不眠症のアメジオ任務に追われる生活が続いた結果、段々と眠りが浅くなり夜中に起きる回数が増えた。隈が酷いとハンベルに指摘されたが、寝なければ寝ないでなんとかなっていたため聞き流す日々。しかしある日、そのハンベルの目の前でふらついて体を壁にぶつけてしまった。
「アメジオ様、あなたは今からお仕事禁止です。」
そう言われてしまい部屋へと帰されたのだが、やはり横になっても眠気が来ない。気を失うように眠っている場合もあるが、一時間もしない内に目覚める。ここ最近のルーティーンだ。まぁ寝ないよりはマシだろうとそのまま布団へ潜っていると、夜にハンベルが様子を見に来た。相変わらずの顔色のアメジオを見て少し眉を潜める。
「眠れないなら場所を変えましょう。ここは些か騒がしいですから。」
そう言われて、翌日車へ押し込められた。
一時間ほど車に揺らされたがそこでも睡魔が訪れることはなく、目的地らしき場所へ到着する。連れてこられたのは車もろくに通らない山の麓にある古びた洋館だった。ここはハンベル個人が管理してをいて、誰かが訪れる心配もないと言う。
「…後であなたをお世話する者が来ると思いますので、暫く寛いでいてください」
使用人かと聞く前にハンベルは帰っていった。ベッドを見ると、綺麗に張られた真っ白いシーツと暖かそうな掛け布団。ふらっと足が自然とそちらを向き、布団へ潜り込んだ。
「…ダメだ」
やはり眠れない。
何分、何十分そうしていただろうか。
突然がちゃりと玄関が開く音がした。
ハンベルの言ってた者が来たのかと、アメジオは重たく感じる体を起き上がらせて、ふらつく足取りで部屋のドアへと向かう。ドアノブを持とうとしたら、先に動いて扉が開かれた。
そこには、髪が乱れ、少し息を切らしたフリードが立っていた。
驚いて固まっていると、フリードは持っていた紙袋を落とすように横へ置いて両手でアメジオの頬を包み込む。
「うわ~…お前隈すごいな。聞いてたより酷いじゃん」
突然のことに後ずさろうとした。が、フリードの声があまりにも心配そうなものだったので視線を上げると、覗き込んでくるはちみつ色の瞳と目が合った。温かくて大きな彼の両手に包まれて、視界いっぱいにはフリードがいる。その事実にじわじわと体が火照りだし、余計に足元が覚束なくなりそうだった。ぽかぽかと体の中心に熱が灯ったような心地よい感覚。
あ、と思ったときにはもう既に視界が半分になっていた。
彼が目の前に現れた驚きや近くにいる緊張よりも、眠気が上回る。
彼に聞きたいことが山ほどあるはずなのに…もう、何でもいいか、と。久々にやってきた抗いきれない眠気にすぐになにも考えられなくなった。
瞼が落ちきる直前、フリードが優しく髪を撫でてくるものだから、もう立っているのも億劫になる。そのまま引き寄せられるとふわりと心地よい匂いが鼻腔をくすぐって、安心感と共に完全に目を閉じた。凭れかかりながら微睡んでいると、一瞬の浮遊感の後に額になにかが触れる。それがなんなのか、靄のかかった頭では到底理解できず、アメジオは夢の世界へと落ちていった。
パチリと目が覚める。最近毎日ぼやけていた頭が今はスッキリとしていた。それに驚きながら瞬きをしていると、腹の上に布団とは違う重みがあるのに気づく。そっと手を動かして確認すると、誰かの手に触れた。そこでやっと隣から聞こえてくる寝息に気がついて、勢いよく右側を向けば、意中の相手が同じベッドで寝ていたのだ。トレードマークのゴーグルはつけておらず、長い前髪が枕に散らばっていた。
「」
声にならない声を上げて身を引くと、後頭部を壁に打ち付けて身もだえる。痛みに涙目になりながらもう一度見てみると、やっぱりそこにはフリードが気持ち良さそうに眠っていた。外は既に暗く、机にある照明が淡く部屋の一角を照らしている。どういうことだと記憶を辿ろうとしたが、フリードが身動ぎしたことで思い出しかけていたことが全て消し飛んだ。真っ白な頭のまま、どうしよう、どうしようもできない、とうだうだ考えている間にはちみつ色の瞳と目があう。瞬間ふわりと微笑まれ、頬がじわりと熱くなった。起き上がり、伸ばされた手を避けるでも振り払うでもなく大人しく受け入れる。頬を一撫でしてから目元を優しく擦られた。擽ったくて首を傾ければその手にすり寄る形になってしまって、余計に焦って固まってしまう。
「ん、だいぶマシになったな。…でも顔が熱いな。熱でも出たか」
そう言って近づいてくる顔に驚いて目をギュッと閉じた。コツンと額がぶつかったのでそっと目を開けると、フリードの閉じられた瞼が視界いっぱいに広がる。何をされているのかわからずじっと見つめていると、僅かに睫が震えた。そのまま瞼が持ち上がり、透き通るような黄金色が顔を覗かせる。
「う…わ」
「へど、どうした」
とんでもない方法で熱を計られているのだと理解し、叫び声を上げて上体を起こした。驚いたフリードはパッと体を離すと優しくアメジオの肩に手を置いて落ち着かせようとするが、今過度な接触は逆効果である。
「な、なん…いきなり何をしている」
「え、熱あるのかと思って…嫌だったか」
「いっ……やでは、ないけども」
バカ正直に答えてしまったことに自己嫌悪に陥る。しかし今みたいに少し寂しそうな顔をされれば、嫌だ、なんて口が裂けても言えないだろう。これは不可抗力である。
アメジオの返答に安心したように笑うフリードにほっとしながら、噛み締めるようにそっと額に手を当てた。
「悪いな、体温計までは持ってきてないんだ。食欲はどうだなんか食べれそうか」
「そ、うだな…」
寝不足のせいかここ暫く空腹なんて感じていなかった。食べなくても問題ないかと放置していたら、いつからか食事時になると部下たちがせっせと色々持ってきて、申し訳ない気持ちでいっぱいだったことを思い出す。
改めてちゃんと食事を意識すると、ぐぅ、と控えめに腹が鳴った。それはちゃんとフリードに届いていたようで、顔を背けて僅かに震える肩を見て、今度は違う意味で顔が熱くなる。
「んふ…腹が減るのは良いことだよな」
「……笑うな」
「安心したんだよ。昨日いきなり寝落ちたから焦ったわ」
そういえば昨日はどうやって寝たのだったか。紙袋からなにかを取り出しているフリードの後ろ姿をぼんやりと眺めながら記憶を辿っていく。ぽつ、ぽつ、とここに来るまでの成り行きを思い出していった。そして、使用人らしき人物が来ると言って去ったハンベルが頭を過り…瞬間早送りのように一気に記憶が甦る。最後はぼんやりとしているが、たぶんあれは、間違いない。フリードに甘えるように眠ってしまったのだ。部屋の入り口で鉢合った後ベッドへ戻った記憶もないので、きっとフリードが運んだのだろう。
なんて…なんてことだ…情けない姿をフリードに晒してしまうとは…そうだ、そもそも何故彼がここにいる
そこまで思い至り口を開けようとして、ずい、と目の前に何かを差し出された。質問しようとした矢先に出鼻を挫かれ呆気に取られていると、フリードがアメジオの手を取ってパックを持たせる。
「マードックお手製サンドイッチだ。ここにくる前に大急ぎで作ってもらった」
「そ、そうか……ではなくてっ」
「それとこれ、渡しとくな」
「…」
一枚のメモ用紙をパックの上へ置かれる。落ちないように慌てて持つと、何やらいくつか箇条書きが記されていた。
「これは」
「寝付きが悪かったり、眠りが浅かったりした時の対処法とか。それはモリーからな」
目を通すとまだ試していなかったものまである。というか、さっきから彼の仲間の名前がでているのが気になった。
「で、これはリコとロイから…」
「ちょ、ちょっと待て」
「うん」
お菓子の入った透明な袋を2つ取り出しながらフリードが首をかしげる。綺麗に蝶結びされたリボンと、すこし片寄っている大きなリボンのものが机に並べられた。
「何故お前の仲間たちが俺宛に物を寄越すんだ」
「え……えーっと、心配して」
「そもそも何故お前がここにいる。」
「えぇ、ハンベルのじいさんから何も聞いてないのか」
ハンベル、という名前がでて、やっと合点がいった。
老婆心とまではいかないが、寝付けなくなってから何かと世話を焼いてくるハンベルを少し鬱陶しく思っていた。しかし心配させている自覚はあったので、渋々言われた通りのことはしてきたのだ。今回この屋敷に連れてこられたのもその延長線だと思っていたが、他人を巻き込むことまでするとは思っていなかった。しかもそれがフリードで、何かしらの手段で連絡を取ったらしい。ということは、スピネルも関わってることにため息が出た。フリードへの気持ちは奴しか知らない。
初めての感情が押さえきれなくなった時に手近にいた彼を留まらせて小一時間いろいろ吐き出したことがある。逃げられないように袖を鷲掴んでいたのもあるが、心底迷惑そうな顔をしながらも最後まで聞いてくれた彼には若干感謝している。
そんなスピネルがハンベルに入れ知恵でもしたのだろう。
「なにも言われなかったが………わかった」
「わかったんだ」
まぁいいや、と笑いながら、まだまだ出てくる袋の中身を紹介された。
色とりどりな具が挟まったサンドイッチ。野菜や肉系の均整がとれたそれらをパックの半分ほど食べたら、また眠気が襲ってくる。持っていた最後の一欠片を口へを放り込み咀嚼していると自然と瞼が降りてきた。
フリードの手が伸びてきて、頬を撫でていた髪がさらりと耳にかけられる。
「眠いか」
こくんと口の中のものを飲み込みながら頷いた。既に視界は半分閉じているためフリードの顔は見えない。しかし羽で撫でているかのような側頭部の手付きと、優しく鼓膜を揺るがす声色で大体想像はついた。微睡んでいく意識に抵抗することなく促されるまま身体を横たえる。完全に目を瞑ると何かがふわりと身体を包み込んだ。
「おやすみ、アメジオ」
その言葉が心地よく心に染み渡っていく。
近くに温もりを感じながら遠退く意識の中で、額に覚えのある柔らかさが触れた気がした。
「ふむ…」
ハンベルは悩んでいた。よく眠れていないのかどんどん顔色の悪くなるアメジオを思い出し、小さくため息をつく。精神的なものだろうと様子を見ていたが、そろそろ限界かもしれない。食事は彼の部下が用意しているし、寝付きがよくなるような対策も取ってきたつもりだ。だがどれも効果はいまひとつ。そこでいっそのこと環境を変えてはどうかと思い至り、明日の朝アメジオを持ち家でえる洋館へ送り届ける準備を整えた。そこに至るまでに睡眠薬も考慮したが、あれは多少なりとも依存性があり、癖になっては困るとできるだけ他の方法を模索していたのだ。
しかしあの様子では枕を変えたところで安眠は難しいかもしれない。そんなことを考えていると、同じ空間でブラッキーを撫でながら寛いでいたスピネルが面倒くさそうにひとつ提案をした。
「他に打つ手がないのなら、環境を変えるついでに彼の意中の相手でも宛がったらどうです」
まるでアメジオとは結びつかないような言葉が聞こえ、ハンベルは片眉を僅かに上げた。
「…心当たりでも」
半信半疑でそう聞くと、スピネルは答えず、代わりに心底面倒そうな動きでスマホを操作し始めた。少ししてハンベルのスマホに一件のメッセージが届く。
開くと、とある人物の名前と連絡先が表示された。
本当か、とスピネルを見ても、もう目が合うことはない。組んでいた足を下ろし、ブラッキーを伴って気だるそうに部屋を出ていってしまった。
「…信じましょう」
内心藁にもすがる思いで画面をタップするとコール音が鳴り始めた。何回目かで通話に出た男の言葉に耳を傾けることなく、用件と場所を伝えて早々に切る。逆探知をされては困るので手を回しておくことも忘れない。
正直、見覚えのありすぎる名前に困惑した。任務の先々で何度かぶつかったと聞いたが、まさかあのアメジオにそんな感情が芽生えるなんて思いもよらなかったのだ。厳しく接しながらもずっと見守ってきた子供の成長が嬉しいやら寂しいやらで、珍しく内心大忙しである。
しかし平静を欠いてはいけない。すぐに胸に手を当てて気持ちを落ち着かせる。そして今度こそ彼が眠りにつけるよう祈りながら、背後に現れたヨノワールをひとつ撫で上げた。