好意大衆は衆愚だ。何故意見を周りに合わせるのか、僕は最後のひとりの幽霊族だから尚の事よく分からなかった。
「おじさん、人間ってのは何が好きなんですか」
もう読み終えたであろう新聞を読んでいたおじさんは鳩が豆鉄砲食らったような顔をして、その後、唸りながら考え始めた。僕はどういう風に答えるかを知りたいだけなので、そう考えずに早く答えて欲しい。うだつの上がらないおじさんはどうしてこうもノロマなのか。
「僕は人間で答えていいのだろうか。」
思ってもみなかったヒドイ回答に飲んでいたお湯でむせる。こりゃァ、だめだ。
「笑わないでくれよ……」
おじさんは少し不本意そうに言った。
「僕はおじさんが変なことを言うからむせたんです」
相手へ確かに視線を向ける。
「一応、あんたは人間社会の中で生きているんでしょう?」
僕の言葉を聞き終わるよりも先におじさんは目を逸らした。その表情はよく見えなかった。
「それも、そうだな……」
おじさんは人間らしい生き方を意識して、昔から僕にそれを擦り付けてくる癖に。死人の体になった程度で自分は人間のつもりでは無いのか。なんともまァ身勝手だこと。
「人間の好きなものと言ってもな、世の中には色々な人がいる。たとえば、僕が好きな物でも、それを好きでない人もいる。だから」
「ふぅん、ヘイヘイ」
「……………」
おじさんの話が説教たらしく、いかにも退屈そうな話なので割り入るように返事をした。
「……やっぱり、その、鬼太郎。すまないが僕には答えられなさそうだよ」
おじさんがどんなつもりでも、僕の気にするところではないが、滅多にない僕の質問に答えられなかったからかばつが悪そうにしている。だいたい、人間の好みなんかには興味が無いので回答はグダグダでも構わなかった。
おじさんは相変わらず鈍感だなァ。
「別に気にしませんよ。ただの思いつきなので」
先の会話を思い出せば、流されやすいこの人間はやはり思考を周りに合わせていた。自分が人間かどうかではなく、自分も周りから人間と認められるような存在かどうか。でも、そんなもの、そこにいてそこに居ない存在と同じじゃないか。
「ねえ、じゃあさ」
「あんたの好きなもの、何ですか」
「僕のか……?」
「ええ、そうです。」
ええ、そうです。ですが、おじさんが唯一持っているものと言えば良心と名ばかりの同情心。
都合がいいもの────美味しいだとか、耳障りがよいだとか────は挙げられるでしょうが、何の基準や条件なくとも意識からせり上ってくるもの、よしあしの先にあるもの。
好きなもの。
そういったものをきっと、おじさんには答えられない。 常に世間体ばかりを気にして、それだけでできた人間。体裁を整えたってあんたは空っぽだ。
「好きな、好きな食べ物とか、好きな酒の銘柄とか、あるにはあるはずなんだが……こう、漠然と好きなもの、と言われては選択肢が広くて……上手く見つからないんだ」
「ケッ」
上手く見つからない? そんなわけあるもんか。ただ、誰かに与えられた中でしか選べないだけだ。
ああ、あんたは。ずっと受け身だからこうなるんだ。それでいて、受け入れられないものから目を背けて無かったことにしようとする。助けを求められなければ助けない、そのくせして勝手に罪悪感を抱く。
そういえば、溺れた僕のことは助けたんだっけな、でもあんまり思い出せないや。これはおじさんから教えて貰った話でさえないし。
「聞いた話なんですがね」
僕はおじさんのもとへ寄る。おじさんはちゃぶ台へ新聞紙を除けた。
「何かを知ろうとすることは、何かを好きになろうとすることの始まりらしいですよ。」
おじさんの眉間に人差し指を置く。
隙間風がぐっと吹いた。なんとも立て付けの悪いことだ。
「あんたは一歩も進めないまま、死んでいくしょうね」
僕はいつだってあなたのそばにいたのに。
「心にも無いことでしょうが、好きなものを聞かれたときは僕だと答えればいいのです」
マッタク、これまでも、おそらくはこれからも愚かな「お義父さん」なものだ。演技も何も役者にさえなれていない。沈黙だけが達者なようで。
「都合のいい答えだと思いませんか、ソウでしょう、だって─────」
おじさんの瞳が揺れた、けれど依然こちらを見ている。僕は耳元にすり寄って囁いた。
「それがあんたのなりたかった姿でショウ?」
「ねえ、おとうさん?」
僕は高揚で口元が歪むのを堪えきれなかった。