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    おとなし

    テイルズ名物村焼き

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    おとなし

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    ドバメのふたりの出会いを見た私「そんなに叩くの!?」「いやっ、痛い痛い痛い!?!?」「やさしくして〜〜っ!!!」

    #シンジャ
    thinja

    現パロ四話 その家は海岸線にぽつんと建つ平家だった。
     とてもちいさな一軒家で、ノブ式の押し戸を開けるとすぐ左にキッチンがあった。そのキッチンから変色した畳敷きの居間が仕切りなく続く造りになっていて、居間の他には襖で仕切られた寝室がひとつぽっきりの、古めかしい間取り。わたしが訪れた当時、大型家具のほとんどは既に処分された後だったようで、洋服ダンスやテレビ台の日焼けの跡が畳に残っていた。六畳ほどの居間の真ん中には処分を免れたと思わしきちゃぶ台が置いてあり、その傍らに当時中学生だったシンがいたのだ。台風の接近予想で休校だったはずだが、彼は制服を着ていたと思う。
     頭上で雷が轟いていた。風に煽られてごうごうと飛沫を上げる黒い海が、海沿いに建つ家を今にも飲み込んでしまいそうな勢いでうねり、吹き込む雨風から逃れるために後ろ手に扉を閉めなければならなかった。コンクリート作りの玄関に突っ立ったまま暗い室内を見回し、シンへ向かってこう尋ねた。
    「おまえんちって……こんなとこに住んでんのかよ」
    「こんなとこはないだろ。人んちだぞ」
     まあ上がれよとシンは言った。彼が無点灯だった懐中電灯のスイッチを入れたのは、奇妙な来客へのせめてもの歓迎のつもりだったのかも知れない。垂直に伸びる懐中電灯の灯りが室内の一部を照らし、空気中できらめくたくさんの埃や天井に巣食う蜘蛛の巣を浮かび上がらせた。ちゃぶ台の上に淵の欠けた湯呑みがあって、萎れた野草が生けてある。わたしが奇妙な来客なら、シンも十分、奇妙な家の奇妙な子どもだった。
    「あれ? お前、新入りじゃないか」
    「?」
     この時、懐中電灯を持ったシンが何かに気付いたような声を出したのだが、わたしにはその意味が分からず、ただ首を傾げたと思う。泥水を吸い込んでぐっしょりと湿ったスニーカーを履いたまま家の中へ上がり込もうとして、それを見たシンは顔を顰めた。
    「おいチビ。靴は脱げよ。礼儀がなってないな」
     指示されるのが何より嫌いだったわたしはあからさまな舌打ちをしたが、シンはそんなことお構いなしに続けた。
    「こんなとこへ来るなんて。迷ったのか? 街は反対方向だ」
    「別に、迷ってねーし」
    「嵐の日に出掛けるなんて感心しないな。大人が心配する……」
    「うっせーな! 俺のやることに口出すんじゃねーよ!」
     当時のわたしときたらいつもこんな調子で、すべてのものにいちいち噛み付き、声を荒げて威嚇することしか知らなかった。尋常でない様子を見せつけると大抵の人間は去って行く。大人も子どももそうだった。だからこの時まで、進んで狂犬のように振る舞うわたしに積極的に関わり、諭し、ましてや手を上げる人間なんかひとりもいなかったのだ。
     ぱちん。
     左頬を叩かれたことに気付くまですこし掛かったと思う。
     いつの間に玄関まで来ていたのか。衝撃にふらついたわたしの腕を掴んだシンが逞しい眉を吊り上げ、怒気を孕んだ声を出した。
    「ここは父さんと母さんと俺の家だ。靴は脱げ」
     シンはたぶん、この時すごく怒っていた。そしてわたしはと言うと、ひどく驚いていた。お父さんにもお母さんにも触れられた記憶がない。触れられたことがないのだから当然、撫でられたことはもちろん叩かれたこともなかった。まして、保護対象のわたしに身体的な暴力を振るう支援員など一人もおらず、だからあれはすごく新鮮な経験だった。言われるまま大人しく靴を脱いだのはぶたれてショックだったからではなく、ましてシンが怖かったからでもなく、ただただ驚いていたからだ。なんだこいつと思った。左頬がじんじんと熱いのが、夢みたいだった。
     靴を脱いで上がったキッチンは狭く、洗濯機用の排水溝に埃が溜まっていた。コンロの台の上にガスコンロはない。ガス栓の先から伸びるオレンジ色のホースが伸びているだけで、隣のシンク台はところどころ赤錆が浮き、長く使われていないことは明白だった。
    「……ここ、ほんとにお前んち?」
    「そうだよ」
     そう答えたきり、ちゃぶ台の前に腰を下ろしたシンはしばらく何も喋らなかった。ノイズを含んだラジオだけが台風情報を流し続け、明日の朝までは外に出ないように市民に繰り返し訴えている。
     彼のことを、笑顔を振りまくご機嫌なムードメーカー、あるいは集団の牽引者だと思っている人間はそれなりに多いが、実際のシンがご機嫌な人間かと問われたらわたしは首を横に振る。シンはいつも何かを考えているひとで、彼がだんまりを決め込んで考えに耽ると、見てくれに迫力があるせいか近寄り難い威圧感を放ってやまない。キッチンと居間を隔てるためにある引き戸のレールの上にうずくまり、しばらくラジオと家鳴りの音をBGMに彼のことを観察していた。強い風が吹き付けるたび家全体が吹き飛びそうに揺れる。立て付けの悪い窓ガラスはガタガタと震え、何かが屋外で派手に転がっていく音がした。
     吹き飛びそうな家の重石役を買っているみたいに、シンはただそこにいた。蒸し暑い室内は湿気を含んだ空気に生ぬるさを感じるくらいだったが、それでも全身濡れ鼠であったわたしはやがて寒気を感じて、身震いと共にくしゃみをした。
    「……っくしゅっ!」
    「あ。ああ、気付かなくて悪い。タオルがある。こっち来いよ」
     くしゃみに気付いたシンがふいに言った。彼はちゃぶ台の下から紺色のリュックを引き寄せると中からタオルを取り出し、鷹の目をやわらかく細めてこちらへ向かって手招きをした。わたしはと言うと、それまでのツンケンした態度が嘘みたいに大人しく彼に従うことができた。今現在まで続くわたしとシンの関係性は、出会い頭のビンタであらかた出来上がったのだと思う。
    「げえ、お前ビショビショじゃん。脱げよ、風邪ひくから」
     雨水を大量に含んで肌に張り付く不快なTシャツを、シンに手伝ってもらいながらもたもたと脱いだ。全身濡れ鼠であったからTシャツを脱ぐだけでは足りなくて、結局靴下まで含めたすべての衣類を脱ぎ去らなくてはならなかった。代わりに、シンが自分の制服のワイシャツを脱いで貸してくれた。学校指定、半袖の白いワイシャツはわたしが着ると七分袖になり、ちょうど膝下のあたりまで丈があった。ワイシャツの下に着込んでいたノースリーブ一枚になったシンはこの頃から背が高かったし、わたしは彼のご指摘通りチビだったのだ。赤錆の浮いたシンクでわたしが着ていた衣類の水気を絞ったシンが、明日の朝までには乾かないかもな、みたいなことを言った。彼は広げたTシャツをシンク台の隅に引っ掛けて干すと居間へ戻り、それからわたしの正面に腰掛け乾いたタオルで頭を乱暴に拭いてくれた。外では稲光が走り、風が打ちつけ、その度にやはり家が吹き飛びそうに軋む。髪の毛の水分を拭うシンはずっと無言だった。鋭い鷹の目、その双眸には悲壮感があったと思う。後になって知ったことだが、彼はこの時、嵐から家を守ろうとしていたのだそうだ。人間ひとりいたところで重石になれるかどうかはともかく、自分がいれば、少なくとも家が吹き飛ぶことはないと考えたらしかった。あるいは口にしなかっただけで、家が吹き飛ぶなら自分も一緒にと願ったのかも分からない。先のない拠り所と運命を共にしたい気持ちは、わたしにも覚えがある。
     時間が進むにつれ台風情報を流していたラジオ放送はザーザーという不快なノイズが大半になり、諦めたらしいシンはラジオのスイッチを切った。そうすると、嵐の音の他にはシンとわたしの息遣いしか聞こえない。静寂に近い気まずい沈黙。こうなると、シンの整った顔がこわい。きれいなものが口をつぐみ、黙り込んでいるとどうしようもない迫力があった。
     堪らなくなったわたしはシンへ向かって言った。
    「なあ、なんかしゃべれよ。お前、だまってると顔がこえーんだよ」
    「ええ?」
     シンはちょっと困った様子だったが、やがてぽつりぽつりと話しはじめた。
    「んー、ここはさ、三ヶ月前まで母さんと住んでた家なんだ」
     シンは室内を見回し、わたしもつられてそれに倣った。居間から見えるシンク台の物置き扉は大半が中途半端に開き、中身はからっぽ。蜘蛛の巣の張った天井には剥き出しの梁が見え、そこから床へ向かって伸びる柱の一本に、横一線に刻まれた何かの記しがあった。「シン 六歳」「シン 七歳」という手描き文字を記しの脇に見たと思う。ちゃぶ台の上の湯呑みに入った草花は、あれは献花だったのだろうか。分からないが、廃屋を愛しげに見回したあの時のシンの目には、母親との生活がまざまざと映っていたのかも知れない。わたしにとっては汚らしい廃屋でも、そこで生まれ育った彼にとっては、あの家は思い出がいっぱいに詰まった離れがたい生家でしかなかったのだ。土足で上がり込むなと怒るのは当然のことだった。
    「今はご覧の通り空き家だよ。来月には取り壊しが決まってる」
    「ひっこしたの」
    「……母さんが死んでしまったからな」
     なぜか、もう一度頬をぶたれたような気持ちになった。取り壊しの決まった生家を、ひとりきりで嵐から守ろうとする中学生が、そこにいたからだと思う。その時のわたしには、世界一不幸な人間は自分だという自負、言い換えると驕りがあった。とんだ八つ当たりだが、自分は不幸だから、幸福な人間には何をしても許されると思っていた。他人の事情への配慮や想像力が決定的に欠けていたのだ。気が付いたら身を乗り出して尋ねていた。
    「おとうさんは?」
    「いないよ」
    「さっき、ここは父さんと母さんとじぶんの家だって」
    「昔はいたのさ。……さあ、今日はもう寝よう。どうせ朝までは嵐だ。明日の朝になったら、俺もお前も大人にこっぴどく怒られるよ。英気を養おうぜ」
     畳の上にごろんと横になったシンがのんびりと言った。彼は母親のことはよく話したが、父親のことは基本喋らなかった。だからわたしは今も、シンの父親のことはよく知らない。若くして亡くなったエスラさんの得意料理は知っていても、シンの父親がなぜいないのかは知らないままだ。シンが差し出してくれた逞しい腕枕に濡れた頭をそっと預けて、雷雨のなか朝まで眠った。温かいシンの胸板に鼻先を擦り寄せると、汗に混じって海のにおいがした。その後十年に渡って親しむようになるこの街のにおいだ。長い夜がちっとも怖くなかったのは、あれがはじめてだった。

     雨を、ことさらに雷雨を愛しているのは、たぶんそういう経緯があるからだと思う。片肘をつき外を眺めるシンに倣ってパーラーのガラス窓から空を見上げると、ビルディングの群れの向こうに、分厚い暗雲が立ち込めているのが見えた。
    「おや、雨ですかね」
     声が弾んでしまったと思う。シンは何も答えず、もう一度、眼鏡のフレームに向かって指先を伸ばしてきた。さすがに彼の手を再び叩き落とすことはできなくて、されるがまま借り物の装備品を奪われた。するり。細長いフレームはいとも簡単に取り払われ、レンズを無くした世界のその先に、鷹の目をしたシンがいた。
     視線が合うとドキリとする。ああ、眼鏡がなくなっただけでもう心細い。わたしを暴かないでほしい。わたしはあの頃のまま、ちっとも変われないで、あなたにどこへも行って欲しくないと、ここへいて欲しいと願っているのだ。呼び出しを受けた電話ではこの後すぐにフランスへ発つと言っていたけれど、それならどうして、空港まで二時間もかかるこんな辺鄙な街へ顔を出したのだろうか。故郷が恋しくなったのか。でもそれなら、私のことは放っておいてもらってよかった。シンの生家も、一緒に育ったひまわり園も、もうこの街にはない。唯一残ったよすがとして思い出話に花を咲かせるつもりもなかった。ちいさな単語カードを持つ手に力が籠る。シンはずっと、何か言いたそうな顔をしていた。
    「なんですか?」
    「いや、別に」
     理性を動員して尋ねた声は震えていたかも知れない。でも、シンは何も言わなかった。
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    おとなし

    DONE「シンドバッド少年の憂鬱」の後日談、子ジャちゃん視点の話です。あと一話の予定でしたが分かれてしまいました。読んでくださっている方がおられましたらごめんなさい。
    この話単体では健全ですが後編は年齢制限が入ります。

    ※倫理的に問題のある描写を含んでいますが該当行為を推奨するものではありません。
    ジャーファル少年の憂鬱 前編 二日ほど寝込んだあいだに、雪はすっかり溶けていた。寒々しくきれいな冬の朝は、呼吸をするだけで病み上がりの肺を洗うようだ。分厚い窓ガラスの結露を手のひらで拭うと、なめらかな藍色に沈んだ寒々しい街並みを、昇りくる朝日がまばゆい白に塗り替えてゆくのが見えた。屋根の上を走る朝焼けが議事堂の尖塔を照らし、そこから落ちた影がまっすぐに商館へ伸びて来ている。次いで商館沿いの大通りを見下ろすと、ボロを着た新聞配達の子どもが尖塔の影をくぐり息を切らせて駆けていくのが視界に入る。遠目から見てもあっちのほうが上背があるけど、たぶん同い年くらい。この時間、あの子はいつも山盛りの新聞を両脇に抱えて南へ走ってゆく。普段通りの光景。私が寝込んでいた間も、街の時間は日々同じように流れていたに違いない。
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