ねないこだれだ? すうすうと胸の中で寝息を立てるキャプテンに、ほっと息を吐く。
目の下の隈はもう何日分だろう。ここまで濃くなってるのは随分と久しぶりだ。
安心させるように、背中をぽんぽんと叩く。背中に回された腕が、ぎゅうと一層強く俺を引き寄せた。
キャプテン――ローさんと一緒にこうして添い寝するようになったのは、いつ頃からだっただろうか。
ヴォルフの家で眠っていた時、ローさんが酷く魘されていた時があった。その時丁度その時隣で寝ていた俺は、ローさんを抱き寄せて背中をぽんぽんと叩いた。次第にローさんの寝息が穏やかなものになっていって、俺はほっと安心して毛布を掛け直そうと思ったその時――ローさんに逆に抱き着かれている事に気付いた。
動こうにも殆ど動けなくて、翌朝酷くしかめっ面をしたペンギンに叩き起こされるまで、俺はその体制のまま眠っていた。
それから、だろうか。
それからこうして、ローさんと一緒に眠るようになった。共寝と言っても、本当にただ抱き合って寝るだけ。時折ぽんぽんと背中を叩いて安心させるだけ。海賊になって、仲間が増えた辺りから色々勘繰られたりもしたが、本当にそれだけなのだ。
すうすうと、ローさんが寝息を立てて寝ている。起きている時は超絶格好良いキャプテンも、寝ている時は眉間の皺も無くなって随分と幼く見える。こうして見ると、やっぱりあの時のローさんだよなぁ、といつも思う。ペンギンや俺よりチビで可愛かった頃の面影が、この時にだけ戻って来る。可愛いなぁ、と眺めていると、不意にローさんの眉間に皺が寄った。瞼がぴくぴくと動いて、口が戦慄いたように動く。閉じられたままの瞼から、涙が一筋盛り上がり、つう、と鼻筋を通って流れていく。
まずい、と思った時には、もう遅かった。
「……コラさん……」
ローさんの口から出たその名前に、俺は耳を塞げなかった事を後悔する。ローさんが夢を見た時、或いは魘された時にローさんの口から出てくるのは必ずその名前だった。ローさんの命の恩人で、ローさんの大好きだった人。もういない人だと分かっていても、その名前を聞く度に心がじくじくと痛んだ。
一度、訊いた事があった。俺はその男の代わりなのか、と。
「そんな訳無ェだろ。そもそもお前とコラさんじゃ容姿が全然違う」
「じゃあ何で」
「……テメェで考えろ」
会話はそれで終わりだとばかりにベッドに引き込まれ、結局その日は朝まで離して貰えなかった。 抱き寄せられたまま碌に身動きも取れないまま眠りにつき、また朝を迎える。ローさんが欲してるのは、ただの抱き枕なんじゃないか。抱き寄せてじっとしてる相手なら、俺じゃなくても誰でも良いんじゃないか。
――そう、別に俺じゃなくてもいい筈なのだ。
「ねえペンギン。キャプテンがさあ、一緒に寝る度にコラさん、コラさんって他の奴の名前呼ぶんだけどどう思う? 俺、ソイツの代わりにされてるんじゃねえかってこの間訊いたんだけど違うって言われてさぁ。でも添い寝する度にその名前出されると凄ェモヤるんだよ……俺、どうしたらいいと思う?」
「……何でテメエら揃いも揃って同じ事俺に相談するんだ」
ペンギンに相談したら、顔に分かりやすく怒りマークを浮かべて俺を睨んだ。
はあ、と盛大に溜息を吐き、ペンギンは開いていた帳簿を羽ペンで叩く。米神を押さえながら、ペンギンは言葉を続けた。
「キャプテンにもこの間同じ事を相談されたんだよ。『シャチと寝る度に時々ペンギンの名前を呼んでる』ってな」
「え、何それ俺初耳なんだけど」
「無自覚かよお前……まあいい、ともかくだ。お前らの事情に俺を巻き込むんじゃねえ。お前らはお前らで解決しろ、いいな?」
びし、と羽ペンを突き付けられ、俺はうぐ、と言葉を失う。
ペンギンは帳簿を閉じ、そのまま立ち去っていく。この薄情者 と叫んだが、ペンギンはとうとうこちらを見向きもしなかった。
その日の夜も、俺はローさんに呼ばれてまたローさんのベッドで添い寝する。
ローさんの体を抱き寄せる度にいつも思う。今日はどうか、あの名前が出ませんようにと。
ローさんを抱いて眠るその時だけは、どうか皆のキャプテンじゃない、あの頃のままのローさんでいて欲しい。
それがどんなに身勝手な願いだとしても、そう思わずにはいられない。
「……おやすみ」
瞼を閉じ、眠りの淵へと沈んでいく。
せめて今日は、穏やかな眠りに抱かれて眠りたいと願いながら。
魘される声で、目が覚める。
「……めて……じさ……」
体を震わせながら涙を流す、その時のシャチにはいつもの快活な様子などまるで見られない。
まるで寄る辺の無い子供のように、シャチは体を縮こませて泣いている。シャチ、と俺はシャチに呼びかけた。けれどシャチは気付かない。シャチの体を抱き、ぽんぽんと背中を叩く。すると次第にシャチの体の震えは収まり、寝息も穏やかなものに変わっていった。閉じられた瞼から、つうっと涙が一粒零れ落ちる。シャチの震える唇が、また彼の者の名を呼んだ。
「……ペンギン……」
すう、とシャチの寝息が聞こえる。シャチの寝顔が穏やかなものに変わっていくのとは裏腹に、俺の心は酷くざわめいていた。シャチの体を抱き寄せながら、ぎり、と歯噛みする。
分かっていた事だ。シャチとペンギン、この二人の絆はとても深く、強い事など。それでもせめて、眠れない事を言い訳にこうしてシャチと共に寝ていても、それは決して変わる事など無いのだという事も。
シャチの瞼の涙を拭い、そのまま瞼に口付ける。シャチの体を抱き寄せ、強く、強く抱き締めた。
シャチの優しさに縋り、シャチに甘えている己の醜さは分かっている。
それでもどうか、今だけは。
シャチの眠りを妨げるものが何も無いよう、今だけはシャチに、穏やかな眠りが訪れん事をと祈り、目を閉じた。
夜が更に深くなっていく。
やがて二つの寝息がベッドの上で重なり合い、闇に溶けていった。