付けられた気がした。パン生地を捏ねて成形する時間だけは無心でいられたのに、それすらも難しくなった。母の気遣わしげな視線も、妹の心配する声も、守るべきはずのものが耐え難いものに変わってしまった。
まるで家族から逃げるように博物館へ駆け込んだ。通い慣れた竹林を抜けて資料館に転がり込むと、薄暗い展示室に眩く浮かび上がる羽織が見えた。途端に鼻の奥がツンとして、家では我慢していた涙がぼろぼろと溢れだした。一歩、また一歩と羽織へ近づくと、互いを隔てるガラス板に行き当たる。炎は物言わぬ羽織でしかない。けれど、炭治郎はじわりと胸が熱くなる感覚を覚えた。なぜかは分からない。燃え盛る意匠のせいだろうか。この美しい羽織を見ていると、自分にもまた炎が宿るような気がするのだ。目を閉じれば、どこかで火の粉の爆ぜる音がする。轟々と炎の揺らぐ音がする。それに交じって誰かの声がする。聞き取れない懐かしい響きは、身を焦がすほど熱く、炭治郎のぐらつく心を奮い立たせてくれた。
それからというもの、悲しくとも歯を食いしばって前を向くことができた。途方もない壁も、乗り越えがいがあるものに思えた。
名前も知らない誰かの羽織。どうしてここまで惹かれ、心を震わせるのか。自分でも分からなかった。
それでも今日もまた、炭治郎は炎の前に立っている。
*
炭治郎の家から徒歩10分。そんな目と鼻の先に大きな博物館があった。
産屋敷グループが運営する財団法人の博物館で、広大な敷地には本館の他に古民家や資料館を構えている。一角には滾々と湧き続ける地下水によってできた大きな池があり、透き通る水面にはまばらに睡蓮の葉が顔を出していた。暖かい時期は池のそばで亀が甲羅干しをしている。そんな博物館の敷地は散歩コースとしても人気で、犬の散歩やウォーキングで汗を流す人も珍しくない。竈門家も家族でよく遊びに来ていた。
博物館の近くにそびえる古民家は、風変わりな老人が管理している。名を鱗滝といって、常に赤い天狗面で顔を隠していた。最初こそ見た目の奇怪さに衝撃を受けたが、今ではすっかり顔馴染みだ。今日も資料館へ向かう途中で古民家に顔を出すと、鱗滝はまるでそれが当たり前だとばかりにお茶と菓子を出してくれた。
「ありがとうございます。いつもすみません」
「錆兎や真菰があれこれと置いて行くが、儂だけでは食べきれん。余らせるよりは客に出したほうが菓子も喜ぶ」
そう言って器用に面をずらして茶を啜った。
「じゃあ俺からはこれ。試作のパンをいくつか持ってきたので、よければ錆兎たちと食べてください」
錆兎と真菰は近所に住む中学生で、この古民家に入り浸っている常連だ。鱗滝によく懐いていて、さながら祖父と孫のような関係だ。
炭治郎がパンの入った紙袋を渡そうとすると、鱗滝が「そういえば」と切り出した。
「お前が通っている資料館だが」
「はい」
「近々、展示替えを考えていると聞いた」
「展示替え?」
「何年も同じ展示内容だろう。次年度を機に展示物の入れ替えをすると聞いた」
「……それって、羽織がなくなるってことですか?」
「分からん。それは担当の学芸員次第だ」
そう言って鱗滝はもう一度茶を啜った。
「そんな……」
炭治郎にとっては青天の霹靂だった。子供のころから見てきた羽織が、まさか展示室から消えてしまうなんて考えたこともなかった。
「鱗滝さん! こういうときは何処にご意見を送ったら良いんでしょうか?!」
「まずはアンケートを書け。館に利用者の意見として残るのは効果的だ」
「分かりました!」
「これを使え」
そう言って鱗滝が小さな木彫のキャプションを差し出した。キャプションには「アンケートにご協力ください」という言葉とともにQRコードが添えられている。
「ありがとうございます!」
早速スマートフォンでコードを読み込む。
アンケートはだいぶ前に記入して以来、暫く書いていなかった。同じ人間が何度も回答するのは如何なものかと控えていたのだが、今はそうも言っていられない。
炭治郎はスマートフォンを握りしめ、「ご意見・ご要望」と書かれた欄を文字でぎっしり埋めていく。あの羽織が好きで資料館に通っていたことが、どうにか伝わってほしい。黙々と文字を打ち込む間、ただぱちぱちと火の爆ぜる音だけが響いていた。
鱗滝に別れを告げ、古民家を後にする。
こぢんまりとした資料館は、鬱蒼とした雑木林に埋もれるように建っていた。
ただでさえ薄暗い場所だというのに、人が近づくと目敏く鴉が飛んできてカァカァと騒ぎ立てるので、人が寄り付くことは稀だった。
暗い林を抜けると開けた場所があり、一気に視界が広がる。この空間だけ日差しが差し込んでいて、光を浴びているのは古民家をリノベーションした資料館と、季節を問わず狂い咲く藤棚だった。頭上で風に揺れる藤の花を潜り抜けると、資料館の扉が現れる。中は薄暗い。展示資料を保護するため、光量を絞っているからだ。それでも、炭治郎が焦がれる炎はいつも淡く光を纏っている。
ところが、羽織の前には先客がいた。獅子のような金色の髪に、燃えるような朱が混じっている。ワイシャツに黒いスラックス姿の長身の男。まったく見覚えがなかった。そもそも、ここに立ち寄るのは炭治郎と巡回の守衛くらいだ。そこで初めて、そんな客入り具合だから展示替えが起こるのか、と思い至った。
炭治郎が何も言えずにじっと見つめていると、突然男がぐるりと振り返った。二又の凛々しい眉がぴくりと上がり、金環の双眸が見開かれた。花子あたりがいたら黄色い声を上げただろう。それくらい目の前の男は見目が整っていた。
「こんにちはッ!!」
そして声が恐ろしく大きかった。
若干耳が馬鹿になりつつ、炭治郎も「こんにちは」と会釈する。そのとき、男が首からネームタグを下げていることに気付いた。
「驚かせてすまない。俺はここの職員で煉獄杏寿郎という」
「いえ……俺は竈門炭治郎といいます」
「知っている。君は有名人だからな」
有名?と炭治郎が首を傾げると、煉獄は大きく頷いた。
「子供のころから資料館に通ってくれているだろう。ここに勤めていて君を知らないものはいない」
「そ、うなんですか」
それはなんともも気恥ずかしい話だった。まさか鱗滝だけでなく、博物館全体に認識されているとは思ってもみなかった。
「まぁ、俺は今年入ったばかりで先輩職員から教えてもらっただけなんだが。資料館の常連に会えて光栄に思う」
「そんな、大げさなですよ」
「ははは、資料館にとっては貴重な存在だ。頻繁に通ってる君なら分かるだろうが、ここにはあまり人が寄り付かないだろう」
それは紛れもない事実だった。今日 煉獄と会うまで、巡回の守衛を除いてここで人と鉢合わせた試しがない。
「資料館の集客は以前からの課題なんだ。だから今年から俺が専属の学芸員になり、展示替えでもして心機一転しようと思っている」
展示替え。その言葉に炭治郎は弾かれたように身を乗り出した。
「あの、展示替えって、今出ている物を下げてしまうんですか?!」
「そうだな。展示スペースも限られているし、資料は入れ替えになる」
「羽織もですか」
炭治郎は煉獄を見上げると、羽織を指さした。
「あの羽織も、入れ替えてしまうんでしょうか」
「……それは、なぜだろうか」
「俺、この羽織があると辛くても頑張れるんです。なぜかは分かりませんけど、見ているとこう心の底がぐあーっと熱くなって、背中を押されているような、前向きな気持ちになれるんです!」
煉獄はじっと炭治郎を見つめた。まるで何かを探すように目を凝らしている。
「君は炎柱について何か知っているか」
「炎柱……この羽織の持ち主のことですよね」
「そうだ」
「いえ、この資料館の解説に書いてあること以外は……」
所有者が代々炎柱を輩出する家系だったということは、展示キャプションに書いてある。が、それだけだ。炭治郎はこの羽織の持ち主の名前すら知らない。
そうか。と頷く煉獄からは微かに寂しそうなにおいがしたが、それも一瞬のことだった。
「なにか、君と羽織には見えない縁があるんだろう」
縁。そんなものがあるのだろうか。
炭治郎と100年も前に生きた炎柱の間に、何かあるようにはとても思えなかった。
「縁ですか……。そういう煉獄さんは、この羽織と縁はないんですか?」
「……なぜそう思う」
煉獄の迫力ある双眸がじっと見つめてくる。
「ええと、煉獄さんの髪が炎みたいで、なんだか羽織が似合いそうだなって――」
*
パンの試作を手に古民家へとやってきた炭治郎は、鱗滝に文机を借りてアンケート用意の記入に勤しんでいた。前回はQRコードからだったので、今回はあえて手書きにした。アナログとデジタルを駆使することで、あたかも不特定多数の人間が回答している雰囲気を醸し出す作戦だった。もとい、小さな悪足掻きとも言う。
ここ最近、資料館には鈍色の四角いスツールが設置されるようになった。おそらく、炭治郎が長時間滞在しているのを察した煉獄が用意してくれたのだろう。長年通い続けているが、こうした気遣いは初めてだったし、素直に嬉しかった。今回はアンケートでスツールの件にも触れるつもりだ。
枠内にぎっしり書き終えると、古民家備え付けのアンケート回収ボックスに用紙を投函した。あとは鱗滝が閉館時に回収し、然るべき場所へ届けてくれる。
「鱗滝さん、ペンありがとうございました」
「ああ、そこに置いておいてくれ」
そろそろ資料館に行こうかと腰を浮かせたところ、囲炉裏の焚火とも違う、焦げ臭いにおいが鼻を突いた。嫌な感じの臭いだった。それは次第に濃くなり、不吉な想像が脳裏を過る。古民家は茅葺の木造で、火が点けばあっというまに燃え広がってしまう。
「鱗滝さん、焦げ臭いにおいが」
「それなら裏手だ」
「え?」
「見れば分かる」
そう言って天狗面の男は茶を啜った。
鱗滝も鼻が良い。彼が落ち着き払っている以上は、まず大丈夫なのだろう。言われた通り、靴を履いて古民家の裏手に回ってみる。雑草が綺麗に刈り取られ、脇に何重にも薪が積み重ねられたそこは小さな空き地のようになっている。そこに、見覚えのある獅子のような男がこちらに背を向けてしゃがんでいた。足元には、周りを石で囲った小さな焚火が見えた。傍らにはキャンプ用のコンテナが1つ。その天板には白い皿が乗っており、テーブル代わりに使っているようだった。
「……煉獄さん?」
背中に呼び掛けた瞬間、男は弾かれたように振り向いた。
「ああ、君か。こんにちは!」
煉獄の溌溂とした声につられて、炭治郎も幾分か声を張って挨拶を返す。
「こんにちは! 焦げ臭いにおいがしたので来てみたのですが、もしかしてお仕事中でしたか?」
「ん? ああ、それはきっとこの臭いだな」
煉獄がその場から立ち上がると、手に持っていたキャンプ用の小型フライパンを炭治郎に差し出した。フライパンには焦げて真っ黒になった細かい固形物が無数に散らばっていた。物体は割れたり欠けたりしていて、正確な数は分からなかった。
「この真っ黒焦げは……」
「縄文クッキーだ!縄文人が食べていたものに近い素材で作っている!」
どう見ても歪な炭の塊だった。これが焦げ臭いにおいの正体に違いなかった。
「縄文……でも、煉獄さんは資料館担当なんですよね?」
「そうなんだが、実は縄文担当の学芸員が急病になってしまってな。俺が急遽月末の縄文体験ワークショップの代打を引き受けたんだが……」
二人してフライパンの炭を見やる。
「この通り、俺は料理の腕がからっきしでな!」
不甲斐ない!と笑う煉獄だが、月末となるとあと2週間ほどだ。
「ちなみに、ワークショップでは他に何をするんですか?」
「縄文クッキーの試食体験と、火起こし体験。そのあと土器で縄文スープを作って食べる予定だ」
「食に特化した体験なんですね」
「農耕が始まる前の食生活や、当時土器がどのように使われていたか知ってもらうのが狙いなんだ」
なるほど、と思う。
しかし、煉獄はクッキーが消し炭になるほど料理オンチらしかった。スープなんて作らせた日にはどうなってしまうのだろう。縄文土器からキャンプファイヤーよろしく炎が巻き上がる様を想像して、炭次郎は一人で青くなった。
「ちなみに、スープ作りのほうは……」
「具材を煮ていたら火が噴き上がって土器が割れたな!」
「……」
これはもう、乗りかかった船というやつだろう。
「あの……!」
「うん?」
「俺で良ければワークショップ、お手伝いします! いえ、させてください!」
「よもや……」
「俺、多少料理はできるので、作り方を教えていただければ少しはお役に立てるんじゃないかと思うんです!」
炭治郎の突然の申し出に、煉獄は僅かに瞠目した。
「それは有り難いが、本当に良いのだろうか」
「もちろんです!」
「……君に手伝ってもらえるなら心強いな。よろしく頼む!」
「はい! 精一杯がんばります!」
そんなわけで、2週間後の月末に向けてワークショップの準備が始まった。
ベーカリーは家族協力のもと、月末までは時間を融通してもらうことになった。そうして炭治郎は放課後や休日の時間が許すかぎり、博物館で縄文クッキーとスープの試作をすることになった。特にスープは火起こしから行うため、段取りを確認するためにも一度は通しでやっておく必要がある。
まずは手始めに、煉獄から火起こしのレクチャーを受けた。縄文時代の火起こしは難易度が高いため、ワークショップ当日は江戸後期に神事で用いられた「まいぎり」という道具を使用する。コツを掴めば簡単だが、慣れない子供は少し苦戦するかもしれない。それを煉獄とともにフォローするのが炭治郎の役目だ。一通りレクチャーが終わると、スープのレシピを手渡された。そのシンプルさに炭治郎は驚いた。ただ煮るだけなのだ。
使える食材は採取できるものに限られ、味付けに至っては海藻や魚、貝から出る塩分が主だ。現代人からしたら素朴もいいところだが、縄文人にとってはご馳走だったに違いない。苦労して火をおこし、山に分け入り、海に出て食べ物を探した結果、このスープが出来上がるのだ。
そうやって精力的に準備に勤しんでいた炭治郎は、煉獄の強い意向でアルバイト扱いとなった。炭治郎も「あくまでボランティアです」と生来の頑固さで食い下がったのだが、活動がボランティアの域を超えているからと煉獄も譲らなかった。結果として、準備期間から当日まで実働時間分の給料が出ることになり、炭治郎は改めて気を引き締めた。
炭治郎が煉獄を手伝い始めて10日ほど経った。
今日は学校が休みということもあり、午後の店が落ち着いた頃を見計らって博物館を訪れていた。
はじめは緊張した職員棟の入口でのやり取りも、今ではだいぶ慣れた。詰所の守衛ともすっかり顔馴染みの仲だ。煉獄の名を告げると来客用の名札を渡され、通用口へと通される。そこからはコンクリートが打ちっぱなしの長い廊下をぐんぐん進む。薄暗い一番奥の突き当りが煉獄の研究室だ。ノックして扉を開けると、机や書棚に資料が積み重なった狭苦しい部屋から、大柄な煉獄が溌溂とした明るい笑顔で迎えてくれる。
「竈門少年、今日もよろしく頼む!」
このちょっとしたギャップがおかしくて、炭治郎の密かな楽しみだった。
煉獄の研究室の隣は実習室になっており、炭治郎はそこで縄文クッキーの試作を繰り返している。クッキーは試食がメインのため、無理に焚火は使わずホットプレートを活用することにした。目下の問題は、トチの実のアク抜きがうまくいかないことだった。ネットのやり方を試してみたものの、渋すぎていけない。仕方なく、ドングリ粉に粟、山芋を混ぜたものを焼くことにした。
「煉獄さん、縄文クッキーの試作をしたので味見いいですか?」
「ありがとう。ちょっと手を洗ってくるから、それからいただこう!」
見れば、煉獄の手は割れた縄文土器の修復で粘土まみれになっていた。
「あ、良ければこのままどうぞ」
炭治郎が縄文クッキーを1つ摘まんで煉獄に差し出すと、煉獄はぎしりと動きを止めた。
「このまま……?」
「あ、すみません。俺の手からじゃ食べづらいですよね。お箸とか持ってくればよかったな」
「いや、そういうことではないんだが……」
煉獄にしては珍しく歯切れの悪い口ぶりをしていたが、やがて何かを観念したように深く息を吐いた。
「いや、すまない。ではお言葉に甘えていただこう!」
「はい、どうぞ」
つまんだクッキーを煉獄の口元に運ぶと、がぶりとかぶりつかれた。
もぐもぐと咀嚼する様を見守っていると、やがてクッキーを胃に収めた煉獄はカッと目を見開いた。
「うむ! 分かっていたが美味くはないな!!!」
「ですよね。ほとんどドングリの味しかしないので、ちょっと渋いというかエグみがあるといいますか」
「だがこれで良いんだ。この味こそ縄文時代の食に近いからな!」
「でも、これだと子供は1個食べきるのも大変だと思うんです。ひとくちふたくち食べたところで、蜂蜜かジャムを出したら駄目ですか?」
「確かに。良い案だと思う。俺としても体験が苦痛になるのは本意ではない」
「ありがとうございます! 実は蜂蜜とジャムも用意してあるので、今持ってきます!」
張り切って駆け出した炭治郎の背後から、「手を洗ってくる!」という煉獄の慌ただしい声が聞こえた。
(つづく)