果たして溶けたのはどちらなのか………状況を冷静に分析しよう。
予想外の事態。不確定要素。想像を絶する難敵。
そう言ったものに立ち向かうにはまず冷静になり、状況を的確に分析し、最適な手段を考える事が最優先だ。あの國でも私達はそうやって生き残って来たのだから。
そう、私にならきっと出来る。
この状況を打破する事が私になら出来る。
そう決意したトネリコは、覚悟の決まった表情で己の右腕を見る。
「んふふふふふ~~~。トネリコ~~~~。」
どうしようだめかもしれない。
顔を赤く茹で上がらせ、融け切った声色で自分に甘えて来る立香を見やり、己の理性とか欲望とかなんか色んなものがぐわんぐわん揺らされるのを感じ取りながら、トネリコは片手で頭を抱えるのであった。
発端はいつもの事。微小特異点が観測されたので、それを解決するためにレイシフト。黒幕を見つけて魔術師らしく物理で蹴り飛ばして力で解決。聖杯を回収してさぁ帰ろうとした所だった。黒幕が最後の足掻きとばかりに放った、魔術の残滓が立香に纏わりついたのは。
「—————ッ!!マスター!!」
判断が遅れたのは一瞬。されどひ弱な人間に呪いをかけるには十分すぎる時間。最短最速で彼に纏わりついた残滓を払う。
「大丈夫ですか!?マスター!申し訳ございません、一瞬油断を。」
「だ、大丈夫…。体はなんとも……なん…と…も…。」
心配しないで、と言いたげな笑みを浮かべていた立香だったが、様子が急激におかしくなっていった。言葉が尻すぼみになっていくし、目もなんだか虚ろに。
「マスター…?マスター!!しっかりしてください!!」
危険かもしれないが彼の身体を揺さぶる。やはり呪いをかけられた可能性があるかもしれないと、トネリコの焦りが大きくなる。
「とね………り…こ。」
「はい!トネリコ!!トネリコです!」
「とねりこ。」
「はい!」
「トネリコ。」
「……はい」
「トネリコ。」
「……はい?」
朧げな口調で自分の名前を呼ぶ立香に、最初は焦燥に満ちた声で返事をしていたトネリコだったが、段々とはっきりして来た上に、一向に自分の名前しか呼ばない事に困惑の感情が生まれる。
「トネリコってさぁ……。」
「は、はい。」
「かわいいよね。」
「——————————————はい?」
なにを、イッテイルンダ、この人。
唐突にぶち込まれた言葉にトネリコの思考が空白となる。
そして、次の瞬間。
「にゅふふふ。」
「マ!?マスター!?」
甘え切った声を上げた立香がトネリコの腕に抱き着く。
伝わって来るのは彼の温かな体温と程よく硬い感触。腕からに過ぎないが、それでもトネリコの思考を圧殺するには十分すぎる程の情報量が襲い掛かる。
「ま、待って下さいマスター!?何をしてるんですか貴方!?」
「えーー?だってトネリコが可愛すぎるんだもん。」
「カッッ!?」
まってほしい。ほんとうにまってほしい。
そんな緩み切った可愛い表情でそんな事言わないで欲しい。
普段とのギャップが荒まじすぎてタイヘンな事になる。
「あーーほら照れちゃった。もうそういう反応も可愛い。」
「~~~~~~~~~~~~~!!」
邪気も何もない、ただ幼い子供の様な顔をした立香というだけで既に破壊力が凄いのにそれに加えてこちらを「可愛い(はあと)」なんて言って来るおまけつきだ。既にトネリコの理性は決壊寸前である。
「(なにこれなにこれなんなのこれ!)」
思い当たる原因はあるというかなんというかもう最後の黒幕の放ったあれしか無いが。と言うかこの状態………まさか。
「…マスター。」
「なぁに?」
「酔ってます?」
「酔ってないよ?」
(酔ってますねこれ。)
妖精國の旅では良く、カルデアでも度々お目にかかった事のある、ある意味世界で一番面倒くさい呪いを掛けられた事を察したトネリコは目が遠くなった。
「んふふふふふ~~~。トネリコ~~~~。」
そうして序盤に戻る。
幸いと言うべきかある意味不幸と言うべきか、酔った立香はトネリコの腕に抱き着いてくる以上の事はして来ない。どうせならもうちょっとしてくれれば良いものを…なんて一瞬思ってしまったが、瞬時に記憶から蹴り飛ばした。
(まぁとにかく……ずっとこのままは良くないですね…。)
厄介なのが、呪いと言っても魔術的なアプローチでは全然効果が無い点だ。流石に永久的なものでは無くて、普通に体の代謝で酔いが覚めると信じたいが。
(とりあえず、酔った人への対応を普通にやってみますか…。この近くに確か綺麗な湖が。)
「マスター?離してはくれませんか?水を取りに行きましょう。」
「やだ。」
にこやかな顔で即断即決であった。さっきまでは可愛かったがそろそろ正直面倒くさい。
「そんな事言わないでください。水を取りに行くだけですから。離してください。」
「離れたくない。」
「………。」
なるほど。こういう時もこの人は頑固なのか。
トネリコは一つ賢くなってしまった。
だが、このままでは一向に話が進まない。多少、力を強めてでも無理やりに—————。
「………いかないで。」
「…?マスター?」
今までの陽気な、どこか浮かれていた声とは一転、弱弱しくて縋るような声が聞こえて来た事にトネリコは一瞬戸惑う。
己の片腕に縋りついているの体勢に変わりは無い。だけど、だけど————。
「お願い…行かないで。」
「—————————。」
どこか、涙の気配が含まれた声が、聞こえて来た。
「……大丈夫。すぐに戻って来ますよ。」
「…嫌。」
ふるふると頭を振る立香。いつもは実年齢よりも遥かに大人びた言動をしているのに、今の様子は年齢相応、いやそれよりも幼い、子供の様だ。
「一人に…しないで。」
「…しませんよ。する訳が無い。」
星の様な貴方。
私の道行きを照らしてくれた最果ての星。
輝ける、唯一無二。
「みんな、いなくなっちゃう。」
だから、気づかないようにしてた。
その考えに、無意識に蓋をしていた。
「みんな、いつか離れていってしまう。」
夜道を照らす唯一の星。
夜空に燦然と輝く、一番星。
「いつか—————一人になっちゃう。」
そんな貴方を、誰が照らしてくれるのだろうか。
誰が貴方を、導いてくれるのだろうか。
「だから、行かないで。」
旅を終え、全てを取り戻した後、誰が貴方の傍にいるのだろう。
「傍に居て欲しいんだ。」
くぐもった声で、濡れている声で貴方は静かに泣き叫ぶ。
悲痛な願いがあった。
声にならない悲鳴を上げていた。
誰にも言わず、誰にも悟らせず、鉄の理性でそれを封じ込めていたけど、その理性が解けてしまったから、今こうして噴き出してしまっている。
聞かなかった事にすべきだと、心の中で私自身に囁きかける。
これは彼の本意では無い。
封じ込めて置きたかった本音の筈だ。他人に見せたいとは思わない筈だ。
本音を押し込んで、旅を続けて来た私には分かる。
だから、知らない顔をすべきだ。
見なかった事にすべきだ。
記憶を消す魔術を使って、この出来事を無かった事に—————。
「……そうですね。私たちは所詮影法師。人類史という名の大海に浮かぶ小舟の如きモノ。いつかは必ず、別れの時がやってくるでしょう。」
「…………。」
迷子の子供の様になってしまった立香の頭を撫でながら、トネリコは残酷なまでに、彼の言葉を肯定する。
残酷な仕打ちだというのは分かってる。
傷口を抉る所か、掘り出すような真似をしているのも分かってる。
それでも、出来なかった。それだけは、出来なかった。
何一つ嘘をつかない貴方に、嘘を向けるなんて事、出来なかった。
「カルデアに居る人達もそうかもしれません。貴方とは住む世界が根本的に異なる。貴方のこれからに一瞬重なる事はあっても、交じり合う事は無いでしょう。」
「………。」
私の腕を掴む彼の手に力が入る。
藤丸立香を元居た生活に戻す。
それが、彼らカルデアの良き人達の望みであり、戦う理由なのだから。
————必然、魔術師である自分達が彼に関わる事は無くなるだろう。
そんな残酷な優しさを、彼に向けるかもしれない未来を彼に語り、彼の心を必要以上に傷つける。
それでも、それでも——————。
「それでも、貴方は一人になりません。」
確信を持って、貴方に伝えられる。
全てが終わった貴方の旅路は、孤独なものでは無いと。
「私達の心には、貴方がいる。そして貴方の心には、きっと私達が居る。」
思い出は先を進む貴方を支える力に、時には貴方を癒す筈だ。
楽しいだけでは無く、辛いものもある。
それでも貴方なら、きっとそれを糧に出来る。
「そして、貴方は出逢うでしょう。貴方にとっての唯一の星に。」
この旅で、多くの別れと出会いを繰り返して来た貴方。
貴方なら、きっと出逢える。
貴方だけの運命に。唯一無二の星に。
全てを終えたその先で、貴方に出逢えた私の様に。
「…だから、大丈夫。私が、私達が、貴方を一人で歩かせはしません。」
これも、記憶に残るように。先を往く貴方を支える思い出になる様に。
貴方の旅路に祝福があるよう祈りながら、貴方の額に口づけした。
「今の旅が終わるまでは、ずっとそばにいますからね。」
「………うん。」
泣き止んだ子供の様な言葉を最後に、立香は眠りに落ちた。
立香は数時間後に目を醒ました。
……酔っていた時の事は覚えていなかったようだけど。
程なくしてカルデアに帰還。
疲れが残っているようだった立香を彼の部屋の前まで送って私の任務は完了だ。
「……あのさ。ひとつ良い?」
「はい?なんですか?」
部屋に入ろうとする直前、立香は私に背を向けながら、私に声を掛ける。
「俺にとっての星は君だよ。」
「……………は?」
「じゃあ!おやすみ!!」
爆弾発言を浴びて固まっている私をよそに、彼は扉を閉めてしまった。
「……………………………………。」
……そう言えば、忘れたとは一言も言って無い。
ただ、私に「何があったの?」って聞いただけで、それに対して「覚えてないなら良いです。」って私が返したから、忘れたたものだと、私が勝手に認識しただけで。
まって。まってほしい。
記憶が残るタイプだった事とか憶えてるのに憶えて無い振りをしていた事とか
下手しなくても私の最後のアレとかも憶えている可能性があるとかなんかもういろいろぐしゃぐしゃだけど。
「それは…卑怯でしょ…。」
キャパオーバーを起こして、扉の前でしゃがみ込む。
もういやだ。いずれは離れるって言ったのに。
「離れられなく……なっちゃうじゃん…。」
困らせないように、苦しませないように、鍵を閉めて厳重に鎖で縛った想いが、甘く溶かされていくのを、トネリコは感じ取っていた。