おねがいをきかせて友人のそれより少し踏み込んで。
声音に甘さを含ませて。
なんでもいいよ、と欲を問い掛ければ、返答はあまりにも彼らしい台詞だった。
「おまえがくれるものならなんだって嬉しい」なんて、もしかしたら言うんじゃないかと思ってはいた。言うとは思っていたけれど。
「えっと……」
答えを引き出す言葉を探し、ヒースクリフは視線を迷わせた。沈黙の中、規則正しく時を刻む秒針の音はまるで急かしているようだった。焦燥を誤魔化したくて、握りしめる指先に力が入る。
甘い返答だった。だが、言葉に熱さえ篭っていればいいというものではない。なにせ悩んで悩んで、とうとうどうにもできなくなって直接聞くことにしたのだから。
何も思いつかないわけではなかったのだ。だが幼馴染で友達、更にあなたが良いと心を確かめてから初めての誕生日ともなれば、今までのように贈り物を考えるのでは何か足りないような気がして、贈り物の候補は思いつく先から霧散していった。
恋人らしいことをしよう、と考えれば考えるほどに、ふと自分が贈りたいだけなのかもしれないとよぎる。誕生日を口実に関係を深められればと、全く思ってないとは言えなくて、そんな浅ましい欲に顔から火が出そうになる。
そんなふうに堂々巡りをしてばかりで何も決まらないならいっそ、と直接聞くことにしたのだ。
「その。本当に何かないの? 好きなものでも、したいことでも……」
答えを、彼自身を焦がれるように見つめる。或いは助けを求めるような表情で、ヒースクリフはシノに問いかけた。
シノにあげられるもの。シノがしたいならなんだって叶えてやりたい。なんだっていいのに。言外にそう、欲を含ませて。
「……そうだな」
赤い瞳がふと伏せられ、教本の上に視線が落ちる。そこに書かれた文字列には答えも手がかりも書かれていないのに、シノの目線は何度も行き来している。
そもそも今は隣同士に座り次の授業に向けて予習と復習のための時間だったが、シノに倣って文字を読もうと努めても何も頭に入ってこなかった。沈黙が痛くて身体が熱い。どこか期待しているのに、それを見透かされるのが怖いのだと、ヒースクリフは自覚していた。
気付づいてほしい。
気付かないでいて。
相反する思いがきゅう、と喉を締める。
「……決められない」
「え?」
零れた言葉に、ヒースクリフははっと顔を上げた。
「どっちにするか、決められない」
迷い子のように瞳を揺らしながらも、シノは真っ直ぐにヒースクリフを見据えて言った。シノは、自身の心の裡から彼の理想に反する願いを探し出すことを忌避するところがある。それでもこうして願いを──欲求を探し出したのはヒースクリフへの誠実さ故であることが、ヒースクリフの心を強く震わせる。彼の言葉自体よりも向き合って心を寄せてくれたことがただ幸せだと感じた。
「なんだ、あるんじゃないか」
指先に触れる。少し、冷えていた。
「なんでもいいって言っただろ。いくつでもいいよ。俺にできることなら……」
温めたくて、指をなぞりながらヒースクリフは続けた。もう一度何でもいいとも付け加える。
「ほら、教えて。シノ」
そろそろと指が絡められる。指切り──それはどこかの世界では約束をする時の行為だという。新たに約束を交わす訳ではないけれど、いつかの約束を今もう一度思い出すためのおまじないだったらいい、と願いを込めて同じく指を絡めた。
「……おまえとでかけたい。ヒースの時間がほしい」
「うん、もちろん。買い物に行くんだったら、シノの気に入るものが見つかるといいな。俺にプレゼントさせてね」
「……うん」
シノがホッとした顔をしたのがわかった。
まさか、だめだとか嫌だなんて言わないと彼だってわかっているはずだ。それでも心の内の本当の欲を吐露することには勇気が必要なのだ。言葉を探すだけでも多くの時間がかかる。
けれど、俺には思うままに言って欲しい。
続く言葉を待ちきれず、ヒースクリフは口を開いた。
「……もう一つは?」
「それか……」
「うん」
「おまえからキスしてほしい」
「キ──」
どんな言葉に対してだってもちろん、とすぐ答えるつもりだった。
息がうまくできなかったのは、キスをしてほしいという願いが予想の範囲外であったからではない。なにせ恋人同士である。ヒースクリフ自身も恋人同士の甘い過ごし方を夢想しなかったといえば嘘になる。
少し期待していた。けれど実際に強請られるとなると頭の中での空想などまるで心の備えにはならなかった。
真っ直ぐに見つめてくる赤の瞳は少し潤んでいて、その奥に欲と熱が炎のように揺らいでいた。震えた唇が閉ざされたかと思うと、珍しく頬に赤みが指していくのがよくわかった。その様を見てしまったのだ。きっとシノのそれよりずっと紅潮しているだろう。
「……やっぱり今のは」
絡んだ指先が解けようとしたのを咄嗟に強く引き寄せた。勢い余って傾いた椅子が大きな音を立てたが、今は気にならなかった。
「シノのお願い、2つとも俺に叶えさせて」
シノの頬に指先を滑らせる。見たままに熱かった。
丸くなった赤の瞳にヒースクリフが映る。もともと真っ赤だ、どんな顔をしているかわからなかった。確かめないように目を瞑って、そっと唇を寄せる。
「……」
長いのか短いのかわからないまま、そっと顔が離れる。触れるだけの口づけが精一杯だった。そういえば、自分から触れることはあっても口づけするのは初めてだった。だからしてほしいって言ったのかと思い当たり、その初めてが今成されたのだと思うと顔から火が出そうになる。
続いてほんの少しだけ後悔も押し寄せてきた。初めてだったのだからもう少し雰囲気のある時にすればよかったとか、離れ難かったとか、どうせなら触れる以上のそれにすればよかった、とか。
おもむろに椅子に座り直す。椅子の脚が床に擦れる音がやけに響いていたたまれない気分になる。今度は反対にヒースクリフがうつむく番だった。やはり教本に目を落としても全く頭に入ってくるはずもない。
「ヒース」
「う、うん……」
「キス、楽しみにしてる」
「……え?」
思わず顔を上げる。頬杖をついてこちらを見るシノと目があった。先程までの緊張した面持ちや不安そうな色はなく、彼がからかいを企む時の顔をしている。
「なにって、誕生日のプレゼントなんだろ。誕生日のあとにくれるんだろ」
「な……い、今のは……!?」
「今のももらっておく。最高だった」
今度こそヒースクリフが見慣れた、シノの笑みが浮かぶ。
敵わない。この顔が好きだ。
自分を見て笑ってくれるこの顔を見ると、言ってやろうと浮かんでくる文句も泡のように消えてしまう。シノが喜んでくれてるならとなんだって、いくつだって叶えてやりたい気持ちは真実なのだ。
もっと恋人らしいキスにすればよかった──再挑戦の機会は思ったよりも早くに訪れることになりそうだ。