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    ゆみや

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    ゆみや

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    ルイさん正社員ifルートです。

    マタタビ
「また傷が増えたっすね」
    
ふと誰かの手が自分の頬に触れ、誰かの声が上から降ってきた。否、『誰か』という表現は全くのお門違いであり、男性にしては少し高めなこの凛とした声は過去に殺伐としたバイト現場でもよく聞こえた耳に馴染んだものである。
    
「……」
    
余計な世話だ。普段ならそう一蹴していたところを抑えたのは、その声の主がルイにとっては特別な人物であったからだ。椅子の背もたれによりかかったまま組んでいた足を解き、少し顔を上げる。被っていたヘルメットに隠れ、『彼』の顔は見えなかった。
    
何も言葉を返さないでいると、触れていた少し冷たいその手がルイの頬をなぞった。針を刺されたかのようなピリッとした痛みが走り、思わず顔をしかめる。おおかた仕事中についた傷でも触られたのだろう、痛み刺激にはいつまでたっても慣れることはない。こんな厄介な感覚を忘れることができたのならどれだけ幸せだろうか、なんて考えるのは面倒なのでもうやめた。

    鼻を掠る控えめなシトラスの香りに紛れ、ほのかに煙草の匂いがする。これだけは今のルイにとってもどうも違和感があった。アルバイター時代の彼には到底似合わない匂いだ、そう考えてしまうのは自分が今の彼を受け入れられていないという事実があるからなのだろうか。
    
「かわいそうに」
    
その声に哀愁は含まれていなかった。傷口を撫でた『シロさん』がどんな顔をしているのかは見えない。
    痛いから傷口には触らないでほしいものだ。
 



    
あたりは珍しく閑散としていた。
武器編成が最悪のドンブラコだったので仕方がない。深夜であることも相まっているのだろう、こんな時間に出勤しているのは所謂鮭畜と呼ばれる人らだけだ。そんな人たちすらいない今この空間は異様とも言えるのではないだろうか。
    
「……シロさん、暇なんですか?」
    
目線のやり場もなくなんとなくヘリポートに向かうためのエレベーターの方に目をやるが、やはりそこにも人はいない。やたらと反響して耳に届いた自分の声は疲労感を隠しきれていなかった。
    
「そうなんすよ、今はアルバイターが少ないから休憩入っときなって。やっぱり編成が悪いせいすかね」
    
武器編成考えるのもうちょっと頑張ってほしいっすね、と苦笑する声。それと共に急に視界が明るくなり頭が軽くなった。どうやらヘルメットを取られたらしい。何をしているんだこの人は、呆れ顔を隠せないまま振り向き顔を上げると、椅子の後ろに立ちルイのヘルメットを手にしたシロさんと目が合った。パリっとした綺麗なワイシャツや、口元に浮かべている笑みは未だ見慣れない。
    ──また少し、やつれただろうか?そう感じざるを得なかった。

    「今回の現場酷かったですよ。俺もやたら働かされてへとへとです、ありゃバイトのヤツら何人かやめますね」
    「それは残念っすね」

     ルイは、何らかの事情で現場から退却すべきと判断されたアルバイターを安全にヘリまで救出・搬送する仕事をしている。安心安全にバイトに取り組める制度、と言えば耳に聞こえが良いが、この仕事をするーーというより、この仕事ができる人が少ないため全ての現場にルイのような仕事をする人が向かえるわけではない。

     とどのつまり、ルイは殆どの業務で初心者が多い低レート帯の現場に行っており、その実態は要は世間様へのパフォーマンスであった。初心者ほどこの過酷な現場に対するコーピングがないため、彼らを逃さないようにする網の役目こそが自分らの本当の仕事らしい。高レート帯になってくるとこのおかしなバイトに対して不満や疑問を持つアルバイターは少なくなるため、臭いものは勝手に地中に埋まっていく。安心安全とは程遠い、倫理感の欠片もないなどとは、元々チンピラして喧嘩ばかりしていた自分がよく言えた立場になったものだ。

    「どうしたらもっとバイト増えるっすかね、今度ハロウィンとかのイベントでお菓子配ってみたりするっすか?」

     ヘルメットを脇に抱え、顎に手を当てる彼の首元には社員証がぶら下がっている。彼の顔写真とP046という無機質な数字が書かれており、目を逸らしたのは無意識的なことであった。
     シロさんはヘリの操縦士であり、アルバイターの現場への送迎を行っている。いつの間に免許を取ったのだろうか、今となってはもう過去の話で分かりようのないことだ。そちらの部署も人員不足らしく、普段は目が回るほど忙しそうにしており話す暇もないためこうして言葉を交わすのは久々だったりする。

    「そりゃまあ、殊勝なお心がけで」

    椅子から立ちあがろうとしたら、彼に肩を上から押さえつけられ制された。振り払うことは簡単であったが、それよりも彼の力のなさへの驚きが勝ち動きを止めてしまう。横目で見たワイシャツ越しの彼の腕は細い。着痩せ、というわけではないだろう。
    シロさんはじっとルイの目を見た。シャケが住む海のような緑色の瞳は曇りなくこちらを見ている。

    「ずいぶんお疲れのようで」

    お前が言うかよ。

    「お互い様でしょう。ま、死なない程度に適当にやりましょ」
    「死んだら元も子もないっすからね」

    はは、と彼は渇いた笑いをした。別に笑いどころではないと思う。

    「……そうですよ、死なないようにお気をつけて」

    顔面傷だらけの自分が言っても説得力は皆無であった。







    「ほら」

    目の前に煙草を差し出される。なんやかんや自分はコイツと付き合う人生ではなかった。縁がなかったと言えばそれまでだが、なんとなく避けていたのかもしれない。いや、一度だけ吸おうとしたことはあったな、あの時は盛大にむせたものだが。

    「……これってパワハラで訴えれますかね」

    ルイは暫くしたのち、椅子に座ったままそれを素直に受け取った。じわ、と自らの手に汗が滲む。

    そんなルイを放って彼はポケットからライターを取り出し自分の煙草に火をつけた。火器厳禁の注意喚起ポスターの前でよくやるものだ。ジジ、と物が焼ける音と煙草の匂いが漂う。ほのかに赤くちらちらと光を放つそれを、彼は顔ごとこちらに近付けた。

    「どうぞ」

    憂いを帯びた表情だった。上から彼に見下ろされるのは初めてだったと思う。

    「……俺、煙草のそういうの初めてなんですけど」
    「そうすか」
    「……」

    煙草を咥える。正直咥え方すら合っているのか分からない。

    彼は「ほら、吸って」と顎を押さえてきた。煙草の先端が触れ合いジ、と音が鳴った気がした。これまた自分勝手なものだ、言われるがままに息を吸ってみる。
    刹那、火がついたのか煙が気道にまで攻め上がってきた。突然の異物に気管が悲鳴をあげ、思わず咳き込み顔を背ける。えも言われぬ痛みに涙が滲んだ。

    ああ痛い。しかも不味い。

    「不味いっすよね」
    「……てめえ……」

    煙草を握りつぶそうとして、やめた。息が通る道、煙が通った道全てに刺さった無数の小さな棘はいくら咳き込んでも取れることはない。今まで散々身を取り巻いてきた煙草の匂いが、この瞬間は自分から発せられていたようであった。

    「ルイ」と呼ぶ声がする。やむなく胸を抑えながら顔を上げると、涙で滲む視界の中で彼の手がこちらに向かって伸び、視界から消える。彼はルイの視力を失った右目の眼帯に手を触れていた。

    「失明してても、涙って出るんすね」

    ぐい、と眼帯を降ろされた感覚がした。物珍しいとでも思ったのだろうか、しかしどこか興味なさげでもあるような何とも取れない表情をしている気がする。

    今はシトラスよりも煙草の香りを強く感じる。
    距離近えな、なんて涙越しの世界で彼の顔を見ながらぼんやりと思った。

    ああくそ、胸が痛い。
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