虎杖先生と五条くん 担任を受け持つ2年クラスの五条悟の様子がおかしいって気づいたのは、6月。
最初は任務疲れからかと思っていたが、どうやらプライベートなことなのらしいと気づいたのもすぐだった。
同期は任務や医務室詰めで出払っていて、教室にひとり座る五条が頬杖をつきつつ落としたため息の切なさに――それは思春期らしき悩みなのではないかと察してしまったから。
いつもは小憎たらしいくらい生意気なヤツだけど、そんな表情を見せることもあるんだ? とらしくない仕草にこっちまで切なくなってしまったのもある。
最初から生徒のプライバシーにまで踏み込むつもりなんてなかった俺だが、声をかけたらバツの悪そうな顔をされ、オマエも色々あるよな……なんて知ったふうな口きいたら機嫌を損ねるかと思いきや、
「――るせぇよ、ばーか」
拗ねるように言われそっぽは向かれたけど、耳を赤くしてるのに気づけば年相応なガキっぽくて可愛いとさえ思った。
どうやら五条悟は失恋をしたようだ。
本人はそうハッキリとは言わなかったが、ぽつぽつと交わした会話からそれと察せられてしまう。
相手は年上で、五条のことなど相手しないどころか意識もしていないらしい。
五条はまだ16だけど、表情に少年らしさを残しはしても随分と大人びたヤツだから意外だった。
俺よりタッパあるし、スタイルも良い。
まだ鍛える余地あるなりに、バランスの良い筋肉も備わっている。
何より容姿はちょっとその辺じゃ見ないほど整っている、まごうことなきイケメン。
ちょっと生意気な言動は改めた方が良いところもあるけれど、根は悪いヤツじゃない。
育ちも良いし、何より学生ながらに最強と言って差し支えないほどの呪力と呪術。
こんな優良物件をフる人居るんだろうか? なんて思ってしまう。
相手は年上だと言ったから、向こうから立場を弁えやんわり断ってくれたのかも知れない。
歳の差次第ではあるだろうが、五条が成人するまでは清いお付き合い……なんて猶予もないのだろうか? それはさすがに五条に肩入れし過ぎ?
しかし、その人にそれこそ決まった相手……配偶者でも居たなら断られることもあるだろうし――さすがの俺もそこまで突っ込んだことは訊けなかった。
「悠仁さ」
「虎杖『先生』な、せめて悠仁『先生』」
嗜めるとチェッと舌打ちしたけれど、「悠仁先生」と復唱してからはにかむよう笑ったのに少しホッとする。やはり憂い顔は彼らしくないのだ。
「で、何言いかけたの?」
俺が促してやると、
「先生、俺がフラれたと思ってる?」
真っ直ぐに寄越した視線で言われ、俺の口から「うぐっ!」って変な声が漏れた。直球すぎる。
「違うの?」
訊いたら、
「まあ……そんなとこ、だけど。今のとこは」
五条は曖昧というか分かりにくい反応を返して、ニヤニヤしてる。
「なんだよ、そんな落ち込んでない?」
だから俺が訊いたら、
「落ち込んでるよ、慰めて」
甘ったれたことを言うから、とりあえずよすよすと頭を撫でておいた。
「虎杖先生、悟に何か言いました?」
次の日顔を合わせた夏油に訊かれ、俺は首を傾げたけど……昨日のことだと思い出し、しかし本人の許可もなく口外するのもどうかと思い言い渋る。
「五条、どうかした?」
言わずとも何か変化があったのだろうか? と質問で返してみたら、
「なんだか浮かれていて、気味が悪くて」
夏油の眉間に皺が刻まれたのに、思わず笑った。
コイツが五条の奔放さにペースを乱されるのは割といつものことだけど、それを俺のとこまで持ってきてどうこう言うのは珍しい。
「落ち込んでるよか良いだろ」
夏油なら何か察しているのではないかと思い返した言葉に、
「はあ」
今度は俺に呆れるような声を返した。
「面倒くさいことになったら、先生が責任とってくださいね」
夏油は俺に投げ出すよう言って任務に行ってしまったけれど、結局具体的に五条がどう浮かれてるのかは分からなくて困惑した。
その日の夕方も、教室前の廊下で五条を見つけた。
窓枠に肘ついて、どこか物憂げな横顔が外を見ている。
まだ日が暮れきる前だったから寮へ戻れと言わなくても良い時間だったけど、
「五条、部屋帰らないのか?」
今日は授業も終わったし任務もないはずだからと声をかけたら、振り向いた。
「悠仁」
「虎杖先生な」
「悠仁先生」
「よし」
このやりとり、毎日のようにやってる気がする。
それこそ五条が入学してからずっと。
俺は教師の中でも若い方だから、ナメられてるんだろう。ほんと生意気。だけど憎めないから「悠仁」でも許してしまいそうになるが、きちんとケジメをつけておかないと周りに示しもつかないし。
「なに 黄昏れてんの?」
「先生さ、最近キスしたのいつ?」
「はぁ?」
思いもよらないこと訊かれて、俺の声が裏返る。
「え、何その反応? まさかした事ないとか言わないよな? その歳で」
眉を顰めて訊かれ、
「あっ、たりまえだろッ!!」
情けなくも、俺の方が動揺してしまいながら声を上げてた。
そりゃ呪術師と教師やってるような女っ気のない俺だって、交際経験くらいはある。そんな多くは無いけど。もちろんキスだってしたことあるけど、まさかそんなこと生徒に訊かれると思わねーじゃん?
「ああ、ご無沙汰すぎて忘れた?」
ニヤと笑いながら訊かれ、不覚にも顔赤くなってる気がする。ご無沙汰とか、キスのこと訊かれてるのは分かってるけど意味深な感じしてますます気まずい。
「なんでそんなこと訊くわけ?」
すんなり答えられないプライベートな質問に、質問で返してしまうのは俺の悪い癖だ。直さなきゃダメだと思うけど、仕事や任務のことならまだしも充実しているとは言えないプライベートなこと突っ込まれるのは昔から苦手だ。
「キスできるヤツいなくなったから、何となく寂しくてさ〜」
五条は軽く答えたけど、その瞳は本当に寂しそうに見えた。少なくとも俺の目には。
五条はフラれた相手とキスをする仲だったのか……というのは意外だったけど、今どきの高校生ならそのくらいは普通か。いや、今どきどころか俺の時だって、付き合えばキスくらい普通だったと思う。
ん? その相手とは付き合ってたのか? 箸にも棒にもかからないって素振りで袖にされたくらいに思ってたが、一応キスは出来たのらしい。
どの程度年上の人なのかは分からないが、好きと言って近づいてきた相手にキスとかさせてその気にさせといてフるとか酷くね? なんて、なんで俺が憤ってんのか分かんねーけど。
出来なくなった途端に寂しくなるほどキスしてたんだろうか? なんて思っちゃいながら、思わずジッと五条の唇見つめちゃってた俺はまたも気まずく目を逸らす。
俺、キス出来なくなって寂しいとか感じたことないから良く分かんないな。
「悠仁」
「先生」
「せんせぇ」
「何?」
「キスさせて?」
軽く油断したとこで言われ、数秒固まる。
しかし吹き出す五条の声に、 揶揄われたのだと気づき睨みつけると、
「キス出来なくて寂しい」
俺より高い視点から見下ろすように言われ、たじろぐ。五条はいつの間にか近くて、俺は後ずさりそうになった足を負けじと踏ん張って、
「オマエな」
茶化すでもないけど空気を変えるよう、呆れたみたいに言ってやると、
「ダメ?」
首を傾げ更に押され、俺は今度こそ片足だけ後ろへ下がった。
そんなきゅるきゅるした目で俺をみるな! 本当にコイツ、いつもはこんな態度見せたことないのに、こんな時だけ甘えてくんのなんで? そもそもなんで俺に甘えんの? 夏油とか後輩とか学生同士の方がグチも弱音も吐きやすいだろうに……。
「なあ、悠仁」
下がったはずの距離また詰められてて、覆い被さってくる影で窓から差し込み始めていた夕陽が遮られた。
今度は「先生な」って指摘できないまま俺の肩は引き寄せられ、更に近づいた影が密着する。
チュッと音を立て離れていった唇は、ひどく柔らかかった。
「なっ! な、なっ、なな……なっ!」
俺がパニクりながら固まったままいるのに、唇はまた近づき重なった。
やっと突き放そうと伸ばした手を大きな手で一括りに掴まれ、ニヤリと歪んだ唇がまた重なってくる。しっとりと濡らされ、唇が触れたとこから擦り合わされる感覚。あ、まずい……って思った次の瞬間には、唇の合わせからぬろりとベロが入り込んで来た。
手を開き捕まえようとしても、掴まれたままの手首を振り解くことも出来ない。俺だって力弱いわけじゃないのに、呪力を込めても振り払えない。
悲しいとか怖いとか嫌悪とかいうんじゃない、別の何かの涙が浮かんで来て、ベロ舐められるのにゾクゾクする。
な……にが寂しいだよ!
こんな食らいついてくるみたいな無遠慮なキス、ガキの我がままにしたって度を超えてる!
「ッは!」って息継ぎするようそらした顔をうつむけて、俺は追撃から逃れる。
したら、頭の上擦り寄るようにされてから、やっと離された手で拳を作ったら、力を込めた瞬間には無下限呪術で触れてた肩も弾かれてた。
「オっ……マエなあぁあああああ!!」
どこか悲鳴じみた俺の声に、五条の笑い声が重なる。
「俺に優しくすんなら途中で降りるなよ」
なぜか非難がましい言葉を、しかし笑いながら言われ俺はア然とする。
口ン中も唇もキスの余韻が残っていて、動揺してんの仕方ないだろッ!? 何が寂しいだよ!? 俺なんてキスしたのだいたい3年ぶりだッつの!! しかも男としちゃった!! 更に生徒だぞ!?
怒りとも焦りともつかない恐慌に飲み込まれながらもゴクリと喉を鳴らしてた俺は、しかしこれ以降幾度となくキスをねだられ――甘える年下の男に流されるまま奪われる日々を送ることになるなんてこと、この時はまだ知る由もなかった。