教会と砂時計。「……この中に、悪魔憑きが居ます。」
「…………えっ?」
明転した景色は、変わって教祖様を映し出す。なんで?私は、死んだはずじゃ……?驚いていると、聖女が言う。
「……それは…どういう、意味でしょうか。」
どこかで聞いたような台詞。いや、確かに聞いたのだ、一度。私が死ぬ前、確かに……。私の記憶の走馬灯なのか?それにしては実体を伴っている。私の記憶通りなら、このあと……。
「……そのままの意味ですよ。先程天啓が下ったのです…。」
やはり。間違いない。私が、教祖様のお言葉を忘れる訳がないのだから。
――時間が、巻き戻っている。
あるいは先程まで予知夢を見ていたか、どちらかだ。予知夢にしては些か正確すぎるが、私は一度死んだのだから、現実味がどうのなんて気にしていられない。
混乱している私に、詩人が話しかける。
「……衝撃だね。主様が言うのだから間違いはないが……まさか、キミじゃないだろうね?」
「っそんな訳が!……私は、だって……。」
「そう怒んないでよ。……ま、悪魔憑きが自白する訳もないし、ね。」
頭がおかしくなりそうだ。なにも分からない。ただ、あぁ。
私が見たものが予知夢なのであれば、あの結末を回避するまでだ。
人を疑うことは罪だ。
純なる精神で、清く素直に生きねばならない。悪魔憑きの特定は神のすることであり、教祖様の役目だ。疑ってはいけない。そうなのだ。だから、自らの身の潔白を、ひたすらに叫ぶのだった。
「私は、人間です!」
無情にも、命は落ちる。
「私は、人間です……!」
日は落ちる。
「ッ、信じて、ください……。」
汗は落ちる。
「わたし、は……。」
声は、落ちていく。
そうして、意識が宿る。
「……何回目、だ、これ……。」
生き返るにしても、夢が覚めるにしても、どちらにせよ痛みは味わっているのだ。撲殺と、刺殺と、斬殺と、撲殺と……。
六回目。初めて蘇った時から、六回目、だ。つまり、五回死んだのだ、私は。五回分の痛みを覚えている。気が狂いそうだ。
痛いのは嫌だ。嫌なんです。どうして私のような者にこんな試練を与えるのですか、神よ。もうダメかもしれない。どうにかして、この地獄を終わらせなきゃ……。
「……そうだ。」
私以外が死んでも、これは起こるのだろうか?
私が死んだ時は、必ず元に戻った、五回とも。……であれば、ここでイレギュラーを起こしたら?そうしたら、これが終わったりしないだろうか。はやく、早く終わって欲しい。
そういえば、三回目のときに村人を犠牲にした。悪魔憑きじゃないかと言われて、彼は死んだ。でも、私はここに戻っている。……他者が、犠牲でなく死んだのならば?そもそも、彼は本当に死んだのか?分からない。分からないから、やるしかないではないか。
「……私が、やらなきゃ。」
当事者なのだから、私がやらなくてはいけない。知らない悪魔が私以外を殺すのをただ待っているのは余りに滑稽だ。この地獄を終わらせるには、自分で動かないといけないんだ!
夜になった。日暮れの鐘が鳴っている。
やるんだ。普段使いしているナイフを手に取る。金色に彩られて、キラキラで切れ味がいい。教祖様から頂いたもの。綺麗で清潔で、聖なるものだから、きっと。きっとこれで切られても、痛くなんてないはずなんだ。白く光る刀身が私の顔を反射する。臆病者が映っている。ああ、似合わない、と心中で嘲笑した。
ギィ、と音を立てる扉が忌々しい。バレたらどうしよう、少し離れた教祖様のお部屋まで、この心が届いてしまったら。仕方がない、これは私の義務なんだと怯えを抑え込む。廊下を静かに歩く。月明かりが綺麗だ。
普段は空室の客間に、一部屋ずつみんなが居る。悪魔憑きが村で暴れないよう、この教会に閉じ込めているのだ。私の部屋から廊下と共用スペースを挟んだ向こう側、そこに村人が居るはずだ。
ドアノブに触れようとする手が細かく揺れる。うるさい、やるんだ。ドアノブは酷く冷たい。興奮した体を冷まそうとしているみたいに。ギィ。自室と同じくして、軋む。
「……どなたですか?」
村人が振り返る、私を見る、……その前に。清き凶器が、彼の喉を掻っ切る。聖なる鋭さが彼を責める。声を出さないで欲しい。その一心で、彼の口に手を添える。声帯を裂かれたから出るものも出ないのだが、ひたすらに不安だった。大きなその体が振れて、床に倒れる。驚いて髪を掴む。腕がダンと床を叩いて、そして。
ああ、動かなくなった。宙に浮いた頭を床に伏せて、私は蒼白した。私が殺した。ああ、ああ。なんと呆気ない。最後の抵抗の床を叩く音が誰かに聞こえてはしないだろうか。それほど大きくは無い、されど小さくもない。手が震える。血に塗れたぬるい手。赤色が、綺麗な白を穢して、握られた救いをも塗り潰す。赤い。紅い。
さあ、終われ。この悪夢よ。
この赤で、この穢れで、どうか。終止符を……!
「……この中に、悪魔憑きが居ます。」
聞き慣れた言葉。嗚呼、嗚呼……。
終わらなかった。この手を汚しても、なにも。ただ、私は人を殺す感触を覚えて、意外と楽だななんて思ってしまっただけ。
苦しくて仕方が無い。辛い。早く、早く終わって欲しい。
私が、なにをすれば赦してくださると言うのですか、主よ。なにをしたと言いましょうか。ただのちっぽけな信者如きに、なぜこのような仕打ちをなさるのですか。
考えようとも何も分からない。その筈だ。教祖様と違って、私には神の声は聞こえないのだから。そうなのならば。
私は、試行錯誤を繰り返すしかない。純粋に、ただ救いに手を伸ばすように。私の出来ることをして、この悪夢を覚まさなければならない。それが、私に与えたもうた試練なのでしょう?主様。
皆の言うことを聴きながらに作戦を立てる。何回も聴いた話だ、全てを聞かずとも相槌は打てるだろう。
私は、何をすべきか。イレギュラーを起こし、この手を穢そうが悪夢は覚めなかった。なにをすれば良いのだろう。私に出来ることで、これを解決に導くことで、そして……。
教祖様のお声が聞こえる。
「……本来であれば、避けたい手段になりますが……。」
……ああ、そうか。教祖様が言っていたではないか。
悪魔は宿主の死亡と同時に消滅する。──悪魔を、殺さなくては。
そうだ。それが使命だ。私がこの地獄から逃れるための、唯一の方法。やはり教祖様は正しい。暗闇で迷ってしまっても、教祖様が照らしてくれるのだ。……さあ、使命が分かったのだろう。なら、やらないと。
「……あれ、あなたは……。」
聖女様の最期のお言葉。その神聖さは、そのクリーム色を蹂躙する赤に掻き消されてしまった。聖女様。あなたが悪魔憑きではないこと、祈っています。……ああ、そう。違ったのですね。
「ッキミ……!」
詩人の最期の言葉。軽薄な笑みが焦りに塗り潰されたような顔。いつも三日月の形をしていた瞳は見開かれて、今は虚空を見ている。詩人。私に言葉を教え、笑いかけてくれたひと。あなたが悪魔憑きじゃないなら……誰が、残っていたことか。
心臓がバクバクと鳴る。さあ、さあ。これで最後でしょう?主よ。私、あなたの試練を乗り越えたのです。赦してください。もう、どうか……。
視界が暗くなる。知り得た感覚。嗚呼、どうして……!
明転。
「……この中に、悪魔憑きが居ます。」
聞き慣れた御声。現実に引き戻される感覚。なんで、終わらないの?全員殺したのに。もう、誰が悪魔憑きだって言うんだ。血の匂いが鼻の奥で燻っている。もう慣れた。あと、誰を殺せばいいんだ。
話を曖昧に聞き流して、気付いたら鐘が鳴っていた。殺したはずの村人が、聖女様が、詩人が、上の空な私を心配そうに見ていた。気が狂う。全ての事象が、私を笑っているみたいで。
「……私に、どうしろと……。」
思わず口から零れた。どうしろと言うのですか。指示を下されば、間違えずにやりますから。たすけて、誰か。
誰を殺しても、終わらないなんて。ただ、終わろうともがく度に私の手に罪が、血の温さが染み付いていくのです。じゃあ誰が悪魔憑きだと言うのですか。もう、もうなにも分からなくて。ああ、今はただ、休みたいな。
そう思って、いや半ば本能的に、私の足は自室に向かった。私が帰りたいと思ったから、それとも疲弊した脳みそでは日々の行動をなぞるのが限界だったから?もうどっちだって良いか、対して違わないし。そうして、辿り着く。
私の、部屋の前。いつもなら気にも留めないそこに、宵闇の中に月明かりをきらきらと浴びて、なにかが光っていた。綺麗な金色は、そこに嵌められた青い宝石は、私を魅力するには十分で。吸い込まれるように、それを手に取った。
「……鍵…?」
私の手に収まったそれは、金色の鍵だった。
ひんやり冷たくて、絶望と興奮に蝕まれた身体では希望に思えて仕方がなかった。窓に向けて翳せば月明かりをそのままに反射して、金色の胴体から白銀の光が散る。美しいと思った。それが酷く綺麗で、神々しく、怖い程に絢爛だった。
きらり。蠢く白が眩しくて、思わず目を細める。
「神のお告げだ。」
聴こえた。きっと、聴こえたのだ。鍵が言った。
これは神からの贈り物なのだ。私が挫けそうだからと、主様が手を差し伸べてくれたのだ。私が諦めぬように、私が堕ちないように。主様が、私を救おうとしてくれたのだ。
応えなければならない。私がここで絶望してしまったら、主を裏切ることになる。ああ、やらねば。私のため、主のために!
ぎゅっと鍵を握る。手に吸い付いて離れない。主からの贈り物。私の心を満たして、この悪夢の新たな光として宿る。それを上着の内ポケットに仕舞い込む。
「ふふっ、あはっ、ふふふ……ッ」
刹那、後頭部に響く激痛により、私は倒れた。
「この中に……」
教祖様のお声を受けて、再び意識が戻る。左胸に手を当てると、確かに金属の硬い感触がして安心した。私の救いは消えなかったようである。
私が、なんとかしなきゃ。
主からのご命令である。瞳が爛々と輝く。悪魔憑きを探さねば。探さねば。ギロリと周囲を見回す。教祖様以外の顔が心底怪しく見える。これが全能感と言うのだろうか。私に役割が与えられたような、主に頼られているような気分だ。
「悪魔など…許せません、早く見つけましょう……!」
怖々と皆の顔を見ると、皆が私を見ていた。
「……あー、信者くん。動揺してるんだろうけど、疑心は良くないよ。……飽くまで冷静に、ボクたちは教祖様に従うだけだ。」
詩人が困ったように言う。周りも同意するかの如く笑う。こんな事態ですから、と聖女は宥め、こんな時だからこそ教えは遵守しないと、と村人は真面目に言う。
嗚呼、そうか。皆、分かってないんだ。
理解者たる私が、秘密裏にやらないといけないんだ!そうだ、皆は分からないのだから!
「……ごめんなさい、少し、驚いてしまって……」
「…ええ、無理はありません。ご安心を、主はたった一度の失敗で見限ったり致しません。間違いを自覚し謝ることが出来れば宜しいのです。それでは、話を戻しましょう……」
教祖様はいつも通りに優しく微笑む。鍵を手に入れた時と同じ安心感がある。そう、私は教祖様をお守りするのだ。悪魔を滅することで。自身の中で、確かに決意を固めた。
その為には、この鍵の使い道を探さなければ。
主の授けた鍵なのだから、きっとこの手詰まりの状態を解決するもののはず。この鍵が本来の用途を果たし、効力を発揮する時、私は救われるはずなのだ。
どこなんだろう。自室に鍵なんてないし、施錠されているところなんて思い当たらない。色々探してみないことには何とも言えないな。努力なしで救われる訳がないのだから。
使命感。全能感。そんなようなものが確かにあって、それは確かに私を高揚させていた。次は誰を殺せば良いのだろう。あと何度死ねば、解決が出来るのだろう。何度でもいい、いつかは必ず救われるはずだから。
手始めに鐘楼でも登ってみようか。この鐘楼の鐘は、特殊な技術を使っているから鐘撞きが要らないそうだ。だからか、管理をなさる教祖様しか出入りはしない。何かあるのだろうか。教祖様しか知らない何かが……。
「あっ。」
ぎぃ、ずる。ひゅっと視界が反転する。
下がってくる床を眺め、漸く悟った。嗚呼、足を滑らせたのか。考え事をしながら階段を上がったからだ、失敗したなぁ。
じゃあ、次のループだ。
見慣れた光景。聞き慣れた言葉。
慣れた痛み。その鈍痛。何度繰り返し、何度死んだか。
「あっ。」
その一言のあと、数瞬の苦しみ。そして、繰り返し。
死に、死に、探し、死んで生き返って。
「……あなたを、犠牲にします。」
そう告げられ首を括られ、私を悪魔憑きだと言う人達に見守られながら命を落とし。そして生き返って、また探すのだ。悪魔憑きを、鍵の合う場所を。
「……いたっ。」
ナイフで腕を切ってしまった。ここ数回のループでは、随分とぼうっとすることが増えた。手首から流れる血を眺める。
痛いなぁ。手が滑ってしまったな。思ったより傷が深い。血は一向に止まらない。ボタボタと流れ、白いシャツを汚す。
痛い。いっそ死んでループすれば、この傷も治る。そう考えて、馬鹿げていると思考を戻した。腕が痛い。瞼が重いけど、瞳孔は開いているのを感じる。変な気分だ。いつからだったか?
痛い。誰か殺してくれないだろうか。死にたいなぁ。死んでしまえば、この痛みは無くなるのに。ふっと周囲を見回して、棚に仕舞われた教典に目が止まった。ぼんやりした視界が晴れる。目的を見失ってはいけない。そう、私は特別であるのだから。
「……あるじ、よ。」
譫言のように呟く。
「見ていて、きっと、わたし、やってみせますから……。」
誰も聞かない願いは部屋に溶けた。そのループでは、ふらついて棚にぶつかって、重いものに頭を打たれて終わった。