ざあざあと雨が降る夜だった。新宿の街はネオンが光り、水たまりの反射で煌びやかに彩る。あちらこちらで男女の艶やかな声が聞こえる。夜は始まったばかりで、昼間とは違う喧騒で埋め尽くされていた。
その中にその男の子はいた。雨の中傘もささずに。キャップを被り顔は見えないが少年と青年の間の年ごろだろう。向かい合っている男がその子に何かを叫ぶ。この街じゃよくあるセリフ。お互いのマッチングが合わなかった結果。その鬱憤を男は目の前で立ち尽くす少年に吐き出しているのだ。
(あーあ、かわいそうに)
僕はその光景を傘の合間から横目にし、そしてすぐ興味をなくした。
(こんなの毎日どこかで起こってる。今日は君たちってだけ)
僕は目的地に近くを通りかかっただけ。野次馬になる気はないし、ただちょっと気になっただけ。キャップの横から見えたピンク色の髪の少年が。ネオンに反射するその色は、ちょっとだけ綺麗だなって思っただけ。それだけなんだ。だから歩き出した瞬間に、もう頭からは消える。僕にとってそんな存在だった。はずだった。
「悟、今日は遅かったじゃないか」
「まーね。ちょっと先にヤってきたもんでね」
「ということは、今日は糖分取りに来たってだけかな?」
「そゆこと。僕だって夜は一人ゆっくりしたい日もあるの」
僕こと五条悟は、親友の夏油傑が経営する深夜のバーに来ていた。昼間はカフェとしても営業していてそれなりに儲かってるらしい。だけど本業は夜。訳ありの人間が集まり関係を紡ぐ場。僕もその一人だ。ただ今日はとっくに欲は吐き出してきたので、傑の言う通り。パフェでも頼んでバーの空気を眼で楽しんで終わり。誘われてもノる気はない。
間接照明がほどよくルームを碧く照らしているから、かけていたサングラスを外したかったのだが。自分で言うのもなんだけど僕は顔が良い。プラチナブランドの髪に碧眼。背も190以上ある。モテない訳がない。サングラスは気休めだけど、顔を隠すためのアイテムだった。僕の眼は人を虜にする、らしい。傑が言ってた。
「早く出してよ、チョコパフェ。結構体力使うんだよ、セックス」
「今日の子はそんなにおねだりする子だったのかい?」
傑はカウンターで手際よくパフェ用の器を用意していた。早く作ってほしいんだど。別に僕がどんな子と寝ようが関係ないでしょ。親友でもそこは不可侵って約束したじゃん。
「可愛い子だったんだけどね。僕は一発のつもりだったんだけど、なかなか満足しなくてさ。ちょっとハズレだったかなあ」
「連絡先交換したんじゃないのか?」
「何回も言ってるじゃない。僕は誰の者にもならない」
「言ってな。若い今のうちだけだよ、そんなこと言えるの」
「へいへーい。それよりも早く早く!」
やれやれといった顔で傑は僕の目の前に出来立てほやほやのパフェを置く。これこれ。これが食べたかったのよね。疲れた脳には糖分。バナナとイチゴをチョコレートソースで絡ませてホイップも頬張る。
「いきかえるうう。僕は今ほどお前という親友をもったことに感謝したことはない!」
「それはどうもありがとう。なら早く金を払って家に帰って寝な」
「馬鹿だね。僕が来れば集客変わるって分かってるでしょ。親友の店の経営のために僕は来てあげているんだよ。感謝してよね」
実際僕がこの店に来ると、途端に店はにぎわう。きっとSNS等で情報を交換しあっているのだろう。五条悟がいつものバーに来た。それは秒で拡散され共有される。僕がいる世界はそういう世界だ。新宿の街にぴったり。
「それは別にいいんだけどね。お前に入れ込んだ子たちが大変なんだよ。悟はどこだ。会わせろ。僕は悟の恋人だぞ、と牽制しあって毎回喧嘩だよ」
「おっええー。僕は誰の恋人じゃありませええん。頭湧いてんじゃねえのそいつら。僕は寝る前にちゃんと宣言してるよ。『勘違いしないでね。今回だけだよ。一夜限りの甘い夜を過ごそうね♡』って」
「・・・その顔で、ベッドの上で言われても説得力はないな。勘違いされても仕方ないさ。だからこそもう少し相手を選べ。毎回同じような子じゃないか。」
僕の好みというのだろうか。無意識に相手にする子は決まって華奢で女の子と見間違う男だ。処女はだめ。僕と寝る前にちゃんと後ろの準備してこれる子が望ましい。処女は本当面倒なんだよ。特にこういう男同士ってのはさ。素人は申し訳ないけど、顔が好みでもNGとしていた。
あと僕は女の子とも男のこともいける。僕クラスになると両方から求められてしまうんだよね。まいったね。僕以外の存在は、僕という存在を産み落としたこの世界を恨むなら恨め。
「定期的に病院に行って検査してるし、僕がどんな遊び方しようが傑には関係ないね、あーあ、今週もマジでつまらなかったな。無能ばっかで結局僕が動く羽目になるしさ」
「君が出来るからって他人に同じく求めるのは良くないよ。適材適所って言葉、知ってるかい?五条社長?」
「無能だから社長である僕が動いてケツ拭いてるんだろうが。勘弁してよ、社長になったら楽できるじゃない?って言ったやつ誰?」
「あはははは。学生時代の私、かな?」
「笑いごとじゃないのよ。こんなことなら家継ぐんじゃなかった」
そう。僕は五条グループの社長なんだよね。世襲制なんていつか破綻くるようなもんなのに。絶対継がないって決めてたはずなのに。この親友のせいで僕は今グループを背負ってしまった。
『社長?椅子に座って指示出してれば終わりだよ?あとは好きに遊びなよ、悟。最高じゃないか』
学生時代、傑はそんなことを僕に言った。そして僕はそれを真に受けて社長に就任してしまったのだ。そして後悔した。なぜなら、僕以外みんな無能だったから。
なぜ出来ないのか。考えれば出来たはずだ。準備を怠らなければミスはなかったはずだ。そういう案件が何度も続いた、そしてそれを社長である僕が直接尻ぬぐいをする。本当にいい加減にしてくれ。
「あの頃に戻って僕自身を止めたい」
「・・・君はどんな場合でも、グループを継いでいたと思うよ。仕事は嫌いではないんだろう。だから今の今まで続いている」
「知ったような口叩くなよ」
カランカランとバーの扉が開く。数人が入ってくる。酒と人を求めて動き始める時間だ。ちょっと可愛い男の子がいたから、自慢の涼しげな眼を向けたら顔を赤くしちゃった。かわいいねえ。でも今日はこれおしまい。本日のサービスは1時間前に終了しました、ざーんねん。
「あ、そういえばさ。ここに来る前に面白いもの見ちゃってさあ」
「すごい悪そうな顔してるよ悟。そんなに酷かったのか?」
「痴情のもつれってやつかな?男の子にすげえ罵声上げてる男がいたんだよねえ。あんなみんなの前で言うことないのに。可哀想に」
「可哀想なんて思ってもない面だね。小鼻がぴくぴくしてるじゃないか」
思わず指で鼻を摘まむ。そんな癖僕にあったんだな。だって思い出すと面白いんだもん。頭悪そうな奴等の言い争いなんて。ほんっとバカみたいで、そして面白い。仕事に疲れている僕には最高のおもちゃだ。いいぞもっとやれ。そのバカを晒せ。自分たちでお笑いを提供してくれ。
わかっている。僕は最低だってね。母親の胎になにか感情を置いてきたって、同期の硝子に言われてのはいつだったかな。でもどんなに言われても僕はスタンスを変えることはない。他人に言われてアイデンティティを変えるなんて、一番バカのすることだ。僕は僕だ。誰にも文句は言わせないし、実際に実力はある。
「男の子、どうしたかなあの後。ほんと酷い言葉浴びせられててさ。でも言い返してなくて。黙って聞いてた。言い返してみせれば良かったのに」
「みんな、悟のような人間じゃないんだよ」
「もうそれ聞き飽きたよ」
あの子の顔、ちゃんと見ておけば良かったな。罵られて人はどんな顔するんだろ。きっとあの男のこと好きだったんだろうな。そんな相手にあんな態度取られて。
「ピンク髪だった。珍しいよね。染めたのかなあ」
「ずいぶん気にしてるね。顔が好みだったのかい?」
「ぜーんぜん。顔は見えなかったし。ただ珍しい色だなって。話のネタに言っただけ」
そう。だから明日になったら忘れる。その程度の存在だ。