Tipsy 都築圭と葛之葉雨彦は、ひそかに一緒に暮らしていた。同性であり、同じアイドルでもある。都築は今まで友人の家に居候をしていたこともあってか、引っ越しをしたことには特段怪しまれる様子はなかった。
――二人は、恋人同士でもある。
このことはまだ誰にも言っていない。言う必要性を今は感じられないから。
仕事を終え、夕飯を食べるといつものようにリビングのソファでくつろぐ。都築は一緒に暮らし始めてから、少量だが固形物を口にするようになった。雨彦が言うまでは水しか飲まないが、言えばきちんと食べてくれる。すぐに満腹になるのは、御愛嬌と言ったところか。
時計の針が二十時半を指す頃。携帯が震え、届いたメッセージに目を細める。
「……明日休みだそうだ」
隣で雨彦の肩に凭れていた都築が目を丸くする。
「何かあったの?」
「収録機材のトラブルがあって、復旧に丸一日かかるらしい」
雨彦は困ったような口ぶりで話すが、表情は至極嬉しそうである。
「ちょっといいかい」
都築が肩に乗せていた頭を上げると、雨彦が立ち上がりキッチンへ向かう。冷蔵庫から一升瓶を手にし、棚から徳利を取り出して注ぎ始めた。
その動作を眺めると、おもむろに鞄からメモ用紙を取り出し、何かを決意したように頷く。
猪口と徳利を手にして戻ってきた雨彦が不思議そうに見つめ、再度隣に腰掛けた。
「雨彦さん、お酒飲むんだよね。……待ってて」
頭に疑問符を浮かべながら入れ違いにキッチンへ赴く様子を見送る。
都築はエプロンを付け、冷蔵庫を開けて雨彦が買いためておいた大判の油揚げと何やら調味料を手にし、真剣にメモ用紙を見つめる。
雨彦は猪口に注いだ日本酒を飲みながら、固唾を飲んで見守った。
そして、少し経つと何かが焼ける音と、香ばしい香りが部屋を満たした。焦げた匂いはしていなかったがやはり心配ではある。
長い長い時間を要したように思えた数分の後、白い皿を持って都築が雨彦の元に戻り、目の前のテーブルに置いた。
「……これ、は?」
「あの、おつまみ……作ってみたんだけど……」
思わず目を見開く。食に無頓着だったあの都築が、自分のために酒のつまみを作ってくれたなんて。余りの嬉しさに雨彦は天を仰いでしまいそうになる。
都築が隣に座り、自信なさげに呟いた。
「雨彦さん、油揚げが好きって言ってたし……みのりさんに訊いたらこれがいいんじゃないかって……」
白い皿に乗った二枚の油揚げを焼いて刻んだ葱を乗せただけの一品。食べやすいように切り分けてあり、香ばしい香りが鼻腔を擽る。
「……食べてもいいかい?」
都築が小さく頷くと、手を合わせ箸を持ち皿を手にする。切り分けられた一つを持ち上げ、口に運んだ。
焦げ目の付いた少し甘めの味噌に、葱の食感が楽しい。口に広がる油揚げの甘みと相まって、思わず息が漏れた。
「……旨い」
隣に座って不安そうに見つめていた都築の表情に、花が咲いたかのような笑顔が浮かんだ。
「……本当?」
「世辞なんかじゃなく、旨い。酒に良く合うな」
そう言って酒を口にする雨彦を、どこか照れ臭そうに見つめる。
「お前さんがつまみを作ってくれるなんて、今日は記念日じゃないかい?」
「……大袈裟だよ」
「大袈裟なもんか。今だって幸せ過ぎて倒れそうなんだぜ?」
都築が困ったように眉を下げて笑い、雨彦の頬をつついてから立ち上がる。照れ隠しだと理解するまでそうはかからなかった。
「雨彦さん、何か、弾こうか」
部屋の奥に置いてあるピアノの椅子に座りながら訊ねると、雨彦は酒をまた一口飲み答えた。
「そんな贅沢しちまっていいのかい?」
都築は雨彦を一瞥して微笑むと、しなやかな指先を鍵盤に当て滑らせる。優しい音が鼓膜に響き、静かに目を伏せた。
優しく、あたたかで、胸がときめくような音色。雨彦は都築のピアノが心底好きだった。一緒にジャズ楽器を演奏した時も、都築の奏でる音色には雑音も、穢れも何もないことに驚いたほどだった。
このひとには邪念など寄り付かない。
だからこそ、一緒にいて心地よかったし、安心して愛を注ぐこともできた。
――最後の一音が鳴ると、小さく拍手を送る。
「お前さんのピアノを聞きながら飲めるなんて、この上ない贅沢さ。……本当に、最高の気分だ」
「……雨彦さん、酔ってるでしょう」
食べかけの料理を口にし、悪戯に双眸を細める。
「酔ってるかもな。旨い酒に旨いつまみ、最高の音楽。……隣には愛するお前さんがいる。酔わない理由がないね」
都築は再度隣に座り、雨彦の肩に凭れた。少し甘えるように、擦り寄る。
可愛らしい様相に酒も進んだ。
寄りかかったまま都築が徳利を手にし、空になった猪口に酒を注ぎ、また甘える。
恋人になり、共に生活をするようになれば相手の粗も、嫌なところも見られるはずだった。それがどうして、どこを取っても愛が深まる要素しか見当たらなかった。
マイペースで自由な行動が多い都築が、こんなにも尽くしてくれる。雨彦は、自分は愛されているのだと周りに言って回りたいくらいに都築を愛おしく思っていた。
—―もう、このひとと生涯を共にしよう。
心の中でそう誓いながら、辛い酒と、甘い空気に酔いしれるのだった。