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    nagumo_2

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    靴下と尾月の話です

     月島の靴下に、穴があいていた。
     そのことに尾形が気づいたのは、月島の家に行き来するようになって間もない初夏の頃だった。確か金曜の夜。いや、互いに多忙を極める仕事が終わってからの帰宅のため、日付もすっかり変わってしまっていたので、正確には土曜日なのかもしれない。とにかく二人ともくたくたで腹も空いていたから、もう飯は作らず弁当を買って、着替えもせず狭いリビングだというのに横並びで夜食を貪っていた。
     月島も尾形も行儀悪くカーペットの上で胡座を欠く。そのような状況だから、良くも悪くも相手の足裏がしきりに目に入るのだった。月島が履いていたのは濃いグレーの、どこにでもあるような靴下。こちらに近い右足の親指の付け根と踵の布が、一円玉よりも若干小さい程度の大きさでそれぞれ歪つな丸型に切り取られていた。
     仕事柄、日頃からよく歩く月島が頻繁に靴下をダメにするという情報は耳にしていたので知っていたが、穴のあいた靴下がその後どうなったのかなどさして興味がなかった。だから何気なく尾形はその穴を指摘してやったのだ。するとソースでクタクタになったカツを頬張りながら、月島は自分の足裏を見て呟いた。

    「あ、本当だな。縫わないと」
    「縫う?」

     思わず耳に入った言葉を繰り返してしまう。あんた、もしかして今までも縫ってたんですか。尾形の何か言いたそうな眼差しに対して、月島は目を逸らしながら「捨てるの勿体ないだろ」そう返すのだった。子供じみた表情が可愛かったが、批判したいわけではなかったため「少し驚いただけです」と言葉を付け足す。彼の幼少期は恵まれたものではなかったのだと知っていたので、そういった習慣があってもおかしくはなかった。話は一旦そこで終わり、飯を食い終わって満足すれば風呂へ入ることになる。尾形は相変わらず長風呂の月島の帰りを待ちながら、意識は例の靴下から離れられなかった。
     実際に月島が靴下を繕ってみせたのは、日曜日の午後だった。一向に行動を起こさない月島を急かしたのは尾形の方である。「縫う姿が見たい」そんな尾形に奇妙な顔をしながら、百均で買える小さな裁縫セットを扱う様子は器用とも不器用とも言えないものであったが。熱心に見つめられるのが面映ゆいのか「珍しいか」などと言いつつ作業を続ける光景が尾形の胸の内に宿る微かな記憶に触れて、なんだか妙な心地にさせた。今思えば、月島は尾形にそういった姿をあまり見せるつもりはなかったのかもしれない。けれどそれからたびたび月島は乞われるままに靴下を繕うようになるのだった。
     冬の匂いが深くなってくると、夜を飾る星の煌めきも強さを増してゆく。空気は凍てつき始め、呼吸をすると鼻や喉の奥が痛んだ。尾形はマフラーに顔を埋めながら、隣を歩く月島越しに青白く光る電飾を眺めた。街の灯りが消えても、冬は光で溢れている。もうすぐ世で言うところのクリスマスであった。コンビニやスーパーに入るだけで、否応なく目に入る赤い帽子と白い髭がトレードマークのサンタクロース。善良な子供の元に現れて、望むものをくれる冬の怪物。こちらの望みなど我関せず、勝手にひとりよがりなプレゼントだけを置いていくのが尾形の知るサンタクロースだった。
     ケーキもチキンも予約したから、と白い吐息を咲かせながら月島は口にする。嫌いじゃなければ一緒に食わないか。歩くたびにガサガサとビニールの音が鳴り、月島の声にノイズを入れる。大きい袋の端からネギが飛び出していた。今日は鍋だ。これから月島の狭い家に行き、狭い台所を使って、二人で飯を食う。野菜も肉も豪快に切る後ろ姿が、振り向いて尾形に笑いかけるのだろう。湯気で暖かくなったリビングを想像するだけで、むず痒いのだが一刻も早く帰りたく思う。二人の家へ。これはそういうことなのかもしれない。そして月島も同じ気持ちであるといいなと思いながら、尾形はダウンジャケットのポケットにしまわれた月島の手を探り当てて握った。月島は当たり前のようにその手を握り返した。
     ケーキはイチゴが乗ってるか、チキンはどういうものか。家に着くまでの他愛ない話は別に面白くはなかったが、互いの新しい一面を知ることになり新鮮だった。月島の靴下は冬仕様になり、薄い生地から分厚い生地に変わってから穴のあく頻度は少なくなっていた。食事中の隣り合わせ、月島の足元を注視する尾形の視線はそれほどまでに熱いものだったのだろうか。月島はまだ繕ってない靴下があると告げると、尾形が何かを話す前に裁縫道具を持ってきた。夏仕様の、なんでもない黒い靴下。見慣れた光景。

    「それ、俺がやっても構いませんか」
    「お前が?構わんが……」

     おかしな奴だとでも言いたそうな月島は、尾形に持っていた裁縫道具一式と靴下を渡した。やり方はわかるかと聞かれ、裁縫なんて小学校の家庭科以来だと話すも、尾形は器用にも靴下の穴を塞いでいく。針や糸が布を通り抜ける時の軋みにかつての自分が重なり、居心地が悪いほどにこちらを見つめている月島の存在に込み上げてくるものがあった。
     尾形がまだ幼い頃、父は母を置いて他の相手と添い遂げることを選んだ。母は心を病み、毎日父が帰ってくるのをひたすらに待っていたが、母の誕生日も尾形の誕生日も音沙汰はなく時間だけが過ぎていった。それなのに、ある日のクリスマスに突然父から荷物が届いた。今さらプレゼントなんか贈って、どういうつもりかと尾形は喜ばなかったが、母はそれを見るやいなやコートを羽織って慌てて寒い冬の道へと飛び出して行ったのだった。追いかけようにも大人の足は速く、わずかに進んだところで家へと引き返した。
     母が帰ってきたのは夜明け頃だった。カツン、とヒールが玄関を叩く音が聴こえ、尾形は目を覚ました。おかえり、という声を無視して泥のように眠る母。目覚めたときに何か食べられるよう、未開封の菓子パンを足元にあったドレッサーの側へ置こうとすると、布団からわずかにはみ出した母の足のつま先の一部の色が違うことに気づいた。サンタクロースは靴下の中にプレゼントを入れるらしい。ならばこの母の靴下の穴を塞いだらどうなるのだろうか。尾形は家庭科の授業で使っていた裁縫道具を持ってきて、眠る母の靴下を縫った。母は気づいたのか気づいてないのか分からない。なにせそれから尾形は母方の祖父母の元へと預けられ、母は帰ってこなかったのだから。
     父の元にいて幸せに暮らしているといい。そう思いながら、自分が本当に欲しかったのはそんな結末だったのだろうかとも思う。

    「器用なもんだな」
    「あまり見んでください」
    「俺のときは穴があくほど見てきただろ」

     完成した靴下を月島へ投げるように渡すと、興味深げな顔をしてしげしげと縫合痕を見つめられた。

    「なんか新鮮だな」
    「嫌でしたか」
    「そんなわけないだろ、嬉しい」

     他人の靴下を縫いたいだなんざおかしな奴には変わりないんだろうが。気持ちが嬉しい。まっすぐに伝えてくる月島に、あの日尾形が求めていたものの輪郭を見い出せた気がした。

    「また穴があいたらいつでも塞いであげますよ」
    「こんなときに言うな」

     微かな笑い声が安心感を齎す。裸体を擦り付けあって、求め合って。塞いだ穴からこぼれ落ちないように。



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