Xmasの夜に出会った悟と悠仁の話 12月24日の夜もとっぷりと暮れ切り25日を迎えた深夜未明、ようやくその日のバイトシフトを終えた悠仁は、近道のために広い公園を突っ切るよう駆けていた。
眩しい月明かりが雲間から差し込んではいたが、空を覆う雲は暗い。今夜は雪が降るかも知れないと言われていただけあって、風を切る頬はあっという間に冷たくなるほどの冷え込み。
自宅玄関へ飛び込むまでは足を止めたくないと走っていた悠仁だったが、公園の出口まであと少しという開けた遊歩道のカーブに差し掛かった時、ソレに気づいた。
公園のベンチに寝そべる男が一人。
この寒空のした丑三つ時も回った時刻のことだからギョッとしたが、たまたま自分が通りかかったもののこのまま放置すれば凍死――なんてこともあるのではないか? と近づきつつ急いていた足を緩める。
酔っ払いだろうか? 意識があるようなら軽く声をかけて通り過ぎるくらいで良いだろうか? しかし深い眠りに落ちているようならば、背負ってでも交番へ連れて行ってやった方がいいのでは? などと考えてしまうのは、悠仁がお人好しと言われる所以だ。
近づくほどに、男の姿がクリアになっていく。モコモコとしたコートを着ているように見えたそれは、いわゆるサンタのコスプレのようだ。やはりクリスマスイブのパーティーに参加した帰りに、酔いつぶれて眠り込んでしまったのだろう。
緩めた足で歩みより、悠仁は男へと手を伸ばした。
「ねえ、おにーさん、こんなところで寝てると風邪ひくよ?」
このままここで寝続けていては風邪じゃ済まないだろうが――そう言って声を掛けると、男を揺り起こそうとした悠仁の手は掴まれる。目は閉じたままのようだがすぐに覚醒しそうな雰囲気と、男のその手の暖かさから冷え切ってはいないことに取り合えず安堵する。
大学生の悠仁が「おにーさん」と声を掛けた年頃の男は、同年代か幾つか年上に見えた。
月明かりのしたでも、その明るい髪色は分かるから社会人だとしてもサラリーマンということはないだろう。赤いはずのジャケットと、縁を飾る白いフワフワはリアルかフェイクか知れないがちゃんとしたファーに見える。
少なくとも、悠仁が今夜バイト先のカラオケ店で賑やかしに着ていた量販店の廉価なコスプレとは違うようだ。防寒性も高いだろう。
「ア"~~~~クソ酔った」
月明かりでは男の顔色も分からなかったが、目を閉じたまま言った男は眉間に皺を寄せ随分と気分が悪そうだ。強い酒の匂いはしないから、元々アルコールに弱い体質なのかも知れない。
「えー? 大丈夫? ツレの人には置いてかれちゃった?」
ひと気のないその場所には、男の連れらしき人影もないようで、
「まだ……配達、途中……だから、――ウッ……」
込み上げたものを嘔吐するのかと思ったが、持ちこたえたらしい。反動のように、悠仁の手を握っていた手が強くなる。
「配達中? お兄さんもバイトだったの? 仕事中に飲んじゃダメじゃん」
ホッとしたのと呆れたのに言うと、
「飲んでねーよ、乗り物酔いだッつの」
そこで男は初めて瞼を開いた。その瞳は薄い青。その青は月明かりの下でもにじむような光を帯びて見えた。酔いのため潤んでいるせいかも知れない。本人が酒酔いではなく乗り物酔いだと言っているように、やはりアルコールの匂いはしない。
「傑のやつ、俺を置いて行きやがった!! サンタのくせに!!」
そして急に起き上がると、声を上げ――ウゥッとまた気分悪そうに口を押える。
傑というのは同行していたツレだろうか? もしかしたら不在にしているだけで、コンビニへ水でも買いに行っているのかも知れない。
「友だち……えっと、傑さん? 待つ? すぐ来てくれるかな?」
戸惑いながら尋ねる悠仁へ、
「あんなのもうダチじゃねー!! たぶん配達終わるまで戻ってこねーし」
ベンチから立ち上がりつつ言った男の身長は、悠仁が見上げるほど高かった。
「配達か~、おにーさん達もクリスマスイブに大変だね、イケメンなのに彼女さんと一緒に過ごせないとか」
見上げた彼の顔は驚くほど整っていたから、悠仁はつるりとそんなことを言っていた。いつもなら人の恋愛事情になど軽口を挟まないのに。
「るッせ! オマエもこんな時間にこんなとこに独りなんだから人こと言えねーだろ」
見下ろされ、言われ、悠仁は思わず苦笑する。
「だね、俺は2週間前に恋人にフラれたばっかだから、より悲惨よ? 今夜はオールでバイト入ってると思ってたのに、中途半端にシフト終わってますます夜の寒さが身に染みる~ッ! てやつ」
そして自嘲気味に言う悠仁に、
「2週間前って……もうプレゼントとか用意してたんじゃねーの?」
何故だか彼はこんな夜に独り身で過ごすことよりも、そちらの方に興味をもったようだ。
「え? 気になるのそこ?」
「まーな、一応」
悠仁には何が一応なのか分かり兼ねたが、説明する気はなさそうな男に首を傾げたまま、
「用意してたけど今更渡せねーし、ジャケットだけど俺が着るにはちょっとデカいんよね」
そのジャケットを買うために僅かな貯金もはたいたし、こうして年の瀬もバイトを詰め込まねば懐も寒いのだから救いもない。
「オマエの彼女そんなデカいの?」
ふと気づくように何気なく訊く男に、
「あ、恋人って男なんだ。俺ゲイだから」
悠仁も何気なく答えた。そもそも普段から自分の性志向を隠しては居なかったし、この男とはたまたまここで出会っただけの他人に過ぎないのだから気負う必要もない。
「ふ~~ん」
それでも「えっ?」と躊躇うような反応くらいされるかと思っていたが、それもなくこれまた何気ない相槌だけで流されてくれたようだった。
男はサンタジャケットのポケットからスマホを取り出すと、一旦視線を落とし、
「じゃあ、このまま俺のこと拾ってかない?」
また軽い口調で悠仁に尋ねた。この流れでそう訊くということは、つまり『そういうこと』なのだろう……と鋭い訳でもない悠仁でも察するが、
「へ? おにーさんってノンケじゃねーの?」
全く気構えもなかった悠仁は、どこか間抜けな問いを返していた。
「そこのところはあんま気にしない」
気にしないというか、気後れしないというか、
「マジか! 豪気だね!」
笑うように言いつつも――いや、普通ノンケなら気にするだろうからそうじゃないんだろう、と受け止める。メインは男女間であって、時々気分次第で男も抱くくらいのカジュアルなバイなのだろうと。しかし悠仁は元カレを女性に寝取られたばかりであって、そういう軽薄なノリには心の傷が抉られる。
「でも俺、あんまそーいうことしねえから」
今までナンパを断る時は「決まった彼氏いるから」で済んでいたのに、言葉を選ぶことになったのもまだ慣れない。
「そーいうことって?」
しかしイケメンというのは、首を傾げるで角度さえ計算しつくされたような黄金比を心得ているのだろうか? だからと食いつく気にはなれないけれど、惹きつけられるものがあるのは事実で、
「会ったばかりの人とヤるとか」
そっと拒絶するよう声を低く落とした悠仁に、
「別にヤラなくても良いけど」
しかし男は明るく答えた。つれなくされて気分を害した様子もなさそうで、見上げた男の笑みに毒気を抜かれた悠仁も、
「あ、そっか、そーだよな、別にハッテンとかじゃねーし」
軽く肩の力を抜いて笑みを浮かべた。
「ハッテンて何?」
思わずこぼれたゲイ用語を尋ねてくるあたり、コッチで遊んでいる訳でもないのだろうか? しかし『ノンケ』は通じたから曖昧なままなのか。顔は良いしスタイルも良い、当然のようにモテるだろうから出会いを探すまでもなく求められたら応える……なんてこともあるタイプなのか。
「……ヤリ目ナンパ、的な?」
それでも柔らかい言葉を選んで答えたら、
「あー……なるほど」
男はやっと理解したという様子だった。――もしかしたら普通に、偏見もこだわりもないニュートラルなタイプなだけという可能性もある。それなら悪い態度をとってしまった。
「どーせこのままここに居ても寒ィし、この辺朝まで居られるような店ないだろ?」
質の良さそうなファー付きジャケットでも寒いのだろう。さっきまで寝ていたせいかも知れないが、今にも雪が舞い落ちて来そうな公園のベンチでいつ来るとも知れない連れに待ちぼうけさせられるのはツラ過ぎる。
「おにーさんこの辺詳しいの?」
たしかにこの辺には深夜まで営業している店などコンビニ程度だし、ただでさえタッパのあるデカい男がサンタ服でコンビニに長時間滞在するのは目立ち過ぎだ。
「一応、配達地域の地図は頭ン中入ってる」
「なるほど、すげーね」
深夜にこのカッコで何の配達をしているのか知れないが、多少なら悠仁にも配達業のバイト経験がある。大抵は決まったルートか担当地域があるものだろう。
「場所あんの?」
覗き込むような角度で訊かれ、
「えっ?」
声を漏らしたのはやはりナンパされてるのでは? と錯覚したからだ。その場合の『場所』は大抵『ヤれる場所』のことを指されるのだが。
「オマエん家近く? 今夜なんて宿泊施設は発情した奴らで全部埋まってンだろ」
悠仁が走り抜けて来た公園の向こう、駅近くにはビジネスホテルが幾つかあったはずだが、たしかにイブの夜などどこもカップルで埋まっているだろう。
「発情……って!」
笑う悠仁に、
「ほんと聖夜だってのに、有難がるのはガキだけかよ」
意外なほど愁いを帯びた横顔で月を見上げるこの男はイブにあぶれた弱者男性とも思われないし、もしかしたらそこまで軽薄なタイプでもないのかも知れない。
「おにーさん、もしも本当にサンタクロースが居たら何欲しい?」
今度は悠仁が男の愁い顔を覗き込み訊くと、
「ハ? 居たらも何も……つか、その『おにーさん』ってのいい加減にやめろ『悟』でいい」
男は何故か戸惑うようにして言った。
「悟?」
告げられた名前を繰り返すと、
「呼び捨てか」
どこか尊大に言う悟に悠仁は笑みを浮かべる。
「いいじゃん、別に。俺は悠仁、虎杖悠仁」
そして名乗ると、
「ゆーじ」
こっちも繰り返され、
「そっちも呼び捨てじゃん!」
笑いながらつっこむと悟も笑うから、足元の距離は縮めていないはずなのに、どこか近づくようなくすぐったさを覚える。
どうやらこの男とは波長が合いそうだ――という久々の感触が嬉しくて、悠仁は問いに答えてもらえいままなのも忘れていた。
★ ★
冷え切った自宅マンションへ戻り、エアコンの電源を入れてから手鍋でお湯を沸かしつつ、
「何か飲むよね? あったかいの」
訊いたら、
「甘いのある? コーヒーに砂糖でもいいけど」
真後ろで訊かれた。わっ! と驚いたのは、近づく気配を感じなかったのと近すぎたから。
「近くね?」
「そう? 珍しいんだよね、俺が近づいても気づかないやつ」
何が楽しいのか笑う顔がまた近いのに、悠仁は思わず押し離す。勝手にほだされた感があったが、やはり家に上げるのはまずかっただろうか? と戸惑う。人を招くことはなかった家だから、マグカップだって自分のものと元カレが残していったものしかない。
「ココアとかならあるけど?」
これも悠仁自身は飲まないから元カレの残して行ったもので、
「いいね!」
喜ぶ悟に複雑な気分になりながら、ここは寒いから用意できるまでリビングで待っているよう背中を押し促した。
元カレと同棲していた部屋に彼以外の男が居るというのは、悠仁にとって不思議な光景だった。
彼も背の高い男だったが、それでも悟の方がもう少し高いので彼が戻ってきたような錯覚までもいかず、ただ不思議だった。
結局1年にも満たなかった同棲生活中、この部屋に上げたことのある友人もいない。
もしかしたら元カレは浮気相手を連れ込んでいたのではないだろうか? ……というのはお互いに金のない学生だからの勘ではあるけれど、その時は普段悠仁の使っていたマグカップを使わせていたのかも知れない。
「眠いのか? 悠仁」
呼ばれ、顔を上げるとやはり不思議な感覚に陥る。
明るい場所で見る彼は、白い髪に透き通るようなブルーの瞳。ブリーチだろうか? とかカラコンだろうか? なんて思っていても、尋ねはしない。
「やっぱエアコン入れても寒いな」
ちぐはぐな言葉を返し、エアコンの設定温度を上げる。
「風呂入れようか? 入ってく? ……や、湯冷めするか」
むしろ冷え切っているのは自分の方かも知れない、とホットミルクの入ったマグカップで両手を温めてはいるが、やはり今夜は底冷えした。
「一緒に入る?」
悟の声は楽し気だ。
「――からかってる?」
子どもじゃあるまいし、出会ったばかりの成人男性が一緒に風呂に入るなんて選択肢は普通はないもので、
「口説いてる♡」
どこか弾むような口調で笑った悟に手を握られた悠仁は、慌ててマグカップをテーブルの上へ置く。
「あの……さ」
「ウン?」
「ヤラないって言ったよね?」
ここまで言われればやはり鈍感でいられず、単刀直入に訊くしかない。
「言ったっけ? そんなの」
しかしあっけらかんと答えられ、力が抜ける。なんだこの人? 危険人物なのかただの軽薄で何も考えていない奴なのか分からないと戸惑いの方が大きい。
「えー……っと、『別にヤラなくても良い』ってった! 確かに言った!」
自分は誰とでもヤる男ではないと告げたはずだし、彼もそう答え悠仁の警戒心を解いたはずだ。
「ヤラなくても良いって言ったかもだけど、ヤリたくないとは言ってない」
やはり悪びれた様子もなく言う悟に、悠仁は一旦眉間にシワを寄せたが、
「え~~? ……まあ、いっか」
悟の手の温もりに指を絡めると、うなだれるほど肩を落とし力の抜けた声で言った。
「良いんだ?」
自分から言い出したくせに意外そうに言う悟の真意はますます図れないが、
「元カレのこと吹っ切れねーでいるし、これも巡り合わせでしょ」
いつの間にかココアの飲み干されていたマグカップへ、チラリと視線を向けて言う。
「星めぐり?」
興味深げに尋ねる悟を、
「そんな大層なモンじゃねーけど、慰めて……てこと♡」
絡めていた指を握り引き寄せ言うと、乞うようなキスを押し付けた。