この星空をあいつもどこかで見ているのかな、なんて。
ふと胸に過った感情に、カガリは小さく苦笑した。
少女めいた、と言うのか。ロマンティックと言うのか。どちらかと言えば自分には似合わないような気がする。
そんなことを考えてしまうのは、久しぶりに飲んだアルコールのせいか。
――それとも。
会いたいと、思っているからだろうか。
アスランは現在ユーラシア連邦近辺に潜伏中である。
本来であれば前任地から一月ほど前に帰着予定だった。その後報告と調整に僅かの休暇を経て、カガリがユーラシア連邦に訪問するにあたって内密で別動隊として入国する手筈になっていた。
それが『少し気になることがある』ということで、直接ユーラシア連邦に潜入することになった。
画面越しに会話を交わしたのはそれが最後。
その後、ユーラシア連邦で迎賓館に向かう車窓から、車列を見送る群衆に紛れるアスランを見つけたのが、顔を見た最後ということになる。
――あの速度と人混みの中、見つけてしまった自分に驚いてつい笑う。
アスランも気づいたのだろう。サングラスの下、目元が笑んだ気がしたけれど、それは気のせいだったかもしれない。
勿論アスランからは、キャバリアーを通じて報告は来ていたし、随行員と連絡も取っていただろう。
ただカガリがそれに関与するだけの時間はなかった。
ユーラシア連邦とその周辺国を十日ほどかけて歴訪して、カガリがオーブに帰国したのが一週間ほど前。
すぐにスカンジナビア王国からの賓客があった。
過去、二度目の大戦の最中、オーブを出奔したアークエンジェルはスカンジナビア王国の庇護を受けていた。その際多大な尽力をしてくれた人物である。
すでに政界を退いた好々爺だけれど、この数十年の世界の騒乱とスカンジナビア王国の立場を鑑みれば、外見通りの人ではないだろう。ウズミとの付き合いが長くカガリのことも可愛がってくれるけれど、同時に見定められているような感覚もあった。
明日帰国するとのことで、今日は最後の晩餐会だった。
請われて、カガリも久しぶりにドレスを着た。
と言ってもスカートを嫌うカガリのために仕立てられたパンツドレスである。両脇にスリットが入っていて動きやすいのがありがたい。
適度にアルコールも入ったところに、バルコニーに誘われた。
「――この星空を見たくてねえ」
好々爺らしく空を見上げて彼は笑う。
晩餐会は、彼の希望で郊外のアスハの私邸の一つで行われていた。建物に灯る明かりは煌びやかだったけれど、街中に比べれば幾分星はきれいに見えていただろう。
「スカンジナビアでも綺麗な星空が見えるように思いますが」
幼い頃、父に連れられてスカンジナビアに行ったことはある。残念ながら星を見上げたかどうか覚えてはいない。
その時にこの人にも会っていたはずで――それを思い出したのだろうか、ふふ、と笑みの種類が変わった気がした。
「月並みだけれど南十字星が好きでね――もう少し自由に出掛けられるようになったら、いらしてください。とっておきの場所を案内しましょう」
『もう少し自由に』と彼は言う。
その示唆するところに気づいてカガリは僅かに躊躇った。
僅かに。
「そうですね――それほど遠くならないうちに」
カガリの返答に老爺は、ふふ、と一段笑みを深めた。
アルコールのせいか。それともそんな会話を交わしたせいだろうか。
自室に戻ったカガリは、いつもなら脱ぎ棄てるドレスを着たままバルコニーに出た。
見慣れた――最近は見上げていなかった、星空を見る。
――どこかで星を見ているだろうか。
――それどころではなく、資料作成に没頭しているだろうか。
結局調べて行くうちに懸念点が増えて、カガリがオーブに戻るときにもアスランはユーラシア周辺に留まることになった。報告はあるけれどやはり時間が合わずにカガリは話せてはいなかった。
調査は概ね順調に進み、近いうちに帰着予定とは聞いている。
「――早く、戻ってくればいいのに」
ファウンデーションの事変から数年。世界はなし崩しに落ち着きを取り戻しつつあった――正確には、疲弊した世界には争いを生むだけの余力がなくなった、と言うべきだろうか。テロや小さな諍いは枚挙に暇がない。それでも、世界中を巻き込む争いに発展することはなかった。
カガリがユーラシアとその周辺諸国を歴訪できたのもそのおかげである。
だから少しばかり、欲深くなってしまうのだ。
指示を出したのはカガリというのに。
かつてない、甘えたことを考えた、とき。
「カガリ、いるのか?」
「ひゃっ」
開け放したままだった窓から声がかかって、カガリは背を跳ね上げた。
「すまない。驚かせたか」
「いや――ああ、うん。驚いた。戻って来ていたのか」
想起したばかりの人が、窓を背に困惑気味に佇んでいる。
「メールは送ったんだが」
「悪い。見てなかった」
「いや、予定は聞いていたし、返信がないから読んでないと分かっていたから、それはいいんだが――酔い覚ましか?」
伸ばされた右手が、確かめるようにカガリの頬を包む。
アスハ邸に帰宅していない可能性もあった。帰宅していたとしても就寝していたかもしれない。
それでも来てくれたのは、顔を見たいと思ってくれたに違いない。
低い体温の心地良さと、何よりその気持ちが嬉しくてカガリは指先に頬を摺り寄せた。
「ああ、うん」
「酔ってるな。珍しい」
らしからぬ行為を、アスランが含み笑う。
「久しぶりだったし、世話になった人で断りきれなかったからな」
アルコールのせいにして、カガリはそのままアスランを抱き締めた。
「カガ――!」
いつだって突然抱き締めてくるのはアスランなのに。どんな突発的なできごとにも対応できるように訓練している、なんて言っているのに。
驚きのあまり固まっているのが可笑しい。
「星を見てたんだ。南の空だって」
「――?」
言葉のないまま、あやすようにそっと抱き締め返される。
「いつか北の空を見に行こうな」
繋がらない会話にもう一度、酔ってるな、とアスランは笑って。
「そうだな――一緒に行こう」
それでも穏やかな声が返るのは、何かが伝わったのだろうか。
それとも。
どこかの空の下。
同じことをアスランも考えたことがあるのだろうか。