それは遠雷の様に静かな夜が更けていく。
文明の発達の影響で街が眠らなくなるのは遠い先の未来。
科学がもたらした文明の明かりがあるとはいえ、太陽と共に目覚め、太陽と共に眠る。そんな生活を送っている者も珍しくない。
そう、だから誰も気づかない。
不自然すぎる程に、深い眠りに落ちている事に。
眠っているすぐそばで、『普通』とはかけ離れた者達による、超常の宴が繰り広げられている事に。
「———————ッ!!」
幾重にも重なって響く、甲高く空気を切る音一つ一つに神経を研ぎ澄ます。
音と共に飛来する鉄の襲撃者を躱し、逸らし、防ぎ、迎撃する。
一つ一つはそこまで脅威では無い。
込められた神秘も、仕込まれた魔術も汐俐に致命傷を与えるには至らない。
無論、今も体中に張り巡らされた強化魔術があってのものではあるが。
だが、致命傷には成らずと言っても、無傷では居られない。
だから、可能な限りの対処は行う。行わざるを得ない。
それが、目の前の相手にどれだけ致命的な事かを分かっていながら。
「Anfang。」
汐俐の耳に届く祝詞。
神聖で、静謐に満ちていて、神秘的なそれは、汐俐の耳には死刑宣告に等しかった。
厳かな声で襲撃者————ダーニックは告げる。
世界を変革する祝詞を。
敵を屠らんとする、祈りを。
「Fixierung,EileSalve。」
生じるは爆発的な光輝。
轍を刻むは光の束。
その正体は、魔術師なら誰でも使える魔力の圧縮砲。
だが、ダーニックが使用すれば、あらゆる敵を粉砕してのける黄金の破城槌となる。
(回避は———————間に合わない!)
直前まで飛び交っていた銃弾を避け続けた結果、不安定になってしまった姿勢では無理な芸当。
ならば、撃ち落とす。
右手に持った剣に魔力を収束させる。
呼応するかの様に、剣が黄金の輝きに包まれる。
嫌という程に体に馴染み込ませた、一連の動作を淀みなく行う。
魔力の量も質も、収束させた時間も何もかもが、目前に迫る破滅の輝きとは比べ物にならない。
———————それでも。
「こ、のおおおお———————ッッ!!」
破滅の光輝と黄金の輝き。
二つの輝きがぶつかり————————弾けた。
「………防がれたか。」
その結果を見下ろし、ダーニックは呟く。
魔術師としての技量の差は圧倒的。
数の利も、地の利も抑えている。
それでも、未だに目の前の男は捉えられない。
不可解かつ不本意な状況ではあるが、この状況を作り出している要因は分かっている。
(何なのだ、あの『剣』は—————?)
目の前の男の持つ『剣』。それがこの状況をぎりぎりの所で、拮抗に持ち込んでいる要因だと、ダーニックは分析する。
(剣としての出来は分からんが、秘めている神秘が桁違い。……ランサーの槍と匹敵するだろう。)
すなわち、サーヴァントの宝具に匹敵する程の神秘が込められていると、ダーニックは分析していた。
では、あの『剣』を相手から奪ってしまえば、無力化は容易いのか?
(——————否。)
先程の迎撃に、脱力したのは束の間。再び飛び交い始めた銃弾の嵐を、すぐさま避け始める男を見て、そんな簡単な話では無いと断言する。
(…魔術師としての技量は、上の下。だが、とにかく戦闘慣れしている。)
『剣』を使うのも、最小限。
基本は、自らの肉体と魔術で応戦している。無論、ただの武器としてあの『剣』を使用してはいるが、先程も見せたあの規格外の魔力放射を行うのは、最低限だ。
それはつまり、あの『剣』に依存している訳では無いという事。
加えて、切り札を切り札として温存して死ぬ様なタイプでは無く、使う時は使う。
戦闘に慣れている事が伺わせる『戦士』と言った所だろう。
(……だが、それでも。)
片手を上げて、軽くジェスチャーをする。
暗号の意味も込められたその合図に、周りの軍人の中の数人が銃での遠距離攻撃を止め、ナイフによる近接戦闘へと切り替える。
「!?」
突如として、こちらに向かって走って来た軍人に、汐俐は驚きを隠せない。
自分で言うのも何だが、こちらの近接戦闘能力は良く分かっている筈だ。
なのに、わざわざこちらの土俵へと入って来た意図が分からない。
(————だけど。)
わざわざ、得意な分野で戦闘してくれるというなら、話は早い。
そう即断し、先頭を走って来る男のナイフを叩き折らんと、『剣』を閃かせ。
「—————なっ!?」
甲高い音と共に、受け止められたのを見て、先を上回る驚愕に包まれた。
驚愕、一瞬の空白。
その隙をついて、後方から迫る二人目の軍人が汐俐の喉元目掛け、ナイフを突き出そうとするのを、とっさに左手で掴み取るが。
(砕けない!?)
通常の金属であれば片手でも砕けるが、今握っているナイフはビクともしない。
つまり、このナイフは。
「無論、私の手によって強化済みだ。」
長時間、多数の維持は不可能だが、ある程度なら可能だ。
無論、その強度はあの『剣』に比べたら、お粗末な物。だが、それでも通常のナイフに比べたら遥かに強固。なら、まだ勝負になる。
「ここまでの戦闘を見る限り、貴様は剣の達人では無い。ならば、多少固い金属を斬る事は出来まい。」
砕けたとしてもそれはそれ。彼の本命の弱点には、何ら影響を及ぼさない。
「そして、今の動きで確信した。貴様は『戦闘』は慣れていても『戦場』は慣れていない。つまり、人を殺した事が無いな。」
「—————————っ!」
人を殺すという選択肢があるなら、最初の軍人相手にナイフを砕くために剣を振るうなどという、生ぬるい選択肢は選ばない。
ナイフを砕く程の力と剣があるなら、人間の体など遥かに容易く壊せるからだ。
初手であの『剣』をこちらに撃たなかった時点で、最初から疑問には思っていたが、卓越した技量のせいで、確信には至らなかった。
だが、そうなら話は早い。
「こちらは文字通り『死ぬ気』で、貴様に襲い掛かる。覚悟を決めるか、抱え込んで死ぬか…どちらにせよ、見ものだな。」
そう言って、今も汐俐に襲い掛かろうとしてる軍人諸共に吹き飛ばそうと、魔力を込め始めるダーニックだったが。
「————————破っ!!」
裂帛の掛け声と共に、汐俐は足を踏み抜く。
瞬間、蜘蛛の巣の様な罅が、汐俐の足元を中心に走る。
(……待て、コンクリート製だぞこの建物は。)
両手は塞がれている不安定な姿勢にも関わらず、汐俐の成した暴威に、思わずダーニックは顔を引きつらせる。
そして、もう一度上げられる脚を見て—————。
「総員、退却—————!!」
ダーニックのその声は、コンクリート製の建物が踏み砕かれる凄まじい轟音にかき消され、
ほとんどの者に届かなかった。
「げっほ。げっほ。……あー何とか生きてる。」
自分を拘束していた二人は、直前で弾き飛ばしたので、恐らく崩落に巻き込まれては居ないし、砕いた範囲も広くは無いから、他の人達も巻き込まれては居ない筈だ。
「……ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア…か。」
先程まで対峙していた男を思い出す。ユグドミレニアという名前には聞き覚えがあるが、今は置いておく。
「…加減、されてたな。」
事実だった。
ダーニックが、汐俐の殺害を本当に目的としていたら、待ち伏せをする必要は無い。
察知される事も無く、汐俐を瞬殺していた。
「口ではああ言っていたけど、恐らく捕らえるつもりだったんだろうな。」
そうでないと説明がつかない。
向き合っていた汐俐には分かる。あの男に踏み込んだら終わると、確信していた。
「…とにかく、逃げないと。」
切り札はある。
父親がかつて、頼りにしていたという過去の英雄の再現。
超常の神秘、サーヴァント。
それを呼び出せば、あるいは。
「でも、今やったらすぐに補足される。」
今はそんな時間なんて無いと、そう言って、慎重にされど迅速にその場から駆け出した。
「死者はゼロ…か。」
報告内容にダーニックは渋い顔をする。無論、被害を望んでいた訳では無いが、あの状況で死者が居ないのは、明らかにあの男が狙ってやったとしか思えない。
それ程の技量と力を持っておいて、敵方にも犠牲を許容しないその在り方は、はっきり言って不快だ。舐めているとしか思えない。そんな甘い考えが、戦争の足音が近い今のこの世界で通用すると—————。
「……いや待て。」
魔術師としての思考とかけ離れているという点は置いておく。
それにしたって、あの男の考えは平和的過ぎる。
何より、裕福で健康的な顔立ちに体付き。
男を構成する要素の一つ一つがこの時代にそぐわない。
加えて、時計塔の主要な魔術師、記憶している限りの魔術使い。
それら全ての中にも、あの『剣』に繋がりそうな人物はいないし、当然あの男もまた、全くもって知らない顔だ。
……だが、もしも。もしもだ。
「別の時代、裕福で平和な時代から来たとしたら…。」
そこまで考えた所で、ダーニックはありえないと、失笑する。
時間旅行など、それはもう、『魔法』の領域。
いくら何でも、それはありえない。
「……とは言え、やはり生け捕りはしておきたい。せめて、あの『剣』だけでも。」
ただでさえ、この聖杯戦争は不安要素が想像以上に多い。
その中でも、一際異端なあの四人。その中の二人を生け捕りにする可能性に出会えたのだ。この機会を逃す手は無い。
「…最悪、死体でも構わないが。」
捜索させている部下からの報告は未だに無い。
ならば、ともう一つの方に出向いている者に連絡を取る。
「聞こえるなランサー。そっちはどうなった。もう決着は着いたか?」
『おぉ、マスターか!ちょうど良かった!済まないが、生け捕りという最初の約束は確約出来んかもしれん!』
「……何?」
陽気で、どこかはしゃいでいるかの様な自らのサーヴァントの返答に、訝しげに答える。
「どういう事だ。まさか負けるとは言わんだろうな。」
『はははは。それは無いさマスター。……だがな。』
ダーニックは知っている。
この男がどれ程規格外なのかを。
この英霊の秘める神秘が、どれ程に圧倒的なのかを。
故に、理解出来なかった。
『この男は、殺す気で掛からないと駄目だ。』
ただの人間が、サーヴァントを本気にさせるなど。
「EileSalve—————————!!」
玄斗のその宣言に従い、虚空より六条の閃光が顕れる。
収束された絶大な魔力が、夜の闇を切り裂く流星の如く、相手に降り注ぐ。
だが。
「ふはははは甘い甘い!」
相手は、星を撃ち落とす正真正銘の傑物。
流星は悉く、槍に撃ち落とされる。
「どうしたどうしたぁ!その程度では無かろう!」
変幻自在にして無形。まるで舞うかの様に、サーヴァントは槍を放つ。
彼の戦意と魔力が呼応しているのか、槍の纏う魔力が流水となって玄斗へと襲い掛かる。
「くっ…!!」
玄斗の勘が間違っていなければ、ついでの様に巻き散らされている、あの水もまた特上の神秘。とは言ったものの、回避は不可能。
「Morgause——————!」
ならばと、掛け声と共に、右手を斧に見立てて振り下ろす。
振り下ろされた斧に呼応して、漆黒の波が現れ、サーヴァントの産み出した水を相殺する。
本来なら漆黒の海を顕現させ、その海の産み出した波で以て敵を打ち砕く魔術だが、オリジナルを完全に再現する事は流石に不可能。とは言え、この場を凌ぐ事は出来————。
「ほう、やるな。———————だが、気を取られすぎだぞ少年。」
「———————っ!!」
急接近。
一瞬の隙を突かれ、目と鼻に先にまで接近を許してしまう。
目が追い付かない程の加速。魔力による視力補正など鼻で笑うかの様に、瞬間移動じみた動きでこちらを翻弄してくる。
(魔力噴出口展開————————!!)
迎撃は、間に合わない。間に合っても意味が無い。
念のためにと、遠距離に打ち込んで置いたアンカーを掴む。
全身全霊で魔力噴出口の展開を行い、瞬時に距離を取るが———。
「……ツッ!!」
「ふむ、かすったか。」
灼熱の痛みが脇腹から浸食する。
躱しきれなかった、というよりかは、この程度で済む様にした。と言った方が適切だろう。
正面からサーヴァントと戦い、未だに戦闘を続けられているだけで、玄斗の魔術師としての技量は尋常では無い。
「…故にこそ、サーヴァントを召喚される前に決着をつけさせて貰おう。」
放置するにはあまりに危険な相手。
生け捕りをしろというのが、マスターからの命令だったが、それは少々危険すぎるとランサーは結論づける。
故に、確殺の念を込めて逃亡した玄斗を追う。
「はぁ、はぁ、はぁぁぁ………。」
咄嗟の噴射だったが、距離を稼ぐ事には成功。
息も絶え絶えになりながら、玄斗は建物の陰に隠れ、脇腹の治療を開始する。
呼吸を整え、思考を加速させ、現状を打破する方法を模索する。
(……分かってたけど、単に魔力をぶつけるだけじゃ、話にならない。)
格上の神秘。
それだけなら、まだ良かった。
武器、経験、技術。その全てが天上の域。
厄介なのが、油断らしい油断をしてくれない事だ。
過去の英雄に敵として認定されるのは、正直光栄な話ではあるが、この状況では御免被る。
(一節や二節……下手したら三節まで効かないかも。)
ここまで放って来た魔術の手ごたえからして、そう結論づける。
そうなって来ると、玄斗が使える手札はかなり限られて来る。
(『槍』なら致命傷とまでは行かなくても、有効打にはなるかも。お母様直伝の『庭』もある程度なら効く可能性はある。…でも、時間稼ぎ程度だ。)
それでは遅かれ早かれ死ぬ。
玄斗の手札では、切り札足りえない。
(…それでも。)
まだ諦めるのは早い。
出発前に渡された起死回生の切り札。
英霊召喚グラフ。
あれを使用してのサーヴァントの召喚を実行出来れば勝ちの目が出て来る。
(後は時間か……。)
四十秒。
それが、術式の手順を聞いた時、玄斗が見積もった必要な時間だ。
(あのサーヴァント相手に四十秒の時間稼ぎ…。)
無理だ。
玄斗の保有する全ての手札を総動員して、二十秒行くかどうかと言う所だろう。
賭けとして全く成立していない。
離れている今の状態で、召喚を行うというのも難しい。
今こうして隠れられているのは、治療に回す魔力をぎりぎりまで絞って、隠密に徹してるからだ。
だが、出会ったら即死するような怪物相手に隠れ続けるのは得策では無い。先に見つけられたが最期、その時点で詰む。やるのであれば、全力の逃走か交戦かどちらかだろう。
———————最も、そのどちらも絶望的な勝率ではあるが。
「…お父様は。」
思わず、ぽつりと呟く。
「こんな感じ、だったのかな。」
あの人も、こんな戦場を駆け抜けていたのだろうか。
「お父様って、お母様と何処でお会いしたんですか?」
そんな質問をしたのは、いつ頃だったろう。
詳しい時期は忘れた。
確か、夏恋は居なかった。暁渚と汐俐が産まれて間もない頃だった様な気もする。
魔術を使用しないで、自分の手で料理を作るのに慣れたお母様が、夕食を用意しているのを傍目に、質問したのだけは憶えてる。
「…うーんそうだね。旅を、していたんだ。とても長くて、どこまでも遠い旅を。」
「たび?」
懐かしそうに、どこか遠くを見る様にお父様は語っていた。
「うん、旅。進んでも進んでも切りが無くって、とても大変な目に何度も会って。……その度に、みんなに助けて貰って。多くの人に支えられて、ようやく成し遂げた旅を。」
「カドックお兄さんやマシュさん、ゴルドルフおじさんとかですか?」
この人達に昔、父親がお世話になったという事を玄斗は聞いている。
だから、父親の言う『旅』というのには、この人達も一緒に居たのかと玄斗は自然に結び付けていた。
……この年になった今思うと、カドックお兄さんやゴルドルフおじさんが時折、苦虫を潰したかの様に、愚痴ってたのは『旅』の事だったんだろう。
「…うんまぁ何というか…。マシュは最初から一緒だったんだけど…、カドックや新所長は後からというか……最初から一緒だった訳じゃ無いんだ。」
「じゃあ、最初はマシュさんと二人だけだったって事なんですか?」
詳しくは知らないが、少なくとも玄斗が会ったのはその三人だけだ。
ならば、そうなんだろうと、玄斗はそう考えていたが。
「……いや、居たんだ他にも。…お別れ、してしまったけど。」
「………。」
初めて見る顔だった。
優しくて、時折どこか抜けていて。それでも、いつも笑顔でいる父親が初めて見せる、痛ましそうな、悲しげな顔だった。
「……それでも、みんな背中を押してくれたんだ。」
「背中を…?」
「そう。進めって、負けるなって。…だから、最後まで進めたんだ。」
誇らしそうに、寂しそうに、あの人は笑っていた。
良い物だったんだろうと思った。
楽しい旅だったんだろうなって思った。
「その中で、お母様に?」
「うん、そう。……母さんも、俺を助けてくれた『英霊』の一人だった。」
「えい、れい?」
父親の言葉に玄斗は首をかしげる。
父親と母親が、存在からして違うのは何となく知っていたし、教えられていたが、その言葉を聞くのは初めてだった。
「あ~~そうだな。詳しくはその内言うとして……。」
天井を……いや、きっと、あの人の目が映していたのはその先。
ソラに浮かぶ、無数の星々。
「鮮烈で、鮮やかで、目も眩む様な。」
誇る様に、讃える様に、懐かしむかの様に。
紡ぐ言葉の一つ一つに敬意が満ちていて。
「輝かしい、星の様な人達だったよ。」
「……星、か。」
旅立つ時もそう言っていた。
星を集めろ。
人間の悪性、どのような闇にも負けない、輝く星を。
あの人にとってのそれはきっとお母様だったのだろうけど。
「…暁渚にとっては、彼女だろうけど。汐俐や夏恋にとっては…何だろう。」
いやそもそも。
「僕にとっての、『輝ける星』…。」
命を懸けるに値する物。
手を伸ばさずには居られない物。
「それは、一体………っ!?」
来る。
彼が再びやって来る。
爆発的な殺意と、眩暈がする程の魔力が物思いに耽っていた玄斗を現実に叩き戻した。
「でも、何なのこの魔力!?」
これでは、居場所など丸分かり。
奇襲というアドバンテージをドブに捨てるに等しい。
……まさか。
「この一帯を、全部吹き飛ばすつもり?」
「すまんな。マスターの許しが出た。」
殺して良い。死体は残せ。
玄斗の実力を知った、ダーニックの指示は即断だった。
多少巻き込む分には構わないとも、言われた。
「趣味では無いが、マスターの命だ。ある程度は考慮するが……許せ、民草。」
故に、真名解放までは行かない。それでも、街一つ吹き飛ばすに足る魔力を槍に集中させながら。高所にある建物から階下を見下ろす。
だが、恐らく。
彼の性格からして。
「———————————来たな。」
膨れ上がる魔力。
先程までの消極的な、場当たり的な出力とは比べ物にならない。
命を懸ける事を決意した力。
「あぁ…。許せ名も知れぬ君よ!君の誇り、決意を利用した!だが、だが私の誇りに誓おう!ここより先!君のみを正面から打ち砕く!!」
その決意に、その誇りに応えよう。
独り善がりな誓いだったとしても、身勝手な約束だったとしても。
これが、自分に出来る最上の敬意なのだから。
「我が名はフィン・マックール!栄光のフィアナ騎士団が長なり!!」
相手に聞こえると知っていて、自分の弱点を語るに等しい行いだとしってなお、ランサー——————フィンは己が名を語る。
悲しきは、相手の名を知れぬ事だが、まぁ仕方ない。
「さぁ、輝こうではないか—————!!」
「砲身、展開——————。」
始まりのコトバを告げる。
これより執り行う、絶大なる儀式を始めるための式句を。
「術式、装填。」
思い描くのは、鞘から抜き放たれた槍。
鞘から抜き放たれるというのなら、剣をイメージするべきかも知れないが、玄斗にとって、これが最もしっくりくる。
「照準、確定。」
(………何やってんだろうな僕は。)
一方、ここまで完璧な手順を辿っておきながら、玄斗は自分自身の行いに内心で失笑していた。
(正面からの戦闘なんて、最も避けるべき愚行。しかも、相手は準備を完璧に整えて、こっちが後手。)
敗北する要因を自分自身で増やしてどうする、と自分で自分を嘲る。
「……でもまぁ、しょうがないか。」
だって、体が動いていた。
心が叫んでいた。
魂が咆哮していた。
「きっと、ここで動かなきゃ——————。」
先の事は後で考える。
ただ、今だけは————————。
「お父様やお母様の息子に、相応しくない——!!」
無謀だとか、命を大事にするのも大事だけど、ただ、目の前で散る命を黙った見過ごす事は、出来そうに無かった。
「——————僕の真名はハルト・F・ル・フェ!!」
それは彼の真名。
秘せられし、在りえざる妖精の王の名。
神秘の薄い世の中にあっては、意味のの無い宣言。
———されど。
「この身に流れる血に掛けて、貴公の誓いに応えよう!」
彼の妖精の血は、王の帰還に歓喜する。
血流が加速する。
身体が拡大する。
母親から受け継いだ神秘が、輝き出す。
「回路、接続———————————!!」
さぁ、地を見下ろすが良い人理の影法師よ。
現代を生きる神秘が、今こそ牙を剥く—————!
「Anfang————————!!」
彼が母親から教わった魔術は実は多くない
基礎として、人間としての魔術は充全に教わったが、それを踏まえてなお、モルガンの使う魔術は高度過ぎるとも言えるが。
精々が二つ。それが母親に教わった魔術の極致であり、彼の切り札の数だ。
ちなみに、その二つの魔術を披露して見せた所、それを見たとある二人の魔術師は卒倒し、
「絶対に他の魔術師には見せるな」
と玄斗に誓わせた。
その一端が今、ここに顕現する——————。
「顕現せよ……!!」
冠するは伝説の槍の名。
世界の最果てにて輝く超常の神秘。
叛逆者の命を奪った、王の威光を示す光の柱。
その名を。
「ロンゴ!!ミニアド———————!!」
王の宣言が、世界に響く。
神秘が応える。
マナが歓喜する。
オドが奮い立つ。
到来せよ、到来せよ。と賛美する。
王の槍で以て、その権威を示せと世界が呼応する。
「掃…!!射ぁぁぁぁぁぁ!!」
顕現させた聖槍は全部で六基。
その全てを、こちらに突っ込んでくるランサーに叩きつける———————!!
(正面からとは無謀な———————!!)
だが、面白いと。
砲弾と化したフィンはほくそ笑む。
襲いくる槍の強度、神秘性は先程までの攻撃とは桁違い。
フィンをして、力づくで突破できるような代物では無い。
(一つ目——————!!)
魔力放出によって得られた勢いをそのまま利用した槍の一撃で相殺する。
だが、フィンの突進の勢いはそこで止まる。
(二つ目——————!!)
落下の姿勢そのままに、迎撃する。
先程の勢いまかせの一撃とは違い、フィンの槍の使い手としての技量を存分に使っての一撃。
先程まで貯めていた魔力の残りも全て使い潰す。
(三つ目——————!!)
ここから、損傷を覚悟する。
迎撃では無く、捌く様に槍を薙ぐ。
威力を削ぎ、射角を逸らす。
ここまでで、フィンの姿勢が完全に死に、少なく無い損傷を負う。
(——————ここまでか。)
そこまでが、フィンの限界。
あとは自分の耐久力との勝負だが。
「~~~~~~~~~~~っ!!」
炸裂した槍の合計、三基。
その全てが、狙い違わずフィンの身体に着弾し、弾ける。
「—————————————だが!!」
耐えれる。
問題無く戦闘も続行出来る。
空中で受けたせいで、距離は相当に離れてしまったが、問題無いと結論づける。
(ここまでか…?君の策は。)
無論、この威力は称賛に値するが、精々は時間稼ぎ止まり。
—————————だが。
「————————告げる。」
「——————————————。」
その呪文を聞いた瞬間、ランサーの思考は一瞬空白を刻む。
戦闘という極限の緊張状態において、あってはならない時間。決してしてはならない油断。
生前でも数える程しかした事のない愚行に顔を顰めるも、一瞬で飲み下し。
(そっちが本命か————!)
未だに、彼の策は終わっていない事を、悟っていた。
「……何、この魔力!?」
膨れ上がった尋常ではない魔力を感じ取り、走り続けていた夏恋は、思わず足を止める。
これ程までの高出力の魔力など、明らかに異常だ。
「…まさか、あそこにお兄ちゃんが…。」
向かうべきなのだろうか。
間違いなく心配しているし、合流すれ事が叶えばそれが最上だ。
それでも、あんな場所に自分が行った所で、足手纏いになるとしか思えない。
「だけど、近くにまでなら。」
少なくとも、訳も分からず逃げているよりはずっと良い筈だ。
そう思い、そちらに向けて走ろうとした夏恋だったが。
「「「「「—————————っ!!」」」」」
「———————うっ!」
それどころでは無い事を思い出す。
信じたくは無いが、迫りくる蟲の数は先程よりも増えている。
「なに、なに、何あれ!?」
恐れを飲み込み、先程の膨大な魔力の方に走り始める。
明らかにあの蟲はこちらを狙っている。
理由は何も分からないけど、とにかく逃げるしかない。
(でも、逃げてるだけじゃ…!!)
三人のお兄ちゃん達はみんな私に無い物を持っている。
玄斗お兄ちゃんは魔術が凄い。時々見せて貰ったけどちんぷんかんぷんだ。
汐俐お兄ちゃんはすごく強い。多分、喧嘩したらお兄ちゃんの中で一番強い。
暁渚お兄ちゃんの魔術はとても不思議だ。玄斗お兄ちゃんにも使えないらしい。
だけど、私には何も無い。
身体もそこまで強くない。
魔術の才能も普通だ。
それで良いと、お父さんもお母さんも言っていた。
こんな私でも、お兄ちゃん達は可愛がってくれていた。
だけど、それでも。
「私だけの、もの……。」
私だけの星。
輝く星。
微かに聞こえた、お父さんからの助言。
それが何を指すのか、夏恋には全く分からない。
「私が、ここに居る理由は———————。」
胸の内に抱える想い。
あの時、体が動いた理由。
それは、きっと。
未だに言葉にならないが、その想いに呼応するかのように、彼女の右手が赤く熱を帯び始めていた。
「——————————ハッ。どうやら、思ったよりも面白い珍客が来たようだの。」
だが、その右手の熱に夏恋が気づく事は無かった。
「——————————————。」
老人だ。
和服を着て、杖を突いているその様は、老人という言葉を、これでもかという程に体現している。
「あな、たは——————?」
戦慄する。
近寄りがたい雰囲気。人間よりも妖怪と言ってしまった方が適切だろう風貌。
そんなものはどうでも良い。
あの人は、目の前に居るあの人は、後方に迫る蟲以上の脅威だと、夏恋は確信していた。
(そうだ、あの蟲達は—————。)
カサカサ、キリキリという音はいつの間にか止んでいた。
だが、消えた訳ではなく、ただ後ろに並んでいた。
まるで、獲物に飛び掛かるのを待つ、肉食獣の様に。
「フハッ。何、小娘。取って食うつもりは無い。そこで暴れている男二人が、中々の逸材だったもので、お主もそうなのかと思ってたが……。」
老人は、不躾に、見定めるかの様に夏恋を見やる。
「平凡。母体としても期待できん。故に、見逃してやってもまぁ良いが……。」
にやりと、まるで血を前にした吸血鬼の様に陰惨に老人は笑う。
「その手の物だけは、見過ごせんなぁ…。」
待ってましたと言わんばかりに、老人の後方に控えていた羽蟲が、夏恋を追いかけて来た蟲が押し寄せる。
「———————————ひっ。」
思わず零れる悲鳴。
零れそうになる涙。
崩壊しそうになる精神。
「それ……!!でも……!!」
願え。
せめて祈れ。
もし、私にも星に手を伸ばす事が出来るなら。
願いが、届くなら。
「答えて—————————。」
誰か、助けて。
私は最後で良い。
間に合わなくて良い。
今も戦っているお兄ちゃん達を助けて。
迷ってしまっている暁渚お兄ちゃんを導いて。
心配しているパパとママを安心させて。
「だれか、助けて。」
か細い願いは、悲痛な叫びは、蟲の羽音に呑まれて消えて行く。
「届かんよ。」
冷徹に、老人は笑う。
未熟な子供を嗤うかの様に。
「その短く、未熟な手では、何も掴めん。」
そう、夏恋では星を掴めない。
彼女の腕では、星には届かない。
———————————それでも。
「………なに?」
それでも、もし届くとしたら、星の方から手を伸ばした時だけだろう。
「いたぞ!」
「……くっ!見つかった!」
見つかった以上、こそこそ動く必要はもう無い。
魔力も体力も全て使い潰すつもりで、全力疾走する。
「あぁもう!やっぱりこそこそしてるのは性に合わない!」
単純明快、やるんなら堂々と生きたい所だが、汐俐に自殺願望は無い。
勝ち目が少しでもあるなら、話は別だが、相手が悪すぎる。
「勝ち目…勝ち目か…!」
マーリンからの教え。
彼女からの教え。
父さんの助言。
「……星を、集めろか。」
文字通り、星を集められる訳が無い。恐らく比喩だろう。あの人は、星に例える事が多い。
「私にとっての、星……。」
大切なモノ。かけがえのないモノ。
そういう意味合いであれば、答えは一つだ。
今も胸を焦がしている、あの————————。
「———————!?しまっ…!」
「遅い。」
進行方向に違和感を感じたが既に時は遅く、罠に誘い込まれたと気づいた時には手遅れだった。
後方に動こうとするも、甲高い音と共に炸裂する石畳。
上を見ると、いくつもの銃口が向けられている。
「……今思うと、さっきの「いたぞ!」って声も罠だったのかな。」
「ほう。察しが良い。」
関心した様な顔で、こちらを見下ろすダーニック。
その顔に油断も隙も無いが、勝利への確信に満ちていた。
(……周りに結界。壊すなら出力最大で『剣』を撃つ必要がある。でもそんな威力で撃ったら、周りの建物諸共に壊してしまって、こっちが生き埋めになる。……加えて。)
こちらを見下ろすダーニックを忌々しげな顔で睨む。
(この距離じゃ、こっちの攻撃は届かない。『剣』なら届くけど、やっぱり生き埋めになる。)
八方ふさがり。正直どうしようも無い。
「念のために聞くが、降伏する気はあるか?こちらとしても無駄な浪費は避けたい。苦しんで死ぬのと、諦めて死ぬの。どちらが楽かは、言うまでもあるまい。」
最後の慈悲とばかりに、ダーニックが告げる。
どちらにしても死ぬのかよ、と内心で汐俐は苦笑する。
「……断るよダーニック。」
眼鏡を外す。
なんて事の無い動作だけど、それは彼の戦闘のスイッチを本気にする一種のルーティン。
「まだ、死ぬ訳にはいかないからね。」
獰猛に、攻撃的に笑え。
意地を見せろ。
きっと、こうでもしないと。
「俺には、まだ見たいものがあるからね。」
あの日、憧れた物には手が届かない。
「ごめんなさい汐俐。貴方の想いを受け取る訳にはいきません。」
初めて見た時から綺麗な人だと、そう思った。
外見や声だけで無く、その存在や在り方が。
でも、きっと明確な答えは一生出て来ない。
百の理由を作っても。
千の時間をかけても。
万の答えを導いても、きっとはっきりしない。
一目惚れの理由を見つける様な物だ。
理路整然な答えなんて無い。
明確は基準なんて存在する訳が無い。
ただ言えるのは。
魂が、叫んだ。
『この人だ。』——————と。
なのに。
なのに——————。
「なんで……僕が、子供だから?」
「いえ、そうではありません。子供だとか大人だとかそういったものは関係ありません。貴方が私に向けてくれているその想いは、熱は本物でしょう。……だからこそ、私は貴方の想いを断らなくてはいけません。」
涙をたたえながら、声を震わせながら、必死になって言葉を紡ぐ。
そんな私に目線を合わせるかの様にしゃがみ、あの人は微笑みかけて来た。
——————本当に、綺麗な笑顔だった。
思い出す度、今も胸がかき乱れる。
叫びたくなる程に狂おしくなる。
吹っ切れた様な顔をしているが、きっと永遠に吹っ切れない。
そういう、初恋をした。
「貴方の世界はまだ小さい。いつか、貴方は成長して私よりも、ずっと多くの景色を見るでしょう。貴方の未来は、どこまでも広がる青空の様に、無限に広がっている。定められた運命も、決まった結末も何処にも無い。…だから、私の様な者が、貴方の見る景色を埋める事はあってはなりません。」
頭を撫でる手は、とても優しくて。
子供扱いするなとか、いつもは芽生えていた反感は何処にも無く。
ただ、ただ。
目の前の光景に見惚れていて。
…何より、思い知らされた。
願いは、叶わない事だってあるのだと。
想いは、報われない事があるのだと。
「立派な男の子になりなさい。いつか、貴方が本当に大切な人に出逢えるまで、私が汐俐を守りましょう。」
こうして、彼の初恋は、優しく散った。
「ん~~やっぱり振られたか汐俐。はははそりゃあ辛かったねぇはははははこらこら私の足を踏むのはやめなさい。痛くは無いが何となく不快だ。」
「………。」
あの後、AAと別れた汐俐はというと、マーリンに捕まって何があったのかを話していた。いたのだが、人の失恋話を笑いながら聞いている目の前の男を見て、話したのを後悔し始めた汐俐だった。
「……母さんにマーリンにいじめられたって言いつけてやる。」
「よぉし!汐俐!頼れるマーリンお兄さんが君の悩みをずばっと聞いてあげよう!だからその恐ろしい計画はやめたまえ!」
「………。」
たちまち笑みを消すマーリンを半眼で睨みながら、それでも汐俐はぽつぽつと話し出す。
「……僕がさ、立派な男の子になったら。アルトリアさんは僕の事を…。」
「残念ながら、それは無いよ汐俐。…例え、君が世界で一番の男になっても、彼女が君の想いに答える事は無いだろう。」
「……なんで…。」
突き放す様な言い方。幼い子供に言うには、あまりに酷な物言い。だが、マーリンは悩むそぶりも無く、言い放った。
「彼女と君とでは、住む世界が根本的に違うからだ。君が彼女に追いつく事は無いし、彼女が君の世界に落ちる事も無い。…だから、それは叶わない想いなんだよ。」
「…でも、僕やだよ。アルトリアさんのいない世界なんて。そんな場所、僕は生きたくなんかないよ。」
子供とは思えない執着をAAに向ける汐俐。それは、彼に流れる妖精の血の兆し。人間には無い、強い執着と我欲。
それを放っておいたら、いずれ彼は破綻する。
人でも妖精でも無い中途半端な怪物として、人間社会から爪弾きにされるだろう。
……だから。
「私はね、汐俐。長い長い時間を生きて来た。」
「マーリン?」
だから、私はここに居る。
君を、彼と彼女の子供を。……迷える誰かを、今度こそ導くために。
「君達には測れない程の長い時間を生きて来た。多くの物語を見た。無数の景色を目にして来た。…その中に、加わった事も何度かあった。そして一度だけ、私の行いに、酷く後悔した事があった。」
「マーリンが!?」
悲しみも、虚しさも消えて、汐俐は驚きに満ちる。
産まれた時から、彼と一緒にいるが、いつも飄々としている彼に、そんな瞬間があった事など、到底信じられなかった。
「あぁ、そうだとも。——————これは違うと、そう思った。この光景だけは到底容認出来なかった。」
結末を知りながら、その道を歩んだ少女。
そこへと導いた張本人に、それでも感謝を告げた彼女。
——————初めて、罪を自覚した。
そんな彼女が、終わりを認めず、やり直しを求め、自分の存在を否定する。
そんな瞬間が来る事を、救いようの無い未来が訪れる事を、到底容認出来なかった。
——————だけど。
「僕は、美しいものを見た。」
想像を超えた光景がそこにはあった。
信じられない奇跡が目の前で輝いていた。
「いつだって、僕達を驚かせるのは、想像だにしない未来を作り出すのは、今を生きる君達だ。」
彼が、何を見たのかを汐俐は知らない。不思議と、聞こうとも思わなかった。
でも、唯一つだけ分かった事がある。
「汐俐。たった一人へと向けるその想いが、間違っているとは私は言わない。歪んでいても、狂っていても、その想いの尊さはきっと本人だけのものだ。…だから、その想いをずっと抱いて、唯一つに執着し続けるのも良い。手放して、別の道へと進んでも良い。——————だけど、一つだけ。」
マーリンが、貴方がこんな顔をするような景色が、そこにはあるのだという事だけ。
彼女の居ない、あの世界。
今、自分が生きている世界。
「汐俐。人の世界は、案外悪く無いものだよ。」
その光景を、いつか見てみたいと。
少年は思った。
それがきっと、自分にとっての戦う理由。
死を拒むに能う、星の輝き。
あぁ、そうだ。
ならもう、考える何てまどろっこしい。
憧れたなら、焦がれたのなら。
もう、手を伸ばすだけだ。
「告げる————————。」
「—————————。」
それを聞いた時、ダーニックはまず、自分の幻聴を疑った。その後、疑ったのは相手の正気。
(何を、考えてる、あの男—————!)
それは本来なら万全のコンディションの上で、何一つ邪魔するものの無い完璧な状況で行う必要のある秘儀だ。
断じて、この様な状況で行う物では無い。
(そもそも、許すとでも——————!!)
周りの部下に射撃を、階下の部下に近接戦闘を仕掛ける用に命ずる。
集中を乱せば、当然の如く術は失敗する。
そうでなくても、術を行いながらの戦闘など不可能だ。
英霊召喚の儀は、燃える火の中から、火薬の詰まった巨大な箱を手繰り寄せる様なもの。
慎重に行なわなくては、箱は立ち待ちの内に着火して、自分諸共に爆破する。
それを片手で行い、もう片方の手で剣を握り、遅いくる敵を捌く事など、不可能だ。
真の意味で、二つの行動を同時に行える人間など居ない。それが、ダーニックの結論であり、持論だった。———————だから。
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」
(ありえない……なんだ、それは。)
目の前で広がるその光景は、ダーニックの埒外の物だった。
回避に使う動きは最小限に。肌を掠める程度の銃弾は無視、致命傷だけは避ける様に動く。
ナイフを持って迫る相手を倒す事までは考えない。捌く事だけに集中する。
最も警戒しなくてはならない相手である、ダーニックへの視線だけは逸らさず、戦場の状況を、視覚以外全ての五感で感知する。
「聖杯の寄るべに従い————————!」
(この程度、やってのけなきゃ——————————!!)
肌のあちこちから出血が止まらない。
分部相応な魔術行使に回路が悲鳴を上げる。
無謀な使用に、脳が焼き切れそうになる。
それでも、その目は。
(あの二人の弟子なんて、名乗れ無い!!)
「人理の轍より応えよ—————————!!」
曇る事を知らず、ただ前だけを見つめていた。
40秒。
それが自分に許された時間、あの男が召喚を完了させるのに必要な時間だとフィンは即断する。
(空中落下から復帰するのに残り8秒。ここから彼の元に駆け抜けるまで5秒。)
霊体化は使えない。
先程の大魔術の影響か、付近のマナが荒れ狂っている。
この状態での霊体化は得策では無い。
(霊体化しての接近—————無理だ、先程の『槍』の影響で不安定。物理的に接近するしかない。)
既に始まってしまっている詠唱を聞く事しか出来ない、自分の無様を呪いながら、少しでも早く体制を整える事に苦心する。
(着いてしまえば、2秒で終わる。つまり余裕は25秒。)
25秒。
常のフィンなら、永遠に感じる程の長さ。
息を整え、詩の一つでも吟じる余裕がある。
「たったのか。」
だが、今回に至ってはフィンはあまりに短い猶予と捉える。
あの男相手に、25秒の余裕は短いと断ずる。
(……だが、それでも。)
間に合う。
フィンは断言する。
戦士としてでは無く、魔術師としても名を馳せているフィン・マックールは、詠唱の速度と術式の構築具合から、そう判断する。
(問題は、それを彼が想定していない筈が無い事だが。)
とにかく、全てを噛み砕く。
フィンはそう決意する。
そして—————。
(————————来る。)
遠く離れたここからでは、相手が空中落下から復帰出来たかを、今の玄斗に知る術は無い。
それでも、まもなく来ると、玄斗は予感する。
「汝、星見の言霊を纏う七天」
それでも、詠唱は途絶えさせない。
魔力の手綱は緩めない。
詠唱しながら他の事をやるなんていう、動きと思考を切り離せる脳筋に満ちた行いは、玄斗には出来ない。
出来るのはただ、愚直に奇跡を手繰り寄せる事だけ。
(ここまでで十秒。足りない時間は、アレを使って稼ぐ。)
それでも、足りなかったら、その時は——————。
「見つけた。」
風はとうに追い越した。
音も間もなく置き去りに出来る。
最大、最速の加速の中で、尚も奇跡への嘆願を紡ぎ続けている玄斗を、フィンは視界にいれる。
加速は止めない。
速度は落とさない。
爆音と暴力的な風圧を纏ったまま、致命の一槍を繰り出さんとし
『罪を、問う。』
—————その槍が、空を切ったのを感じた。
「これ、は————————。」
踏んでいる地面の感覚が無い。
宙に浮かんでいる。
回りの光景は、いつのまにか、見慣れぬものに。
「いや、違う。」
見慣れた風景。
幾度も駆け抜けた大地。
そして。
「あぁ、なるほど———————。」
見下ろした先に、血の海に沈む、血の海に沈む部下を見つけた。
かつての戦友。
最も信頼した部下。
見殺しにした、妻を奪った男。
多くの失望を買った。
多くの過ちに苛まれた。
そのきっかけが、ここだった。
「………は。」
彼を恨んだ事があるかと言われたら、分からない。
この記憶を、当然自分は抱えている。
それでも、これは晩年の物。
今ではないが故に、実感が薄い。
だが、それでも。
「……何が、悪かったのだろうかなぁ。」
女難。
一言で言ってしまえばそうなのだろう。
第一の妻を巡って妖精と対立した。
第三の妻にまつわる諍いで、騎士団は壊滅した。
では彼女達に、女に罪があるのだろうか。
だが、そのきっかけになったのは自分。
自分にこそ、問題があるのでは無いか。
フィン・マックールには、今も分からない。
「……だからこそ、私は問い続ける。」
その宣言に。
世界が震える。
作り出された断罪と審問の庭に亀裂が走る。
「自分の罪を。彼女達の罪の在処を。……故に。」
目を向けるは一点。
この『庭』を作り出した術者。
誰もが無意識に抱えてる罪と罪悪感を暴き、自らの潔白か贖罪の意思を示さなくては、脱出する事を許さない審判者。
「私は、聖杯を獲る。—————そこを退け、秩序の導き手よ。」
一歩。
亀裂へと、槍を振るう。
「聖杯の寄るべに従い」
彼方より、誰かの声が聞こえて来る。
呪文は佳境に入っている。
間に合うかどうかの瀬戸際だろう。
「人理の轍より応えよ!」
二歩。
構わず進む。
三歩。
足を取られる。
感覚が狂う。
道に迷う。
四歩
その全てを叩き折る。
「降し——————っ!」
五歩。
残滓が纏わりつく。
話にすらならない。
「降し、」
六歩。
槍を突き立て、『庭』を完全に崩す。
かくして、彼の秘策。
母親譲りの庭は
六歩の足止めで終わった。
—————充分すぎる。
目の前に現れた、フィンを前に、玄斗は尚も獰猛に笑う。
「裁き給え!」
たかが六歩。
されど六歩。
この状況にしてみたら千金にも値する。
荒れ狂う魔力と暴発しそうな回路の中にあって、玄斗は勝利を確信する。
だって、奇跡は既に目の前に——————!
(間に合わないさ。)
冷酷に、フィンは判断する。
一歩は要らない。
半歩も不要。
最後の一句を彼が唱えた瞬間に、この槍は過たず届くと確信する。
唱えきってしまっても、サーヴァントが現世に降り立つまでには一瞬のラグが存在する。
そうなってしまえば、サーヴァントが召喚されようが、すぐに退去させられる。
唱える前に間に合う。
唱えきっても届く。
確殺は既に、手の届く所に。
そう、玄斗も判断する。
分かっていた。この状況は既に予測していた———————。
「令呪を以って命ずる!」
——————だから、奇跡を手繰り寄せる。
両手で手綱を握って、ようやく制御出来る魔力の奔流という名の暴馬を一瞬だけ、片手で操る。
「今すぐ来い!僕のサーヴァント!」
降りてくる奇跡の速度を、令呪のブーストで加速させる———!
「……可能、なのか?」
魔術師としての側面もあるフィンは目の前の光景を冷静に分析する。
サーヴァントの魔力増幅としての面を持つ令呪を使えば、確かに召喚を早めるのは可能かもしれない。だか、令呪はあくまで召喚したサーヴァントに効果を発揮するもの。召喚がまだ完了して無い今の状態でそれが可能かはやってみないと分からない。
だが、分からない。
完了しきって無いだけで、既に召喚までの道筋は完成してる。ならば、その道を辿る命令なら、通る可能性がある。
あとは、サーヴァントの方にそれを受け入れるだけの技量と気質があるかと言った所。
それでも、分が悪い賭けである事には間違いない。これに命を賭けるなど、はっきり言って正気では無い。
正気では無いが。
「———————良い。とても良い。」
その、向こう見ずさ。まさしく、航海者に相応しい。
「そういう者にこそ、星の加護は輝く。」
突き出した槍を、何者かに阻まれるのを感じながら、40秒を稼ぎ切った現代の神秘にフィンは惜しみない賛美を送った。
(とは言え、まだだ。)
体勢を整えながら、フィンは思考する。
ようやく、本来の聖杯戦争に戻っただけに過ぎない。
見れば、玄斗は疲労困憊。魔力も根も尽き、立っているのが精一杯。
後は、彼の呼び出したサーヴァントだが——————————。
「——————————————。」
そこで、思考が歓喜に爆発する。
「あぁ……!!」
生前に会った事は無い。
伝え聞いていた姿とは、少し違っている。
それでも、分かる。
あの武威と纏う神秘、見間違える筈が無い。
「貴殿か————!!」
舞台変わって、ナイフと銃弾で織りなす死の舞踏会。
そのただ中で。
「汝、星見の言霊を纏う七天!」
男は今も奇跡への祈りを舞い続けていた。
血を巻き散らし、無謀な魔力制御から来るであろう痛みに顔を顰めながら。
それでも、魔力の手綱は離さず。
剣戟を緩める事も無く。
こちらへの視線を外す事も無く。
舞い続けるその光景は、粗野で、野卑で、静寂には程遠い。
泥臭く、生き汚く、ダーニックの理想とする魔術とは何もかも違う光景。
「——————————————。」
それでも、美しいと思ってしまった。
その意思が。
願いを、欲望を全て叶えんとするその姿勢が。
技術と胆力の粋を以て、成さんとするその絶技が。
目から、離せなかった。
—————————が。
「命令。」
吞み下す。
忌々しくも感じてしまった感動を、微かに沸き上がった尊崇を。
自らの我欲を、ダーニックは優先させる。
「命を捨てろ。」
今も汐俐に襲い掛かる、軍人に向けての簡単な暗示。
即ち、命を捨ててでも目標を捕らえろ。
「——————————っ!!」
副次効果として、体のリミッターが外れる。
身体の損傷も事故防護をも省みない、文字通り捨て身の一撃。
激変した動きに、汐俐は防御の選択を間違える。
「降し、降しぃ……っっ!!」
致命傷は避けた。
それでも、剣を持つ手に、深々とナイフが刺さる。
これまでとは比べ物にならない灼熱の激痛が、思考に致命的なノイズを走らせる。
世界が解れる。
舞が終わる。
一度途切れた物をもう一度、再開するのは不可能。
何より、この手はもう碌に剣を振れない。
失敗。
その二文字が、怒涛の如く頭に押し寄せる。
それでも——————————————。
「裁きたまえ————————!」
その中で尚も、汐俐は手放さない。途切れさせない。
最後の力で渾身の蹴りを相手に見舞う。
ナイフを手放し、吹き飛ぶ体。
一瞬目を離した隙に、再びこちらに砲身を構えるダーニック。
ナイフを構えて殺到する残りの兵。
頭上より向けられる銃口。
目に入る情報の全てが、一秒後の絶命を悟る。
知った事か。
「天秤の守り手よ——————!」
その、最後の一句を唱えたのをきっかけに。
ダーニックの魔弾が着弾し。
数多の銃声が鳴り響く。
「……確認しろ。」
直撃は避けた。
それでも、間違いなく致命傷だとダーニックは悟る。
その魔弾が、ダーニックの想定通りの働きをしていれば。
標的は既に死体当然。
故に、注意を払う必要は無いだろう。
そう考え、近くにいた兵は無遠慮に爆心地に近づく。
その行いを愚か者と断ずるべきか。
油断してもしょうがないと、慰めるべきか。
———————だが、これは称賛すべきだろう。
「——————————っ!?」
油断し切っていた所に、突如として襲い掛かって来た籠手を、とっさの判断で迎撃できた事には。
そしてこればっかりは、仕方ないだろう。
「——————————————は?」
襲い掛かって来た籠手によって、咄嗟に繰り出したナイフが、あの規格外の男の繰り出す剣を難なく受け止めて来たナイフが——————まるで、紙細工を潰すかの様に砕かれた様を見せられて、惚けてしまうのは。
ふと、弦楽器の音が聞こえた。
幻聴かもしれないけど、夏恋の耳には確かに、その音が聞こえて来た。
そして。
「———————————え。」
赤い閃光が、夏恋の視界を埋める。
こちらに襲い掛かる羽虫、形容しがたい形をする蟲。
その全てが、狙い違わずその体を両断されていく。
蟲の甲高い絶叫は、五体を切り裂かれる音に消える。
巻き散らされる体液、体の破片。
その全ても含め、赤い閃光は撃墜していく。
夏恋の身に何一つ浴びせる事無く、閃光は猛威を振るう。
そして、ついでとばかりに。
「———————————かっ。」
目の前にいた、老人にも一矢。
過たず心臓を穿つ。
そして、生にしがみ付く魔人は見た。
無力な少女。最弱のマスター。
その背後に、何かが居る事に。
「か、は、はは。」
そうか。
そういう事か。
「貴様が、アーチャーのマスターか。」
だが、それでも解せない。
あの小娘は間違いなく魔術師としては四流以下。
素養は平凡だが、技術は僅かたりとも無い。
とてもまともな召喚が行えるとは思えない。
…あるいは、そんなものを覆す程の、極上の触媒を有していたのであろうか。
「か、かか。」
それが、生にしがみ付く魔人の見た、最後の景色だった。
「…………これは、驚いたな。」
そしてその全てを、花の魔術師は見ていた。
あの時代で起きてる事象。
もう一人の自分に起きている異常。
暁渚の隣にいるイレギュラー。
玄斗と汐俐の繰り広げるていた激闘。
夏恋の決死の逃避行。
そして、その三人が、それぞれ召喚したサーヴァントを。
「マーリン!?何がありましたか!?あの子達に何が…!!」
『マーリン……。』
常ならぬ様子で、こちらに詰め寄るモルガンに、通信越しにこちらに身を乗り出してくる立香を見やる。だが、マーリンはそんな二人に微笑む。
「心配要らない。三人とも、少しばかり危険だったが、無事に全員サーヴァントを召喚した。これでもう、一安心だろう。」
「……そう、ですか……。待ちなさい三人共?夏恋もサーヴァントを召喚出来たのですか?あの子に、そんな技量があるとは。」
マーリンの言葉に違和感を抱いたのか、モルガンが再びマーリンに詰め寄る。
よもや、歪な召喚では無いだろうかと心配しているのだろう。
見ると、立香もまたこちらへと視線を向けている。
「なに、どうって事無いさ。」
あぁ、大丈夫。
心配は無いだろう。
これは良くある話。
日常にだって溢れてる事。
「お姉ちゃんが、妹を助けに来ただけさ。」
ただ、それだけの事だからさ。
『……マーリンそれって。』
「……まさか、あの子が。」
マーリンの言葉で察したのか、感極まったかの様にモルガンがその場に崩れ落ちる。
その目には、抑えきれない涙が光っている。
『…でも、なんで。確かに彼女が来てくれるならすごく頼もしいけど、あの子は正規に座に登録されている訳じゃ。』
「うん、藤丸君の疑問も最もだ。……だが、これもまた至極単純な話さ。」
そう言ってマーリンは再び、眼をあの時代へと向ける。
「あの娘もまた、妖精國の女王モルガンの娘だからね。」
これ以上の触媒は無いだろう。
そう言って、マーリンは笑った。
「……さてさて、あの二人はと…。まぁ問題無いだろう。…召喚したサーヴァントには少々、因果じみた物を感じるがね。」
『聞こえるか、マスター?』
「……ランサーか。」
眼下に広がる光景は、自らの失敗を告げていた。
ダーニックの脳内は既に「撤退」の二文字が埋め尽くしつつあった。
(……それでも、あの男は虫の息。)
ランサーをすぐさまここに呼び寄せ、現れたセイバーと思しきあの女を相手どらせれば、まだ逆転の目がある。
だが。
『すまないマスター。サーヴァントの召喚を許した。私の失態だ、罰は如何様にも。』
「………そうか。」
思わず、と言った様にダーニックは天を見上げる。今まさに目の前で、たった一人の男が力づくで手繰り寄せた奇跡を目にしたからか、ダーニックに驚きは無かった。
「二兎を追うものは、一兎も得ず。……か。」
極東に伝わるということわざを口にする。
まさしく、今の自分に相応しい言葉だと、自嘲する。
「……撤退だ。詳細は後で聞かせてもらうぞランサー。」
『承知。』
「ここから、一戦始めるのもまた一興だが……ここまでにさせて頂こう。貴殿もまた、限界の様だしな。」
肩で息をする玄斗を見ながら、そう言ったフィンは構えを解き、全身に満ちる戦意を解く。
「それではまた会おう。ハルト・F・ル・フェ!そして、キャスターの君よ!貴殿らとの再戦、心より楽しみにしているぞ!」
「待ってください!」
「む?」
晴れ晴れとした笑顔で霊体化しようとするフィンを、玄斗は押しとどめる。
端正な顔は、球粒の様な汗にまみれ、顔のあちこちにへばりついている。
息も絶え絶えで、喋る事も億劫の様に見える。
それでも、眼も輝きは損なわれず、フィンを見つめていた。
「……名前。」
「?」
「僕には、もう一つ、名前があります。」
「……聞かせてくれるか。」
玄斗のその声に、フィンもまた正面から向き合う。
決して、聞き漏らす事無いように。
彼の誠意に、相応しい様に。
「藤丸、玄斗。」
その名を聞いた時、隣のサーヴァントがぴくりと反応したような気がするが、玄斗には気にする余裕が無かった。
「ル・フェはお母様の名。藤丸はお父様の名です。」
「……そうか。あぁ憶えておくとも。我が真名、フィン・マックールの名に懸けて。」
それを最後に、フィンは今度こそ、その場から消えた。
「……ひとまず安心か。なぁ、マスター。さっきの名前の事だが、お前さん……おいおい何やってんだその体で。」
「ごめんなさい!今は少し待って下さい!」
サーヴァント相手に無礼だとは分かっているが、今はそれどころじゃない。
尽きかけの魔力。これ以上の行使は命に関わると分かっているが、それでも。
「夏恋が……妹が、危険なんです!」
探索を開始する。
先程中断してしまったが、掴んだおおよその位置は分かる。
だから、そこに集中すれば——————————————。
「……っ。」
ブレる。
世界が、頭が。
普段なら、淀みなく行える魔術構築がどうしても上手くいかない。
積み重なる失敗が、玄斗の焦りと焦燥を加速させる。
その状態で、上手くいく訳が無く、そうしてされに積み重なるという悪循環に陥る。
「………ぐっ…!」
それでも、何とかしなきゃ。
そうして、無謀な魔術行使を再び行おうとした時。
「……えっ。」
コオーーンと。
何かが、鳴った。
そして、世界が変わった。
少なくとも、玄斗はそう錯覚した。
「……なに、これ。」
信じられない精度、深み、緻密さ。
その上で、眼を疑う速度、範囲で探索が進んで行く。
コンディションが万全の玄斗でも、コレは不可能だ。
こんなもの、それこそ。
「お母様でも、無いと……。」
これを成した人など、分かり切っている。
いつの間にか、目の前に立っているその人を、漸く玄斗はまともに、視界に入れる。
そして。
「———————————。」
戦慄する。
その神秘に。その覇気に。その、高さに。
(信じられない———————。)
恐らく、手にした杖で玄斗の陣に介入したのだろうが、その手際、魔力。全てが玄斗の遥か上を行く。
(フィンさんは、戦士として格が違った。)
だが、目の前の男はそれだけでは無い。
戦士だけで無く、魔術師としても格が違う。
(お母様以上…ではないかもしれないけど、匹敵するかも知れない。)
それこそが、玄斗の心を何よりも震わしていた。
「お、こいつか?」
「………え?…あ、はい!彼女です!」
男に声を掛けられ、漸く玄斗は我に返る。
そして、無事な様子の夏恋の様子を見て、漸く安心するも。
「…あれ?誰だこの人?」
見慣れない人が一人、夏恋の近くに立って話しかけている。敵意は感じられないが。
「……いや、この人まさか…。」
「驚いたな…まさか、あの嬢ちゃんが。」
「え?知り合いなんですか?」
その声に思わず、顔を上げるとそこには驚きに満ちた男の顔。
「……まぁ、そうだな知り合いだ。だが、まぁ召喚に応じたなら大丈夫だろ。性格には多少、難ありだが。」
そう言って、男は探査を打ち切り、改めて玄斗に向き合う。
「……さて、マスター。いくつか聞きてぇ事があるが、その前に……お前さん、「藤丸立香」って名前に聞き覚えはあるか?」
「は、はい!当然です!」
男からの問いに、溌溂と答える。知ってるも何も、その名前は。
「僕の、お父様です。」
一瞬の静寂。
その答えに、男は何を思ったのか。
「……そうか、あいつのガキか。」
懐かしそうに、微笑ましそうに笑った。
「確か、あの嬢ちゃんは妹だって言ってたな。……するってぇと何か、アイツあの女王様を二回孕ませたのか。んだよ、大人しそうな顔して中々。」
「あ、いえあの……。」
何故かニヤニヤし始めた男を見て、若干どもりながら、玄斗は律儀に勘違いを訂正する。
「他に、弟が二人います。あの二人は双子ですけど」
「……………。」
男の動きが止まる。
そして。
「……ぷっ。」
堪え切れない様に。
「ぎゃ~~~~はっはっはっ!!」
笑いだした。
「んだそれ!!あんな顔して、カルデアであれだけ絡まれたのに、誰一人手を出さない鉄の自制心の持ち主かと思ってたのに!三回!三回もか!あ~~はっはっ!やるときゃやる奴だと思ってたが、そっちでもかよ!!ぎゃはははははは!!」
「あ、あの……?」
爆笑。
これ以上無いほどに爆笑している。
常日頃から父親と母親の仲睦まじい姿を見ている玄斗からすれば、何がおかしいのかまるで分からないが、少なくとも、父親が馬鹿にされている訳では無さそうなので、止めるに止められず、おろおろするしか無くなる玄斗であった。
「あーーおもしれ。……っと悪かったな。自己紹介がまだだった。」
笑いから復帰したのか、改めて男は、玄斗に向き合う。
「事情についてはまぁ、追々教えて貰うとして……玄斗って言ったな。」
「は、はい!」
そして、男は目深に被っていたフードを脱ぎ、玄斗と眼を合わせる。
神秘的な雰囲気に合わさった服。手には木製の杖。
何から何まで、魔術師然と言った姿なのに、その目は、まさしく猛犬の如く。
「クランの猛犬。クー・フーリン。キャスターのクラスで顕界した。…よろしく頼むぜ、玄斗。」
これが、玄斗とクー・フーリンの出会いだった。
「……よし、止血はこれで問題ないでしょう。他に痛む所はございませんか、マスター?」
「あ、うん大丈夫。」
ナイフが突き刺さった腕を止血しながら、目の前に跪く自分が召喚したサーヴァントを見る汐俐。
(……この人、凄く強い。)
体幹、呼吸、足さばき。
全てが熟練の域。
汐俐ではまだまだ届かない領域。
(……ていうか、それより気になるのが。)
汐俐に巻き付いている止血代わりの服の切れ端。それを拝借した、倒れている軍人に何やらしているサーヴァントの顔を見る。
大人しい、というよりかは女性と見間違う顔立ち。束ねてはいるが、髪は腰まで流れている。
だが、そう。
「……よし、改めて確認しましたが、付近に異常はありません。今しばらく、休んでいても平気でしょう。」
「あ、うんありがとう…。」
声は、どうしようもなく男だった。
(ていうか、体付きものど元も普通に男だし……あぁもうなんかバグりそう…。)
全くもって、目の前のサーヴァントのせいでは無いのに、内心で頭を抱える汐俐。
「……?どうしましたかマスター?やはりどこか痛む所が。」
「あ、いや大丈夫!ほんとに大丈夫!そ、それより!」
話を変える様に、汐俐は切り出す。
「名前、名前教えてくれる?私は汐俐。藤丸汐俐って言うんだけど!」
「藤……丸?……失礼ですがマスター。「藤丸立香」という名前の御仁に聞き覚えは?」
「え?……うん。私の父さん。」
その名前が出て来た事に内心で驚きつつも、父さんと母さんがサーヴァントと呼ばれる存在と昔、旅をしていた事を思い出し、汐俐は内心で納得しながら答える。
「そうですか…ご子息ですか…。」
「……えっと、やっぱり知り合いなの?」
万感の籠ったその声に、昔何かあったのかと、汐俐は問いかける。
その質問に、男は。
「……恩が、あります。返しても、返しきれない程の。」
敬意と誇りに満ちた顔で、答えてくれた。
「そう……なんだ。」
「えぇ…ですが、それと貴方へと捧げる忠義は別のもの。生前にアーサー王、第二の生に貴方の父上に捧げしこの剣。三度目の生に巡り合わせていただいた、貴方に捧げましょう。」
そして、座ったままの汐俐の目の前に跪き、剣を抜く。
「——————————————。」
まるで、物語に出て来る騎士の様だと、汐俐は思った。
それも当然かと、どこかで納得する。
目の前の男は、きっと伝説の騎士の一人。
彼女の名前の原典となった、彼の王に仕えた誇り高き騎士。
その名は。
「円卓の騎士が一人。ベディヴィエール。貴方へと忠義を捧げましょう。」
瓦礫と月明かりのみで構成される玉座の間にて、騎士は新たなる主への忠誠を誓った。
「ったく!何なのよあれ!?キモイし、数多いし!特にあの爺!絶対に碌なモンじゃ無いわよ!…はぁ、ほんっと最悪。アタシを召喚させた直後に、あんなの相手にさせるとか。良い度胸じゃ無い?アンタ?」
「は、はい…その……。」
目の前に突如として現れた女性が、あの蟲やおじいさんから助けてくれた。
それしか、夏恋には分からなかった。
当然、彼女の身に秘める神秘性も特異性も測れる事は無く。
「その……ごめんなさい。」
嫌な事をさせてしまったと、その考えで一杯だった。
派手な見た目で、威圧的な態度だったのも悪かっただろう。
夏恋はすっかり、目の前の女性に怯え切ってしまっていた。
「…………はぁ~~~。」
今にも泣き出しそう。というか事実、涙ぐんでる目の前の夏恋を見て、少女は毒気が抜ける。……何処となく、昔の自分に重なって見えたのもあるかも知らない。
「ったく泣くなっての。あ~~もう、あんたどんだけ無理してたのよ。」
「……え、あ、あの?」
乱れ切った髪と服。
顔や体中に今も流れている汗。
何処からともなく取り出した、布で夏恋の汗を拭いながら、服を整えてやる。
だが、少女は一点を見て、眼を剥く。
「ちょってアンタ!靴はどうしたのよ!血が出てんじゃん!」
「え、えっとその……履いて来る暇が、無くて…。」
「あぁ…!もう…!!」
イライラする。
癇に障る。
苛立ちが止まらない。
何にも悪く無いのに、申し訳なさそうにしてる所とか。
うじうじ、めそめそしてるのに、『誰かのため』になら、あんな切実に願える態度も。
全てが、過去の自分を見せられている様で。
何より、あの人に、何処か似ていて。
………だからか、見捨てられそうに無かった。
「えっと……あ、あった。ほら、こっち。」
「え、あ、あの?」
自分が、抱きかかえられていると、気づくのに時間がかかった。
それ程までに、自然で優しかった。
そのまま、少女は夏恋を抱えて何処かに向かおうと歩き始める。
「………。」
扱う手つきは、とても優しくて。
触れ合うその体は、とても暖かくて。
気づかれない様に、こっそりと、
「………。」
夏恋は、少女の体のより近くに、擦り寄った。
「……。」
その事に、少女は気づかない振りをして、歩き続けた。
そして、目的の場所に着くと。
「おらよっと。」
掛け声と共にひと蹴り。
それだけで、扉は木っ端微塵になる。
「え!ちょ、ちょっと!」
「うっさい。良いんだよ緊急事態だから。……ちっ!やっぱり碌なもんが無い。」
手頃な椅子に夏恋を座らせてから、少女は中を物色し始める。
「ここって……靴屋さん?」
置いてある商品を見て、夏恋はそう判断する。
もしかして、自分用の靴を見てくれてるのだろうか?
なら、そこにある物で良いと言おうとして。
「え~~と、あぁこのデザインは中々……駄目だサイズが。……あぁやっぱだめ碌なのが無い、ならいっそ……。あぁあったあった。これを使って…。」
「………。」
凄く真剣な顔で、なにやら高速で呟く少女に圧倒され、夏恋は何も口に出せなかった。
そして、待たされること数十分。
「ほら、これ履きなさい。」
「わぁぁ……。」
手渡されたのはブーツ。
厚底ではあるが、革は柔らかいので歩きやすそうだ。
シンプルに飾りは最低限。黒を基調として、アクセントに赤が入っている。
「すごい……カッコいい…。」
父親や母親に愛され、兄達にだだ甘に接されて育った夏恋だったが、差し出されたその靴は、夏恋には何よりもキラキラと輝く宝物の様に映った。
「履いて良いんですか?」
「当たり前でしょうが。何のために作ったと思ってんのよ。」
「ありがと……作ったんですかこれ!?」
感謝を告げようとするも、さらに飛んでもない事を言われ、肝心の感謝の言葉が尻すぼみになってしまうが、夏恋はそれどころでは無かった。
「は!私を舐めない事ね!こんくらい、大した事無いっての。」
「凄い……お母さんのお部屋に置いてある、靴みたい!」
「………は?何て?」
夏恋が思わずと、言った言葉に少女は反応する。
「あ、えーと。私のお母さんのお部屋に、素敵な綺麗な靴が大切そうに置いてあって…その靴みたいに素敵だなって……あ、あの……?」
「……良いから、さっさと履けよ。」
「あ、はい……。」
何か気に障るような事を言ってしまったかと、内心で反省しながらいそいそと、夏恋は靴を履く。
「……まさかね。」
「……で、履き心地は?」
「あ、はい!凄く良いです!」
靴を履いた夏恋と少女は、そのまま靴屋の外に出る。
だが夏恋は、未練があるのか靴屋の方をちらちらと見ながら。
「何気にしてんの。良いのよ、あのくらい。」
「う…で、でも泥棒は…。」
「そんなに言うんなら、その靴返してくればぁ?」
「ううぅ…。」
泥棒は良くないと理性は訴えるが、今も目の前にぴかぴかと輝く靴は、正直魅力的にすぎる。それでも、やっぱりと。
「大丈夫よ。あんたは持ち金がないでしょうけど。そこらへんにいる雑魚魔術師を数人、ぶち殺せば、その靴の分の金は手に入るでしょ。」
「え?で、でもそれも泥棒じゃ。」
「ばっかじゃないの?それは戦利品よ!こういうのはちゃんとしとかなきゃ、後々に響いてくんのよ。」
「な、なるほど?」
蛮族の思考であるが、こうも正々堂々と言われると、夏恋本人にも正しいのかも知れないと、そう思ってしまった。
「……それで?」
「え?」
「なーまーえーよ名前!あんたなんて言うのよ!」
「あ、は、はい!」
そう言われて、慌てて夏恋は口にする。
父と母から貰った、大切な名前を。
「夏恋!藤丸夏恋って言います!」
その名前を聞いた少女の反応は、劇的だった。
「——————————————。」
「あ、あの?」
微動だにせず、驚愕に満ちた目で、夏恋をじっと見つめて
「そっか、やっぱり、そうなんだ。」
優しく、寂しげに。
「あの人は、歩き出したんだ。」
それでもどこか嬉しそうに、微笑んだ。
泣いてるようにも、見えたけど。
涙は、流れていなかった。
「……まぁ良いわ。で、私の名前か…。」
少しだけ、考え込む様な仕草をしたが、それも一瞬。
すぐに、いつも通りの自信満々で、尊大で、乱暴で。
「トリスタン。妖精騎士トリスタン。」
それでも、どこか優しげに、誇らしげに。
「—————それで?アナタが私のマスターな訳ね。」
自らの名を、名乗った。