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    chandora_0204

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    chandora_0204

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    林檎さんちのイチャイチャ世界線三次創作です。
    ほぼほぼ一年ぶりとか嘘だろお前。
    地雷無しの人だけお願いします。

    夜明け前亡くなった人間は、声から忘れられていくという。

    人間の脳の構造上、聴覚から始まり、視覚、触覚、味覚、嗅覚の順番で忘れて行く。
    忘れるというのは不可避の減少だ。脳の仕様上、全ての記憶を持って死ぬ事は出来ない。
    そもそも、忘れるというのはどういうメカニズムなのか。有力な原因候補としては二つ。
    一つは、より強烈な事象によって上書きされてしまった事。
    インパクトのある広告であれば印象に残りやすいが、ありふれている様な代わり映えのしない広告は印象に残らないのと同じ理屈。……最も、その人にとって「強烈で無い」というだけで、その人にとって大したものでは無かった可能性は非常に高いが。
    もう一つが、他の記憶と結びついて曖昧になってしまう事。
    脳は新しい情報があると、古い情報を覆い隠そうとする特性があるが故に起きる事だ。これに関しては、一長一短だろう。
    そもそも、「忘れる」というのは決して悪い事ばかりでは無い。
    忘れてしまった方が幸せ・・・・・・・・・・・
    そんな物、この世にありふれているのだから。



    ———では、あの日々はそうなのだろうか。

    辛い事が多かった。苦しい事が多かった。
    乾ききらない涙も、未だに癒えない傷もある。
    失った物も砕け散った物もある。
    何も知らなかった頃には戻れないと、断言出来る。

    それでも、あの日々の事は、今でも時折思い返す。
    それは決して、劇的な時ばかりでは無い。

    教授の話を聞いている時。
    学友との笑い話の最中。
    本に囲まれている時。
    街角を歩いている時。
    空を見上げた時。

    ふと、吹く風が。
    かけられた言葉が。
    目に映る光景が。
    漂う匂いが。
    口に広がる味が。
    五感で以て、あの日々を思い出す。

    だから、断言出来る。
    これは忘れたく無い記憶だと。

    夢だったとかと思う時もある。
    —————例えそうでも、確かに刻んだモノがここにある。

    いつか、遠い記憶になってしまう恐怖がある。
    —————それでも、あの姿だけはきっと忘れられない。


    悲劇も、不幸も、真実も。全て忘れる事は出来ない。
    投げ出したくなって、全部諦めたくなって、蹲ってしまいたくなって。
    それでも、顔を上げたらそこにあった背中を。
    忘れられないし、忘れてやらない。
    あの光景を、あの日々を。ずっと胸に抱いて進んで行く。
    だって。

    聖杯戦争が終わった後も、馬鹿らしいくらいに人生は続いていくのだから。





    神秘とは秘匿する物。
    これは現代を生きる魔術師の鉄則である。
    魔術が日常に根付いていた古代の環境とは違い、近代化という人類の侵略が急激に進んでいる現代においては、秘匿しなくては保てない程に、魔術の神秘性は薄くなっている。
    それは規模の大小に関わらない。
    最も、個人で行う儀式を目撃された程度であれば当事者の記憶削除で済むので、そう大した負担では無い。
    だが、聖杯戦争という極限にして大規模の儀式においては、そう簡単な事では無い。
    とは言え、それはあくまで通信技術の加速や人口規模の増加が著しい現代においての事。
    近代化の足音が近づいてはいるが、まだ遠く離れているこの時代においては、発生する時間帯の注意と住民への広範囲の暗示程度で済む。

    そして、今夜。
    三つの戦いが勃発し、その全てに決着が着いた。

    崩れた建物。
    抉れた大地。
    後に監督役が心労に喘ぐ事は間違いない程の大惨事ではあるが、無関係な者に目撃されなかったという意味で、比較的平穏なままに、第一幕は結末を迎えようとしていた。
    夜の帳は完全に降りきった。
    戦の熱狂も神秘の残滓も闇の中に吞み込みながら、その色を深めていく。
    時は丑三つ時。草木も眠る頃。
    先程までの偽りの静寂では無く、本物の静寂が辺りを満たしていた。
    残されたのは月と星明り、僅かな文明の明かりが照らす、即席のスポットライト。
    それは幕が降り切って尚、階下の光景を照らしだす。
    その明かりを受けて、こちらを見下ろす超常の神秘は、何よりも輝いている様で。

    「クー・フーリン……。」
    「ん?なんだ。俺の事知らねぇか?お前さんの親父からちったあ聞いてるかと思ってたが。」
    「あ、いえ…!お父様やお母様からはあんまり過去の事は聞いていなくて…。」
    当てが外れたのか、少しだけ意外そうな表情を浮かべるクー・フーリンを前にして、玄斗は慌てふためく。
    「で、でも。貴方の事は存じあげてます。アイルランドの光の御子。魔槍ゲイボルグを扱う最強の戦士!アイルランド神話においてはあのフィンさんに匹敵する」
    「はははそこまでで良いぜ。そんくらい分かってんなら上等だ。何だ?お前さん、俺のファンか何かか?」
    「あ、えっと…」
    少し早口になっていた事を自覚したのか、若干恥ずかしそうに口籠る玄斗を見下しながら、ニヤニヤとクー・フーリンは笑いながら聞いた。
    「お父様が世界中の神話や偉人史を沢山持っていたんです。その中の一冊に貴方の本があって、それを読ませていただきました。」
    「……なるほどな。そういう事かい。」
    玄斗のその言葉に、困った様に、少しだけ嬉しそうにクー・フーリンは僅かに微笑んだ。
    「ま、それはどうでも良い。それよりマスター、状況を確認させて貰いてぇんだが……いや、その前にあの嬢ちゃんとの合流が先決か?」
    「あ、はい!それでお願いします!とにかく、どうにかして夏恋に連絡を…。」
    疲弊しきった体に、枯渇寸前の魔力。今の玄斗のコンディションでは、十数キロは離れてるであろう夏恋の場所に辿り着くのでさえ至難の業だ。無論、這ってでも彼女の元に行くつもりだが、夏恋が動き出してしまったりなどして、すれ違ってしまっては元も子も無い。ここが現代であれば、連絡手段など数多に存在するが、今はそういったハイテクとは程遠い時代だ。
    (クー・フーリンさんにお願いして夏恋に届く様に、空に文字を打ち上げて貰う?…いや流石にそんな派手な真似は危険。それより、魔力を分けて貰って念話を…この距離を届かせるには…。)
    一番の不安の種であった夏恋の安否が確認出来た事により、平時の落ち着きを玄斗は急激に取り戻す。己の手札と現在のコンディション。それらを分析して、最適解を導こうと、深く思考の海へと潜っていく。思考に対する集中力は手に取れる様で、ここにも彼の魔術師としての才能が表れていた。
    「あん?連絡何て要らねぇぞ?」
    「……え?いやでも、今から向かうにしても夏恋が動いちゃったら。」
    ただし、今回の場合はその思考は全くの無駄骨であった。
    前提となる己の手札の把握を、完璧に行えていない以上、その思考が導き出す結論は正しい物にはならないからだ。。
    「んなもん、あの嬢ちゃんが動く前に到着すりゃいい話だろうが。」
    「………はい?」
    玄斗は、サーヴァントという存在を、彼らの規格外っぷりを、未だに完全に理解出来ていなかった。
    正確に言うと、理解出来る程の余裕が先程までは無かったというべきか。
    もしくは、目の前の男がどういう存在なのか未だに現実味が無かっただけなのかもしれない。
    「いやでも、甘く見積もっても十数キロは離れて———。」
    「そん位なら数分でいけるぜ。口は閉じろよ。舌を噛むぞ。」
    「え?ちょ、まっ」
    少しどもりながら軽く慌てる玄斗の抵抗なんてなんのその。少し重めの荷物でも持つような気軽さで、クー・フーリンは玄斗を小脇に抱える。
    「念のため、俺の服の裾を掴んどけ。まぁ落としはしねぇよ。んじゃ、行くぜ玄斗!」
    「まってクー・フーリンさん!?何を———!?。」
    玄斗の最後の言葉は、突如として吹き荒れる突風でかき消された。
    正確に言うと、風そのものになった結果、口から言語を発する事が出来なくなった。
    「~~~~~~~~~~~~~~!?」
    風と音が暴力的なまでに全身に叩きつけられる。
    視界と並行感覚が逆転し、包み込まれる浮遊感は不快そのもの。
    単純な脚力で、重力を振り切る程の速度で飛び上がったと、彼の冷静な頭脳が叩き出した結論を飲み込むのには、しばらく時間がかかった。
    「ちょ、ちょっと!!クー・フーリンさん!?やるんならやるって一言!!」
    「おいおい何言ってんだ男だろ?この位の事、笑って楽しめる位になりやがれ!」
    「そんな無茶な!?」
    目を開けるどころか、顔を上げる事もままならない風圧の中で、必死に抗議の声を上げるも何のその。全く聞く耳を持たないケルトの大英雄様がそこにいた。
    (……でも、それはそれとして、認識がまだ足りて無かったのは反省点だ。)
    先程まで交戦していたサーヴァント、フィン・マックール。目の前の男が、彼と双璧を成すケルトの英雄であるなら、同じ様な事は出来て当然だ。
    (『元』が付くとは言え、同じサーヴァントお母様のこういった姿は見ていなかったのが引っかかってたのかな…。)
    まぁだがそれはそれというか何と言うか、やっぱり流石にコレをやるに当たって事前の相談は欲しかったと玄斗は内心思い直す。
    飛び上がる時の加速力が無くなったのか、目を開ける事が出来る位には風圧が落ち着いたのを見計らって、もう一度文句を言おうと目を開けると。
    「——————————————。」

    そこには、文明の明かりを手にした人類が、代わりに支払った物。
    現代を生きる玄斗にとっては、珍しい光景。
    星の大海が、目の前に広がっていた。

    「……綺麗…。」
    「あん?……あぁ、そっか。そっちの時代だと珍しいのかこれ星空。」
    文明開化どころか、魔術と神秘が日常に溢れていたクー・フーリンからすれば、見慣れたソレよりもかなり輝きの落ちている星空。だが、玄斗からすれば人工的な明かりも大気汚染も比較にならないこの時代のソラは、信じがたい程の輝きで満ちていて。
    「星の海の中を泳いでいるみたい…。」
    「おぉ、上手い事言うじゃねぇか。実際、空に浮かんでる訳だしな!」

    愉快そうに笑うクー・フーリンの声も聞こえなかった。
    空を飛んでいる今のこの状況。
    夏恋や汐俐の身の安全。
    暁渚への感情。
    忘れてはいけないのに。思考を途切れさせてはいけないのに。
    今は、ただ。
    自分の名前の由来とも言える、目の前の星空に。
    ただ、心を奪われていた。

    「さぁて。楽しんでいる所悪いがマスター。」
    「あ、はい!」
    「舌噛むなよ。」
    「は、はい?今度は————!?」
    そんな憩いの一時も一瞬。
    重力に従った落下が始まるよりも早く、再び突風と化したクー・フーリンは流星になって、目的の人物達の居る場所へと落下を始めた。
    「ちょ!ちょっとぉぉぉぉぉぉ!!一言で良いから言ってってぇぇぇ!!」
    「だから言ったろ!舌噛むなよって!」
    「~~~~~~~~~!!」
    そうじゃない。そういう事じゃ無い。
    そう抗議したかった玄斗だったが、目を開ける事の出来ない風圧のせいで、言葉にする事は終ぞ出来なかった。



    「ます……たぁ…?それって私の事です?」
    トリスタンを名乗る目の前の女性の言った事がいまいち分かっていないかの様に、小首を傾げながら夏恋は聞き返す。
    「はぁ?アンタ以外に誰がいんのよ。私を召喚したのはアンタでしょうが。」
    「しょ、召喚?私が?」
    「ちょっと待ちなさい。アンタ状況を説明しなさい。」
    若干語気を荒くしながら、トリスタンは夏恋に詰め寄る。英霊の座に登録されていない自分が召喚されている時点で、既に異常事態だとは思っていたが、まさかマスターがこんな有様なのは予想外。
    (あのクソザコは間違いなく関わっているんでしょうけど…いやでもあいつ、もう戦える様な体じゃ無いって…代わりに娘を寄こした?何も説明せずに?)
    ありえない。
    天地がひっくり返っても絶対に無い。
    非常に癪ではあるが、善性の塊の様なあの男は絶対にやらない。
    ……癪だが、ひじょ~~~~に認めがたいが、カルデアに居た頃からその性根に変わりは無い筈だ。
    ならばきっと巻き込まれたのか、不測の事態が起きたのか。
    「え、えっと…状況ですね…。」
    (とにかく最優先はこいつが置かれている状況の把握。……あいつと連絡が取れるのはベストだけど…きっとそこにはお母様が……。)
    別れは済ました。
    伝えたい願いも打ち明けた。
    未練は無い。
    —————それでも、もしも一目あの人に会ったら、自分の決意は簡単に揺らぎそうで。
    「まず、暁渚お兄ちゃんって言う」
    「まちなさい。」

    そしてその決意は、夏恋の言葉で案の定早々に瓦解した。

    「お兄ちゃん?お兄ちゃんってアンタと血の繋がった?」
    「え?……は、はいそうですけど。」
    「双子?」
    「暁渚お兄ちゃんと汐俐お兄ちゃんは…。」
    「……あにがふたりいるってこと?」
    「あ、もう一人…」
    「待てやゴラァァァ!?」
    ドスの効いた唸り声を至近距離で浴びた夏恋は、思わず肩を揺らす。
    何か彼女の怒りを買うような発言をしてしまったかと、一瞬怯えたが。
    「あいつ!!あいつぅぅぅぅぅぅぅぅ!!何してくれてやがんだあいつ!!そんなに負担を掛けるような真似をあの人にさせやがって!!全面的にするなとは言わないけど節度ってモンがあんでしょうがクソザコがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
    …どうも、彼女の怒りの矛先は自分では無く、どこぞの生意気無粋変態糞雑魚ゴミカスに向けられている様な気がして。
    「あいつ……あいつ……!!あの人を悲しませるから止めてたけど…!!今度会ったら、これ以上の蛮行を防ぐためにもあの節操無しの厄災の元にフィッチ・フェイルノートを…!!」
    「…あ、あのトリスタンさん?」
    「あぁ!?」
    それはさておき、男性にとってはある意味で「死」よりも恐ろしい計画を本気で実行しようとするトリスタンへの恐怖はさて置き、夏恋にはどうしても気になる事があった。

    「私のお母さんを……モルガンを知ってるんですか?」
    「——————————————。」

    まさしく怒髪天を体現していたトリスタンだったが、その言葉で一気に静まり返る。
    振り上げていた手を降ろし、静かに夏恋を見下ろす。
    そして、口を開こうとした瞬間。
    「——————————っ!アンタ!下がりなさい!」
    血相を変えて、夏恋の腕を掴んで自らの背中に隠し、空を睨みつける。
    「え?きゅ、急になに?」
    「なんか来てんのよ!魔力からしてサーヴァント…私と同じ存在!顔を出すんじゃないわよ!」
    「っ!」
    朧気だが、トリスタンを名乗る目の前の少女が尋常な存在では無い事は夏恋にも分かっている。それと同じ様な存在が迫って来ているという事実が、夏恋に恐怖を植え付け、思わず目の前に広がるトリスタンの服の裾を力強く握りしめる。
    「……。」
    自らのマスターが怯える様に自分の服を掴んでいる事を感じ取りながらも、トリスタンは冷静に対処方法を考える。
    (反応からして相当な手練れ。しかも堂々とやって来る辺りに自信に満ちていやがる。…戦うのは良いけど、流石にコイツが邪魔。かといって一人にした所ですぐに死ぬだろうし…。逃げるにしたって、背中を見せるのは…!)
    戦った所で不利なのは確実だが、明らかに手練れだと分かる正体不明の敵相手に背中を見せる事は許容できない。
    (せめてクラスの判明。運が良ければ、カルデアに召喚された事のある連中の可能性がある。記憶は保持してないだろうけど、そっから弱点………くらい……は……。)
    そして、捉える。
    アーチャーというクラスの名に相応しい視力で見る。

    あの組織でうんざりする程見かけた顔の一つを。
    青い顔をしながらその男の腰に捕まっている、糞雑魚と似ている男を。
    こちらに飛んでくる男の唇が。

    「て・い・せ・ん」

    の形をしているのを。

    「……良いわよ出て来て。」
    「えっ?」
    「……あれ、知り合い。」
    若干げんなりした顔をしながら、夏恋に心配の必要は無いと告げる。
    相当に面倒な事になりそうだと、内心で辟易しながら。

    「よう、久しいな嬢ちゃん。まさかアンタが召喚されてるとはな。」
    「……こっちのセリフだっての。その見飽きた面、また見る事になるなんて。」
    着地の直前で何かしらの魔術を使ったのか、音も衝撃波も発生せずに男—————クー・フーリンが降り立つ。
    「こっちを見た時、若干驚いた顔に変わった様に見えたからな。もしかしたらと思っていたが、やっぱりカルデアでの記憶を持っていたか。いやー良かった良かった。俺のマスターがおたくのマスターに会いたがってたからな。戦う羽目になったら面倒だとは思ってたんだよ。」
    「アンタのマスターって……それ?」
    ちらりと、クー・フーリンの足元に蹲る男を見やる。
    今は顔を見る事が出来ないが、先程ちらりと見えた顔はあの男に似ていた。ただ、髪の色だけはあの男と違って、あの人に似ていた。
    (……って事は、つまり。)
    「……っ!玄斗お兄ちゃん!」
    何より、背後に隠れていた夏恋が駆け寄った事が、トリスタンの予想が当たっていた事を告げていた。
    「夏恋!!」
    飛び出した夏恋の声を聞いて、先程までグロッキーだった玄斗が急速に復活し、顔を高速であげ、感極まったかのように妹を抱きしめる。
    「良かった無事でほんとに…。」
    「う、うん…お兄ちゃんも無事で良かった。」
    玄斗は心底ほっとした様に、夏恋は少し涙ぐみながら、再会を喜ぶ。そして、玄斗は夏恋を離すと。
    「ところで怪我は無いか?さっきまで何かに追われている所までは把握していたんだがそいつらは?疲れてはいないか?喉は乾いていないか?お腹は?お父様に出発前に色々渡されたけど何か要るか?そういえば確か靴は履いて無かったよな?その靴は夏恋の持っているものの中には無かったからどこからか手に入れたのか?というかこれまでの状況を全部教えてくれないか?変質者に声を掛けられたとかして無いか?そもそもなんでここにk」
    「おちつけ。」
    心配の余り若干壊れたかのか、夏恋に鬼の様に質問を重ねてくる玄斗を見かね、クー・フーリンは少々強めにチョップを繰り出す痛く無さそうで痛い。もんどり打ってる玄斗を尻目に、少し戸惑い気味の夏恋に近づき、目線を合わせるかの様にしゃがみ込む。
    「ほーん。お前さんが坊主と女王様の娘か。はは!!確かにあの女王様にそっくりだ。」
    「?お父さんとお母さんのお知り合いですか?」
    「おう。そこの嬢ちゃんと同じで昔ちょっとな。」
    夏恋の背後に立つトリスタンを、顎で示しながら鷹揚に笑うクー・フーリンに、トリスタンと同じ様な安心感を覚えたのか、夏恋は少しだけ笑顔になり。
    「そうなんですね…。あ、遅れました。私は夏恋。藤丸夏恋って言います!」
    「そうか夏恋か。俺はクー・フーリン。一応はキャスターとでも呼んでくれや。」
    にこやかに笑いながら、クー・フーリンに名乗る夏恋。その笑顔にどこか懐かしい面影を見つけ、思わず頭をわしゃわしゃと撫でながら、クー・フーリンもまた真名を告げる。
    「ちょっとアンタ。いくら何でも真名を名乗って言い訳?」
    「良くはねえが、お前さんがもう知ってんだろうが。後は早いか遅いかだけだ。なら、自分で名乗るさ。最低限のけじめって奴だな。」
    後ろからトリスタンが若干の苛立ちを込めながらクー・フーリンに詰め寄るが、軽く受け流す。飄々としたその態度は、まるで真名を知られてもなんら問題は無いと言っているかの様であった。知られた事はあくまで自分の不手際で、その不利を背負った上で如何なる仕事もこなしてみせると、そう無言で告げていた。
    「……。」
    「?おい嬢ちゃんどうした?」
    黙りこくったトリスタンを不審に思ったのか、声を掛けるクー・フーリンだったが。
    「…………クー・フーリンさん。」
    後ろから感じる異様な殺気に、思わず口を閉じる。
    夏恋の頭を撫で続けたまま・・・・・・・・・・・・
    なお、撫でられている夏恋本人は照れくさそうではあるが、嫌そうな顔はしていない事をここに補足しておく。
    ………最も。
    「いつまで、夏恋を撫で続けてるんですかあなたはぁ!?」
    重度のシスコン相手に通用する理屈では無いが。
    「おい落ち着けマスター。確かにちょっと撫ですぎたかもしれんが、お前がそこまで怒るこたぁねぇだろ。」
    「怒るのは当たり前だ!夏恋に手を出そうたって俺の目が黒い内はそうはさせないからな!」
    「おい正気を取り戻せ坊主。確かにいずれは良い女になるかも知れんが、ガキに手を出す程トチ狂ってねぇぞ。」
    「貴方の生前を見てそう思えるか!あちこち修羅場だらけじゃん!」
    「なに言ってんだ小僧。良い女を見たら口説かなきゃ失礼だろう。」
    「最低だ!!最低だよアンタ!!」
    胸ぐら掴んで揺さぶりながら、吠える玄斗。だが悲しい事に肉体性能に余りにも差があるせいか、揺さぶるというより、クー・フーリンを掴みながら揺れていると言った方が正しいだろうが。
    「………アンタ、あんなのが兄で大変ね。」
    クー・フーリンの手によって、若干乱れた夏恋の髪を整えてやりながら夏恋にほんの少しの同情の視線を向けるトリスタンであったが。
    「?大変ってどこら辺がです?」
    「…いや、どこら辺って。」
    奇行に慣れているのか、それか『そういう物だと』受け入れているのか。夏恋の目には純粋な疑問しか浮かんでおらず。悪感情と言えるものは何も無かった。
    (適応能力が高いというか、鈍感というか何と言うか…。そこら辺はアイツ似ね…。)
    はぁ、と内心でため息を吐いた所で。
    「——————————————!」
    「どけマスター。夏恋嬢ちゃんの傍にいろ。」
    されるがままであったクー・フーリンが無理やり玄斗をひっぺはがす。その行動に玄斗もまた空気を纏い直し、夏恋の傍に急ぐ。
    「……。」
    マスターを託すのは多少は癪ではあるが、致し方無いとトリスタンも前に出る。
    「念のための確認だが、共闘って事で良いんだよな?マスター、夏恋嬢ちゃん。」
    最終確認をする様に、クー・フーリンが背後の玄斗に尋ねる。トリスタンもまた、答えを促すかの様に夏恋を見つめる。
    「はい、もちろん。…良い?夏恋?」
    「う、うん。」
    「うし、了解だ。一応伝えておくが、俺の事はキャスター、嬢ちゃんの事はアーチャーと呼べ。真名で呼んだりすんなよ。」
    即断した玄斗。夏恋は状況についてはいけてない様だが、玄斗との敵対の意思は無いようだ。で、あれば問題は無いと、二騎のサーヴァントは前を見据える。
    「……サーヴァント?」
    「だろうな。見えはしねぇが、近づいてきやがる。アーチャーには見えねえのか?」
    「…無理。遠い所の狙撃は得意じゃないし。」
    二人が捉えたのは何かが炸裂し、空気を切る音。例えるなら、地面を爆砕する程の威力で何かが飛び立った様な音。狙撃を疑うべきかも知れないが、地面を爆砕する様な音は何度も聞こえて来る。これが示すのはつまり。
    「何度も何度も着地して、飛んでを繰り返してる?」
    「なんつー移動方法だ。脳みそまで筋肉で出来てやがるな。」
    「アンタも似たようなもんでしょ。」
    肉弾戦が期待できそうだと言わんばかりに笑うクー・フーリンを半眼で睨みながら、軽口を交わす二人。そうする内に、音がどんどんと近づい来る。やはりと言うべきか、目標地点はこちらの様だ。そろそろ射程圏内かと、魔力を右手に込め始めるトリスタン——————だったが。
    「ん?あいつは…。」
    「……よりにもよって…か。」
    近づいて来るにつれ、空中に浮かぶその姿が露わになる。
    西洋式の鎧に身を包み、右手にはガントレット。肩にマントをたなびかせた姿。その姿をした騎士を二人は知っている。そして相手もまた、驚いたかの様な顔を浮かべる。それを見た、トリスタンは魔力の込めた腕を降ろす。クー・フーリンもまた、構えを解く。その光景が目に入ったのか、こちらに急接近してくる。……ただ、気になるのは。
    「……あれさぁ。」
    「まぁ多分そうなんだろうが…惨い事しやがるぜ。」
    飛んでくる騎士。だが、一人では無く誰かを抱えてやって来ている。問題なのは。
    「……お久しぶり。で、よろしいのでしょうか。」
    「おう、大丈夫だぜベディヴィエール。俺も嬢ちゃんも記憶持ちだ。」
    「…ん。」
    空中で一回転し、威力を殺す事で難なく目の前に着地した男————ベディヴィエールを前にして、クー・フーリンが鷹揚に答え、トリスタンは言葉少なく応じる。
    「そうですか。では、改めて。お久しぶりですご両人。また会えるとは光栄です。クー・フーリン卿。そして」
    「それは良いからさ。」
    ベディヴィエールの挨拶を遮り、彼の腕の中————お姫様だっこされている汐俐を憐れそうに見やる。
    「そいつ、降ろしてやったら。」
    「あぁ、そうでした。いつまでも抱えるなど失礼致しました。マスター。」
    「う、うん。」
    もうすでになんか色々限界そうな顔をしている汐俐だったが、一安心したかの様に地面に降り立つ。ひとまず、一番見られたくない相手達には見られなかったと、安堵する。
    ———————する、が。
    「えーーっと汐俐?」
    その声に、凍り付く。
    そうこれは単純な話。余りにも高速で、空中と地上を上下するのが心臓に悪すぎて、思わず目をつぶってしまっていただけ。そのせいで、一番見られたくなかった三人の内の二人にばっちり目撃されていた事に気付けなかっただけの話。
    ギギギ、と。油の刺さっていない機械の様に声の方を振り向く。
    すると、そこには。
    「…その、何て言うか。」
    「無事で、良かったね?」
    何とも気まずそうな顔を浮かべる、玄斗と夏恋が立っていた。
    「………いっそころせ。」
    数多の銃口や遥か格上の魔術師相手であっても一歩も引かない姿勢を見せた汐俐であっても、兄妹からの生暖かい視線にだけは勝てなかった。



    地下には日の光が差さない。分厚い岩盤は日光の侵入を許さず、静寂と暗闇のみを受け入れる。であれば、地下奥深くにも関わらず鈍い輝きを放つこの空間を、何と表現すれば良いだろうか。
    見る者に根源的な恐怖を与える鈍い輝きは、自然現象では有り得ない事を雄弁に語っている。だが、例え超常的なものであったとしても、その輝きは余りにも悍ましかった。—————であるなら、こう表現するのが適切だろうか。
    まるで、地獄の蓋を開いたかの様だと。
    「ふむふむ、汐俐君は遅れて合流。予想通りではあるが、夏恋ちゃんや玄斗君と一緒に行動するようだね。…ならば何も問題は無い。」
    その淵に、女が————レディ・アヴァロンが立っていた。
    虚空を見つめながら一人呟くその姿は、この場所の雰囲気も相まって狂気に満ちていると言える。だが、その『眼』は極めて正確に三人のマスターとそのサーヴァント達の動向を映していた。
    「私の介入のせいか、アーチャーのマスターが現れなかった事は少し面倒だったけど…まさか夏恋ちゃんがマスターに選ばれるとはね。とは言え、これですべての問題が片付いた。」
    満足気に笑いながら、レディ・アヴァロンは視線を切って背後を見る。
    「だから諦めな暁渚?私達の計画を完遂するためにはもう、夏恋ちゃんは欠かせないピースになってしまっている。彼女だけを送り返す事は出来ないよ。」
    「……っ。」
    そこに座り込んでいたのは暁渚。夏恋がこの時代に来たと聞いた時に見せた取り乱し様は既に欠片も無く、地面に座り込んでレディ・アヴァロンの言葉を静かに聞いている。
    「まぁ安心するがいいさ。あの二人にサーヴァント三騎。この時代に、あれ以上に安全な場所は無いだろう。」
    「……それは分かってるけど。」
    レディ・アヴァロンの言葉に不承不承といった様子で頷きつつ、何事かを無言で考えながら暁渚は顔を俯かせる。
    「…分かった、アヴァロン。これ以上は何も言わないよ。」
    「そうか。分かってくれて嬉しいよ暁渚。」
    そう言ったレディ・アヴァロンは、目を妖しく輝かせながら暁渚に微笑みかけた。その眼光を受けた暁渚は、まるで金縛りから解放されたかの様に、全身を脱力させた、
    「済まなかったね。少々手荒な真似をしてしまった。」
    申し訳なさそうに笑いながら、地面に座り込む暁渚に駆け寄ったレディ・アヴァロンは、彼の頬に手を添えた。そんな彼女に微笑んだ暁渚は、頬に当てられた彼女の手に自分の手を重ねながら、言葉を紡ぐ。
    「…いや、むしろこちらが申し訳無いよアヴァロン。少し取り乱してしまって、君の手を煩わせるなんてね。本当にごめん。」
    「ふふふ、仕方ないさ。家族思いの君だからね。大事な夏恋ちゃんが危険とあっては、冷静で居られなかったのだろう。」
    お互いの顔が触れ合いそうな距離で、睦言を交わす二人。この二人の風貌が人外じみて整っている事も含めて、まるで一枚の絵の様だ。
    「……うんそうさ。その優しい所は君の美徳だ暁渚。」
    「…?アヴァロン?」
    「でもね、暁渚。」
    まるで自分自身の言葉がトリガーの様に、レディ・アヴァロンの気配が急変する。暁渚の頬を撫でていた腕が滑り、彼の首に回る。するりと、獲物の体に巻き付く蛇を思わせる動きで暁渚の胸の中に体を滑り込ませる。
    「あ、アヴァロン……。」
    「君の家族である夏恋ちゃんに対して、こんな感情を抱くのはちょっと違うかもだけどね。」
    にこやかに笑いながらも、逃がさないといわんばかりに彼の体に腕が強く絡まる。密接している身体の距離がゼロになる。結果、体重を完全に暁渚に預ける形となるが、その重ささえも、暁渚の理性を屠る。
    全身に伝わる体温が感覚を過敏にしていく。信じられない程に軽く、熱い。胸に伝わる柔らかさが、鼻を埋め尽くす花の香りが、心臓を強打する。
    上から見下ろされる様な形になった結果、レディ・アヴァロンの髪が純白カーテンの様に暁渚の視界を覆う。—————まるで彼女と自分だけが、世界から切り離された様だ。
    赤色に妖しく輝く瞳で見下ろされながら、僅かに残る思考力がそんな事を考えていた。
    髪から漂う香りが、顔を掠める髪が、むず痒く心を刺激する。
    荒くなる己の呼吸にレディ・アヴァロンの呼吸音。
    二人分の体重を支えるために僅かに軋む腕と地面の擦れる音。
    重なる二つ心臓の音。
    それが、暁渚に届く世界の音。
    その世界を、耳元に直接響く音が壊しにかかる。
    鼻先が触れ合う程の距離に広がる、人外じみた美貌がさらに近づいて行く。
    肌と肌が触れ合うなどという生ぬるいものでは無い。レディ・アヴァロンの吐息の熱が伝わる程に、二人の距離が縮まって行く。レディ・アヴァロンの進行は暁渚の耳のすぐそばで止まる。———耳が焼けそうな程に、熱く伝わる彼女の吐息が、そう告げていた。

    「君は、ボクのものだよ?」

    その決定的な一言が、熱の籠ったその声が、彼の全てを壊した。
    「———————————っ!」
    タガが外れた獣の様に、目の前の憧れへとしがみつく。
    「……んッ!」

    ずっと、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと。
    ずっと、憧れていた欲しかった

    己の手の動きに合わせて猥らに変形する胸。
    熱さ以外の熱に浮かんでいる瞳。
    艶やかな唇を、己の唇で蹂躙する感覚。
    ずっと、求めていた。
    ずっと、望んでいた。
    彼女の事だけを。



    きっと、兄二人や夏恋はこんな醜い感情を誰かに抱かない。
    だって、あの三人は正しく産まれたんだから。
    誰にも優しく、平等な父さんや、弱みを微塵も見せない母さんの子供として相応しい様に。
    何で、あの三人は違うんだって劣等感がずっとあった。
    何で、俺だけって憤りがずっとあった。
    直そうとした。
    止めようとした。
    ………だけど、目の前の彼女を思い出す度に血が煮えたぎり、碌な思考が浮かばなかった。
    止められない。無理だ。この感情は押しとどめられない。
    理性とか嗜好とかそういう次元じゃない所で、俺は彼女を求めていた。
    父さんや母さんには必死に隠した。
    玄兄ちゃんの悲しそうな顔を振り払った。
    汐俐の怒りの表情に背を向けた。
    夏恋の顔は見ていない振りをした。

    そうして、漸く近くに来た彼女を前に。
    その彼女を熱に浮かしているのが自分だという事実を前に。
    流れる血は、欲望を叫ぶ事しか出来なかった。

    「……はっ、はあ。んぁ。」
    「……ん。ふふ、慌てすぎだよ暁渚?何も初めてじゃないんだから。もう少し落ち着いたらどうだい?」
    「…無理だよ、そんなの。」
    あの時から何度も肌は重ねて来た。それでも、彼女への欲は衰えるばかりか溢れるばかり。彼女を知れば知る程に彼女に溺れて行く。その様は食虫植物に捕まった虫を思わせる。藻掻けば藻掻く程に、暁渚はその身を溶かしていく。
    何度交わっても足りない。
    何度貪っても満たされない。
    声が、温もりが、匂いが、響きが、重みが、彼女から齎されるありとあらゆるモノに渇望している。
    なのに、こちらの熱をいくらぶつけても全く動じない彼女の態度が、少しもどかしくて。

    「……ン。良いねその気持ち、凄く良い…。」
    そんな暁渚の葛藤がレディ・アヴァロンに直接伝わったのか、陶然とした表情を浮かべる。
    熱に浮かれたかの様に暁渚の指を甘噛みし、情欲に浮かんだ目で暁渚を愛おし気に眺める。
    「もう少し、その『熱』を。ボクにちょうだい?」
    ゆっくりと、火傷するかの様な熱を孕みながら。暁渚の魂に刻み込む様に言葉を紡ぐレディ・アヴァロン。その、熟れ切った瞳を直視した暁渚は。

    「——————————————っ!!」

    瞬間、体が石像の様に固まった事に気付く。
    だけど、五感は生きている。
    肌に感じる柔らかさも。
    耳に伝わる嬌声も。
    鼻に届く匂いも。
    魂を震わせる快楽も、全てが生きている。
    なのに、なのに。

    「まっ…て、アヴァロン…。こ、こんなの。」
    「あぁ、イイ…。イイよ暁渚…。こんないじらしいモノ、凄く良い…!!」

    石像に絡みつく蛇の様に、動けない暁渚を蹂躙するレディ・アヴァロン。
    彼の体を求めながら、自分を求める彼の感情を悦ぶ。
    肌を掠める手と指。撫でる様に当たる髪。伝わる柔らかさが、温かさが。
    既に崩壊していた暁渚の理性に、極度の刺激を与える。
    「大丈夫、大丈夫。あとでちゃあんとボクをあげるから……。」
    焦らされ続けている事に震える暁渚の耳元でレディ・アヴァロンは囁きながら、彼の全身を己の全身を使って愛撫する。
    まるで、極上の料理の下拵えをするかの様に、丁寧に丹念に。

    「その時のキミが、ボクの事を変えられるか、楽しみにしてるよ?」

    その時の彼の感情は、どれ程の『熱』を孕んでいるかと期待しながら。






    「……………あのーお熱い所申し訳ないんだが。他の所でやってくんない?流石にずっと見せつけられるのキツイんですが。」
    「………………。」
    故に、そんな空気を台無しにしてくれやがった虫には、少々手痛い躾が必要だろうか。
    「えい。」
    「ぎぃやぁぁぁァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!?」
    見えない。聞こえない。届かない。と、三点揃った断絶空間を即興で展開した後に、捕獲した最弱の英雄をバーベキューにしながら、再びレディ・アヴァロンは至福の時へと戻っていくのであった。



    「……なるほど。確かにこれは脅威だ。」
    1930年代の日本では、簡単には見られ無い豪奢な洋風の屋敷。
    その中でも特別に豪奢な部屋の中で、精巧な細工が施された肘掛けに座ったダーニックが、目の前に映しだされた映像を前に顔を顰めていた。
    映っているのは、先程まで玄斗が繰り広げていた激闘。とはいえ、その全てでは無く彼が『槍』を展開した所から、英霊召喚を成し遂げた所までだ。
    「念のため、貴様に監視用の使い魔を持たせていたのは正解だったな。貴様が失敗したと聞いた時は半信半疑だったが、合点がいったぞ。」
    「とはいえ、仕留められなかったのは事実だマスター。」
    ダーニックの言葉に、彼の後ろに控えていたフィンが言葉を重ねる。マスターである彼の命を果たせなかった事を悔いる様に。
    「申し訳ないと思うのであれば、次は仕留めろ。このサーヴァントが何者かは知らないが、お前であれば容易いだろう。」
    「……生憎だがマスター。その方は、私とて簡単に倒せると断言出来る相手では無い。」
    「…何?」
    その言葉にダーニックは後ろを振り向く。フィンの眼差しは、召喚されたサーヴァントを真っすぐに見ていた。
    「どういう事だ。この男はキャスターだろう。三騎士である貴様が見劣りするとは思えん。なによりお前はケルト神話における最強の一角。お前に匹敵する英雄などそれこそ…………あぁ、なるほど。そういう事か。」
    そこまで言って、自分の言葉に気付いたのか、忌々しげに目の前の英霊を見つめる。
    「そう、その通り。彼の者はクー・フーリン。面識は無いが故に確たる証拠は無いが、私の勘と流れる血がそう叫んでる。」
    「ケルトの神の系譜同士、分かる物があるという事か。…忌々しい。最も厄介な陣営と予想していた間桐を打倒した後に、面倒なのが出て来たな。」
    舌打ちしながら、ダーニックは映像を見つめる。少なくともマスターの魔術師としての能力は規格外。僅かな映像を見ただけでは分からないが、自分に匹敵する可能性すらある。
    ……だが。
    「その上で聞くぞ。勝てるか?」
    「無論。マスターの命であれば、死力を尽くす。」
    誰にとは言わない。言う必要が無い。
    「彼の大英雄、クー・フーリンに私は勝って見せよう。」
    「ならば良い。マスターの方は私が完封する。」
    マスターのその言葉に、フィンは僅かに疑問を覚える。直接対峙したが故、玄斗の実力を誰よりも知っているフィンだからこそ、ダーニックの言葉に疑問を憶える。
    「…失礼を承知で進言するマスター。」
    「なんだ。」
    「私の見立てでは、マスターとあの男の実力は互角。負けるとまでは思わないが、完封は難しいのでは?」
    言うまでも無いが、完封とは相手に何もさせない事を意味する。つまりは、それ程の実力差が無ければ成しえない事。ダーニックと玄斗にそこまでの差があるとは思えないと、フィンは進言する。
    「そうだな。まともに戦えばそうだろう。…だが。」
    そう言いながら、ダーニックは映像を少し戻す。すると、玄斗の前で無防備に立つフィンが映し出される。何が起こったかをフィンに問いただし、その後にフィンの霊基調べた結果を思い出しながら、ダーニックは静かに告げる。
    「それでも、可能だ。」
    そう言ったダーニックは、話はこれで終わりだと言わんばかりに、別の映像を映す。
    「次にもう一組。私が対峙した方の者だが、このサーヴァントに見覚えは?この女も貴様の知り合いの可能性はあるか?」
    映し出されたのは、ダーニックが汐俐と繰り広げた激闘。その最後に召喚されたサーヴァントの戦う姿。最も、兵士達が成す術も無く無力化されていく様は、蹂躙といった方が正しいだろうが。
    「………マスター。またも進言させて頂きたい。」
    「今度は何だ。」
    「この英霊に見覚えは無いが…。」
    映し出された顔を見る。整った風貌に長い髪。確かに間違える。間違えてしまうが。
    「この者は恐らく、男だ。」
    「…………………。」
    この日、最後にしてある意味最大の衝撃がダーニックを襲った。



    「っくしゅん。……?」
    ダーニックやフィンの拠点から遠く離れたとある武家屋敷。その中からくしゃみが一つ発生した。発生源であるベディヴエールは先程のくしゃみに疑問を憶えた。
    「風邪…いえ、エーテルで構成されているこの体に、その様な事が起きる筈……?」
    何者かによる呪いを疑ったが、身のコンディションは万全。五感も正常。その線も薄いと首を捻る。
    「……まぁいいでしょう。それよりも早くこちらを片付けねば。」
    最優のクラスであるセイバーであるベディヴエール。セイバーとは、あらゆるステータスにおいて高い評価を持つクラスだが、最大の特徴は剣を武器にして戦うという点だろう。
    だが、今の彼が手にしているのは剣では無い。今、彼が直面している戦闘において、その武器は不要の長物。この特殊な戦場においては、専用の武器が必要となる。
    それはまさに、今の彼が手にしているのは背丈の半分程の長さの長物。先端に植物と思われる繊維を束ねた物が取り付けられている特殊な兵装————有り体に言ってしまえば箒であった。
    「エミヤ殿には感謝ですね。掃除の極意を教えて頂けて大変に助かりました。」
    上から下、奥から手前と、箒で几帳面に埃を掃いていく。カルデアでの記憶を持ち越せた事が、まさかこの様な形で発揮できるとは思いもしなかった。

    あの後、合流した三組はひとまず拠点を探すために動き出した。とはいえ、拠点探しは困難な事が予想された。玄斗や汐俐はともかく、まだまだ成長していない夏恋に長期の野営はさせられない。玄斗や汐俐にしても、万全な時ならという前提が付く。消耗しきった今の状態での野営は得策では無い。時代柄、ただでさえ危険な地なのだ。雨風を凌げるだけでは無く、ある程度の居住環境は必須だった。
    幸い、比較的早くここを見つけられた。長らく住人が居た形跡が無いのを良い事に、屋敷に勝手に上がり込んだクー・フーリンやバーヴァン・シーを内心で咎めつつも、マスターを最優先としたベディヴエールもまた、ここを拠点とする事に承知した。全体的に埃っぽく、家具と言える物は何も無いが、屋敷そのものの広さも個室の数も充分以上だ。
    ちらりと、ベディヴエールは壁の一角を見やる。そこには容易く片腕で持てそうな程度の大きさの鞄があり、外から見ただけでは大した量の荷物が入っている様には見えない。
    「本当に助かりましたよ立香。まさか掃除用具一式まで忍ばせているとは。」
    しかし、カルデアの技術をベースにモルガンが手を加えたその鞄は、信じられない量の荷物が入る。懐かしき円卓の同胞であるマシュ・キリエライトの持つ盾も、凄まじい量の荷物が入る機構を有していたが、この鞄はそれ以上だ。この鞄の持ち主は当然の事ながら玄斗。その彼は、今は弟妹と共に奥の部屋で熟睡している。
    拠点を見つけられて気が抜けたのか、今にも気を失いそうだった玄斗が鞄の説明と物資は好きに使って良い事までをベディヴエール達に告げると、三つの寝袋を引っ張り出し、既に半分眠っていた汐俐と連れだってあっという間に眠りについた。————ちなみに夏恋は既にパーヴァン・シーの腕の中で寝息を立てており、玄斗から寝袋を受け取ったパーヴァン・シーの手によって寝かしつけられた。
    残されたサーヴァントである自分達はというと、そもそも眠る必要が無い。故に荒れ果てたこの屋敷を多少は住みやすくするべく、尽力しているという訳である。

    「……さて、こんな所でしょうか。」
    隅々まで掃除された大広間を見やり、己の仕事ぶりに満足気に頷く。
    他の個室は勿論、廊下や水場も含めて掃除は完璧だ。マスター達が寝ている部屋は掃除が出来ていないが、そこは明日以降にやれば良い。
    「彼らもそろそろ、終わったでしょうか。」
    そう呟き、体を霊体化させたベディヴエールは屋敷の屋根に移動する。そこには屋根に手をついて、しゃがみ込むクー・フーリンの姿があった。
    「進捗の程はいかがですか。クー・フーリン卿。」
    「おう、そろそろ終わるぜ。この屋敷はでかいからな。隅々までやんのは意外と時間がかかっちまった。」
    キャスタークラスとしての面目躍如というべきか、己に有利な陣地である工房を作成出来る『陣地作成』を保有しているクー・フーリンが、この屋敷を丸ごと巨大な工房へと変えようとしていた。
    「構造上、工房には向かねぇがな。霊脈をちょいと弄ってやる程度と侵入者の探知、後は隠蔽くらいは出来る。本格的な工房は…あの土蔵が使えそうだ。マスターが起きたら、一緒にやるさ。」
    母屋の近くにある土蔵を眺めながら、クー・フーリンは納得いったかの様に頷き、屋根から手を離す。
    「うし、終わった。取り敢えず当面は安全だろ。」
    「お疲れ様です。こちらも掃除は終わりました。拠点として使う分には申し分ないでしょう。後は彼女ですが……おや、こちらもちょうどよかったようですね。」
    周囲を見渡していたベディヴエールだったが、何かに気付いたかの様にある一点を見つめる。視線の先には、夜の闇が満ちる空間。だが、その暗闇を赤い閃光が切り裂きながら、こちらへと高速で飛んで来る。赤い閃光と化した少女—————バーヴァン・シーは屋根の上に立つ二人を目に止めると進路を修正し、音も無く二人の前に降り立つ。
    「なに?揃って出迎えとは殊勝な心掛けじゃん。犬らしくお座りして待ってたってワケ?」
    「誰が犬だ。」
    「お疲れ様です、レディ。周囲の偵察はいかがでしたか?」
    「ん。」
    そう呟いたバーヴァン・シーは手に持った何かをクー・フーリンに放る。それを掴んだクー・フーリンは、手元をしげしげと眺める。掌に納まる程の大きさのそれは、一見しただけでは土塊の様に思える。しかし、その正体はと言うと。
    「低級の使い魔…ゴーレムってやつか?監視とかにしか使えなさそうだし、捜索用にばら撒いてるって所か。」
    「他に数匹飛んでたから取り敢えず潰した。機能は死んだ事は確認したけど、逆探知とか出来ないのアンタ?」
    「無理だな。そこまで上等な魔術は積まれてねぇ。質より量の量産品だな。」
    一見して、性能の全てをある程度把握したクー・フーリンはそれだけで興味を失ったかの様に、土塊を放り捨てる。
    「まぁ大方、俺達に気付いた他のマスターが情報を得ようとして放ったモンだろ。この程度の使い魔なら、この屋敷の隠蔽を見破れねぇ様にしてるから問題ねぇよ。……まぁ取り敢えずあれだ。全員がようやく落ち着いた所でだ。」
    そう言いつつ、クー・フーリンは傍らの二人—————かつて、同じマスターの元で戦った二人を見つめる。
    「取り敢えず状況整理といこうぜ。俺らやマスター達が置かれてる現状ってやつをよ。」
    その言葉に異は無い様に頷くベディヴエール。パーヴァン・シーはその言葉に面倒そうな表情を浮かべたが、する事そのものに異議は無いのか、口火を切る。
    「そもそもの話、なんであんたらがカルデアでの記憶を憶えてんのよ。一度退去した場合、記憶はリセットされる筈でしょ。」
    「そりゃお前、俺らはカルデアの霊基グラフで召喚されたからだろ。俺のマスターが言ってただろ。坊主…親父に渡されたって。」
    「あぁ、なるほど確かに。汐俐もそれを使っていたと言っていましたね。カルデアで見た物に比べると幾分か小さい様に思えますが。」
    クー・フーリンの推測に納得の表情を浮かべるベディヴエール。数時間前、彼らが眠る前に行った最低限の情報交換として交わした話を思い出す。魔力供給の仕組みに関しては、カルデアの頃と同じ仕組みが取られているかは分からない様だったが。
    「魔術師としての素養はアイツにまったく似てねぇな。充分以上だ。」
    「比較するのは如何なものかとは思いますが…確かに、私も不足はありません。」
    「…まぁ、カルデアの時よりかはマシじゃない?」
    それぞれに多少の違いはあるようだが、魔力供給という面で不足は無い。それであるならば十分と言えるだろう。
    「それより、私としては貴女が記憶を持っている事の方が驚きですよバー・ヴァンシー。ミス・夏恋は霊基グラフを持っていないと言っていた筈ですが。」
    「そんなの私が聞きたいわよ。感覚からして、聖杯の方に呼ばれてるっぽいけど。そもそも、私みたいなのは座に登録されないって話じゃないの?」
    ベディヴエールの疑問に確たる答えを出せないバー・ヴァンシー。夏恋の召喚に応じながらも、何故召喚が可能だったのかは本人も分からないのか、苛立ちが滲む声で疑問を口にする。
    「あーーそうだな。確信がある訳じゃねぇが…。」
    だが、魔術師としての側面を持つクー・フーリンには心当たりがあるのか、口を開く。
    「そもそも、お前さんら妖精騎士が召喚可能なのはあの女王様がいるからだ。んでもって、今あの女王様は何をどうやったか知らねぇが、受肉して坊主と一緒になっている。と、なると引っ張られて未だに召喚可能な状態になっている可能性は高い。記憶についてははまぁ…座に登録されて無い以上、座に戻ってリセットされたってより、そのまま地続きで再召喚されてるって事かもな。だから、記憶もそのまま続いているって訳だ。とは言え、嬢ちゃんがかなり特殊な召喚例って事に変わりはねぇ。次に召喚された時も同じ様に記憶が保持されんのか、そもそも召喚される事が可能かはなんも言えねぇよ。」
    「……要するになんも分からないって事じゃない。」
    「しょうがねぇだろ、専門家じゃないんだからよ。」
    「あんたキャスターだろうが!ランサーの時よりかはマシな脳を持ってんじゃねぇのかよ!?相も変わらず筋肉でしか構成されてねぇのかよ!」
    「あんだと!」
    「まぁまぁお二人とも、そのくらいで…。」
    苛烈の兆しを見せるバー・ヴァンシーとクー・フーリンの言い争いに、苦笑しながらベディヴエールが割り込み、言い争いを中断させる。
    「まぁ、我々の召喚方法については置いておきましょう。それよりは、彼らがこの時代に来た要因である、ミスター暁渚についてはどう思いますか。」
    藤丸暁渚。未だに顔を合わせた事の無い藤丸立香の四人目の子供にして、三男。
    別世界のマーリンに心を奪われた結果、彼女と共に去って行ったと聞かされた時は、生前に何度も感じた頭痛を思い出したものだ。

    またマーリンがやってくれた、と……。

    「どうもこうもねぇだろ。惚れた女と逢引きするのは別に構わんし、むしろよくやったって感じだと思うが。」
    「いえ、論点はそこでは無く。」
    「そうよ。お母様に迷惑かけるなんて最悪でしょうが。しかも止めに来たお母様を振り払ったって言うし。一発ぶちかましてやらねぇと、私の気が済まねぇ。」
    「いえ、そうでも無く…。」
    ほんの少しため息を吐きながら、汐俐達から聞かされた彼の情報を思い出す。
    幼少期の頃に、別世界のマーリンに一目惚れしたらしい事。
    彼女を射止めるための努力として、多くの女性と関係を持ったらしい事。
    その行いが心無い物である事に、兄二人から指摘されてようやく気付いた事。
    妖精としての側面が強く、生来から『歪み』を抱えているのでは無いかと予想している事。
    ベディヴエールの知る限り、妖精という存在はそうであるだけで恐ろしい生き物だ。その生き物の血を半分受け継いでいる場合、そう言った人間とはかけ離れた感情、価値観が出て来てしまってもおかしくは無い。
    彼とまだ会っていなく、彼の人物評もまた第三者目線からの物である以上、藤丸暁渚への人物評はベディヴエールには出来ないし、現時点ではするつもりも無い。
    「まぁ、それはそれとして多くの婦女子に手を出したのはいかがなものとは思いますがね…。」
    「あんたんトコに一人いるじゃん、見境なく女に手を出してそうなの。ウチの円卓に居る方も大概だけどさ。天然でやってる分、あっちの方がタチわりぃ気がするけど。」
    「そう言ってやらないで下さい…。あれはあれで、淑女には紳士なんです…。」
    だからこそ、あの様な結末に至ってしまったのだとも言えるが。
    とは言え、普段の言動からしてそう取られるのも事実なので、強く否定は出来ないのが悩みどころだ。
    「そもそも何だが、良い女を口説くのってそんなに悪い事か?」
    「価値観ケルトは黙ってろ。」
    「マスター達の時代において、見境なしに行うのはあまり紳士的な行動では無いのですよ。」
    もっとも、強奪婚上等な修羅の世界を生き抜いて来たクー・フーリン修羅場製造機からすれば、なんらおかしな事では無いだろうが。
    「それより、私が気になるのは彼らが何をしようとしているかです。」
    「あ?あっちのマーリンと連れ添ってよろしくやってんじゃ無いの?私はあっちのマーリンが相手だから、私達が呼ばれたと思ってたけど。」
    「それで済むのであれば、あの者は動きませんよ。」
    バー・ヴァンシーの言葉を強く否定するベディヴエール。これに関しては、絶対の自信が彼にはあった。生前の頃から散々振り回され、助けられ、迷惑を掛けられた彼が、ここまで動いているという。ならばもう、確定事項だ。
    「我々の様なサーヴァントを呼んででも、対処しなくてはならないとあのマーリンが判断した。ならば必ず、何かとてつもない事が起きます。————もしくは既に起きているのか。」
    「…は?何言ってんのよ?今、ここで起きている事について何て明確でしょうが。」
    「誠ですかバー・ヴァンシー!?一体何故?」
    悩むベディヴエールへの答えは、まさに目と鼻の先にあった。見ると、クー・フーリンもまた、驚きの表情でパー・ヴァンシーを見ている。だがむしろ、パー・ヴァンシーからすれば二人のその反応の方がおかしいのか、怪訝な表情で二人を見つめる。
    「何故って召喚された時に……あぁ、そうか。あんたらは霊基グラフで呼ばれたから違うのか。……しょうがないわね。」
    はぁ、と面倒そうにため息を吐き、自分が知っている情報を———自分が召喚された時に与えられた情報を二人に明かす。
    「聖杯戦争。ここで行われているのはそれよ。」



    「—————そろそろ話しなさい、マーリン。」
    「ふむ?何をだいモルガン。」
    「とぼけるな。貴様の様な人でなしが、あれ程無様に焦っていた時点で、暁渚が飛んだ時代に何かあるのは分かり切っている。」
    現代。アヴァロンの一角で未だに封じられているモルガンとマーリン。先程までマーリンに子供達の状況を事細かに報告させていたが、今は落ち着いたとの事で、一息ついた矢先での、モルガンからのマーリンに向けての問いであった。
    『…俺も知りたいマーリン。せめて、あの子達が何に立ち向かおうとしているのかを。』
    「……分かったよ。」
    遠隔越しにやり取りしている立香からも同様の質問が飛んで来る。ただ、不安を煽るだけの結果になるにしても、こうなった二人が食い下がらない事をマーリンは痛い程に知っている。
    「第三次聖杯戦争。それが、あの時代の冬木で行われている魔術儀式の名前だ。」



    「あらゆる願望を叶える願望器、聖杯。英雄を召喚して争わせ、生き残った最後の一人が聖杯を手にして、願いを叶える。それを巡って戦うのが聖杯戦争。…今、私達が参加しているのがそれ。聖杯って言っても、カルデアで集めてた奴とは少し違いそうだけど。でも、仕組みとしては大体同じ。召喚されるのは七騎のサーヴァント。マスターも当然七人。私は七騎目のサーヴァント、アーチャーとして聖杯に召喚されたって訳ね。」
    「なるほどな…。夏恋の嬢ちゃんは正式な参加者って事か。」
    「しかしクー・フーリン卿。本当に彼女がアーチャーとして聖杯に召喚されたのは大丈夫なのですか?我々のマスターはこの時代の人間ではありません。その様な方がマスターというのは。」
    その疑問ももっともである。ベディヴィエールやクー・フーリンの様に異端の存在として介入する事では無く、完全に歴史の登場人物の様な役回りで介入する事。どちらが人理に影響を及ぼしやすいかと言えば、後者であろう。召喚されてしまった以上もうどうしようも無いが、これ以上の悪影響は避けたいと考えるのも無理からぬ事だった。
    「知らん。だがまぁ…あのマーリンが介入した時点で歴史の整合性もクソもねぇだろ。嬢ちゃんがイレギュラーな参加者なのか、それともこの流れも含めて・・・・・・・・正常な歴史なのかは…あいつを何とかしない事には始まらねぇ。なんせ、あの女が関わっておいて歴史の流れが一切変わって無い、なんて事はあり得ないだろうからな。…まぁ、それに。」
    クー・フーリンの懸念は唯一つ。
    マーリンという規格外の魔術師が求める物の正体。
    そして精神性もまた規格外の彼女だったら、何をしてでもソレを手にしようとするであろう事実。
    「そこまでして手に入れたい物ってのも、ろくでもなさそうだが。」



    『第三魔法、ヘブンズフィール…。魂の物質化による実質的な不老不死…。』
    「そう、それがあの冬木の聖杯戦争での真の目的であり、あの地の聖杯の正体。…そして、恐らくあの『私』の目的だろう。」
    魔法の再現。
    魔術師からすれば耳を疑う偉業だが、魔術師としては素人の立香からしたら不老不死に至る第三魔法と言われても、その凄まじさを明確に理解は出来ないだろう。最も、カルデアに居た頃に魔法使いそのものや魔法に迫る魔術を行使する存在達と接していた事があるのも、その理解を難しくしてしまっている要因かもしれないが。
    「信じられん…。人間の魔術師がそんな儀式を構築したというのか…。何者ですその者は。困難、なんて言葉では片付けられないでしょう。」
    だが、神域の天才であるモルガンであるならばその凄まじさを理解できる。…最も、彼女の場合は、その技術の凄まじさというよりかは、その執念振りへの驚きの方が上回っているだろうが。
    「だろうね。事実、この聖杯戦争で三回目。そもそも第三魔法そのものが偶然の産物。それを再現しようとした儀式の完成度は素晴らしいの一言だけどね。」
    『…俺の記憶が正しかったらさ、その儀式って最終的に五回行われていなかった?』
    「おや?なぜ知っているんだい藤丸くん?君の世界のソレとは——————あぁそうか。確か四回目の方には行った事があるんだっけ。」
    『うん、孔明先生と一緒に。でも確か、この儀式って三回目から……もしかして。』
    レイシフト直前、同行するサーヴァントである彼との会話を立香は思い出す。今、子供達が参加している第三次では無く、第四次の関係者だと言う彼から聞いたあの地の聖杯戦争の顛末と真実を。
    「うんその通り。第三次聖杯戦争にて、とある事件が発生してこの大聖杯は汚染される。彼女の目的はそこだ。汚染される前の聖杯を手に入れる事だろう。汚染された聖杯では正しく運用は出来ない。その前に聖杯を手に入れてしまおうという事だね。」
    「その言い方からすると、やはり貴様は知っているのだなマーリン。その聖杯とやらを汚染させた原因を。」
    「……まぁ、私としても少し気に掛ける要素があってね。」
    『……?』
    一瞬、ほんの一瞬だけ、マーリンが苦い顔を浮かべて答える。マーリンにしては珍しい表情に、それを目にした立香は様子が気になるが。
    「まぁ、とにかく。重要なのは、既に彼女が聖杯汚染の原因となる存在を確保している事だ。既に王手をかけているといって良いからね。」
    『……ってまずいじゃんそれ!』
    当時、何が起きたのかは立香は分からないが、マーリンの言い方からして聖杯の汚染は正史に組み込まれているのだろう。その出来事を発生させる要因が既にあのマーリンの手によって確保されているというのなら、その出来事はもう発生しない事となり正史に歪みが———————。
    『………ん?確保って言ったマーリン?」
    「あぁ、その通り。確保・・だ。排除・・では無いよ藤丸くん。」
    何かに気付いた様な表情を浮かべた立香に、まだ逆転の目は残されていると言わんばかりに、マーリンは微笑む。
    「付け入る隙はそこだ。彼女にとって、あれは目的を叶える最大のピースであると同時にアキレス腱でもある。」
    冬木の聖杯戦争を決定的に狂わせ、今回の一件において最も重要と言って良い存在。
    必勝を誓ったアインツベルンが召喚した反則。
    ————————そして、今回の一件において何故か「彼」と入れ替わっている異端の英霊。
    「その名はアンリマユ。人類を呪う悪魔の名前だ。」



    「とは言ってもまぁ、自他共に認める最弱な英霊な訳ですが。」
    「何の話だい、アンリマユ?」
    地下奥深く。
    余人の目の届かない秘奥の領域にて、未だに輝く剣に身体を貫かれたままの黒い英霊—————アンリマユは一人ぼやく。
    「いや別に。改めて自分の状況を色々と分析してみて軽く絶望しただけさ。一体いつまで俺は見たくねぇモンを延々と見せ続けられにゃならんのかねって。」
    「見たくないとは失礼な事を言うねキミ。とっても可愛らしいじゃないか。あんなにも必死で私に縋りついて来て……はぁ、堪らないね本当に。ここまで情熱的な欲望がいつまで経っても消えない。」
    情事の余韻か、自分自身の欲望か。レディ・アヴァロンの顔は未だに熱によって顔が赤らんでいる。とは言え、汗ばんでいる肌や乱れた形跡のある髪は先ほどまでの情事の乱れっぷりを如実に表しており、とても人前に出せる様な姿では無い。だが、それにさえ全く意識が向いていないのか、彼女の視線は自分の膝の上で眠る暁渚に固定されている。
    「執念、執着。元よりそういった傾向の精神性が強く出ている子だった。妖精としての血が、産まれの環境と私の介入によって暴走した副次的な産物だろう。だが、本来なら人間性に埋もれる物をここまで、熟成されるなんて素晴らしいね…!あぁ、本当にどこまで君は。」
    狂気に染まった目。確かに目の前の光景を映している筈なのに、視線の先にいる少年を捉えていない様にすら見える。誰に聞かせるつもりも無く羅列している言葉は、自分自身の偏愛と興奮を加速させていく。目の前の相手に狂い、狂っている自分自身を正常の様に思い込んで行くその様は、まさしくバーサーカーのクラスに相応しいあり方と言える。
    理解を必要としない。
    同意を求める事も無い。
    自分の世界こそが絶対。
    一人の少年の在り方に、レディ・アヴァロンは心底狂っていた。

    それが、意味する事は計り知れない。
    レディ・アヴァロン。
    星の獣にして、地球における最後のサキュバス。
    一応は秩序側についている彼女の在り方が狂うというのは、人類に多大な影響を及ぼしかねない。『人類史』への影響では無く、『人類』への影響。即ち、種としての存続の危機。
    これは最早、数騎のサーヴァントとそのマスターで解決出来るような物では無い。



















    「————————それで?いつまで狂った振り・・・・・を続けるつもりだ?」

    本当に狂っているのであれば。・・・・・・・・・・・・・

    「…………。」
    その一言が齎した変化は劇的だった。薄く笑ったレディ・アヴァロンはその笑みのままに、アンリマユの方へ振り返る。
    「振り、は余計だよアンリマユ。あの時の私は・・・・・・本当に狂っていたんだから。」
    その目に宿る熱は消えてなかった。
    火照りも、汗ばんだ肌も、乱れた髪も何一つ変わっていなかった。
    けれど。
    「今は狂ってないって事で良いのか?」
    「まぁそうだね。今はそういう風に調整してるよ。」

    アンリマユを見つめるその目に、狂気は宿っていなかった。

    「お前、自分が何をしてんのか分かってんの?」
    「当然。少なくとも君よりかは理解してるつもりだよ。このまま私が事を進めれば人類史に影響を及ぼしかねないって事はね。」
    「————————。」
    その言葉に嘘偽りは無かった。
    だからこそ、目の前の女に嫌悪が入り混じった恐れを抱くのを止められない。
    目の前の女は自分の行いを自覚している。
    先程までの自分は人類史に弓引く行為を行っている事を自覚している。
    その上で、女の目には動揺がカケラも見えなかった。
    秩序側に属しているにも関わらず、平然とそれを行えているその精神性は、ヒトのそれでは無い。
    だか、恐ろしいのはそれだけでは無い。

    「……なんで?って聞いても良いか?」
    「ん?先程説明したと思うけど?第三魔法を手に入れて、暁渚を」
    「違う。狂気に堕ちてると自覚してなお、それを放置してる方についてだ。」
    狂気に堕ちるとは、これまで培ってきた人間性を信頼を社会性をドブに捨てる事と同じ。誰だってそれは恐ろしい。
    狂気に堕ちた行いそのものだけでは無く、狂気に堕ちた結果、今の自分とはかけ離れた存在になる事が。
    今とは違う自分になるなどという生易しいものでは無い。これは自己の変化では無く、自己の喪失だ。自分が何をしてしまうのか見当もつかず、その行いに理性的な判断など期待のしようも無い。人間性を、自己を、人生を好き好んで捨てる様な者はそうそう居ないだろう。

    「なんでって……楽しそうだからだけど?」
    「………。」
    それを、一時の快楽のためにやってのけたと、至極当然の様に目の前の女はそう言い切った。
    自らのアイデンティティーの喪失。
    存在意義の崩壊。
    それすら些細な事であると、目の前の女は認識していた。
    だから、恐ろしいのはその精神性。
    平然と理性と狂気を反芻できるその精神性が恐ろしい。

    「前々から興味はあったんだよね。人間の狂気って物に。知識としては当然備えてるし、堕ちた人間は何人も見てきたけど、私にとって最も程遠い感情だったからね。この機会を逃す筈ないじゃ無いか!」
    咲き綻ぶ花の様な笑みは、サプライズプレゼントを貰った子供を思わせる。熱意の籠った感情に囚われながら、マーリンは語る。
    「暁渚の熱を浴びた時に少しクラっと来てね。そのまま流しても良かったんだけど、思っちゃったんだよね。これを抵抗せずに受け入れたらどうなるんだろって。私が私で居られなくなるのかな?そうなった私は何をするんだろう?どんな想いで、どんな考えで、何を成そうとするんだろう?『僕』は僕で居られるのかなって?」
    恍惚の表情を浮かべながら口早に語るその姿は、想い人への心の丈を募らせる乙女の様だ。
    事実、ほっそりとした指で愛おしげに、膝で眠る男の顎を撫でる様は、まさしく恋する乙女そのもの。
    「あぁ…。ほんとうに君に会えて良かったよ暁渚。君の欲望が、想いが、熱が。僕の知らない僕を教えてくれた。」
    だが、恋焦がれてるのは目の前で寝ている男に対してなのか。
    「このまま、この感情に押し潰された僕はどこまで暴走してしまうんだろう。どんな取返しのつかない事をしてしまうんだろう。想像もつかない。予想が出来ない。千里眼を持つ私の眼を持ってしてもこの先の未来は白紙だ。——————だから、凄く良い。」
    はたまた、この状況に対してなのか。
    「………前言撤回するよ。」
    狂気とは、自分が狂気に落ちていると気づいている時点で狂気では無い。自分自身を客観的に見れている時点で、それは理性が勝っている事の証左なのだから。
    つまりはまぁ。
    「お前は充分に狂っているよレディ・アヴァロン。」
    その在り方が。
    その精神性が。
    彼女が被っているバーサーカーのクラスに相応しい程に。


    (…つっても問題はアイツだけじゃねぇんだよなぁ。)
    恍惚とした表情を浮かべるレディ・アヴァロンの膝の上で寝ている暁渚を見ながら、内心で嘆息する。
    (……家族を危険に晒す事に一時乱れておきながら、結局は目的を優先する事を除きゃあ、普通だな。別に家族よりも目的を優先する事には驚かねぇが…気になんのは不安定っぷりだ。)
    あの少年には間違いなく家族愛はある。妹が来た時に見せた動揺もそうだが、予定通りに兄が来た時にも、悲壮な覚悟が見て取れた。
    (愛情を理解しながら、強引に蓋をするタイプかと思ったが…違うな。あの女を前にした時だけ、決定的にネジが吹っ飛んでやがる。)
    確証は無い。
    明確に何かを見たという訳でも無い。
    でも、分かる。
    アレ・・は堕ちかけているという事を。
    (何がどう捻じれたら、あんなシロモンが出来上がるのやら…。)
    再び嘆息しつつ、目の前の光景を眺める。
    「…俺一人じゃ無理じゃね?これ。」
    小さく呟いたその声は、誰にも届かずに虚空に消えて行った。
    そもそも、アンリマユにしてみればここで死力を尽くす理由が無い。目の前の光景は正直、色んな意味で直視に堪えないが、結果として齎される結末は彼にしてみればどちらでも良い・・・・・・・。ただ、一つだけ言えるのは。
    「…………。」
    今は眠っている暁渚を見るその瞳に、如何なる感情が渦巻いているのを窺い知る事が出来る者は、今ここには誰も居なかった。



    『……そういえば今さらなんだけどさ。モルガンってこっちに戻れるの?』
    場所も時代も戻って、現代のとある住宅。
    アヴァロンとの回線を前に、会話を続けている立香の姿があった。
    「…難しいですね。解析は先ほどから試みていますが、この妨害はそう簡単に崩せそうにありません。同じ夢魔である筈のこの男は全く役に立ちませんし。」
    「ははは。こればかりは私も言い訳のしようが無い。幻術と魔眼の合わせ技だろうけど、崩せる隙が全く見つからない。流石は、地球における最後のサキュバスと言った所か。むしろ彼女に精神の介入を許しておきながら、魔術回路の妨害程度で済んでいるのは、幸運としか言いようが無いよ。」
    どこか達観したかの様に飄々としているマーリンに対し、モルガンは屈辱に満ちた顔を浮かべながら、自分の状態を告げる。
    気に食わない相手にされるがままというのもあるだろうが、一魔術師として負けた様なこの状態が、モルガンにとっては屈辱だ。生物としての規格スケールが違う以上、魔術師としての技量はそこまで意味をなさないと言えるだろうが、一点でも劣っている所があるというのはモルガンのプライドを充分以上に刺激しており、忌々しげな表情を浮かべていた。

    『……じゃあ、今日はそっちでマーリンと二人って事だよね。』
    「…立香。」
    だが、立香のその一言で忌々しげな気持ちは消え、モルガンは柔らかな笑みを浮かべ、夫の名前を呼ぶ。
    立香の発した言葉には、カルデア頃には見られなかった暗い感情が滲んでおり、表面上は取り繕ってはいるものの、ほんの少し歪んでいる目と声色には、独占欲と嫉妬心が垣間見えていた。
    「……ごめん。君を信用してない訳じゃないんだ。」
    「…うん、分かってる。」
    言葉を交わしながら、自然と相手に向けて互いに掌を近づけていく。互いを求めるかの様に、触れ合う事を望むかの様に。それでも、二人の手は繋がらない。声が届いても、顔を見る事が出来ても、文字通り世界が二人を隔てている。
    だが、立香にとって重要なのはそこでは無い。
    愛する人が、自分の届かない場所で別の男と二人になっている。
    十数年連れ添った仲であろうと、いやだからこそというべきか。
    狭い心の夫だと思われようとも、醜くて暗い気持ちを隠し切れないでいた。

    「はははははははまってくれ立香くん本当に勘弁してくれ僕にだって選ぶ権利はある。」
    『………?』
    「おやおや何だいその心底不思議そうな顔は?「モルガン以上の女性なんている訳無いじゃん」とでも言いたげじゃないか。まったくはははははは君の前じゃ否定しづらいからやめてくれいやほんと。」
    一方、巻き込まれたマーリンはというと逃亡を図ろうと必死であった。
    他人の恋模様に顔を突っ込んだら馬に蹴られるというのはマーリンも把握していたが、流石に当たり屋の様なこの状況は御免被りたかった。
    「ですが、大丈夫。念の為に予防手段は用意してあります。…マーリン、手を出しなさい。」
    「手?こうかい?」
    普段のマーリンからすれば本来あり得ない愚行。立香を安心させるという目的があったとしても、モルガン相手に無防備な隙を晒すなど危険にも程がある。
    (まぁ、流石にこの状況で私怨を優先させる事は無いだろう。何より立香君の前で、私の命を危険に晒す様な真似はしないだろうしね。)
    ブリテンや妖精國での「彼女」ならまだしも、少なくとも目の前のモルガンであれば、そうはならないだろうと予想していた。
    (後はまぁ、ちょっとした興味。)
    夢魔である自分は、痛みや熱に対して鈍感。なにより、そもそも不死でもある故に苦痛を与えて縛るという方法は無理。精神的な呪縛に関しても、それらは自分の方が技量は上。だが、モルガンはそれも承知のはず。
    それでも問題ないと断言したその方法への、魔術師としての興味も多少はあった。
    その様な事を考えてる事を知ってか知らずか、マーリンの差し出した手の甲に杖で触れながら、何かと呟き続けるモルガン。やがて、マーリンの甲に一瞬何かが刻まれる。だが、瞬きの間にそれはすぐに消えてしまい、目には見えなくなる。
    「これは、ルーンかい?少し改造が施され——————!!!!!!!!?」
    瞬間。
    マーリンの全身に信じられない程の苦痛が走る。世界が歪み、意識が途絶え、体が自分自身の意識に微塵も従わずにのたうち回る。
    「ぐ、ぐぉぉぉぉぉッッッッ!!ま、まてまつんだモルガン!!なんだこれ、私でもこんな痛みは!」
    いや、知っている。
    一度だけ。
    永遠に思えるマーリンの生涯の中でも一度だけ。その時まで、全く知らなかったこの痛みを知ってる。
    「ま、まさかモルガン!!このルーンは!」
    『モ、モルガンほんとに何やったの!?』
    痛みにのたうち回るマーリンという信じがたい光景に何故か懐かしさを覚えながら、立香はモルガンに何をしたのか問う。
    一方のモルガンは、目の前の光景と自分の作り出した魔術の出来に満足したのか、上機嫌になりながら口を開く。
    「ルーンの一つである「忘却」。それの仕組みを解析し、真逆に運用する事で思い出すルーンを作りました。名付けるなら「想起」と言った所でしょうか。」
    忘れた物を思い出すルーン。それだけならば、目の前の効果は説明出来ない。しかし、得意気な顔を浮かべたままのモルガンの解説は続いていく。
    「このルーンをさらに手を加える事で、脳が思い出すという効果でなく、細胞の一つ一つ、肉体の一片に至るまで、特定の状態を思い出させるという運用に成功しました。つまり、今あの男が滑稽にのたうち回ってるの痛みは、ルーンによって与えられた物ではなく。」
    「やっぱりこれ第七特異点でのケツアルコアトルのコブラツイツストの痛みかい!!?なんて事してくれるんだモルガン!これほんとにうぐぉぉぉぉぉぉ…!!」
    「素晴らしいのはこのルーンの効果は「思い出す」という事に留まっている事です。つまりは痛みに対しての慣れや耐性がつく事も無く、常に最高の痛みを与える事が可能なのです。」
    ふふん、とても言いたげに得意気な顔を浮かべるモルガン。本来なら立香としても、妻を褒めちぎる所ではあるが。
    『うぐぁぁぁぁぁぁぉぉぉぉ…!!』
    「………。」
    足元でのたうち回るマーリンを見下ろして得意気な顔を浮かべるモルガンというのは、流石の立香をもってしても、処理に困る地獄絵図であった。

    「ていうかこんな高度なルーン魔術の運用が出来たのかい君!?」
    少なくともカルデアに居た頃、つまりは妖精國の頃は出来なかった筈。グリムという師匠は居たが、ルーン魔術は教わって無かった様に見えたが。
    「さては君!?あの時ユウギャァァァァァァァォォォォォ!!?」
    『モ、モルガン!?なんか一層痛そうにしてるけど大丈夫!?』
    「何も。ただちょっとした実験です。効果を少し強くしたら痛みも増えるのか、知りたくて。」
    『そ、そう。』
    一層甲高い悲鳴を上げるマーリンを見ながら、立香は若干及び腰になってしまう。久方ぶりに、モルガンに恐怖を憶えてしまうのも無理もない事である。
    「…ともかく、効能は確認出来ました。これでこの男はいつでも完封出来ます。だから安心して?あなた以外に、触らせるつもりは無いから。」
    そう言いながら、自分に柔らかく微笑むモルガンを見て、立香は少し自責の念に駆られる。
    ここまでされて、尚も疑う様な真似は流石に出来ない。
    『うん、ごめんね…ありがとう。』
    我儘を聞いてくれて。
    こんな俺に、愛想をつかさないでくれて。
    その想いが伝わったかは分からないが、モルガンの優しい笑みは崩れないままだった。
    『あ、それとマーリンも。』
    「つ゛て゛様゛言゛て゛く゛て゛か゛と゛う゛!!」
    (意外と余裕ありそうだな。)
    痛みに呻きながらも、律儀に返信してくるマーリンに若干苦笑しながら立香は通信を切った。



    「……。」
    途切れた回線に若干の名残惜しさを憶える。
    本音を言えば、ずっと傍に居て欲しかった。
    触れられなくても、温かさを感じられなくても。
    声を。顔を。
    近くに感じさせて欲しかった。
    ————————それでも。

    「待っていてくれるのが、一番だから。」

    私の、私達の帰る場所にいつまでも貴方が居てくれる。
    それが一番だから。
    この一件が終わったら、「おかえり。」と。
    そう言ってくれる事が。
    だから————————————。

    「物思い中申し訳無いんだけどいい加減これ解除してくれないかいモルガン!!?」
    やはり、殺してやろうかこの男。

    「……。」
    このまま苦痛を与え続けるのも良いが、呻き声がいい加減耳障りなのも事実。仕方なく、モルガンはマーリンに刻んだルーンの起動を止める。
    「……あーー。健康な体って素晴らしい…。」
    「夢魔風情が何をほざく。この程度の痛み、貴様の思考や自由を一時的に奪う程度だろうが。」
    「ついでに言うと千里眼を使う余裕も無かった…。それだけで充分すぎるよ全く…。」
    恐ろしい武器が、恐ろしい人に渡ってしまったとため息を吐く。
    「それより貴様。やはり、視ていたのか・・・・・・。」
    「補足するとずっと前から。君たちが、彼女・・の元に行くずっと前からね。この際、監視していた・・・・・・と言い換えても良いよ。」
    一応、私も秩序に属する側だからね。
    そう付け加えるマーリンに対し、モルガンは忌々しげな顔を浮かべる。
    「本当に害虫だな貴様。あの秘密を盗み見るとは。」
    「それを言うなら君もだろう?……まぁ、確信犯の私と違って、君のは事故みたいなものだけど。…正直、驚いたよ。真っ当な魔術師としての思考は無い私と違って、君はそこそこそういう思考があるだろう?彼女・・の事、咎めるかと思ったよ。」
    「……それも見ていたなら、言わずとも分かるだろうが。」
    事故とは言え、あの時秘密を知ってしまった自分に対し、彼女・・の浮かべた顔。
    —————あれを見てしまったら、もう何も言えない。
    「私も、同罪なのですから。」
    だから言えない。それこそ、立香にさえも。
    「…だろうね。私も言いふらすのは趣味じゃない。」
    千里眼を持つマーリンは知っている。
    その光景も、あの光景も、余す所無く全てを見届けた。
    だから。
    「正直、口を塞いでくれて助かったよ。」
    あの秘密を知る者は、これ以上居なくて良いのだから。

    「……それより立香の前では必要以上に聞きませんでしたが、問いただす事があります。」
    「おやおや何だい?君たちに隠している事なんて、これ以上は。」
    「あの二人を派遣した時、貴様は何処まで気づいていた・・・・・・・・・・。」
    射殺さんばかりにマーリンを睨み付けながら、モルガンはマーリンへ問いただす。
    何処まで気づいていたのか。
    あのマーリンの目的か。
    それを成す為の方法か。
    違う。
    モルガンの怒りの点はそこには無い。
    マーリンの説明では、第三魔法を作り出すためのリソースとして、七騎の英霊の魂が必要だと言っていた。だが、アンリマユを捕らえたのであれば、あの時代では最大でも六騎の英霊の魂しか得られない。
    つまり、最低でも一騎追加の英霊が必要になる。
    「そのために、サーヴァントを連れた玄斗君と汐俐君が必要。従って、彼女の目的はあの二人でもある。この事なら最初から気づいていたよ・・・・・・・・・・・・・・・・。」
    「—————————ッ!!」
    振り切れる。
    怒りが、理性が、我慢が。
    今の状況など知るかとばかりに、衝動のままに杖を振るおうとするモルガンを。
    「でも、遅かれ早かれだ・・・・・・・。それは君も気づいてるんじゃないかいモルガン?」
    「————————————。」
    何処までも冷静なマーリンの言葉と瞳がモルガンを押し留めた。
    そう、遅かれ早かれだ。
    英霊の魂に匹敵するリソースの確保。
    もしくは新規での英霊召喚そのもの。
    その程度の事なら、あのマーリンならやってのける。時間はこちらでは無く、あちらの味方。ならば、最も強力な戦力を派遣する方がはるかに良い。
    それはモルガンも分かっている。
    分かっているが。
    「…………やはり、貴様とは関わるべきで無かったなマーリン。」
    「はいはい。」
    適当な返事でこちらを受け流すマーリンを忌々しげに睨むも、これ以上言った所でこの男には届かない事を知っているモルガンは、ため息を小さく吐く。
    「……もう一つ聞きます。あの女の目的です。第三魔法を求めている、というのは納得がいきます。これ以上は無い目的でしょう。…ですが、納得がいかないのはその運用です。」
    あの時、マーリンは暁渚に第三魔法を使用して不死にさせる事が目的であると話していた。
    しかし。
    「その程度であれば、代替案はいくらでもあります。完全な不老不死では無いにしても、それに限りなく近い物ならば。あの女であれば方法は他にもあるでしょう。なぜこの様な面倒な方法を。」
    「例えば、君の様にかい?モルガン。」
    「——————————。」
    責めるでも無く、詰るでも無く。
    顔も口調も、いっそ冷酷に思える程に淡々と、マーリンはモルガンに問いを返す。
    「先ほどのルーン。細胞の一つ一つ、肉体の一片に至るまで、特定の状態を思い出させる効果があると言っていたね。若返り・・・、なんて事も出来るのかな?」
    妖精であるモルガンにそれは必要無い。細胞の老化現象など、縁遠い事であるからだ。だが、彼女のすぐそばにはその現象が起きる存在が居る。
    「使うにしても程々に。肉体のみが不老になった場合、精神がついて来れない。何より、それは死を遠ざける行為に過ぎない。だから、いつか迎える死への恐怖は。」
    そういう目的で・・・・・・・、これを編み出した事は否定しません。」
    マーリンの言葉を遮る様に、モルガンは強めに言葉を重ねる。後悔とも、悔恨とも取れない、複雑な感情の滲む声。
    「……彼に聞きました。『死』は恐ろしく無いのかと。迎える事無く人生を生きたくは無いかと。」
    モルガンのその感情が、何に対する物なのか、マーリンには分からない。
    編み出した事そのものなのか。
    それとも。
    「…あの時の私は、むしろそう言って欲しかった。今でもそう、ずっとずっと共に生きたかった。」
    そういった欲がある事への自嘲による物なのか。
    マーリンには分からない。
    人の感情の模倣は出来ても、理解する事は出来ない。
    どこまで行っても、つま弾き。心が震える事があっても、真の意味で共感は出来ない。
    それでも、分かる事が一つある。
    「彼は言いました。『恐ろしくはあっても、遠ざけようとは思わないよ。』…と。」

    彼は。
    藤丸立香は、ソレは選ばないという事だ。



    「昔さ、モルガンと会う前。ギリシャ異聞帯での時、言われた事があるんだ。」
    いつかを思い出す。
    ほんの少し前の様にも、数年も前の様にも思える。
    少し打ちひしがれた私に対し、何でも無い様に、笑いながら彼は言った。

    「お前もいつか、誰かにバトンを渡す日が来る。——————そしてこう思うんだ。『こんなに誇らしい気持ちなのか』ってな。」
    口調をまねて、照れくさそうに笑いながら言う彼の笑みは、まるで憧れの英雄譚に出てくる英雄を真似する子供の様に、無垢な笑顔で。
    「英霊の人達。英雄と讃えられずとも、確かに生きて走り抜けた人達。そういう人達がずっとずっと繰り返し、走り続けて来てくれたお陰で、今の俺はここに立っている。」
    彼らしい言葉だった。
    あれだけの事を成してなお、『多くの人に支えられたから』そう心の底から思っている、彼らしい言葉だ。
    「——————すべての物は、いつか必ず終わる。永遠に栄えると思われた帝国も華やかな騎士の国も終わりを迎える。だから、大切なのは受け入れる準備をする事。もう、やり残しは無いと、心から言える様に。」
    漠然と待つのでは無く、受け入れて進む事。
    『死』を『終わり』では無く、いつか必ず迎える『ゴール』だと考えられる様に。
    「俺にそれを教えてくれた人は、それを体現した。ゲーム『終了』オーバーでも無く、ゲーム『完了』セットを迎えて、笑顔のままに。」
    そういう在り方に憧れた。
    死に方にでは無く、そんな風な人生を迎えた事に。
    「達成出来なくても、全力でやり抜こうとした人も居た。成功出来なかったけど、間違いなくゲーム『完了』セットを迎えた。自分以外の誰かのために、あんなにも全力だった。」
    その在り方を、もっと知りたかった。
    何で、そんな風になれたのか。
    貴方は、どんな美しい物を見たのかを。
    「——————やり抜いた人が居た。命を懸けて、全力で背中を押してくれた。やり抜くと決めたから、ただそのためだけに。」
    だから、進んだ。
    背中を押してくれた事を、『友』と呼んでくれた事を誇りに思ってくれる様に。

    「いつか、誇らしい気持ちを胸いっぱいに抱えて、誰かにバトンを渡す。そして、達成感と充足感に満ちたままに死ぬ。————そんな人生を迎えられたら、この上ない幸せだと思うんだ。」

    あぁ、本当にずるい人だ。
    いつまでも、どんな場所に居ても、貴方は変わらない。
    私が心から愛した貴方のまま、今もずっと走ってくれている。

    ————————だから。

    「だから、寄り添うだけ。彼が生きている間は、寄り添うだけ。…そうすると、決めています。」
    「……そうかい。」
    寂しそうに、誇らしそうに、そう告げたモルガンに、マーリンは静かに微笑む。
    「君も、美しい物を見たんだね。」



    「……それよりもモルガン。いい加減にこの魔術解除してくれないかい?私が君に手を出す訳が無い事は分かっているだろう?」
    「寝ぼけた事を言うな。貴様にようやく枷を付けられたのだ。金輪際それを外す事は無いと思え。」
    「だよねー…。まぁ、君にそんな事をするわけが無いし、使う事は無いだろうさ!」

    後に。
    マーリンはこの時のこの決断を、しばらく後悔する事になる。
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