おくすり攻防「お疲れ様、〈夢主〉」
背後から声をかけられ、ゆっくり振り返ると赤い体の背の高い男がマグカップを2つ持っていた。何だバンバンかと、ほっと息をつく。
「頑張るのは良いけど、それで体壊さないでくれよ。昨日もずっとパソコンばかりと向き合っていたのだろう? たまには……」
「わかってるって、適度に休憩はしてるから」
本当かなと苦笑いをうかべるバンバンは、持っていたマグカップの内1つを〈夢主〉に渡した。中身は湯気が上がっていて温かい。
「コーヒー……じゃない?」
「ココアにしておいたよ、君が眠れなくなったら困るからさ」
「お気遣いどうも、ちゃんと時間来たら寝るから心配しないで。……あと、ココアありがとう」
彼女がココアを飲み干したのを見届けた彼は静かにほくそ笑む。彼が渡したのはただのココアではない、催淫剤……いわゆる媚薬と呼ばれるものを混ぜて彼女に飲ませていた。
効果の現れる時間はしっかりと脳に刻まれているので、部屋の壁に掛かった時計で計りながら〈夢主〉の背中を見つめていた。
――20分後、彼女からは一切変化は見られない。遅くても5分程度で息が上がったり何かしら反応はあるはず……しかし何も無いので首を傾げている。
(間違いなく入れたはずなんだけどな……)
一方の〈夢主〉、当に自分の体の変化には気付いている。そして原因も察して、バンバンがわざと入れたのだろうと確信している。
(まさかこのタイミングで盛ってくるとはね……)
薬を盛って来た事に関しても今は言うつもりは無くパソコンに向かって作業を続けている。なぜなら、もうすぐ長かった仕事の目処がつくから。
長時間の作業がやっと終わらせることができる、それなら今はバンバンに問い質すのは時間の無駄だ。それとうっかり媚薬の効果が出ていると知られては付け込まれてしまい……間違いなく仕事の手が止まってしまう事だろう。それだけは避けたく、〈夢主〉は熱の籠った息をぐっと堪えて作業している。
そんな事を知らないバンバンは、効果が表れない原因についてずっと考えを巡らせていたがついに痺れを切らして彼女に近付いた。
「ん? な、何?」
「……ただの健康チェックさ。そのまま作業は続けていて」
「集中しづらいから今はやめて欲しいんだけど」
首元にバンバンの大きな手のひらを添え、指先で触れるが〈夢主〉に大きな反応は無い。平然と作業を続けているがもちろん我慢しているだけだ。
体はいつもよりほんのり温かい……それならばと脈を測り始める。心拍数を数えずとも脈は明らかに早い。間違いなく薬は効いている。
「なぜだ……?」
「何が?」
「いや、何でもないよ」
お互い目線も合わせない、いつもと変わりない……バンバンはハッとして彼女の手を掴み、キーボードを操作した。
「えっ……!? な、何なに!? なんで勝手に保存して……」
「〈夢主〉……君は、働きすぎだ」
「はぁ……?」
〈夢主〉を抱えて仮眠室へ連れていき、ベッドの上に寝かせる。バンバンも隣に寝転び、眠らせるため逃げないように抱きしめている。
「……何してんの?」
「さっき脈測ってたんだけど、かなり速度が速い上に君の体温が高い……連日の仕事で疲れて熱が上がり始めているのかもしれない。今のうちにしっかり疲れを取ってくれ、僕も協力するからさ」
「そ、それはありがたいんだけど……」
(媚薬盛られた状態だと、眠れる気がしないんですけど)
そんな事を言えるはずもなく、〈夢主〉はどうすれば彼を説得できるか脳をフル回転させる。あともう少しで終わる、と言ってもあともう少しなら休んでからでも大丈夫だろうと言われるだろう。いっそストレートに一緒に寝たくないと言ってしまうか、いやそれだと彼は酷く落ち込むかもしれない……。
「まだ仕事の事を考えているみたいだね……本当に君は仕事脳だな」
「うわっ、ちょっと……!」
「追い込み過ぎて壊れてしまわないか不安だよ僕は……〈夢主〉、君が眠るまでずっとこうしているから」
バンバンの胸に抱き寄せられ〈夢主〉の目の前は真っ暗に。自分の状態の恥ずかしさと、媚薬効果が出た状態で背中を一定のリズムで優しく叩かれて顔に熱は帯び、鼓動はどんどんうるさくなっていく。
「も……もういいから! 子供じゃないんだから一人で寝れるよ」
「おっ……と。随分乱暴だな〈夢主〉……、〈夢主〉?」
思いっきり突き飛ばすが、少しお互いの距離が空いた程度でバンバンの腕の中からは逃れられなかった〈夢主〉。しかし表情が見えるようになり、彼女の表情から変化を読み解いたようだ。
「……ごめん〈夢主〉。たった今、寝かせられない理由ができてしまった」
「最初からそのつもりだった癖に!」
墓穴を掘った事に気付いた彼女に、バンバンはにっこりと悪い笑みを贈った。
【終】