タイトル未定階下の賑やかさが遠く漣のように聞こえている。
主寝室の扉を閉めて、二人は瞳を合わせて忍び笑った。
今日――すでに日が変わっているから正確には昨日――は、二人の結婚式だった。
二人きりでハウメア神殿で契りを誓うだけの式も考えたけれど、世論もあり、また世話になった人々に感謝を伝えるという本来の意義もあって、望まれるまま盛大なパレードに荘厳な挙式、華やかな披露宴まで執り行うことになり、それは世界中に中継もされた。
披露宴の後、アスランの操縦するジャスティス――本人たちにとってあまりいい思い出ではないのだけれど、前回の挙式でフリーダム乱入からの花嫁略奪は、その後の活躍もあって非常に人気の高いコンテンツとなってしまった。乱入や略奪は憚られるため――によって、二人は飛び立った。
降り立ったのはオノゴロ島からほど近い、アスハ家の所有する島の一つである。代表首長家の保養地として、賓客を持て成すための設備が整っている。引き続き、そこで近しい人たちによるささやかなパーティが開かれた。
これはマスコミ対策でもある。
挙式披露宴の招待客には、表舞台から姿を消して久しい平和の歌姫ラクス・クラインや、遠からずプラントの議長に就任するだろうと噂されるイザーク・ジュールを始めとして、二度の大戦の英雄と呼ばれる人々、その後の平和維持に欠かせない人々が揃っていた。その多くは普段カメラ前に姿を表すことがなく、一目写真を、というばかりでなく、祝いのコメント、さらには世界情勢へのインタビューをと、目論む者も多い。
それらと接触させないために、軍の警備を受けて船で一斉に移動することになった。
パーティの招待客ではあるが、ミリアリアが撮影していたから、差し障りのない写真は後に公表されるだろう。
話は尽きなかったけれど、日が変わったのを機に二人は座を辞して来た。
招待客の大半はまだ楽しんでいるのだろう。夜陰に気配が漂っている。
「何か飲むか?」
披露宴まではタキシードと、豪奢なウエディングドレスだった。その後のパーティには少しカジュアルダウンしているが、それでも華やかなスーツとドレスである。脱いだジャケットをソファの背に投げて、アスランが問う。
テーブルに、軽い食事と飲み物が準備されていた。
一般的に挙式当日の新郎新婦はあまり飲食できない。それゆえの配慮だろうけれど、パーティではそれなりに口にしていて、さほどの空腹感はなかった。
それともこれを、胸一杯と呼ぶのだろうか。
「水だけ欲しいかな、お前は?」
「そうだな」
返しながら、アスランがピッチャーからグラスに注いでくれる。一口飲めば、アルコールの入った身体に、冷たい水が心地よく滑り落ちて行った。
隣で同じように喉を潤していたアスランの、目元も仄かに赤く染まっている。
それほど勧められた覚えもないし、飲んだ覚えもない。
特にアスランはアルコールに強い方だけれど、それでも祝われているうちに量を増やしてしまったのか、一区切りついた安堵がそうさせているのだろうか。
ふわふわとした思考のまま、ぼんやりと眺めていると、気づいたのかアスランがこちらを見る。
――捕まった、と。
澄んだ緑の瞳に浮かぶ熱は、きっとアルコールのせいだけではない。
伸ばされた指が、カガリの頬をそっと辿る。その指に促されて、カガリは瞼を落とした。
唇がこめかみを、睫毛を、鼻筋を辿って、唇に振れる。
啄むような口づけは、間を置かずに深くなって。
「――っ」
息が荒れる。苦しくなってアスランの肩に縋りつく。
離されて、息はできるようになったけれど、胸の奥で何かが焦れた。
ふわり、抱き上げられて数歩。広い寝台に横たえられた。ドレスの裾が広がる。
「カガリ」
名を呼ばれ、もう一度深い口づけが落ちて、掌が首から鎖骨、肩へと稜線を辿って行く。ドレスの上から太腿をなぞられて、知らず身体が小さく跳ねた。
「あ、シャワー……」
首筋をアスランの濃い色の髪が擽るのに、ふいにカガリは思い出す。朝からの行動を考えれば、随分動いたし汗もかいた。急に恥ずかしさの意味が変わって、やんわりと押し留めようとするけれど、アスランの指は止まらない。
「な、」
やや強く頼んで、ようやくアスランの顔が上がる、けれど。
「後で――もう、待てない」
熱の籠った声で耳朶に囁かれて、体温が上がる。
「――うん、わたし、も」
どうしていいか分からなくて、アスランに縋る。背中に回された手がホックを外し、ファスナーを降ろす。ベアトップのドレスはそれだけで下着姿にまで暴かれて、カガリは緩く胸元を隠そうとした。それを許されずに、右手をアスランの左手に縫い留められる。
下腹部に絡むドレスを、器用にアスランは右手だけで引き落とす。心もとなさに泣きたくなって、けれど、泣きたくなったのは別の理由だったのかもしれない。
「アスラン、も」
名を呼ぶ声がひどく拙い。思い通りにならない腕で、アスランのネクタイを引く。自分ばかり暴かれていると、小さな苦情は伝わったようだった。
口角が上がって、とてもきれいにアスランが笑む。ネクタイの結び目に指を入れて、首を振るようにして首元をくつろげる。誰かのネクタイを解いたことはない。どういう仕組みかよく分からないそれを、それでもカガリは引いて解いた。
一番上の釦を外そうと指を伸ばす。そこだけ釦ホールが横になっているせいか、サイズぴったりに作られているせいか、うまく外せずに滑った爪先がカリ、と乾いた音をたてた。
――もっと前に、触れることはきっと簡単だった。
二人とも大人で。例えば避妊に失敗して妊娠したとしても、子供を育てるだけの資産も手もある。
行政府も軍部も一枚岩で、望めば世界に内密の出産も可能だったかもしれない。
だから、妊娠を恐れた訳でもない。
何かに対して、意地を張っていた訳でもないはずだ。
元々二人とも誰かの熱を必要としない性質で――本当に?
ままならない指先で次の釦を外しながら、脳裏が他人事のように考える。
ようやっと二つ目の釦を外し終えると、膝立ちになったアスランが下の釦が嵌ったままのシャツをもどかし気に脱ぎ捨てた。
その仕草に、熱が、上がる。
抱きしめられて、抱きしめ返す。
――後はもう、熱の中。