2190日後の約束ずるっ
背中から翼の様に生えた黄金色のそれを引き摺って、男は戸を叩く。ちなみに、このノックをするやり取りはあの子から教わったもので、男は素直に従っていた。
コンコンコン。
決まったノックの回数の後、今日の天気を言うこと。
以前、男と間違えて扉を開けた天彦が人間共ーー最悪なことに奴隷商人か何かだった。神に囲われた稚児の噂を聞いて、人もいないこんな山中まで天彦を探しに来たのだというーー彼らに暴行を受ける事件は、男が留守中に起こった。もちろん、未遂だが男にしては変わらない。帰ってきた男は、押し倒されてまたあの目をーー男と最初に出会った時のように虚ろの目をした天彦の姿が重なって、怒り狂った。
『ーー貴様ら、我の妻に何をした?死を持って償え』
いや、死などでは生ぬるい。人間達が喚く前に、男は黄金のそれで全てを覆い隠した。文字通り最初からいなかった者達として《・・・・・・・・・・・》人間共の存在を消すと気絶して傷ついた天彦を抱き抱えて、男は跡形もなく当時の家を燃やした。
それ以来、天彦の足首に足枷を嵌める事にしたのだ。あの事件が起きた忌々しい家も捨てて、人間共が寄り付かないようなところへも引っ越しをした上、人間共が入ってこられないように結界の強化もする徹底ぶりだ。
ーー天彦は、まだ幼い。少なくとも、十を超えなければ男の世界へ連れてはいけない。あの時は、家の中で自由にしていたが為に、人間共に連れ去られそうになったのだと理解した男は、足枷を嵌めた天彦に「自分以外に扉を開けないと約束してくれ」と懇願すると、天彦は扉を開けた自分が悪いと思ってか反論することはなく、黙って受け入れた。
「天彦、いま帰ったよ。ーー今日は、雨だった」
普段であれば、あれが驚くので仕舞い込んでから戸を叩くのだが、今日はひどく疲れていてその力すらもなかった。地面に引き摺っていたせいか、美しい黄金に土や泥が変色しているが男の顔色は変わらない。
男は、人間が生まれる前からこの土地を支配している神である。そして、人間の間で畏怖を込めて「正邪を司る神」として語り継がれていた。彼ら曰く、なんでも地獄や黄泉の国の主が自分であり死者の生前の罪を裁くーー正か邪かを審判する神としての伝承が生まれているのだ。どこからその話が生まれたのか、男は覚えがなかった。他の国では、たしか閻魔と言ったか。それと似たようなものだとは思うが、本来の神としての自分の役割ではなかった。
ーーこの時代は、「文字」が伝来してまだ歴史が浅かった。貴族や僧侶の特権階級しか、文字の読み書きは出来ないのだ。下級層の村人達は、人づてに聞いた誰かの物語や歌を口承して紡いでいくのが主だった。人から人へ伝承されるものの、中には間違えや誇張表現が多く伝えられていたり事実を婉曲していることもあることが玉に瑕かもしれないが。
ギィ。
やがて、扉がゆっくり開かれる。ひょっこりと扉の隙間から紫陽花色の髪と二つの空色の瞳と目が合った。男を訪問者と勘違いしたのか、自分の顔色を伺うようにして少年はおずおずとした表情からぱあぁと花が咲いたような笑顔へと一変した。扉から飛び出てて、男の腰へと抱きつくとジャラッと黄金色に輝いた鎖が重々しい音を奏でた。
「おかえりなさいっせいじゃさんっ!」
「……ただいま、天彦」
今日もいい子に留守番出来ました、と誇らしげに報告する少年の頭に男は加護のキスを落として頭を撫でる。彼が抱きついたことで、微々たるものだが少年の生気が男へと補給された。そのおかげで、消耗し切っていた男は力がみなぎるのを感じ取る。しまうことも出来なかった黄金も、綺麗さっぱりと無くなった。
そのまま、少年ーー天彦を抱きしめて移動すると男は床につく。
「もう、おねんねしますか?」
「うん……今日は、一段と疲れた」
人間共や他の神の前では神として君臨している男だが、少年の前では素の自分でいられた。何も着飾ることもしない。彼も、受け入れてくれる。
天彦は何を考えたのか。
もそもそと、男の腕から抜け出すと、自分と同じ位置に並んだ。彼は、自分の腰くらいの身長なので一緒に並ぶのは新鮮だった。寝る前の加護のキスが欲しいのだろうかと首を傾げるが、天彦は両腕を広げて男の顔を自分の胸へと引き寄せて優しく抱きしめる。
「よしよし。せいじゃさんは、がんばりやさんです。つかれたら、ぼくがあなたをいやしますからね」
「……誰かの入れ知恵?」
「?つかれたおっとをいやすのも、おくさんのおつとめ?だって、はんぎゃくのかみさまが」
あー、反逆か。なら、いいか。むしろ、よく助言をしてくれた。
と、顔には出さずに男は心の中で同僚の神の男に感謝をする。
「あれ、でもいやすのはこれでいいのでしょうか?せいじゃさんみたいに、あたまをなでたり、かごのちゅうもあなたにしたらげんきになりますか?あまひこは、それでげんきになるのですが」
「〜〜〜っ……いや、いい。違うところが元気になっちゃうから、今は抱きしめてくれるだけでいいよ、天彦」
「?ちがうところ?」
危ない。
危うく、天彦のお誘いにイエスと答えそうになってしまった。ーーこの子は、まだ幼い。村人達に生贄という名の神の花嫁に捧げられたが、神である自分がここまで人間の子供に心を奪われるとは思っていなかった。
村で酷い目に遭わされて厄介者になっていた子供。しかし、身寄りもいない幼子は、とても賢く聡明な子だった。最初は怯えていたものの、男と春夏秋冬ーー長い時間過ごすことで心を開くようになったのは、男にとって救いだった。それでも、まだ夫婦の契りを交わすことは出来ていない。
『天彦。お前は、まだ子供だから俺の伴侶だっていう契約を結ぶと、体が神の力に耐えられずに死んでしまう。でも、成人するまで俺との時間を過ごせば、神の力も馴染んで契約に耐える体になるはずだ。夫婦の契りは、お前が成人したら交わすことが出来る。お前にとって、長いかもしれないけれど……それまで俺と一緒にいい子で待てる?』
『……いいこにまてたら、せいじゃさんのおよめさんになれるんですか?』
『そうだよ。今もいい子だけどね』
『せいじゃさんとずっといっしょになれるなら、まちます。ーーぼくは、あなたにすくわれたから。だから、ぼくもあなたをたすけたいのです。せいじゃさん』
約束を交わした二人の会話。あれから、まだ二年しか経っていない。天彦は、九歳になった。この時代でいう、成人まであと六年だ。
「約束まで、あと六年だね天彦」
「ろくねんってなんにちくらいでしょうか……」
元々、学がない天彦に一緒に暮らす上で教養を身につけるようにと学問を教え始めたのは自分である。将来、神々の前で伴侶として紹介する時に恥をかかないようにもあるが、彼自身が生きていく上で困らないようにという意図もある。彼は覚えも早かったが、大きな数の計算問題は紙に書かないと不安なこともあるらしい。そういったところも、愛らしいと男は天彦の小さな手を絡め取った。
「日が出て、沈んで、また日が出る。そうして、また日が沈む。ーー太陽が東から西へ。月がまた東から西へ落ちて……大丈夫、六年なんてあっという間だよ」
「ふふ、そしたらやっとあなたのものになれるんですね。せいじゃさんーーあまひこは、うれしいです」
現代でいうと、六年は二千百九十日。とても長いだろうが、男にとってはこの愛しい子と今までのように変わらない生活を過ごすのだから、きっとあっという間だ。
「うん、俺も楽しみだよ。ーー天彦は、どんな大人になるのかな」
甘い未来に胸をときめかせながら、男と天彦は互いの額に口付けを交わした。
【2190日後の約束】
ジャラ。
天彦の華奢な足首に嵌められている黄金色の鎖だけが、二人の夜に響いていた。