【天陸】君に会いたくて 風邪をひいた原因なんていくつもある。
例えば、肌寒くなってきたのにも関わらず外の仕事で終わったあとも映像チェックの時もテンションが上がってずっと半袖だったり、マネージャーが忙しくて迎えに来れないからと言われ一人で歩いた寮への帰り道。今日は夕方雨が降るからと一織に傘を持っていけと口煩く言われたのにも関わらず寮を出る頃には一織の言葉も頭に無くて、結局びしょ濡れのまま帰った。
寮に帰って直ぐに入らせてもらったお風呂で十分に温まった。夜発作も起きなかったから大丈夫だと、そう思っていた。
しかし朝起きてから妙な気だるさを感じた。
もしかして…と不安になりながら手元に体温計を手繰り寄せ測ると僅かながらにいつもより体温が高かった。普段なら一織にぶつぶつ小言を言われ他のメンバーが心配してくれる。しかし今現在この寮には陸陸以外誰もいない。みんなそれぞれ仕事や学校で出払っている。いつもなら起きてなかったら起こしに来るはずの朝ごはんの合図も無かったということは皆が疲れて寝ている陸に遠慮をした証。
「…ゲホッ…喉痛い…」
それでも陸には今日、どうしても行かなければならない所があった。
「…起きなきゃ」
準備をしなくては、間に合わなくなる。時間に厳しいから、きっと少し早めに着いているはずだ。遅刻なんて以ての外。
陸はだるい身体を何とか引きずり出掛ける準備をする。
今日は、久しぶりに兄と出かける日だった。
時刻は丁度お昼に差し掛かる頃だった。
陸は駅を出て天との待ち合わせ場所まで走っていた。
結局朝ごはんに殆ど手をつけられなかった分いつもより早めに出れたはずなのに、乗った電車で眠ってしまい気づいたら降りなければ行けない駅をゆうに超えていた。
陸はすぐさま降り反対方向の電車に乗った。早く出た分待ち合わせの駅に着くのは時間ギリギリ。それでも走れば何とか間に合う時間。陸は天に連絡を入れないまま電車に揺られていた。
そうして待ち合わせの時間、遅刻まで残り数十秒という所。陸は待ち合わせ場所にいる天の姿を捉えた。
天は帽子にマスクをしながらスマホをずっと眺めている。多分陸が来ないのを心配しているのだろう。もう心配要らないよと大声で自分がいることを伝えたくても仮にも二人はアイドルで、双子だと言うことは公にしていない。ここで名前を叫んではどちらにも不利になる。最悪もうこうして会うことすらままならないかもしれない。陸は急いで天の元へ向かった。
「てっ、天にぃっ…!お待たせっ!」
バタバタと大きい足音を立てる陸に気づいた天が陸のいる方へ顔をむける。
「…陸、全然待ってないけど、汗凄いよ?」
天は自身の手で陸の額に手をあてようとする。汗を拭おうとしているのだろう。しかし熱がある事がバレたくない陸は天の手を避けるように二三歩後ろに下がる。
「…陸?」
「だっ、大丈夫大丈夫っ!ちょっと走ってきただけだからっ!」
そう言って陸は腕で強引に自分の額の汗を拭う。思ったより汗が出ていたのか、陸の右腕は汗でびしょびしょだった。
荒い呼吸にマスクを外そうと思って天に風邪を移してはいけないとなかなか外せない。陸は必死に荒い呼吸を隠す。
天は先程から怪しそうに陸を見る。まるで何かを見極めているように。陸は天にバレないようにと必死に誤魔化した。すると観念したのか天の視線は穏やかなものになる。多分、まだバレていない。普段ならすぐ陸の不調に気づく天が何も言ってこなかった。これは普段の仕事で鍛えた演技力のおかげか。陸だっていつまでも天に頼ってばかりの子供では無い。
「そ、なら行こうか」
そう言って天は陸に手を差し伸べる。陸は最初その手を取ろうか悩む。それでも天に会うのが楽しみだったという気持ちには抗えず、陸はいつも以上に体温が上がって温かい手で天の手を掴んだ。
お昼時だということで天と陸が向かったのは大通りを一本脇道にそれたところでこじんまりと営まれているカフェ。個人経営で店長は四十代後半の男性。奥さんと息子さんと家族で切り盛りしているカフェ。ランチメニューもやっておりリーズナブルな値段が若い人たちに人気だという。天も以前足を運んで店内の温かさと出された食事の味に惚れ込んだらしい。今の時間だとどこのレストランもウェイトがかかっているがここのカフェは立地が立地だからか込み合っている様子は殆どない。大勢の客を一度に呼び込むことよりも固定の客やリピーターが多いらしい。天もめでたくそのカフェのリピーターとなりもう何度も足を運んでいる。
カランと子気味良いベルの音と共に天が店の扉を開ける。レトロな雰囲気の店内は天が好むのも納得のオシャレな内装だった。
天はもう顔馴染みとなった店長に挨拶をする。
「…やぁ天くんよく来たね」
「店長、先日ぶりです」
天は店内に入るなり変装用にしていた帽子とマスクを取る。いくら店に入ったとはいえ客が全く居ないわけではない。ファンの人が居るかもしれないのにそんなに堂々と変装を解いてもいいのかと陸が慌て出す。するとそれを見た天がクスリと笑い出す。
「大丈夫だよ、陸。ここのお店の人にはもうバレてるから」
そう言うと陸はキョロキョロと周りと見る。数人の客は天と陸の姿を捉えながらもどこか落ち着いている。陸は最初自分のアイドルとしての認知度が低いのかと勘違いした。しかしそれを悟った天が言葉を続ける。
「もう僕は何度もこの店に来たから店長初めある程度のお客さんには顔がバレてる。皆騒いだりしないし理解ある人だから大丈夫」
「へ、へぇ…」
陸は天の言葉をきちんと理解出来ず頭の上にはてなマークを浮かべる。すると入口にほど近いテーブル席に座っていた女性客二人が口を開いた。
「九条くんも陸くんもこの間の音楽番組見たよー!かっこよかった!」
「陸くんこの間のIDOLiSH7の新曲買ったよー!」
そう言って陸たちの方に手を振ってくれる女性客に陸はぱぁっと満面の笑みを浮かべる。
「あ、ありがとうございますっ!」
嬉しさに頬を緩ませている最中、天は店長と話をしていた。
「珍しいね、天くんが連れと一緒に来るなんて」
「普段なら絶対連れてきませんけどね。今日は特別です。一番奥の席、いいですか?」
「あぁ、もうそこは半分天くんの特等席みたいな感じだからね。どうぞ」
顎に生やした髭が妙に似合う店長はニコリと笑いながら二人を店の奥の席へと案内した。
席に座り渡されたメニューをそれぞれに見る。案内されたソファ席で陸がソファの背にもたれ掛かり体調の悪さを何とかやり過ごす。
天は陸に構わずメニューを見るのに必死だ。陸もゆっくりとメニューの中を確認する。
どのメニューも写真付きで載っておりどれも美味しそうだ。体調の悪い陸でもついつい食べたいと思ってしまうメニューを真剣に見る。実際朝は食べてないし駅から数分の距離を歩いてきたせいで多少はお腹が減っている。陸は軽めのサンドイッチを頼むことにした。
「陸にしては珍しいチョイスだね。てっきりハンバーグとか注文するのかと」
店長に注文し終えた天がメニューから目を離す。天の言葉に陸が不調を誤魔化すように声を出した。
「おっ、俺だってそういう気分の時もあるのっ!」
そう言って陸は手元のお冷を勢い良く飲み干す。思っていた以上に身体は水分を欲していたらしく、コップの中身は一度でなくなった。
「そう、まぁいいけど」
天も陸と同じようにお冷のコップに手をかける。しかし陸とは違ってチビチビと飲み進める。
食事が来る間も他愛もない話で盛り上がった。最近の仕事の話や今度の仕事の話。また共演したいねという話はもう数え切れないほどした。陸のその言葉に天もそうだねと優しく微笑みかけた。陸の不調に天はまだ気づいていない。
話しているうちに店長が運んできたサンドイッチ。美味しそうな匂いに少しばかり食欲が増す。ごゆっくりと声をかけ店長は厨房の方に捌けて行く。二人は仲良く手を合わせ「いただきます」と幼いいつかのように声を揃えた。
食事を取り始めてからまだそんなに時間は経っていない。しかし陸の手は次第に遅くなっていく。口に運ぶ量も段々と少なくなっていくのを天は見逃さなかった。
「…陸、殆ど進んでないけど…美味しくなかった?」
普段陸よりも少食の天ですら陸よりも随分食べ進めている。天の頼んだカルボナーラはあと数口で無くなるほど。しかし陸はサンドイッチの一切れも食べきれずにいた。
「…うっううんっ!美味しいよっ!美味しいんだけど俺今日遅めに朝ごはん食べたからもうお腹いっぱいで…」
次第に声が小さくなっていく陸の声に天はまだ手がつけられていないサンドイッチを手に取り無言で食べていく。
「ん、美味しい。僕も今度サンドイッチにしようかな」
余程美味しかったのかパクパクと食べ進める天に陸も負けじと残りのサンドイッチを口に入れる。
「陸、付いてる」
天は陸の口の橋に付いているソースを人差し指で拭いそのまま自身の舌でペロリと舐める。双子で同じ血が通っていて歳も同じなのに様になる仕草に陸はつい見とれる。
「か、カッコイイ…」
「ありがとう」
陸に向かい微笑む天は今だけは陸だけのアイドルだ。陸は自分のライバルであり尊敬する先輩であり大好きな兄との時間を持てる体力を使って堪能した。
結局天に一切れ食べてもらう形で無事食べ終わったあと、次はどこへ向かうのかと問う陸に天は「行きたい場所がある」と言って手早く会計を済ませ店を後にする。陸に財布を出す隙を一ミリも与えずに。
天に手を引かれるまま向かったのは合流した駅。電車を乗り継いで向かうところなのかと疑問に思いながら電車に乗り込む。少し人が多く座れないと二人は入口付近の吊り革に掴まる。息が詰まる思いに陸はマスクを鼻の上までしっかりと覆い深く息を吸い込んだ。
降りた駅は天の自宅がある最寄り駅。陸が不思議にもいながらも改札を抜け天の後をついて行く。視界の先にはもう見慣れてしまった天の自宅。おかしいなと思った時にはもう陸は天の自宅に上がり込んでいた。
「ジャケット脱いだら貸して。ハンガーにかけるから」
「う、うん…」
陸は徐ろに上に着ていたジャケットを脱ぎ天に渡す。その後もどうしようと悩んでいると天が台所へと手招きする。
「ほら、手を洗って。うがいして」
まるで幼いころ二人で出かけた後母親が二人に口煩く言ったように天も言葉を放つ。
二人で仲良く手を洗いうがいをする。少しだけ喉元がスッキリしたような気分に陸はほっとした。
そんな陸の手を強引に引き次に天が向かったのは寝室。どうして寝室に、と冷や汗を垂らす陸に前を歩いていた天が振り返った。
「陸、熱あるでしょ。無理しないで寝て」
天は陸の両頬に手を置き、額を自身の額とくっつける。天の冷たい掌と額が陸の体温によって奪われる。
「いっ、いつから…」
もうバレてしまった以上嘘をつくだけ無駄だと判断した陸が恐る恐る天に尋ねる。
「…最初から。陸どこかおかしかったから」
やはり兄に誤魔化すのは難しかったようだ。まさか気づかれていないと思っていたが最初から気づかれていたとは。陸の決死の演技力も無駄だった。
「…とりあえず、横になって。必要なもの揃えるから」
そう言って天は陸をベッドに寝かせ寝室を出て行こうとする。陸に背を向けた天の裾を少し強引に陸が掴んだ。
「…やだ…」
「陸?」
陸の声に天が振り返る。振り返った先、陸は瞳に涙を溜めていた。
「…嫌だ、行かないで…天にぃ…ここに、居て…」
必死に涙が零れないように堪えているのか陸の声は酷く弱々しい。天は床に膝を付き、陸の頭に手を乗せる。
「…大丈夫だよ、ずっとここに居るから」
「…ほんと?」
「…本当。陸が次に起きるまで、ちゃんといるから」
そう言って陸の頭を撫でると陸は必死に堪えていた涙を枕元へと零し微笑む。
「…ぜったい…だ、よ…」
最後の言葉は天の耳元に届かないまま陸は静かに目を閉じた。まだかなり熱い陸の額に手を当てる。
「…僕のためにずっと隠してたんだよね。ありがとう陸」
天にとって今日は久しぶりのオフだった。ここの所仕事が忙しく、なかなか現場が一緒にならない陸とはすれ違う毎日だった。
そんな中、ようやくもぎ取ったオフ。陸も仕事を調節してやっと二人で過ごすオフの日を陸はもちろん、天も楽しみにしていたのだ。
だからこそ、陸はせっかく天と会える日にドタキャンなんてゴメンだと重い身体を引きづって天の元へ会いに来た。幾ら大きくなったとはいえまだ不安が絶えない陸に、天も今日だけと甘えた。
「…こんな事なら、最初からお家デートにしておけば良かったかな…」
天はポケットに忍ばせていたスマホを取り素早く画面をタップしていく。
送信先はIDOLiSH7のメンバー全員。
『君たちのところのセンターは僕が預かっている。返して欲しくば明日の陸のスケジュールを教えて』
寝ている陸の写真付きで送信したら、今度は姉鷺に連絡をする。明日の自分のスケジュールを調整する為に。
少しでも、この時間が続くようにと。