🍧 七夕を終えて約一月が経ち、夏本番を迎えて暑さが増してきていた。特に今年は猛暑になると占いの結果が出たとかで、来る干ばつや飢饉の対策をと官吏達は連日大わらわであった。
しかしそんな喧騒も外朝から離れた皇太子の邸宅までは届かない。
宵が掃除を終えて私室へと戻れば、冠星はいつもと変わらず涼しい顔をして書を読んでいた。
「戻りました……今日はほんっとうに暑いですね!」
外に出たら頭のてっぺんが焦げそうでした、とつむじをさすればまだじりじりとした熱が残っていて。
「黒髪でよかったではないか、多少焦げてもわかりづらいぞ」
「全然よくないですよ!……っていうか冠星さまは暑くないんですか?」
宵など何度拭っても吹き出してくる汗と格闘し続けていると言うのに冠星は汗ひとつなく、まるで違う季節にいるようだと首をかしげる。
冠星がついに書から顔を上げじっと宵を見返すと
「暑い。仰げ」
「あっ、はい」
それだけ命じ、また書へと向き直った。
その隣に扇を片手に宵も腰かけ、書を煽らないように気を付けつつ二人の間を風が抜けるように仰ぐ。
ぬるい風でも無いよりはましとはいえ、朝から動き回った疲れと、外からけたたましく脳内にまで響くような蝉の鳴き声も相まって、だんだんと頭がぼんやりとしてくる。
流れる汗の感覚に、このまま身体がぜんぶ溶けて水たまりになってしまったらどうしよう、などという支離滅裂な空想が始まりかけたころ、不意に部屋の扉が開かれた。
「失礼します。献上品の氷菓子をお持ちしました──影……お前はまた……!」
「げっ……斉達さん!ごめんなさい~!」
慌てて立ち上がるとビシッと冠星の後ろに回り、"教えられた通りの姿勢で"扇で風を送る。
「まったく……殿下、こちら先ほど献上され、陛下から夫人と皇子達にもと」
コトリと置かれた銀の椀には本来この季節にはけして見られないであろう削られた氷がこんもりと盛られており、その上には黄金色の蜜が滴り輝いていた。
「夏なのに雪が……!なんで!?」
「そなた知らぬのか。氷菓子、削り氷だ。……来い、食べてみると良い」
思わず声を上げてしまった宵を振り返り、冠星が宵が元いた隣を指す。
「えっいいんですか!?」
「許す。斉達」
「……はっ」
何か言いたげな表情ながらも「すぐにもう一つお持ちします」と一礼して辞した斉達を見送り、宵はいそいそと冠星の隣に腰を下ろした。
「ほんとにいいんですか?」
「良いと言っている」
「それじゃあ、いただきますっ!」
銀の匙に触れると、うっすらと結露したそれもひんやりとしていて心地がいい。そのまま雪の山を削り取り、恐る恐る口へと運ぶ。
「~~~!!」
瞬間、熱い口内にひんやりとした甘味とさわやかな酸味が広がった。噛めば小さな氷の欠片たちがシャクシャクと小気味のいい音を立て、あっという間に消えてしまった。
「すっ……ごく!美味しいです冠星さま!」
向日葵のような笑顔を冠星へと向けると、再び目を輝かせながら美味しい美味しいと氷菓子を頬張る宵を眺め、知らずと冠星の頬も緩んでいた。
「……当たり前だ、本来それは高貴なお方しか口にできない貴重な物なのだ。殿下の配慮に感謝し、心して食えよ、影」
いつの間にか戻った斉達が「お待たせしました」と冠星の前に椀を置き、宵へと釘を刺す。
「冠星さまも早く食べてくださいよ、本当に美味しいですから!」
「うるさい、私に命令するな」
毎年食べているから味なら知っている、という言葉も聞こえていないのか、興奮した様子ではやくはやくと急かす宵に呆れながらも、冠星も一口運ぶ。
つられるように宵も匙一杯に氷を掬い取り頬張ると、冠星へとにかっと笑いかけた。
「美味しいですね!冠星さま」
「……そうだな」
物心ついた頃から夏になれば毎年食べていたというのに、今年のものはどこか違う気がして思わず椀の中を観察するも、夏の反射光にただキラキラと煌めくばかりで異変は見当たらなかった。
「この甘いのはなんなんだろう?雪は甘くないですよね?」
「氷は水が変化したものだ、味があるわけがないだろう」
「花の蜜と果実の汁を混ぜたものです。冬に採れた柑橘を同じく氷室で寝かせてあったようで、夏にこの酸味が良いと近頃人気なようです」
なるほどな、と頷く冠星の横で、「ひむろ?」と宵が小首をかしげた。
「丁度良い、斉達、手短に講義をしてやれ」
「そうですね──」
曰く、氷室とは山の麓に作られた洞窟のような蔵のことで、一年を通して気温が低く、冬の間に湧き水から作られた巨大な氷塊を貯蔵しておく。そうして暑い夏に取り出されて皇宮へと運び献上され、氷菓子として食べることもあれば、水へ浮かべたり部屋に並べ仰いで涼風を生むこともある──
「その氷室を保有している家は毎年夏に氷を献上する事が慣習として定められているのだ」
「献上ってことは、本当に王様とその家族しか食べれないんだ……!」
「時折臣下にも振る舞って下さることもあるが……お前のような下賎な身では目にすることもない貴重な品であることは間違いない」
改めてその価値を実感したのか、宵ははーっと息を溢し氷を見つめた。
斉達はその様子に満足したようで、「後程下げに参ります」と一礼して部屋を後にしていった。
「冠星さま、こんな美味しいものを食べさせてくれてありがとうございます。やっぱり俺、冠星さまの影になれて幸せ者です」
「なんだそれは……現金なやつめ」
「えへへ~、午後の影の特訓も頑張っちゃいますよ!」
そう言って宵は最後に溶け残った氷水まで飲み干し、笑った。
「……宵」
「どうしました?」
「やる」
未だ半分ほど残った椀を突き出せば、宵は驚きで目を見開いた。
「えぇっ!?こんなに美味しいのに、なんでですか!!?」
「……あまり食べると肺が冷えて咳が出るのだ」
「それならゆっくり食べれば……」
「それでは水になるだけだ。氷として食さねば意味がないだろう」
「それはそう、ですけど……」
それでもなお尻込みする宵の手に匙を握らせれば、そこまで言うならとようやく食べ始める。
一口毎に美味しい、冷たいとはしゃぐ宵を眺めれば、冷えた胸が温まるような気がして、冠星は目を細めた。