慰謝料は如何程で?
「はぁ、まぢかー…」
目の前の光景に俺は頭を抱えていた。
頭を抱えていても仕方がない、取り敢えずは服を着よう。全裸で居たら風邪を引く。
良くない、仕事を休むわけにはいかない。
体調管理は大事だ。
うんうんと頷いてふわふわのベッドが揺れないようにそうっと降りて床にちらばった己の着衣を拾い集めた。
集めながらつうっと太腿伝うのはナニかは気にしない、気にしたらダメなやつ。ちなみに腰やら、ケツが痛いけど気にしちゃダメだ。
トイレに行きたいけれど無駄に物音を立ててベットの上でねむりこけてるヤツを死んでも起こしたく無い。
何よりこの場を離れて風呂に入りケツの中を洗って予防は大事、避妊薬飲んで。
ぴっちりと首に巻かれたチョーカーが無傷であることにほっとした。安物だけれど役に立ったようだ。
産まれたての子鹿みたいにプルプル脚が震えるけれど何とか服を着てそっと部屋を出た。寝室だけで広い、と思ったけどリビングはもっと広かった。あの人何者、そして誰。寝顔は恐ろしい程綺麗だったし、お肌艶々だけど筋肉もちゃんとついてて逞しかった。
Ωだし、いつかとは思ってたけれどこんなに何も分からないままに初体験を終えてしまうとは。
ソファーに置いてあった自分のカバンを拾って玄関にあった靴を履くとぺこりと頭を下げた。
「(おジャしましたー、今宵のことはどーかキレーさっぱり忘れてくださいっ!)」
心て叫び。
俺は見知らぬ家から飛び出した。
【慰謝料は如何程で?】
「店長、ボケーッとしないで手ぇ動かしてくださーい」背後から長谷川さんの声がし、ビクッと肩を震わせ手に持っていたパッケージを床に落としてしまった。
「ご、ごめん!ちょっと考え事してた!」
落ちたパッケージを拾って棚に返し、返却されたディスクの片付けに取り掛かる。
俺は店長ではあるけれど街の片隅にある小さなレンタルショップの雇われ店長だ。Ω性であるにも関わらず雇って貰えてるだけでありがたい。生活はキツキツだけど。
なんなら、休みもあんまし無いけど。
昨夜の疲労が取り切れなくて少し体が重い。体力には自信があったのだけども日頃使わない筋肉まで使ったような痛みが少し残っている。
帰って全身洗いまくったし、中のアレも頑張って掻き出した。
まさかシリに指突っ込む日が来ようとはと、ちょっと泣いた。ちゃんと薬も飲んだ、完璧。
誰だか分かんないイケメンさんの家と思ったのは高級マンションで一階のロビーなんか、コンシュルジュさんまで居て「お帰りですか、お気を付けて」なんてピシッと頭下げられちゃって頭下げ返すって言うよりこんな身分のものが敷居をまたいで申し訳ございませんと土下座した。
びっくりしてた、当たり前か。
なんで、あの部屋に居たのかさっぱり覚えていない。
あの男の人だって誰なのか知らないのだ。始めて見る顔だった。
まさか。
俺、いきなりヒート起こしてあの人を誘惑したのか?ちゃんと薬でコントロール出来てたし、なんならヒートは来月だ。まだ起こるはずはないのに。
すうっと、血の気が引いた。
こいつが俺を誘惑してきやがった、慰謝料寄越せコンチクショーとか言われたらどうしよう。
ちょっと一昨日記帳した貯金通帳の残高を思い出す。七万あった…。
家賃で三万払うし、光熱費と食費で二万残したいし、お薬代で一万八千円。
慰謝料二千円で許してくれるだろうか…。
あんな豪邸住んでるんだから、貧乏Ωの払えるお金は察してくれる良い人だといいな。
「店長〜」
長谷川さんの大きな声がし思わず背筋が伸びた。
「働いてます!」
「お客さんですよ〜」
「お客?」
はて、オススメでも知りたいのだろうかとレジの方に向かいそこにいた客の姿を見てビシッと固まった。
悲鳴を上げなかった俺を褒めて欲しい。
「【花垣武道】店長、オススメの映画を借りたいのだけれど」
寝顔しか見てないけれど、昨夜同衾したあの男の人に間違いない。だってこの頭特徴有るんだもん。左頭にきれーな剃りこみ。チェーンのピアス。
アジアンビューティなお兄さん。
寝顔もイケメンでしたが覚醒されたらもっと凄いですね。なんというかオーラ。周りの視線が痛い。
店内にいる数少ないお客さん皆がお兄さんを見詰めてる。
「い、しゃりょーは」
「は?」
「いしゃりょーはにせんえんでいいですか」
「は?何言ってんの、お前」
「慰謝料のご請求では?」
「聞こえなかった?オススメの映画を借りたいって、俺は言ったんだけど。
日本語通じてる?花垣武道くん」
「ひっ、何で俺の名前」
そう言って彼がスっとカードを差し出してきた。俺の個人カードだった。
「わ、忘れ物っすね!すいませーーーん!」
受け取ろうとしたらひょいとかわされた。
「俺さぁ、ちゃーんとピロートークも準備してたのなんで帰った?」
ぴ、びろーとーく?ってなに!?
すっ、と。
イケメンさんの手が伸びてきた。叩かれる?と思い肩をすくめると耳たぶを摘まれる。ちり、と痺れのようなものが背筋に駆け抜けた。
「分かんねぇの?」
ふっと笑ったイケメンさんの瞳を真っ直ぐに見た途端、ガクンと膝が折れた。
「おっと」
咄嗟に腕を掴まれて床にへたり込むことは無かった。
「アンタ、強い薬使ってんだな。身体壊すぞ」
「う…、機関のテスター登録してるから…安く貰えるんですよ」
「成程、そのテスター辞めろ。身体に良くねぇ」
「は?なんでいきなりそんな…」
「何時上がりだ、今日」
なんだか好き勝手言われて腹が立ってきた俺は言いたくありませんとそっぽを向いた。
途端、ギリッと腕を掴む力が込められて顔を顰める。
「慰謝料どうの言ってたな、これぐらい貰っても」
と、俺にパーの掌が向けられる。
「ご…ひゃくえん?」
「万抜けてる」
ごひゃくまん?!
「終わる時間を教えてくれるならチャラにしてやる」
その言葉に俺は素直に「二十一時です」と、答えた。
のだが。
その二十一時、は…とうに過ぎ。
「テメェ、巫山戯てんのか」
イケメンさんはすこぶるご立腹だった。
「すいません、先月の会計報告まとめないと上の者に叱られちゃうんで」
ぱちぱちとパソコンのキーを叩いて、報告書を作っているのだけど俺はなにぶんパソコンに疎くて毎月これには悪戦苦闘している。
「何時だと思ってる。もう二十三時だぞ」
「残業代出ません」
「ブラック企業、潰してやろうか」
「やめてくださいよ、俺の職場なんすから」
「専業主婦で良くねぇ?」
「さっきから何を言ってるんすか…、だいたい俺は…あっ、あなたと、どっ、同衾しましたけど!名前すら知らないです!」
「はぁ?!昨夜教えてやったろうが」
「ひー、覚えてませーん」
「あんだけ最中に俺の名前呼びまくってヨがってたのに…まぢかー」
「なまなましいから、やめてください。それは俺じゃない、きっと未知の世界の俺です」
「ここに来て異世界トラベラーか」
「おかしいな、ちゃんとヒート来ててお前、どろ…」
「なまなましいの厳禁!俺は仕事中です」
「紙見ながら打ち込むな!おせぇ、暗記して打ち込め」
「無茶や…この人」
「貸せ!」
そう言うと手に持っていた報告書を取り上げられてしまった。ひー、企業秘密ぅ!!
「大した稼ぎもねぇのに報告必要なんか、赤字じゃねぇか」
「俺、頑張ってます!って本社に言ってますよ!」
「お前、マスコットか何か?居るだけでいいぞ的な?」
「いえ、店長です」
まじ辞めちまぇと、ボヤきながらも目にも止まらぬ早業でイケメンさんはキーを叩いて報告書を作り上げてしまった。
てか、毎月俺が提出してるのより分かりやすく。
俺が作ってねぇのバレるじゃん。
「あの、最後の一行消してくださいよ何ですか、【赤字の店舗存続される意味わかんねーよ、ばーかばーか】って」
「あ、送信もしておいたぜ、俺優しいから」
「ひーーん!俺の首!!!」
「ほら帰るぞ」
「やーですー!今の謝罪のメール書くから待ってください」
「それこそ、やーですー」
そう言ってイケメンさんは俺を抱えて店を出た。
店を出て直ぐに黒塗りのツヤツヤのセダンが停っていた。あ、このエンブレム知ってる、高いヤツ。
一生涯乗ることは無いだろーなーってテレビのコマーシャルで見た事がある。
「乗って」
「えっ、この高級車に?」
「そう、高級車に」
「お尻つけて乗っていいんすか?」
「車で空気椅子すんの、お前」
「頑張ります」
「無理だから辞めとけ、なんなら昨日お前が汚した羽毛布団五十万だから」
「慰謝料は二千円しか払えないっす、クリーニング代なります?」
「だから、さっきからその二千円何」
「君に払える俺の持ち金、全財産振分けて余るのが二千円」
「えらく安いな、お前の慰謝料」
「底辺のΩなめんなよ」
「いや、舐めたいが」
「いやもう、やめて…」
「恥じらうな、逆効果だから。今ここでするぞ」
「何を」
「カーセッ…もごっ」
「言わんでいい」
「お前が聞きたがったんだろうが…」
まて、まて?車に乗ったところで行き着くのはこのイケメンさんちで更には…セッ?すんの?また?えっ、なんでさ。
「お家に帰る」
「帰るんだろ、家に」
「は?」
「お前のうち引き払っといた、要るものほとんど無かったろ?」
「はぁあああ?!」
「お前は俺の運命だからな、ほら婚姻届も準備しておいた」
「う、運命?」
「そう、ほら」
と、キレーな顔が寄せられてぷちゅと唇同士がくっついた。
「んう?!」
ぶわぁと、胸に広がる多幸感。忘れていたモノが呼び起こされるような、そんな感覚に動悸が激しくなる。
『ほら、呼べって。
俺の名前』
『はじめ、くん…ひっ、きもちっ…』
『可愛いな、武道。項、ちゃんと護ってくれてたんだな。俺と出逢うために、ありがとな?』
『かんで、かんで…はじめくんっ』
『うん、ちゃんと本格的なヒート来たらな?これは俺と出逢っちまったから、突発的に起こったヒートだ。
ちゃんとお互いを知って、番おうな』
「は、じめ…くん?」
「ん、思い出した?えらいえらい」
「いや、運命?」
「運命、よろしくな♡武道」
再び、舞い戻った高級マンション。
ロビーで出迎えたコンシュルジュさんに「土下座はもうやめてくださいね」と、困ったように笑われて俺はぺこりと頭を下げた。