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    azooooki

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    azooooki

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    惇遼本の書き出しだから曹惇書いてる

    呂遼と曹惇が前提の惇遼本の書き出し部分 寝台に体を投げ込むように座ると、横からペットボトルが差し出された。よく冷えた水を受け取って、半分ほどまで一気に飲むと、小さく笑う声が聞こえた。
    「私の分がなくなるな」
    「まだ残してあるだろ」
    「いい、気にするな。好きに飲め」
     なんだよ、と小突くと、気にするな、ともう一度返される。
     夏侯惇トールギスⅢは小さく鼻を鳴らして、結局残りの半分も飲み干した。
     風呂の広さをいいことに二人でシャワーを浴びて、乱れた寝台へと戻ってきたところだ。つい先程まで部屋に満ちていた、お互いの荒っぽい息だとか、湿った睦言だとか、体のぶつかりあういやらしい音だとかはすっかり霧散していて、そこにはただ二人、事後の気だるさを享受する男がいるだけだった。
     夏侯惇が曹操ウイングガンダムとこうして褥を共にするようになってから、気付けば数年が過ぎていた。恋人と呼べる関係になったのはそれよりももう少し前のことで、大望を抱く社長とそれを支える腹心になったのも、やはりもう少し前のことだった。
     徐々に関係を深めてきた、と言えるのだろう。段々と深みにはまっている、とも言えるのかもしれない。そもそもはじめは悪童の従兄たちに何故かつきまとう神童の従弟であって、それ以上の仲になるとは思っていなかった。
     ただ、今より幼かった二人で向き合って、練習のような口づけをしたところから、転がるように互いの関係を表す言葉が増えていったのは確かだった。
     曹操の手が、不意に夏侯惇の左目を撫でた。死角からの接触に一瞬どきりと心臓が跳ねたが、その温度に身を任せた。
    「痛みはないか?」
    「何度も言わせんなよ。もう平気だ」
    「今朝うずくまっていたくせに、よく言う」
    「あれは……ちょっと……まあ……」
    「無理はしてくれるなよ」
    「わかった、わかった」
     もしかしたらまた少し、関係が変わるのかもしれない。夏侯惇はなんとなしに、そんな予感がしていた。
     あの勝利から三ヶ月が経っていた。つまり、あの敗北からも三ヶ月——夏侯惇が片目の視力を失ってから、まだそれだけの時間しか経っていなかった。まだ夏侯惇も視界の欠落に不慣れであったし、時折襲う不明な痛みに惑わされることもあった。だが、夏侯惇以上に、曹操の動揺は深かったようだ。端的に言えば夜の誘いが増えた。昼も共にいることが多くなったが、前は思い出したように体を重ねる程度だったのが、ここのところはふらりと夏侯惇の家にやってきたり、あるいは夏侯惇を自宅に呼び寄せてくる。傷を気遣う言葉をこぼしながらも求められる度、これが曹操の不安の表れであることは明白であったから、決して拒むことはしなかった。
     曹操に、不意に顎を軽く持ち上げられ、口付けられた。ある意味嫌味な仕草なのに、この従弟ときたらさらりとやってのける。きっといつも通り、この後にはおやすみ、と続くだろうと思ったが、そういえば、と曹操は不敵に笑った。
    「明日の入社式を楽しみにしているといい」
    「なんだよ、言えよ」
    「明日のお楽しみだ」
     いたずらっぽく言うと、曹操は今度こそ、
    「おやすみ、夏侯惇」
     と、言うものだから、夏侯惇も、
    「ああ、おやすみ、曹操」
     と、返す他なかった。

    ◆◆◆

     曹操は昔から、案外にいたずら好きだった。
     生真面目なようでいて、人が驚いていると少し得意げになる。子供っぽいのだ。子供っぽいといえば結構に意地っ張りの負けず嫌いで、もし誰かに驚かされることがあったら、必ず仕返してやろうと企むようなところもあった。
     だから、それも。夏侯惇に向けたちょっとしたいたずらのつもり、だったのかもしれない。

     ギ・エリアでも屈指の武装企業となったブルーウイングには、ひっきりなしに入社希望者が訪れる。それまでも企業戦争の有力者として注目を集めてはいたが、特に、過日、最強の用心棒として知られていた呂布シナンジュを打倒して以降、俄然勝ち馬(傍点)として見られるようになったのである。
     曹操は本来、門を叩く者たちを拒むつもりはなかったらしい。この時代に職を求める人民を困窮させるのは本意ではないからだ。
     だが、方針は転換された。ブルーウイングにとってギ・エリアを経済的に独占するのは、あくまでも通過点に過ぎない。目標としているすべての民が平等に、幸福に過ごすという遥かな理想のため、勝利という結果を積み重ねているだけだ。理想に興味や理解を示さず、目先の利益のために群がってくる者たちは、今後獅子身中の虫となる可能性が高い——そうした荀彧からの忠言を受けたからである。
     結果、当初よりも厳しい入社試験を設けることとなり、多くの脱落者が生まれることとなり——理想を共にできる存在とは、想像するよりもずっと少ないのだという、当然で無情な現実を曹操に突きつけた出来事でもあり、それは彼の中に、うっすらとした影を落とした——その分、狭き門を潜り抜けた者たちには今までよりも、さらに活躍への期待が寄せられることとなった。
     とはいえ、入社式は今までと同じく簡素なものだ。新入社員を集め、曹操が訓示を述べて終わり。これは曹操の意向である。荀彧はもう少し式典らしくすることを提案したらしいが、却下された。夏侯惇もこれには安心した。大々的で長い式典などまっぴらごめんだったからだ。
     本社ビルの一画で一番広い会議室へと、緊張した面持ちで新入社員たちが入ってくるのを、夏侯惇は弟の夏侯淵トールギスと並んで見守っていた。どれも面接で一度は見た顔なはずだが、とんと覚えがない。夏侯淵も同様のようだ。なにせ、とんでもない数の入社希望者の面接を行ったのである。通過させたからには曹操に会わせても問題がないと思った人材であるはずなのだが。
     まあ、これから長い付き合いになるはずだ。
     ゆっくりと覚えておけばいい、と。
     そんなことを考えていた夏侯惇の前を、彼は、通り過ぎた。
    ——あれは。まさか。いや、そんな。
     がつん、と頭を打ち付けられたような衝撃だった。
     それまでふらふらと彷徨っていた片方だけの視線が、たった一人を凝視する。その赤い機体には、確かに見覚えがある。見間違うはずもない。必ずや、自分だけは。
     行列が立ち止まり、正面へと——夏侯惇達の方へと向き直る。
     やはりだ。間違いなく。
     張遼サザビー。
     彼に、違いない。
     だが夏侯惇の知る張遼とは、違う顔をしていた。あの緑色の眼光を放つ、一つ目玉の顔ではなく——なんというか、あまりにも普通の双眸を備えた、素顔が底にあった。
    ——あまりにも、当たり前のことなのだが。夏侯惇は、張遼に人と同じような素顔があることに、すっかり驚いてしまっていた。なんというべきか、あの夜に差し向った張遼は、やはり強大な、そして凶暴な獣のように見えていたからだ。仮にも打ち倒した相手、それでも、思い起こすとあのぞくりとするような殺気がまずよぎるのだ。
     そして驚愕が通り過ぎた後には、なんともぼんやりとした心地が残った。本当に、ただぼんやりとしてしまった。否、違う。見惚れていたのだ。
     張遼の、あの異形じみたマスクの下にあったのは、なんとも――端正な顔立ちだった。もっと恐ろしげな顔をしているものだと勝手に思い込んでいたが、むしろどこか涼やかで、整っている、と言えよう。そこで、夏侯惇ははっとなった。まるで値踏みするように、まじまじと他人の顔を見やるなどいくらなんでも下品な行いだと思ったのだ。
     だが、当の張遼は気にする素振りもなかった。夏侯惇のことなど視界にいれず、じっと正面を見つめていた。あるいは、慣れているのかもしれない。幹部にも、新入社員にも、先ほどから張遼を盗み見るものが何人もいる。もしや彼こそが張遼サザビーか、と好奇と畏怖の視線が集まるのを、なんとも思っていないようだった。そうなると、なおさら夏侯惇は気まずくなった。やはり、こんなのは下品なことだ。だが、どうしても目がいってしまうのである。
     別に、他人の顔の美醜にこだわりがあるわけではない。それこそ、あの従弟は人の目を惹く美男子であるが、それだから好いているわけではない。たとえ彼がその頑固な性質を写し取ったような面立ちだったとしても、おそらく夏侯惇は気にしなかっただろうし、今のような関係になっていたはずだ。夏侯惇にとって、誰かに興味を持つというのは、その性質に惹かれるというのと同義だった。
     だから、こんな風に食い入るように誰かを見つめてしまう、目を逸らすにも逸らせない、そしてなにより――今自分のことを見たのでは、もしや目が合ったか、と心臓が跳ねるような想いというのは、まったく、生まれて初めてのことだったのだ。
     呆然とした夏侯惇の前を、曹操が悠然と横切り、壇上の人となる。
     夏侯惇はやられた、と思った。
     楽しみにしていろ、とは、こういうことだったらしい。壇上の曹操はきっと内心で、夏侯惇の間抜け面を見て笑っているのだろう。どうだ、驚いただろう、と。
    「代表の曹操ウイングガンダムだ。まず、諸君らをブルーウイングに迎え入れられたことを心から嬉しく思う——……」
     演説が始まる。張遼はその翡翠色の双眸を、じっと曹操に向けていた。夏侯惇は、ひっそりと安堵した。視線が交わったかもしれぬ、気取られたかもしれぬと警戒することなく、またその面立ちを見つめられると——まったく信じられない事柄を、安堵し、感謝までしたのである。
     ああ、違う。きっとこれは警戒心だ。そのはずだ。つい先日命の奪い合いまでした相手——まして左目を潰した相手がそこにいるのに、目を離せるはずもないだろう。
     だが、どうだろうか。どくどくと胸の中で心臓が跳ね回る。夏侯惇の推察どおりの緊張だろうか、あるいはそれに伴う恐怖なのだろうか。否、やはり、他の何かがそうさせていた。それがなにかはまったくわからないが、不快な気持ちはしなかった。
     曹操の話はいつも簡潔だが、それでも熱がこもってくればそれなりに長くなる。今日の演説もわりと長い部類、だったはずだ。だが、夏侯惇はほとんど時間の感覚を失ってしまっていて、多忙なCEOが退室するのを見送って、はじめて話が終わったことに気がついた。
    「じゃあねえ、これからあ、社内を案内するからぁ——…」
     まだ緊張の抜けぬ部屋に、間延びした社員の声が響く。入社式はおしまいだ。
     呆然としたままの夏侯惇と、唖然とした様子の夏侯淵の前を新入社員たちが退場していく。実に規律正しく。彼らの足音がすっかり遠ざかった頃、他の幹部たちもばらばらと部屋を出ていく。通常の業務に戻るのだ。
     つまり、残されたのは棒立ちの二人だけだ。
     しばらくの沈黙の後、ぱっと夏侯淵は夏侯惇に向き直った。
    「……な、なあ惇!
     いたよな!?あれ、張遼だったよな!?」
    「だったな……」
     いつもどおりの夏侯淵の声に、なんだか少しホッとした。とはいえ、夏侯惇は自分の口から出た声があまりに腑抜けていたので、自分でも自分が信じられなかった。それに、一瞬は思考が現実に引き戻されたものの、また堂々巡りの妄想へと連れ戻されそうになる。
     だが、この感情的な弟は、まだ兄の異変には気づいていないらしい。夏侯淵はジタバタと大げさに手足を動かしながら、自分の動揺を整理しようとするようにまくしたてる。
    「なんであいつがいるんだ!?俺達、面接してないよな!?でもほら曹操様も普通にしてたし、お前も普通にしてるからまさか俺だけが知らないのかと思ったけど……違うよな!?仲間外れとかじゃねえよなあ!?」
    「あー、違う、違う……俺も、初めて知った……」
    「そうか、ならいいんだけどよ……いやっよくねえ!あいつと一緒に働くとか想像できねえし……だって呂布の仲間だぞ!?何しでかすかわかったもんじゃねえし、いや、強いのはわかってるけどよ……でもそれだけじゃだめだろ!」
    「あーまあ……だな……」
     わあわあと騒いでいた夏侯淵も、流石に夏侯惇の相槌があまりにも適当なことに気づいたらしい。怪訝な顔で兄の隻眼を覗き込んだ。
    「どうしたんだよ惇、なんかぼーっとしてねえか……?」
    「んなこたねえよ……」
    「いやっどう見たってしてるだろうよ!何考えてんだ、教えろよぉ」
     本当に、夏侯惇はぼうっとしていた。ぼうっとしていたので、普段ならばもっとうまく誤魔化すだろうに、本当に考えていたことを、そのままに口にしていた。
    「いや……ただ、あいつ……なんか思ったよりきれーな顔してたなって……ほら、もっとおっかない顔してるもんかと思ってたからよ……」
     言ってから、自分がなにか変なことを口走ったな、と思ってからはもう遅い。
     夏侯淵は信じられないものを見るような目で夏侯惇のことを見ていた。絶句、というべきか。夏侯淵は震える指先でまだどこか夢見心地の兄のことを指さした。
    「おいおい……つまり……まさか……一目惚れしたってことかよ……!」
     あまりにもとんでもない発想である。これには夏侯惇も目が覚めたような気分で、ばっと人差し指を振り払った。
    「はあ!?ねえよ、どういう飛躍だぁ?!」
    「えっ、違うのか」
    「違ぇよ!!」
     喧嘩でもしているのではないかという勢いで、ぎゃあぎゃあと騒いでいる声がする部屋になど、わざわざ立ち入るものは多くない。けれど、いるには、いる。
     例えばその声の主と親しくて、かつ、用事があるのであれば。
    「楽しそうだな」
     曹操の声だった。
     彼ならば従兄弟たちが何をしていようと声をかけるのに躊躇するはずもない。戸口の方を見ていた夏侯惇がすでに目を丸くしていることになど気づかず、夏侯淵はぱっと振り返った。
    「あっ、曹操様!なんか張遼が入社式にいっ……ぃい?!」
     曹操は一人ではなかった。その後ろにもう一人、伴っている。
     それがまさに、今話題になっていた張遼サザビーであることは明白で、夏侯淵は驚愕にたたらを踏み、夏侯惇は——またも彼にすっかり目を奪われて、心臓の跳ねる音がうるさいことにばかり気を取られていた。
     曹操はそれを知ってか知らずか、悠然と張遼を隣へと招いた。
    「お前たちには言っていなかったが、今日から張遼にはブルーウイングの社員として共に働いてもらう。
     異論はないな」
     いつもの夏侯惇なら、順番がめちゃくちゃだろう、驚かせようとして、まったく困ったやつだ、と曹操の肩を小突いたはずだ。だが、身じろぎ一つとれなかった。夏侯淵の方も似たような有り様だったが、はっと我に返ったらしく、忙しなく三者を見て、最終的に夏侯惇の肩を掴んだ。
    「い、異論は、その……いいのかよ、惇!」
    「いや、俺は……」
    「だ、だいたいお前!惇の目を潰しておいてよくのうのうとその面見せられたな!
     お前のせいでなぁ……!」
    「おい、淵……」
     勢い込んで、夏侯淵は張遼を指差す。ぐす、と嗚咽すら漏らす弟の様子に、左目が僅かに疼く気がした。張遼はそれまで、無言だった。ただ静かに場を見極めようとしていたのだろう。
     そのうえで、一歩前に出た。
    「戦いの中のことだ、謝罪をするのは私の流儀ではない」
    「んだとぉ!?」
     冴え冴えとした、声だった。
     夏侯惇は言葉に詰まった。喧嘩腰になる夏侯淵を制止することすらできず、その声を聞いていた。初めて聞く声ではないのに、初めて聞いたような気がしたのは、そこに僅かな敵意もなかったからだろうか。微かな殺気でもあったならば、夏侯惇はこんなにも頭が痺れたような感覚を覚えなかったのだろうか。
     張遼は、ごく自然に拱手を組んだ。
    「だが……詫びるのがここの流儀であるならば、それに倣おう。
     ……すまなかった。取り返しのつかないことをした」
     心からの謝罪なのだろうことは、すぐにわかった。
     声音は静かだったが、自らの非を認め、罰を受け入れる、そういった態度であった。
     これには夏侯淵も鼻白んでしまい、たたらを踏んだ。張遼はしかし、許しを得るまで礼を解くつもりはないらしい。まったくやりづらいことだと夏侯淵はがりがりと後頭部をかいて、二人の間に入った。
    「やめろ、ここの流儀でもねぇよ。
     これは俺が未熟だったせいで負った傷だ。お前にやられなくてもいずれどっかで失くしてただろうさ」
    「……そうか」
     張遼が顔を上げた。
     その目元はわずかに緩んでいて、ほっとしたような様子であった。夏侯惇は思わず息を呑んだ。人間らしい表情だった。心臓がどくんと跳ねた。裏返っただか、ねじれだかしてしまったのではないか、きゅうと苦しくて、息まで詰まった。
     なんなのだ、これは。まったく——まったく、わからない。自分はどうしてしまったのだろう。
     誰かの顔を気にしたことなど今までなかった。声だってそうだ。それはまあぼそぼそと聞き取りづらいのは困るが、それだって叩き直してやればいい。だから誰がどんな声で喋ろうとどうでもいいはずだ。なのに、張遼が喋る声がなんとも耳に心地よく感じて、もっと何かを話してみて欲しくなっている。さらに言えば、彼の所作に漂う意外なまでの上品さに、夏侯惇はいちいち動揺をしていた。
     これではまるで、張遼のことを——特別に好いているようではないか。
     夏侯淵の言う通りの一目惚れをして、浮かれているようではないか。
    ——ない。
     それだけは、ない。ありえない。
     確かに目を潰されたことを恨んではいないが、つい先日差し向かって命の奪い合いをした相手を、その素顔が少し整っていて、声の耳に心地良くて、仕草がどこか美しくて——違う、そうではない。そうではない。
     そもそも自分には、曹操がいる。
     この、子供っぽくて、意地っ張りで、手間がかかって、放っておけなくて、付き従うと心に決めて、終生を捧げるべき相手がいるのに、何を。ありえない。本当に、ありえない。
     自然と、夏侯惇は縋るような眼差しを曹操へと向け、むっと顔をしかめた。
     曹操が夏侯惇を見て、微笑んでいたからだ。
     面白がってるな、と夏侯惇は思った。自分ばかりが驚かされている。あの壇上に上がったときと同じ、悠然たる様子に、くそ、やっぱりしてやられた、と内心で地団駄を踏んだ。

    ——実際には。

     曹操もまた、驚いていた。表情にはちらとも出さず、夏侯惇とは違う意味合いで。
     まさか、ああ、そうか、やはりそうなのか。
     けれどまあ、それならば、しかたない。
     ほんの少しの後悔と、それからしっかりと納得をして、ひとまずCEOとしての顔を取り繕っていただけである。

    ◆◆◆

     張遼が曹操の元を訪れたのは、今から三ヶ月ほど前——つまり、曹操が呂布を打ち破ってからすぐのことだった。
     ある日曹操が自宅でくつろいでいると、来客を告げるチャイムがなった。はて、このような夜分に誰だろうかとインターホンの画面を覗き込むと、そこにはあの真紅の影が佇んでいたのである。
    『私的にお話をしたかったので、伺いました』
     まるでセールスマンのような落ち着いた声で、画面の向こうの張遼は言った。
     無論、仰天した。だが、見たところ武器も持っておらず、敵意も感じない。曹操はやや逡巡し、気がつけば、彼を家に上げていた。
     無論、曹操は自宅がどこかを公表などしていない。こそこそと隠しているわけではないが、生家を離れて久しいし、なにかと敵が多いのも考えて、それなりに対策は打っている。
     勧められて席についた張遼が、何かを机の上においた。紙袋。それにしても重たい音だ。
    「よろしければ」
     中からは、酒瓶が出てきた。見るからに高そうだが、曹操はあいにくと酒を嗜まない。とにかく、良さがわからないのだ。そのせいでつい、複雑な想いが顔に出てしまった。
    「お嫌いでしたか」
    「いや、いただこう」
     だが、受け取ることにした。今はわからずともそのうち分かるかもしれない。これが上等な品であることだけは明確にわかったし、今後わかるようにならなければいけない、という気もしていた。
     張遼と向かい合うようにソファに腰を下ろす。
    「よく私の家がわかったな」
    「ええ、まあ。警備システムも、もう少しいい会社に変えた方が良いかと」
    「……自社サービスだ」
    「では、改善した方がいいですね」
     張遼は平然とした様子であったが、つまり、自宅に侵入するのも容易い、という意味だろう。曹操はさすがにぞくりとした。眼の前にいるのはやはり歴戦の傭兵であって、真正面からやりあうべき相手ではない、と改めて思ったのだ。曹操の警戒心を感じ取ったらしい、張遼は小さく首を振った。
    「安心してください、私はあなたと戦うつもりはありません。
     そうではなく……伺いたいのです。あなたの理想が、なんなのかを」
     これには、曹操は目を丸くした。
     まさか、張遼の口からそんな言葉が出てくるとは思っていなかったのだ。
     曹操は張遼の目的を、用心棒としての営業活動に来たものだと踏んでいた。最強の用心棒、呂布シナンジュの相棒にして頭脳、その脅威を身で以て知ったならば価値はわかるだろうと、そう売り込みに来たのであれば、ブルーウイングにではなく、曹操の自宅に押しかけてくる理由もわかる。
     だが、理想、ときた。
     曹操は咄嗟に言葉を返せなかった。
    「私の理想……?」
    「あるのでしょう。ないのですか?」
    「いいや、ある。あるが……なぜお前が、それを知りたいのかと思ってな」
     困惑する曹操をまったく不思議そうに見ていた張遼は、小さく首をひねった。言葉を選んでいるようだった。
    「あれから、考えました。……夏侯惇トールギスIIIでしたね。彼にあのとき、負けてから」
    「……それも調べたのか?」
    「はい、失礼ながら」
    「どこまで調べた?」
    「一通りは。
     ……ああ、報復など最初から考えていません。安心してください。ただ私は……むしろ、そうですね……感心した、と、いうんでしょうか……」
     それまで、張遼の言葉は淡々として、一定の調子を保っていた。
     涼やかな声も相まってあらかじめ台本を用意しているのではないかとすら思えたが、ふと、その調子が乱れる。まるで、自分でもまだわかっていないのだとばかりに、声が揺れた。
     小さく、張遼が首を振った。
    「ただ……彼があれほどの力を見せた理由が、あなたの理想にあるのならば、私も知りたいんです。
     そんなにもあなたが目指す先は、特別な景色なのか、と」
     曹操は納得するとともに、夏侯惇を誇った。
     やはり、わが従兄は好い男だとも思った。
     つまりは、張遼は夏侯惇と戦う中で、彼に影響を受けたということだろう。戦いの中で何があったか、夏侯惇は語らない。ということは、きっとスマートな勝ち方ではなかったはずだ。だが、それがこの歴戦の用心棒の心を動かしていたのだ。
     曹操はソファに座り直した。
    「この社会をどう思う」
     そして、興味を持った。
     この謎多き男が、どのような考えを持っているかを。
    「企業同士が戦争を繰り返し、トリニティを浪費していくだけではなく、貧富の差が広がるばかりの社会を」
    「私はそれをいいことにカネを稼いでいた側ですからね。私が言えることはなにもありません」
    「それでも、どう思う。張遼、お前の考えを聞きたい」
    「……ろくなものではありません。正道にいられればいいでしょうが、一度道から外れたら子供のうちから力あるものにおもねる生き方を覚えるしかなく、運良く這い上がれてもまともな社会には戻れない」
     張遼は半ば吐き捨てるように言った。
     彼の言うところの、おもねるしかない側にいた過去が滲んだ、苦々しい声だった。
    「ですが、企業は権力を奪い合うのに必死で、そんな足元のことなど気にも止めない。踏み潰すだけ踏み潰して、何もなくなってから気付くのでしょうね」
    「……ああ、だから、私はそれを変えたい」
    「企業戦争をですか?」
    「いいや、社会の——世界のあり方をだ」
     曹操は、ぐ、と拳を握る。
    「ギ・エリアで特に戦争が耐えない理由は、トリニティ埋蔵量が他より多いところからきているが、資源的に恵まれているゴ・エリアではほとんど戦争が起きていない。これは、運輸ギルドのレッドタイガーの力による抑制が効いているところが大きい。ならば、ここでも同じ事ができるはずだ」
    「……支配をした後に、どうされるつもりで?」
     争いを争いで抑え込み、力で支配する。それでしか叶わないものを目指している。だが、一見ただの私利私欲でしかない行為の、その先を疑うような張遼の目を、しかしまっすぐに見つめ返し、毅然と答えた。
    「すべての人が、平等に、幸福を享受して生きられる社会だ。
     私は、そのためだけに戦っていく。この考えを曲げるつもりはない。
     夏侯惇も、夏侯淵も、その考えに同調してついてきてくれている同志だ。もしお前が夏侯惇の姿に何かを感じたなら——……それは、私の理想の、その先の景色が見えたのかもしれないな」
     曹操の心はもはや決まっていた。
     掲げた理想に、この男は必要だと、もはや断じていた。
     立ち上がり、張遼を見下ろす。
     張遼もまた、決断したのだろう。
     ソファから腰を上げ、その場に膝をつき、礼を取った。
    「張遼、私とともに来い」
    「……曹操様が望んでくださるならば、私は喜んで従いましょう」

    ◆◆◆

     曹操は実に簡易に、従兄弟たちへと張遼が入社することになったあらましを語った——突然家に現れた、というくだりを削らなかったために、ふたりとも目を丸くし、なんならば夏侯淵は張遼を威嚇までしていたが。
    「それにしちゃ、随分入ってくるまで時間かかったな」
    「私はすぐにでも入社してほしかったのだがな」
    「おまたせしてしまい申し訳ありません」
    「いや、いい。おかげで入社式にあわせられた」
     色々と準備をしていた、という。
     その色々と、に含まれる重みは、なかなかのものだ。街の荒くれ者を下部組織で雇うだけでも、膿を出し切るのにはかなりの手間や時間がかかる。張遼ほどの暴力の世界に生きてきた男が、全うな会社で働くにあたってやるべきことというのは、途方もなく多そうだと思えた。そして同時に、あまり掘り下げて聞くべきことでない、とも。
     まだどこか不満げな夏侯淵が、小さく舌打ちした。
    「チッ……てことはお前も今日から社員ってことかよ」
    「そうなるな」
    「……ってことは俺の後輩だな!」
    「は?」
    「俺はなにせブルーウイング立ち上げからの社員だからな、遠慮なく夏侯淵先輩って呼んでいいぜ!」
    「断る」
    「なんだとぉ!?」
    「自分より弱い相手を敬う趣味はない」
    「よわっ……んだとぉ!?
     戦ってもねえのになんで分かるんだよ!」
    「戦わなければわからない時点で弱いという話だ」
    「わけわかんねぇこと言いやがってぇー……!
     こい!叩きのめしてやる!俺の実力を見せてやるぜ!」
     ずかずかと歩き出す夏侯淵の背中と、曹操の顔とを張遼が見比べる。曹操が小さく頷くと、張遼は踵を返し、白い背中を足早に追いかけた。
     夏侯惇は静かに額を抑えた。張遼が力加減ができる方なのかはわからないが、こてんぱんにされた夏侯淵を回収する仕事が増えたからだ。
     おいおい、と小さくぼやいて歩き出そうとする夏侯惇を、それとなく曹操が制した。二人の気配が存分に遠のいて、廊下がしん、と静まるまで、二人はその場に佇んでいた。
    「夏侯惇」
     そしてようやく、曹操が口を開いた。
     それは、まるで二人きりで私室にいるときのような、少し甘えた響きで、夏侯惇は思わず微笑んだ。
    「どうしたんだ?」
    「……お前は、私が好きか?」
     これには夏侯惇はすっかり虚を突かれ、数度瞬きをした。なぜそんなことを、とばかりに首をひねり、しかし、曹操の頭を数回、ぽんぽんと叩いた。
    「当然だろ、何言ってんだよ」
    「当然、か」
     子供をあしらうような手つきに、しかし、曹操は微笑む。
     そうだな、と頷き、目を閉じた。
     そうだ、確かに当たり前だった。
     この当たり前に、つい甘えすぎた。
     ほろ苦い後悔が、少しだけ膨らんだ。
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