ぼくらはみんな浮かれてる② 同室が暗い。
雷蔵が目を覚ませば、三郎が部屋の隅でどんよりとした顔で膝を抱えていた。身支度はとうに整えているが、どことなしに普段より崩れている。
「おはよう三郎。
僕の顔でうっとうしい顔をしないでくれよ」
「すまない雷蔵」
「なんだい、昨日は兵助の部屋に行くんだって浮かれて出ていったのに。
フラれたのかい?」
あくびを零しながら布団を出る。なんでも勘右衛門が今夜は部屋を留守にするから、兵助が一人になるので行ってやれよなんて声を掛けられたらしい。これまで散々に三郎を牽制してたというのに、自分に恋人ができた途端現金なものだなと思う。ただ恋人ができたことで考え方が変わることはあるのだろう。
「フラれ……あれは、やっぱりフラれたのか」
わっと顔を伏せて泣き出した。雷蔵は内心めんどくさいなぁと思いながら、布団を畳んだ。
「めんどくさいけど、顔洗って来たら話聞いてやるから」
あっ口に出しちゃった、なんて思いながら雷蔵~と泣き縋る三郎を尻目に洗い桶を持って井戸に向かった。
「昨日兵助の部屋に行ったんだが、明かりはもう落ちてて」
雷蔵が部屋に戻って来るなり、めそめそと三郎が話し出した。
「三郎、着替える暇くらいくれよ」
「すまない。だがどうしても話を聞いてほしくて」
「わかったわかった。それで」
相槌を打ちながら寝間着から着替える。
「それで、寝顔だけでも見たくて部屋に入ったんだけど」
「三郎、それはアウトだよ」
「そんな」
「お前、好きだからってそれを理由になにしてもいいわけじゃないんだからな」
「わかってる。わかってるが、どうしても見たかったんだ!」
めそめそと三郎が主張するのに呆れて、雷蔵は溜息をついた。
「それで?」
「暗くて顔はよく見えなかったんだが、普段日の当たらない首元や夜着から見える衿元の肌の白さが暗闇の中でもわかって……」
「ツーアウト」
「そんな…」
「お前、寝ている兵助をそんなよこしまな目で見たの?
一人で行かせるんじゃなかったよ。兵助に申し訳ない。
まさかさわったりとかしてないだろうな?」
「私だって寝ている兵助を起こすわけにはいかないと自重はしたさ、自重は!」
「”は”ってことは、お前まさか……」
「自重したっていっただろう? 君が心配するようなことはなにもないよ!」
「でもなにかやらかしたってことだろ? 何をしたんだ」
雷蔵の白い目に三郎がしぶしぶと口を開いた。
「その髪を──髪をさわったんだ」
「なんだ髪くらい、いつもさわらせてもらってるじゃないか。ヘアピースの参考にさせてくれなんて言い訳をして、下心を隠して」
「いやいつもは純粋に研究のためにさわらせて貰ってるんだ!
ただちょっと艶があってやわらかくてきれいだとか、顔をうずめてみたいとかは思ったりするけども!」
「これはアウト判定はちょっと厳しいか⋯⋯心情的にはアウトなんだけど。いやでも次でスリーアウトチェンジだからな⋯⋯」
「そこは温情を見せてくれ!」
つい悩みだした雷蔵に三郎が悲鳴を上げた。
「ああごめんごめん。
それより話が逸れてしまったな。で、三郎が下心で兵助にさわってどうしたのさ」
「下心はあったさ! 否定はしない!
それに兵助の髪もやわらかくてずっとさわっていたかった位だよ!
ただ、起こさないようにそっと触れたし、もっとさわりたかったのを我慢してすぐに部屋を出たんだ」
「そんなに誇らしげに言わないでくれよ」
「いいや私は誉められても良いくらいさ!」
「そりゃあ自制が効いたのは偉いけど、もうちょっと早い段階で効かせるもんだよ」
着替えが終わった雷蔵は溜息をつきながら三郎の向かいに胡座をかいて座った。
「それで?
結局起きちゃった兵助に気持ち悪い変態このむっつり助平の卑劣漢、金輪際半径一里以内に近づくなって言われたの?」
「雷蔵、言葉が過ぎないか? それに一里だと学園にもいれないじゃないか。
まあいい。その時は寝てるようだったのだが、今朝井戸で一緒になったんだが」
「ああ、お前毎朝兵助が井戸に行く時間を見計らって行くもんな」
「そりゃあ兵助は休みの日も決まった時間に起きるし、この時間に行けば会えるってのはあるけれど!
私のことストーカーみたいに言うのは止めてくれ!」
「話が進まないなぁ」
「それについては私も同意だ。
話を戻させてもらうとだな、兵助が憂い顔をしていたので、心配になって声を掛けたのだが」
「うん」
「兵助は勘右衛門と仲が良かったからな。アイツに恋人ができたことでさみしいのだと本人は言うのだが。
それも違ってはないようなのだが、どうも歯切れが悪くてだな」
「もしかして兵助も起きてて、三郎の悪行に気付いてたんじゃないかってこと?」
「悪行なんて止めて欲しいが、そうなんだ。その上、私のことは大切な友人だと思ってる、と」
「あらら。釘を差されちゃったのか」
「恥ずかしい……。
兵助も同じ気持ちではないかと浮かれていた私が恥ずかしい……。なんだったら深い仲になれるかも、なんて期待して部屋に行った私が恥ずかしい……」
三郎が顔を覆ってめそめそと呟くのに、雷蔵は何度目かわからない溜息を吐いた。
「三郎がなにをどこまで期待していたかはどうでもいいんだけど」
兵助の真意は分からない。三郎ほどの確信があったわけではないが、雷蔵の目から見ても兵助は三郎を憎からず思っているように見えたのだ。
ただ憎からず思っていたとして、真面目な兵助が三郎と想いを交わすのを良しとするかはわからなかった。卒業後の進路やそれぞれの家のこと、そんなもろもろを考えて友人であることを選んだ可能性はある。まあ単純にがっついた三郎が気持ち悪くて拒絶したという可能性もあるが、生真面目な兵助ならばはっきりそう言うだろう。
「今の時点では全部三郎の推測しかないわけだよね。
推測だけで引いちゃってもいいの?」
「無論、いいとは思ってないさ」
三郎が伏せていた顔を上げると力強く言い切った。人を喰った飄々とした、雷蔵自身が決してしない三郎の顔だ。
「……ただ、私だって持ち直すには時間が掛かるのだ」
さっきの顔はなんだった? と言いたくなるくらいの情けなさで三郎は再び顔をべしゃっとさせると伏せた。
雷蔵は仕方ないなぁ、とため息を吐きながら三郎の頭をぽんぽんと叩いてやった。