えんまゆめ(1)「……迎えにきたよ」
君はあの日のように、困ったように笑った。
ある日の午後。
ふと、窓をみると木の葉がするりと落ちていくのが見えた。
何となく鍵を開けると、心地の良い風が部屋に吹き込み、際のカーテンをささやかに揺らした。
遠くに見えるのは冬の空。
思えば君との出会いは10年前の今ごろだったかもしれないね。
「……ありがとう」
そう君に言われなかったら、今の自分はどうなっていたのかな。
不思議な目をした少年。
燃えるような赤い髪を私はいつまでも覚えているだろう。
ねえ、あの日は君にとって……どんな日だった?
夕暮れの川沿い、傷ついた君にはじめて出会ったんだ。
あの時、君は私になんて言ったか覚えている?
「……別に」
そっけなく答えた少年は、痛々しい傷をそのままに、ふいと目を背けた。
はやく手当てをしなければ、悪化してしまうかもしれないと言うと
「……いつものことだし」
と、君は言ったんだよ。
それから、君と何度か出会った。
「……あなたって変わっている」
逢う度、傷だらけの君のために、私は救急セット持ち歩くようになってた。
あの頃から「別に」とか「なれている」って言う君が、私を見て「どうも」って挨拶してくれるようになったっけ。
そう言えば、いつだったか「どうして構うのか」って質問されたんだっけね。
……なんて答えたかな。
きっと私も良くわからなくて曖昧な返事をしてしまったと思う。
「あなたって医者になりたいんだよね……?」
突然そんなことを言われたのいつだったかな。
最初にした言い訳を正直覚えているとは思わなくて焦ったことを覚えてる。
どうしても傷ついた君を放って置けなくて、咄嗟にそんなことを言って近くの売店まで走ったんだったね。
嘘ではないよ。
ただ、ほんとはまだ迷っている最中で、なるとは決めていなかったんだよ。知らないよね。
「あなたって……器用だね」
君ってさ、本当に、どうしてここまで傷つくのか不思議だったよ。
あの時、逢えば逢うほど色んな傷を拵えて。
私を試しているとしか思えなかった。
切り傷に火傷、骨折……どんどん治せるものが増えていく私を、君は器用だって褒めてくれたけど……ほんとは毎日勉強していたっていったらどうする?君のせいだよ。
まぁ、そのころから君はよく笑うようになったっけ。友達が出来たようで嬉しかったよ。
「……迷っているの?」
君の瞳は不思議だよね。
この時はじめて見つめられたかもしれないし、目をそらせないって思ったんだ。
全部を見透かされてしまっている気がして、思わず素直に悩みを打ち明けたんだった。
親が医者というだけで期待されてしまっているのだと。
それから暫くの間、君と逢えない期間が続いたんだ。そのころも川沿いに行っていたんだけど、知らないよね。
君の代わりに猫に餌をやっていたんだ。
あまりに可愛くて太らせ過ぎたかもしれないけれど…そのことは許して欲しい。
「……久しぶり」
暫く逢わないうちに、君は逞しくなっていた。
驚いたよ。
男の子はすぐに成長すると聞いてはいたけれど、なんだか別人のようで戸惑ったことを覚えてる。
けど、やっぱり久々の君も傷だらけで……
私は病院じゃないんですけどって……今まで逢えなかった分を詰め込んだのに。
「……あなたに治してほしくて」
なんて照れながら言うのは……どうなの?
「死ぬ気でやれば……なれるよ」
友達の受け売りなんだけど……最近そう思えるようになったんだ。
そう言った君は前より明るくなったね。
進路に困っていた私の背中を押したのはやっぱり君だった。
ずっと、言われるがまま漠然と良い成績を取り続けなくてはならなかった私に希望をくれた。
その頃には、もう、人に言われたからでなく、君を助けたいんだって思うようになっていたんだ。
君のためになれたら……そんなこと優しい君には言えなかったな。
「……え?」
映画を観に行かないかって誘ったのはこちらからだったかな……?
思えば君と出掛けたのはそれが最初で最後だったね。
正直断られると思っていたけど。
映画のタイトルは覚えてる?
今じゃ有名なスプラッタ映画。
当時、流行ったよね。
私さ、ほんとは血が苦手なんだ。
医者を志すって決めて一番に思ったよ。
どうにか早くなれたかったのに、勇気を出した映画ですら怖くて……そしたら、君は直ぐに手を握ってくれたんだったね。ほっとしたことを覚えてる。
それで思ったよ、君は最初から気づいていたんだって。ひどい傷の手当ては君は拒んだよね。その理由もさ、ここに来てくれた理由も、君ってさ、ほんとうは凄い人だったりするの……?
あの時の優しい温もりを、私はまだ忘れられない。
君と過ごした日々はあっという間に過ぎていったよね。君が故郷に帰るって言ったとき、私は気づいたんだよ。自分の気持ちに。
君は最後の日に私を呼び出して、なんて言おうとしたのかな。
だけど、ごめんね。
先に言うよ、君のことがずっと、はじめてあった時から好きだったんだってさ。
それからは本当に忙しかった。
君がいなくなってからずっと必死だった。
だって、いつ君が現れて大変な怪我を負っていたとしても、治せるようにならないといけないでしょう?
いつか君の役に立ちたくて……どうしてだろうね?
気持ちは積もる一方なのに、
たまに来る君からの手紙に一喜一憂して。
なのに、返事は書けなかったから。
いつか手紙が来なくなる日が怖かったよ。
(準備が出来たから)
なんて手紙を寄越すのはなぜなのだろう。
あれから何年も経って近くの病院で働き出した頃、そんな手紙が届いたんだ。
時折手紙はきていたけれど、なんだかいつもと様子が違う。
迷惑なら一報くれと、、、別に迷惑ではなかったけど、そのときはじめて手紙の返事を書いて送った。
住所をみたときは……驚いたかな。
そしたらある日、君が現れたんだよ。
大きな花束を持って。
「……迎えにきたよ」
日が落ちて、ずいぶんと部屋が寒くなった。
窓を閉めると同時に、扉からノックが聞こえてきた。
軽く返事をすると、
赤い髪の不思議な目をした青年が入ってくる。
「……ただいま」
おかえり。
君は随分と背が伸びたね。それに、昔よりも傷つかなくなった。
それなのに、ここに来るのは何故なのか。
浅い傷なら炎とやらで治せるはずなのに。
「君に治してもらいたい」
そうですか。
じゃぁ、みるから座ってね。
促すと、満足そうに診察椅子に腰かける。
「…………」
あの日、あの時、川沿いで出会った少年は
実は普通の男の子なんかじゃなくて、
「どうしたの?」
なんでもない。
それよりも……私は病院ではないんですけど?
「……知ってるよ」
彼は優しく、困ったように笑うのだ。
「いつも、ありがとう」
頼りにしている。
そんな言葉を、いつまでも。
君は昔からマフィアのボスで、
今の私は君の為の専属医だ。