あーあ、ずっと一緒にいれたらいーのに。────
先はないという事実は、火を見るよりも明らかだった。
頂上と底辺。エレメンタリースクールの子供にだって描ける簡単な三角形で、あまりにもハッキリとしたてっぺんとすみっこ。
それなのに、レオナさんの恋人の座に収まってみたいという渇望に、そして、実際に収まらせてくれるという本人からの誘惑に、どうしても抗えなかった。
(あーぁあ、ちょっと経験してみたかっただけなのにな。たった数ヶ月でも、独り占めできたら……なんて。)
世話係として通い慣れた部屋の真ん中、イチ学生には不釣り合いな大きなベッドで、隣に大好きな人の温もりを感じながらとろりと微睡む。そんなオレの髪を、レオナさんがゆったりと撫でる。
怠惰な生活を1番近くで見ていたから、付き合う前は、ことが済めばそのままだらりと寝てしまうんだろうと思っていた。なのに、こんな……大切な宝物を慈しむみたいに、いつまでもいつまでも飽きずに撫でていてくれる人だったなんて。無意識なのだろうか、厄介な色男だと思う。
この意外な真実を、オレ以外には他に誰も、絶対に知らない。今は。
満たされた独占欲に小さくシシと笑い、大きな手から絶え間なく与えられる安心感に身を委ね、『幸せ』というものはこれのことをいうのかぁ、なんて思う。
(あーあぁあぁ〜ぁあ……これを手放す日がそう遠くなくやってくるなんて…………やだな。やだけど、まぁ、くるよな。)
最初から分かってたのに、季節が移り変わる気配を感じるたび、そんな風に未練がましく思うようになってしまって。こんなことなら最初から始めなければ良かった。自分を律して、甘い誘惑を頑なに拒んで、知らないでおけば良かった。こんな幸せに浸けられて、失くす未来を思うと腹の奥がギューと捩れるようになってしまって。
ああ失敗した。失敗してしまった。
(でも……まぁいいか。今この瞬間だけは、オレだけのモンなんだから。)
もう少しの間どっぷり浸かって堪能して、そこから先のことはまたその後に考えよう。
目を瞑ったまま、『もっと』とねだるように大好きな手に頭を押し付けたら、応えて幾分か強く速くわしゃわしゃ〜っと撫で付けてくれた。口元を緩めて愛情を満喫していると、少し上からフッと鼻に抜ける小さな笑い声が聞こえた。レオナさんの方もレオナさんの方で、甘えられて嬉しいのだろう。いつも不機嫌なくせに、オレだけにとことん甘い。
このままずっと甘やかされていたい。いたいのに、でも──ああ、いつまでも不毛な堂々巡りだ。
「あーあ、ずっと一緒にいれたらいーのに。」
小さな呟きが漏れてしまった。そんなこと言うつもりはなかったのに、自制心が睡魔に侵されていた。
もしかしたら聞こえなかったかも──そんな淡い期待を抱いて沈黙する。もし聞こえてたとしても、仮初の恋人が面倒なことを言い出したなと聞こえなかったふりをしてくれないだろうか。夢との境目でぼんやり他人事のように念じた。
しかし、心地よい恋人の手はピクンと止まってしまった。
「……あ?」
低く凄んだ声に、観念してゆっくりとうっすら目を開ける。
「え、あれ……やだ〜声に出てたッスか?ハハ、忘れて?」
分かってます。弁えてます。変なこと口走ってすいません。
バツが悪くて、冗談として流してほしくて、くすくすと小さく笑いながらお願いをした。それでも、一転不機嫌になった王様は無言でこちらを睨みつけてくる。ならば仕方がない、観念して謝罪する方向へ切り替えた。
「も〜ぉ…戯れ言言って申し訳なかったッスよ。んな怖い顔しなくったって良いじゃないッスか。ほら、オレなんかが王子様に何言ったって、冗談にしか聞こえないでしょ?」
──ちゃんと弁えてるんだから、今だけもうちょっと甘えさせてくれても良いじゃん。
むくれて破れかぶれで手を掴んで指を絡め、口元まで引き寄せる。憧れの、絶対に自分のものにはならない薬指の付け根にふわりと唇を寄せた。
「ここ、いつか誰かとお揃いの指輪嵌めんでしょ?卒業までにはちゃぁんと心の準備するから、今だけ。夢心地のピロートークくらい適当に付き合って相槌打ってくださいよ。」
「……適当な相槌なんざ打たねぇよ。」
「そーッスかそーッスか、一国の王子様は間違ってもそんな軽いこと言いませんよね。ハイハイ、失礼しました〜。」
(言ってみただけなのに。んな手厳しいんなら、最初からこーんな猫可愛がりすんなっての。)
悪戯が失敗した子供のようにムスッと口が尖る。それでもすぐに、「でもま、そらそうだよな」と諦めて穏やかに目を閉じた。
「なぁ、ずっと一緒にいようぜ?」
お話はおしまいかと思って気を抜いていたのに、ふわりと、今度はラギーの薬指の付け根が甘噛みされた。
お願いしたから遅れながら付き合ってくれたのだと理解する。それなのに、脳に心地良い低い声と優しすぎる口付けを受け、ちゃんと受け入れなくちゃと思っていた現実をほっぽり出して、『やっぱり手放したくない!!』と大きな声が脳内を占拠する。自分から請いておきながら、決して浴びてはいけない言葉だったのだと即座に分かった。まともに受け取ってはいけない。ヘラヘラかわすしかない。
「もーぉ今更良いッスよ。オヤスミナサイ。」
嗜めるように軽く言い捨てたその瞬間、ガジッと強く噛まれた。皮膚に食い込む痛みにオレの眠気は一気に霧散した。
「ぃったぁ!?何すんの!?」
「ハッ、目ぇ覚めたか?オラ、次は覚醒した頭でちゃんと聞けよ?請われて渋々返す相槌なんかじゃねぇんだ。」
「!?……っ!?!?」
痛みに目を見開いたままレオナさんの言葉を反芻するにつれ、血がぶわっと昇ってきて、頬が熱くなってくのを感じた。
唖然とするオレを冷ややかに笑い、レオナさんはこっちをまっすぐに見据えて続けた。
「ハナから諦めてんなよ。何度だって誘い続けてやるからな。」
「は?ま、待って!?脳内処理が追いつかないんで!ちょっと待っ……」
今だけのはずの恋人が「一生逃がしてなるものか」という強い意志を宿した美しい瞳でオレを射抜く。
まさか、今だけだと思っていたのは自分だけだったのか──頭の整理がつく前に、レオナさんが薄く笑った唇から甘い言葉を繰り返す。
「なぁ、ずっと一緒にいようぜ?」
同じベッドで彼の匂いに満たされながら耳に流し込まれる未来の約束はあまりに甘美で。これはもうマインドコントロールの一種なのではないだろうか。どうにかして抗わないといけないのではないか。キャパを超えた思考回路の中でも、小さい頃から危機管理を必死でやってきたオレの頭の片隅では、警告ランプがぐるんぐるん慌てて回っていた。
信じて夢見て、バカを見るんじゃないか。スラム育ちから成り上がっていくためには、そんなマヌケなことをしている暇はない。
それなのに、草原のヒエラルキーを表す三角形の、色分けの境界がおぼろ気になる。
いくら抗っても、為すすべなくレオナさんの言葉を受け入れて信じるようになってしまう未来が、警告ランプの先に見えた。