メイクの魔法は有料でした「シャチ君って意外とまつ毛長いのね~。マスカラ載せたらもっと映えそう」
「本当ね。それに貴方、いつもサングラスしてるから気付かなかったけどアースアイだったのね。とても綺麗」
「はあ……ドーモ……」
ドレッサーの前に座らされ、顔やら髪やらあちこち弄られながら、俺は身動き一つ取れずに彼女たちの言葉にただ頷く事しか出来なかった。
ここはいつものポーラータング号ではない。麦わらの一味の船であるサウザントサニー号である。
麦わらたちと合流するって日に限って俺の女になる病が再発し、それを麦わらの船の女性陣に見つけられてしまったのがつい二時間ほど前。
あれよあれよと女子部屋に連れていかれ、散々着せ替え人形にされた挙句にドレッサーの前に連れていかれ、今こうしてファンデーションやら何やら塗りたくられている。
逃げようとか思う以前に、彼女らから逃げられないのは分かっていた。
現に今も、俺の体はドレッサーの椅子に幾重にも生えたロビンさんの『腕』にがっちり固定され、まともに動く事すら叶わない。
「シャチ君、ちょっと唇突き出して」
「こ、こうか?」
「そうそう。そのまま動かないでね」
麦わらの所の航海士でもあるナミさんに顎を固定されて上向かされ、もう一方の手に持った口紅を塗られる。こうなったらもう、とことん彼女らが満足するまで玩具にされるしかないのだろう。口紅を塗って満足そうに笑うナミさんを見ながら、俺は密かに溜息を押し殺した。
唯一の頼みの綱である筈のイッカクもこの部屋に居るが、先程から肩を震わせて口を押さえているのが鏡越しに見える。
いっそ、大声で笑い飛ばしてくれたら良かったのにと、そう思わずにはいられなかった。
「出来た~ どう 最高に可愛くなったんじゃない」
「可愛く、なったんスかねえ……」
大きな姿見の前に立たされ、全身を映される。
そこに居たのはまさしく女になった自分だ。
あれこれ着せ替えさせられてる際にやたら露出度が多い衣装ばかりなのに気付いて、咄嗟に「腹が出る衣装は止めてくれ」と言った。
結果として、ベストの裾から臍だけがチラ見しているデザインに落ち着いた訳だが。
――まあ、傷が見えないからこれで良しとしよう。俺は密かに頷いた。
あれこれ塗りたくられた顔は、マスカラとビューラーで上向かされたまつ毛とかアイシャドウなんかによって、いつもより目が大きく、かつぱっちりとしているようにも見える。唇も赤く塗られ、何だか自分じゃないみたいで落ち着かない。
「素敵。サンジ君が見たらきっと卒倒しちゃうかもしれないわね」
「いや嬉しくねぇんスけど……せめて、サングラスとキャスケットを」
「駄目よ。折角可愛くなったのに勿体ないじゃない!」
「じゃあ、サングラスだけでも」
「そうねぇ。それじゃ、こうしましょうか」
俺の手からサングラスを奪い、ロビンさんはまるでカチューシャのようにサングラスを髪にかけた。
まだ太陽が高いからサングラスを付けておきたかったのだが、彼女たち、とりわけナミさんがそれを許しはしないだろう。
俺はまた、密かに溜息を吐いた。
「どうかしら。イッカクちゃん?」
「……いいんじゃ、ないでしょうか……ロビン、さん……っぶふ!」
「いやもういっそ大声で笑い飛ばしてくれない?」
俺がそう言った直後、まるで割れんばかりの笑声が女子部屋に響いたのだった。
女子部屋から出てきた俺を、女子部屋の前で待ってたらしいウソップとサンジがまじまじと見つめる。
「へぇ~、お前、ホントにシャチかぁ すっげぇ美人になったなぁ」
「……嬉しく無ェけどな」
「ホントだな。見違えたぜ」
「……って、思ったより冷静だな、黒足」
「まぁな。……元男の女ってのに関しては、あんまりいい思い出が無くてなぁ」
そう言ってサンジは酷く遠い目をした。その顔があまりに黄昏れていたもので、結局何があったのかは聞けず仕舞いだ。
サウザンドサニー号の甲板から港を覗いて、他の仲間たちを探す。
麦わらに巻き付かれてるキャプテンの姿を見つけ、その傍らに控えているペンギンの姿を見つけ出し、俺はサウザンドサニー号を降りた。
いつもより軽い足を動かして、俺はペンギンの元へと駆け寄る。
「ペンギ――ン」
「お、シャチ。やっと戻っ……」
俺の姿を見つめたまま、どういう訳かペンギンは硬直したまま動かない。
それは俺が近付いても同様で、一体どうしたのかと首を傾げていると、不意に両手を掴まれ、そのままぎゅう、と俺の手を両手で包み込み、
「結婚しよう」
「いやしねえよ」
咄嗟に突っ込んでしまった。いやだっていきなり何だってんだ。俺が女になったからって、いきなりプロポーズは無ェだろう。
「シャチ。ずっと好きだった。だから結婚しよう」
「だからしねえって言ってるだろ キャプテンも何か言って下さいよ 急にペンギンがおかしくなっちゃったんスけど」
「…何だ、しないのか? 結婚」
「キャプテンまで いやだからそもそも俺たち―――」
「なんだぁ、結婚しねえのか?」
キャプテンに巻き付いていた麦わらが、きょとんと首を傾げてこちらを見る。
「結婚知ってたのか麦わら じゃねえ、俺は別に結婚なんて」
「シッケーだなお前! おれだって結婚くらい知ってるぞ なんかおめでたくて、みんなで宴するんだろ それでよ、いっぱい、いっぱいメシも食えるんだろ」
「要はメシが目当てかお前 だからそうじゃねえって俺は――」
「サンジ―――― 宴だ―――― メシ――――」
「人の話を聞けええええ」
キャプテンから、びゅうんと腕を伸ばしてサンジへと飛び移る。
一連の様子を見ていたらしいサンジは煙草をくゆらせながらニヤリと笑い、それから厨房へと消えていった。
後に残された俺はと言えば、ペンギンに両手を握られたまま呆然とする事しか出来ない。
「……あのさあペンギン。俺が女になって、麦わらんトコの航海士たちに化粧されたからって、弾みでそういう事言うモンじゃねえぜ?」
「弾みなんかじゃない。例えお前が男に戻っても、俺はお前と結婚したい」
「いやホントにバカなの そもそも俺たち付き合ってないだろーが」
「えっ……」
「えっ……」
俺の言葉に、ペンギンはきょとんとしたまま俺を見る。いや何その目 俺、何か変な事言ったっけ
「……ちょっと待てシャチ。お前ら、付き合ってるんじゃなかったのか」
「キャプテンまで何言ってんスか だって俺たち付き合うとかそういう以前に」
「付き合って、なかったのか、俺たち。お前、俺の事、遊びだとでも」
「だーかーら 違うって言ってるだろ そもそもお前、ヤる事ヤっても一ッ言も甘い事言わねぇし、キスのひとつもしてくれねぇし、お前こそ俺の事セフレかオナホだとでも思ってンだろ」
「えっ……あ、あー……」
俺が叫ぶと、ペンギンは何やら顔を手で覆い、天を仰いだ。
そんなペンギンを、キャプテンは呆れたように見つめながらやれやれとかぶりを振る。
「……ペンギン、それはお前が悪い。ヤる事ヤるだけならセフレと扱いが変わらないのは俺も同意だぞ」
「……すみません、キャプテン。えーとだな、シャチ。俺はその、お前をセフレとかオナホとか全然考えた事は無くて」
「じゃあ何だって言うんだよ いっつも何も喋ってくれないし、俺……っ」
ぽろ、と涙が溢れる。まずい、折角して貰った化粧が落ちてしまう。
でも、止まらない。涙が、言葉が、止められない。
「俺、おまえに、性欲処理の道具としか、思われてないんじゃないかって……ずっと、寂しかったんだからな……」
ぽろぽろと、次々に涙が溢れる。ペンギンはおろおろと辺りを見回すが、キャプテンは「ちゃんと言わないと伝わらないだろ」と言って宴の準備をしている麦わらたちに混ざっていった。
ふう、とペンギンはひとつ息を吐き、それから俺の肩に手を回す。
「……シャチ。ごめんな」
「……謝るくらいなら、最初から、ヤるんじゃねえよ……」
「ごめん。キスをすると、止まらなくなると思って……出来なかった」
ぎゅう、とそのまま俺の体を抱き締める。
「言葉にすると、溢れて、止まらなくなる気がして……お前を、抱き潰してしまいそうで、怖かった」
「……馬っ鹿じゃねーの」
ペンギンの言葉に、俺は溜息交じりに返す。
「俺、もうあの頃のガキじゃねえよ? 背も伸びて、筋肉も付いたガタイのいい野郎になっただろうが。……今はまあ、女になっちまってるけどさ。お前に抱き潰される程、俺はヤワじゃねえ。お前も、分かってるだろ?」
「ああ、分かってる。ごめんな、シャチ。……好きだ。ずっと、お前が好きだった」
「……遅ェよ、馬鹿ペンギン」
ぐす、と鼻を鳴らす。
「俺も、ずっとお前が好きだったんだからな……なのに、セフレみたいに扱われて、俺が、どれだけ……」
「悪かった。だから今、埋め合わせをしたい」
言うが早いか、くい、と顎を上向かされる。ペンギンの顔が近付いて、ペンギンの青い瞳の中に俺の間抜けな顔が映っているのが見える。吐息が近付いて、唇に柔いものが触れた。薄く開いた唇に、ぬるりとペンギンの舌が侵入してくる。ふるりと体が震えて、思わずペンギンの体に縋りつきそうになり――
「アーゥ! 熱いねぇ、ニイチャン達」
不意にかけられた声に、思わずペンギンの体を押しのけ声の主を見た。青い立派なリーゼントを掲げたフランキーが、ニヤニヤと笑みを浮かべながらこちらを見下ろしている。
フランキーはその大きな手を握り、親指でくいと後ろを指した。
「宴の準備、出来てるぜ? 主役が来なきゃ、宴は始まらねぇだろ?」
示された方を見れば、船の周りに木箱と樽を並べた簡易的なテーブルに所狭しと料理が載っていた。樽ジョッキを傾け、既に出来上がっているだろう他の仲間たちも居る。
「早く来てよー 黒足の料理、とっても美味しいよ」
ニコニコしながら塊肉を持ったベポが、俺たちを手招きした。こうなったらもう、覚悟を決めるしか無いようだ。
俺はペンギンの手を取って、行こうか、と向こうを指さす。力強い手が俺の手を握り返し、ああ、と返事をした。
きっとこの先どうなるかなんて、俺たちには分からない。
再発したこの病も、元に戻れば男になる。女の俺か、男の俺か。
ペンギンが、どちらを選ぶとしても。
「シャチ」
不意に、ペンギンに声をかけられた。
後ろから抱きしめられ、思わずペンギンの胸に寄りかかる。
いつもより大きく感じる胸板。その固い感触に、何故か酷く安堵してしまう。
「男でも、女でも。どっちのシャチも、俺は好きだよ」
「……ばぁーか」
さっき俺が言うまで、そんなの一言だって言ってくれなかった癖に。
リミット外した途端、そんな事気軽に言ってくるんじゃねえ。
ああほら、顔が熱くなっちまうだろ。
「シャチ、顔真っ赤」
「うるせえ」
ふふ、と笑うペンギンに、ぶんぶんと腕を振る。
はあ、と溜息を吐いて、俺はペンギンの手を取った。
宴に混じり、方々から祝いの言葉をかけられる。
不意に、麦わらの所の航海士と目が合い、それからウインクを投げられた。
良かったわね、とその唇が動く。
きっと、彼女は最初からお見通しだったのだろう。
右手を上げ、ありがとな、と声に出さずに唇を動かす。
どういたしまして、と彼女も返し、それから指で輪っかを作ってこちらに示した。
彼女は悪戯が成功したような、とてもあくどい笑みを浮かべてこちらを見ている。
どうやら、今夜の宴代はこちら持ち。
それも相当高くついたのだろうと思うと、俺は苦笑でもって彼女の笑みに返す事しか出来なかったのだった。