花をプレゼントしたい話+++
グ・ラハ・ティア
圧倒的片思いだと思っている。
ヒカセン(ジル)
至って普通にグ・ラハが好き。
サンドイッチ
毎日食べたい。
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絶世の美女では無いが、見目はそれなりに良いのだろう。加えてお人好しで、気さくで善良だ。ただ、いつも傷が絶えないし、砂埃にまみれていて、少し、血の匂いがする。戦いと冒険が恋人のような女だった。
ミコッテの女性にしては背が高く、小柄な自分よりも視線が少し高い。出会った時は身の丈ほどの槍を、そして今は大剣を持っているせいで、とても大きく見えた。
あの頃から、そりゃあもう凄く強かったし、想像していた英雄ってやつはきっとこんなやつのことなんだろうなと思っていた。そんな大役を、押し付けられても平気な面で、さも当たり前のように周りに言われるまま、どんな戦いも絶対勝って、ただ前に進むだけのやつだった。かっこ良かったし、きっと色んな冒険をこれからもしていくんだ。憧れだった。だけど、それはなんというか、彼女との冒険に憧れていたんだろう。すごく楽しいだろうな、わくわくするだろうし、凄い戦いを傍らで見ることが出来るのだって最高にいい。
だから、それを傍で見られずとも、いつか読んだ英雄譚のように、そんな冒険を物語でもって知ることが出来たらやっぱりきっと最高だって、そう思った。
目覚めてから出会った冒険譚は、そこに生きる人々にとっての希望になっていて、それは願いが生み出した神の力をも人の技術によって再現させた。そこまでさせた彼女自身の、死後も変わらない眩しさが、まるで夜闇を照らす星のように思えたのを覚えてる。百年の時の流れは、色んな想いや記憶を変異させ、昇華させ、もしくは風化させるのに充分だったが、それでもなお、その星は目指す場所として私の中でずっと瞬いていたのだ。
その光が、零れ落ちてしまわなくて良かった。
それからどうしたのかって、終わるはずだった私の方こそ救い上げられてしまって、もう、完膚なきまでに惚れ込んでしまったわけだ。
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それから、三日三晩悩んだ。この気持ちをどうするか、そもそも彼女は原初世界へ帰るのだ。私はあちらへは行けない。それにこの世界にしても、この街から離れることは難しく、そもそも人の体では無い。半永久的に生き続けることになる。
と、そこまで考えて、己の愚かさに呆れ果ててしまった。そもそも、あの人のことだ、想いを告げたところで、拒絶はしないだろうが、応えることもまたないだろう。少しだけ、困らせてしまうかもしれないけれど。最初から負けが決まっているようなもので、それならば、知っていて欲しい。それくらいの我儘は許してくれるだろう。
「公、今よろしいでしょうか」
「……女性に贈り物をしたい時、どういった物なら迷惑では無いだろうか」
「え? ええと、関係性にもよると思いますが、花であったり、消耗品でしょうか」
「普通に贈り物をする時と大差ないのだな」
「はい、とはいえ、贈る物によって意味があるそうなので確認はした方が良いかと。例えば、バラなどはあからさまに告白のイメージですよね」
「なるほど……。ありがとう、助かったよ」
確かに、必要は無かったから詳しくは知らないが、花言葉であったり、お菓子にしても異性へ贈る場合は意味を付与させて返事をするというのをどこかで聞いたことがある。
だとすれば、その中で、どうにも後腐れの無さそうなものを選べば間違いはないだろうか。いや、むしろ彼女の方こそそういったものに興味が無いのでは無いか、そうであれば逆に物にそれとなく意味を託して終わらせた方が、迷惑にならないのではないだろうか。いや、そもそも、前提としてきちんと伝えようと考えたはずなのだから、それでは悪い意味にはならない物を探すという方針の方が。
「そのお相手は、闇の戦士様でしょうか」
「えっと、その。……その通りだ」
「であれば、まずはあまりおまたせしない方がいいと思います。部屋の外で、お待ちです」
「え! い、今すぐお通ししてくれ……」
「分かりました」
無難で定番なものと言えば、やはり花だろうか。鉢植えから花束まであるが、負担が少ないもので言えばやはり切り花か。本数も多すぎてはいけない。
だが、花の匂いは結構強くて、好きな匂いでなければ不快にさせる可能性がある。特にミコッテならば、鼻も良く、拘りが強い可能性もある。
「水晶公? おーい、聞いてる? 大丈夫?」
かくなる上は、直接聞くべきではないだろうか。贈り物はサプライズが基本らしいが、私としては何よりも相手が困らないことを重視するべきであると。
「グ・ラハ・ティア!」
「はっ、ああ……すまない。ええと……」
「何かずっと考え込んでいたけど」
「もう大丈夫だ。ジルの方こそ、話があってきたのだろう。何かあったのか?」
「……あれから水晶公の様子がおかしいって聞いて来たんだけど。本当におかしくなってる」
「それは、わざわざすまない。だが、何か問題があった訳では無いのだ」
「私には、ほとほと困り果ててるように見えるけどな」
うーん、と首を傾げてこちらをじっと見つめてくる。フードを被っておくべきだった。同じように耳と、彼女は隠していないから尻尾だって見えているというのに、いつだって静かでまるで感情が読めない。一方の私はと言えば、態度や声に感情を乗せないことには慣れたが、耳も尻尾も余りに雄弁すぎて困っている。尻尾は隠した、耳も今までは隠していたが、素顔を晒した今、フードで顔を隠すのもまた憚れて、そのまま晒し続けている。
「急ぎの用事がないなら、軽く食事を持ってきた。どうせ何も食べていないだろうから一緒に食べない?」
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2
ずっと引きこもってるのは、その考え事にも良くないと、部屋から引きずり出されて、クリスタリウムの中だと落ち着かないかもと、少し外まで連れ出されて、真っ直ぐ従者の門も越えた先まで歩いていった。すっかり見慣れた景色の、まだ少し見慣れない青空の下の姿を見ながら、木陰に並んで座った。
「これは、おにぎり。東方で良く食べられてて、米という穀物を炊いて握って作る、らしい」
「らしい」
「うん。食材集めまではできるけど、料理はからきしで。こっちは肉の串焼き」
「これも食材はあなたが?」
「狩って捌くまではしたんだけど」
「一度やってみれば、あなたの事だ。料理もすぐ慣れると思うのだが」
「自分の為だとあまりやる気出ないんだよね。そういうグ・ラハは、料理も出来るみたいだ。ほら、サンドイッチとか」
おにぎりを頬張る彼女に合わせて、受け取ったそれらに口をつける。うん、美味い。なんというか、色んな問題を忘れてしまいそうな昼下がりだった。いつも砂埃と少しの血の匂いがする彼女は、今日はなんとなくさっぱりと清潔な石鹸の香りがする。言われてみれば、いつもより軽装で、いつも持っている大剣も綺麗に磨かれているようだ。
「あなたは、どんな花を好むのだろうか」
「花? どんなのだろ、探して採ってこようか」
「……では、見つけたら、私にも見せてくれ」
そういえば贈らなくても欲しいものは取りに行けるのがこの人だ。自分が手に入れられる範囲に贈れる物などきっと無いのだろう。
食事を済ませたら、もうこの一時は終わりなのだが、なんだか動く気にもなれず、ぼんやりと辺りを眺める。こんな風に息を抜いたのは久しぶりだ。
しばらくして、右側に重さがかかる。水晶の腕に、微かに体温を感じる、気がする。
「あの頃は、やんちゃで純粋な男の子にしか見えなかったんだけどさ。私より少し年下で、可愛いやつだなって思ってた」
「私のことだろうか」
頷く気配。彼女が、気を許した相手には距離が近いことを知っているから、これにも大して意味が無いと分かる。ただ、気を許されているということが、私にとっては相当、大したことではあるけれども。
「見た目の年齢は、あまり変わってないけど、雰囲気も落ち着いて、身なりもきちんと整えて、感情を飲み込むのも上手くなっちゃって、ずっと大人びたよね。君は年寄りだなんだと言うけど、実際、それだけ生きて、ここにいるんだろうけど」
隣を見れば、酷く穏やかな横顔があった。よく見えない瞳を見ようと、左手を伸ばして前髪をのかせば、こちらを向いた。あの頃から付いていた頬の傷跡だとか、自分とは違った風味の赤い髪。少し黒い鼻の頭は、可愛いと思う。それから、私を見る瞳の柔らかさとか。これは、きっと恋慕でも、憧憬でもない。ただひたすらの、慈愛だ。
「君の、ここまでの日々を思うと、多少不謹慎かもしれないけれど、格好良くなった、いい男になったね、グ・ラハ」
彼女よりずっと生きているはずなのに、本当に、敵わないし、届く気もしない。遥か高みにいる、憧れの英雄。
だけれど、だからこそこの人ならば、私の想いも応えずとも大切に抱えて持って行ってくれる気がした。
「ひとつだけ、知っておいて欲しいことがある」
「なに?」
感覚が鈍いから平気だと言い聞かせて、右手で、彼女の左手をそっと握って、本当は何か武器を持って挑みたかったが丸腰の私は、半ば諦めを抱えて、圧倒的な敗北感を傍らに、負け戦に臨んだ。
「私は、あなたのことが好きだ」
色んな人から好かれるあなただ。きちんと正しく伝わってくれるだろうか、という懸念は、驚いたように見開かれた目を見て無くなった。手を、振りほどかれる事も、身を引かれることも無く、安堵した。少なくとも、警戒はされていない。
しばらく硬直していた彼女は、息を吐きながらこちらにもたれかかって来た。
「君のことだ、散々考えて、告げてくれたんだろうから、それを疑うとか、そういうのは無いし、その、迷惑ではないよ、でも」
「応えて欲しいわけじゃない。意識されたい訳でも無いから、そこまで気を使わないでくれ。ただ、あなたなら、この想いも連れて行ってくれる気がしたのだ」
彼女は、静かだった。あれほど悩んだというのに、呆気なく終わってしまった。そろそろ、戻ろうと、身動ぎひとつしない彼女に告げようとして、次の瞬間、空を仰いでいた。打ち付けた背中に鈍い痛みが広がる。掴まれた肩に細い指が少し食いこんでいる。
「……それは、託されるような想いなんかじゃない。私はそんなもの抱えていけない。それは、グ・ラハ、君が持って来て」
「だが、私は……」
「疑ってないけど、実感はない。知ったけど、理解はしていない。欠片も私には届いていない。君の気持ちがそんな風に終わって、蔑ろにされて報われないのは、私、嫌だよ。そんなの、嫌だ」
いっそ、泣きそうな顔でもしてくれた方がずっとマシだった、と思うほど。そうか、これが英雄か。涙の代わりに表情から感情が零れ落ちて、ただ、底なしの深い闇の様だ。
起き上がれば、押さえつけていた腕は邪魔せず離れていく。若干の後悔が心の底に沈んでいる。傷付けるくらいなら、私一人で抱えていた方がずっと良かったのだろう。そんなにも、この想いを大切にしてくれるとは、思わなかったんだ。
「ありがとう。あなたはああ言ってくれたが、まだまだ……情けない男なんだ、私は」
少し躊躇って、元気よく突き飛ばされるならその方がマシだろうと、力なく項垂れている彼女の背に腕を回して、抱き締める。それから、若干悩んで、背中をそっと宥めるように擦る。あやす様に体を揺らせば、腕の中で、小さく笑い声がした。
「あとは、子守唄が聞きたいな」
歌なんて、ライナが小さい頃歌ってそれきりだった。吐く息に音を乗せれば、思った以上に掠れていて、もう、自分に歌は不要などと考えずに少しでも練習しておけば良かった。それでもなんとか一曲終えると、緩く寝息を立てている。置いていくのは論外だが、じゃあ抱えて部屋まで送る勇気もなく、とは言い訳で、まだ離れがたかった。
私の気持ちを理解出来ていないというのは、そうなのだろう。自分を好きだと言った男にもたれて居眠りできる程度には、意識されていない。
だが、英雄のつかの間の休息に、私の腕の中を選んでくれたのは、彼女に惚れ込んだ男として、これ程光栄なことは無いかもしれない。
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3
結局、私好みの花を探しには行かなかった。
代わりに一度だけ、君に似合うと思ったから、と花を贈った。彼はそれを大層気に入ったらしく、暫くして、枯れる前に、ベタだけど押し花にしたのだと、懐からそっと栞に加工されたその花を見せてくれた。あれからずっと持ち歩いていたのならおそらく、花も一緒にクリスタルになったのだろう。
「あら、そうやって持っていたのね」
「このペースだと、このノートもあっという間にいっぱいになりそうだよ」
手帳サイズのノートには、押し花を貼り付けてある。少しずつ劣化してしまうだろうけれど、何もしないよりは長持ちするだろう。
そういえば、ヤ・シュトラも花を差し出されていたなと思い返す。まるで子供扱いで、少し呆気に取られてしまったけれど、慕ってくれる気持ちは嬉しかったんだろう。
「花をくれる男の子は、可愛いよね」
「そうね。とはいえ、あなたの言う可愛い、は私が感じるそれとは少し違うようだけれど」
原初世界で目覚めた彼は、暫くして、私に花をくれた。よく見る、その辺に生えている花だったけれど、あんたに似合うと思って、だなんていつかの言葉を返してきた。
それから度々、ことある事に色んな花をくれる。どれもこれもその辺で見つけて摘んできたらしい。花を見て、私にも見せたいと思ったとか、私を思い出したから、とか。人目もはばからず差し出してくるものだから、すっかり定番の光景になってしまった。
暁の新人は、大層英雄殿が大好きで、いつも花をプレゼントしていると。
「ジル、いま大丈夫か?」
「どうかした?」
「あ! 花、取っといてたんだ」
照れたように笑って、また差し出してくる。今回は小さな青い花だった。花のことは詳しくないので、名前すら分からない。グ・ラハも、私が花の名まで興味がある訳では無いと認識しているらしく、花の説明するにしても、いつも見た目や香り、あった場所の話をする程度だ。
「残るものは迷惑かなって思ってたんだ。大切にしてもらえて光栄だけど、ちょっと恥ずかしいな」
「人前で贈るのは平気なくせに?」
「それは、あんたがいつも誰かといるから……」
気まずそうにこちらを見てくるのがなんとも、可愛らしい。思わず、ヤ・シュトラと顔を見合わせて、笑ってしまった。
「私の方は、特に彼女に用がある訳では無いわ。多忙な英雄様をお誘いする、またとないチャンスではなくて?」
「ジルも、ヤ・シュトラに用事は?」
「無いよ。世間話してただけ」
「じゃあ、あんたが今から行きたい場所があるなら、付いていってもいいだろうか? 特に予定がないなら、食事にでも」
「じゃあ、サンドイッチ作ってよ」
「ちょっ、今から? そうだな……、じゃあ、材料を買いに行こうか」
ヤ・シュトラに手を振って、石の家を出る。私といる時、特に楽しそうに揺れる尻尾を見るのが好きだ。今も一歩下がって眺めたりする。彼はすぐ、私の歩くペースが落ちたと気がついて隣に来るけれど。
私の、恋愛ごとに対する優先度は決して高くはない。恋慕と、友愛と、仲間への信頼や愛情の強さに、さして大差はない。それでも、彼の想いは、どうしても大切にしたいものの一つだ。
花を贈る以外のことをされたことがなかった。一番近づいたのは、思いを告げられた日に抱き締められた時だろう。持っていろと言った彼の想いをきちんと抱えて、それを分かりやすく私に向けてくれている。そんな純粋で一途な想いが、本当に堪らなく、嬉しいのだ。