怪奇!勝手に進んでいくセーブデータ ゲーム機の電源を入れ、セーブデータを選択しようとしたところで、ん?と頭を捻った。電源を落としてゲームソフトを取り出し、タイトルを確認する。有名な横スクロールゲームのタイトルだ。画面の中の小さなキャラクターがちょこまかと動き、敵を避けたり、攻撃したりしながら、ゴールへ向かう。間違いなく、檸檬が借り受けたソフトだ。
もう一度セットし直して、電源ボタンを押す。タイトル画面でAボタンを押すと、ナンバリングされたセーブデータのスロットが三つ並ぶ。それぞれ別のデータを保存することができ、任意でつけられるプレイヤー名と、進行度を表す章番号が表示され、檸檬はそのうちの上から二番目のデータを進めていた。一番上のデータは持ち主のもので、ゲーム機ごと渡された際に、このデータを触ってはならない、と厳命されている。
ところが、この戒律を念頭に置いていたにも関わらず、データが書き換わっているように見える。昨日起動したときには、「3-1」と表示されていた。ステージの三つ目、進行度一といった意味だろう。それが、今は「3-3」になっている。じっとモニターを見つめてみても変わらない。1と3を見間違えた、というのも考えにくい。ゲーム機をテーブルの上に置く。とりあえず、蜜柑に聞いてみるか。
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昨日、仕事を終えたところ、たまたま仕事の斡旋をした仲介屋が近くにいたため、直接報告をしに行った。仲介屋は報告を聞き、成果を確認し、仕事終わりの二人を見て満足そうに口角を吊り上げた。仕事終わりの人間、特に、日頃接点のない者たちが一堂に会するとどうなるか。打ち上げが始まる。
昼を過ぎ、飲食店の混雑が落ち着いた時間帯だ。まだランチ営業をしている店を狙いすまして入った。おごるよ、と仲介屋は言うが、ランチの値段帯が千円前後なのを檸檬は見逃していない。安いわけではないが、打ち上げにしてはみみっちい気もした。仲介屋の親切心だと思えば、悪くはない。
ランチセットのアイスティーを掲げ、乾杯!と元気よく言うと、仲介屋はぐひぐびとドリンクを飲む。蜜柑はアイスコーヒーのグラスをわずかに傾け、すぐに卓上に置いた。檸檬がジンジャエールに少しだけ口をつけている間に、仲介屋は食事に取り掛かっていた。お疲れ様、いつも助かっている、健康には気をつけて、うちの近所では風邪が流行っているせいで近隣の公園から子供が消えた、だのどうでもいいことを喋る。喋りながら、次々に皿に盛られた惣菜を口に運ぶ。よく食う。いち早く食べ終わって手持ち無沙汰になったのか、鞄の中から一台のゲーム機を取り出した。
蜜柑も檸檬も、ゲームにあまり興味がない。これまで全くやったことがない、というわけでもないが、熱中したことはなかった。そんな二人でも見たことのある機体だった。テレビCMなんかで放映されているようなやつだ。カラフルな本体に小さなディスプレイが嵌め込まれていて、仲介屋は軽く握って、二、三度振って見せる。
「最近ハマっててさあ。こればっかりやってるんだよね」
「俺たちに仕事を斡旋して遊んでいるとは、いいご身分だな」
蜜柑は言葉こそキツめではあるものの、興味なさそうに言う。
「まあまあ、そんなに怒るなって。仕事は仕事でちゃんとやっているんだから。仕事仲間に食事を奢ることだってしている」
「だったらもっといいもの奢れよ。寿司とか」
「おしゃれなランチなんだからいいでしょうが。昼時はけっこう並ぶんだよ、ここ」
仲介屋は思うところがあるのか、ゲーム機を手の中でくるくると回した。
「ただ、まあね。やりすぎかなって。風呂から出たら、ドライヤーより先にゲーム機触ってんだ」
「中毒になるんなら、やらない方がいいぜ」
檸檬は忠告する。
「中毒か。怖いな。そうだ、じゃあこれ預かってよ。一週間くらい。ゲーム断ちしてみる。プレイしててもいいから。結構楽しいもんだよ」
「依頼ってことか」
食後の飲み物に取り掛かった蜜柑が、細かいことを確認する。仲介屋も初めは軽口のつもりだったろうが、蜜柑の真面目そうな口調に押されたのか、そうだ、と首肯した。
「じゃあ、正式な依頼。このゲーム機を一週間預かってもらいたい。プレイしてもいいよ。ただし、セーブデータの一つ目のやつは触らないこと」
「手元に戻ってきたら、またやるんじゃないか」
うるさいなあと言いながら、仲介屋は手帳に簡単に契約者を書き上げる。蜜柑はその文面をじっと見つめている。蜜柑が見ているならいいや、と檸檬は早速ゲーム機を手に取ってみた。
*
「なあ、このゲーム触ったか?」
自室を出てリビングの扉を開くと、蜜柑が腕立て伏せをしていた。ルーティンの筋トレで、汗をかきつつも余裕そうに見える。蜜柑の顔の前に座り込む。
「昨日仲介屋に借りたゲーム機、あっただろ。あれ、蜜柑もプレイしたりしたか?」
「はあ?」
顔を上げた蜜柑の顔は不機嫌そうだ。
「やってない。俺がやるように見えるのか」
「けどな、この家には俺とおまえしかいないだろ。で、ゲームのセーブデータが更新されている。どっちかがプレイしたってわけだ。言っとくが、俺はやってねえぞ」
「俺もやってない。不注意で動かしたんじゃないのか」
蜜柑は会話をしている最中も筋トレを止めない。腕立て伏せは一定のリズムで続く。沈んだり、上がったりする蜜柑は眉を顰めてこちらを睨みつけている。
「会話しながら筋トレするの、普段より負荷がかかってそうだよな」
ぎろり、とより一層鋭い視線を投げかけてくると、ため息をつきながらあぐらをかく。
「あのな、檸檬。馬鹿馬鹿しいが、これは正式な依頼なんだ」
「分かってる。けどな、俺はやってねえぞ。トップハム・ハット卿に誓ってもいい」
「誰なんだそれは」
説明しようとすれば手で制されたので、見てみろよ、と自室に置いてきたゲーム機を見せてやる。蜜柑は唸って不慣れな手つきでゲーム機に触れる。確かか、と聞かれ、間違えない、と返す。
「これは、元に戻せないのか」
「無理だな。一歩通行だ」
*
ゲーム機は蜜柑の部屋のテーブルの上に安置されることになった。ところが、翌日以降もゲームの進行度は進み続けた。ステージは着々と回数を重なっていき、二人は焦った。バレないことに賭け、詰められた時には相手のことを生贄にしようと心に決めた。そんな中、蜜柑の携帯端末に当の仲介屋本人からメールが来た。釘でも刺しに来たのか、とメールを開いてみる。
「ゲーム機の件について、預けて正解だったかもしれません。実はあれから毎晩ゲームをプレイする夢を見ます。これ以上触れていたら本当に中毒になっていたかもしれません」
感謝の文面だ。二人は顔を見合わせる。何より、セーブデータについては自分達の落ち度ではないことに、安堵していた。