青の瞳と赤の魔術師カイヤーが初めてガネットに会ったのは、キャラバンの護衛を依頼したときだった。
最初の印象は、「細いな」。
護衛を引き受ける傭兵は、たいてい屈強な男たちか、腕に覚えのある者ばかりだ。
だが、目の前の黒髪の青年は、筋骨隆々というわけでもなければ、剣を腰に下げてもいない。
代わりに持つのは、身長と同じくらいの杖。
(本当に護衛なのか?)
そう思うのも当然だった。
しかし、ガネットはその疑問に答えるように、掲示板に貼られた依頼書を眺めながら、淡々と質問を投げかけてきた。
「ルートは? 危険地帯の有無は? 商隊の規模は? 警備の配置は?」
冷静で的確。必要な情報を無駄なく整理しながら、慎重に見極めようとしている。
その目には、場数を踏んできた者特有の鋭さがあった。
カイヤーは、その瞬間に確信した。
この男は、ただの護衛じゃない。
「戦うことより、生き残ることを知っているやつだ」
キャラバンの旅の最中、それはすぐに証明された。
護衛はガネット以外にも何人かいたが、誰も彼のようには動かなかった。
大半は魔物や盗賊の襲撃があれば力でねじ伏せるつもりでいたし、警戒していると言っても、せいぜい剣の柄に手をかける程度だ。
だが、ガネットは違った。
無駄な戦闘を避け、最小限の手間で最善の選択をする。
敵の襲撃を未然に防ぎ、必要なときだけ魔術を使う。
ただ守るのではなく、リスクそのものを減らしていく戦い方だった。
カイヤーは、その姿を見ながら思った。
「こいつは、俺の商売に向いてる」
腕っぷしの強さよりも、状況を読む力。
戦いではなく、生き残る知恵。
そして何より、ガネットのように考え、動ける者はほとんどいない。
お前みたいなやつがいれば、俺のビジネスももっと広がる。
だから、カイヤーはキャラバンの護衛が終わった後、こう言ったのだった。
「なあ、ガネット。お前、一人でやるより、俺と組んだ方が稼げるんじゃないか?」
ガネットは少し驚いた顔をしたが、やがて考え込み、静かに口を開いた。
「……俺と? 俺はしがない魔法使いです。護衛を頼むなら、もっと適任がいますよ」
「いいや、俺はお前と組んでみたい。気に入ったんだ」
=====
カイヤーの言葉を聞いた瞬間、ガネットの思考が一瞬止まった。
「……俺と?」
自分の耳が間違ったのかと思った。
護衛の依頼が終われば、商隊とはそこで縁が切れる。
それが当たり前で、今までもそうしてきた。
護衛は一時的な仕事であり、継続的な関係を求められることなどまずない。
だが、カイヤーは違った。
「お前、一人でやるより、俺と組んだ方が稼げるんじゃないか?」
まるで商談を持ちかけるように、当然のように言ってくる。
その目は冗談ではなく、本気だった。
ガネットは、何か言おうとしたが、すぐには言葉が出てこなかった。
(なぜ俺なんだ?)
考えてみると、カイヤーとは道中、そこまで深く話をしたわけではない。
護衛の仕事として最低限の会話は交わしたが、個人的なことを語るような間柄ではない。
「……俺はしがない魔法使いです。護衛を頼むなら、もっと適任がいますよ」
そう答えたのは、ほとんど反射的だった。
誘いを断る理由を探すよりも、ただそう言うのが当然だと思った。
カイヤーの商売にどう関わるのかもわからないし、そもそも「組む」というのが具体的に何を指すのかも曖昧だ。
商人である彼と、冒険者である自分では、そもそもの生き方が違う。
だが、カイヤーは即答した。
「いいや、俺はお前と組んでみたい。気に入ったんだ」
「気に入った?」
その言葉に、ガネットは戸惑いを覚えた。
"気に入った"。
そう言われることに、慣れていない。
彼が今まで組んできたパーティーは、彼を「必要」としたことはあっても、「気に入った」と言ったことはない。
回復役として、サポート役として、便利だから一緒にいた。
だが、それは役割の話であって、ガネット自身を見ての言葉ではなかった。
カイヤーは違った。
彼の言葉には、「お前の能力が役に立つから」ではなく、「お前と組みたいから」という意志があった。
(そんな理由で、俺を選ぶのか?)
困惑とともに、わずかに胸の奥がざわつく。
不思議だった。
カイヤーとはまだ数日しか共にしていない。
それなのに、彼の言葉は、これまで組んできたどのパーティーの言葉よりも「強い」。
ガネットは、ふっと小さく息を吐いた。
「……考えさせてください」
とっさにそう返したのは、即答するにはまだ、自分の気持ちが追いついていなかったからだ。
だが、その胸のざわめきは、どこか悪いものではなかった。
=====
荷物を商会に引き渡し、身軽になったカイヤーは、まっすぐギルドへ向かった。
昼間の喧騒が少し落ち着き、夕刻の静けさが街に広がり始めている。
露店からは香ばしい焼き肉の匂いが漂い、商人たちは客を呼び込む声を張り上げていた。
ギルドの扉を押し開け、中へ足を踏み入れると、天井の高い広間には冒険者たちが談笑していた。
壁には無数の依頼書が張られ、奥では受付係が忙しなく書類を処理している。
カイヤーはまっすぐ受付へと向かい、軽く指を鳴らして声をかけた。
「魔法使いで、ガネットって奴を雇いたいんだが、彼は今どこに?」
受付の女性は顔を上げ、少し考えるように眉を寄せた。
「ああ、ガネットさんですか? 先ほど護衛任務の報告を終えたところですが……今どこに行ったかまでは分かりませんね」
「そうか」
軽く肩をすくめ、カイヤーは踵を返した。
──まあ、いずれ見つかるだろう。
そのままギルドを後にすると、商店街の通りへ足を向けた。
街灯がぽつぽつと灯り始め、店先のランプが暖かな光を放っている。
人の流れはまだ途切れず、賑やかな笑い声が交差する中、カイヤーは品物の流通を確認しながら、ちらりと周囲を見回した。
ガネットは金にならない時間を過ごすタイプではない。
用があればすぐに動くし、必要がなければ静かに過ごすだろう。
(となると、どこかの商店か、道具屋あたりか)
当たりをつけ、カイヤーは魔術道具店の前で足を止めた。
──その瞬間。
ちょうど店の扉が開き、中から一人の男が出てきた。
黒髪の青年──ガネットだ。
「よお、探してたんだ」
軽く手を挙げながら、カイヤーは笑みを浮かべた。
ガネットは一瞬驚いたように目を瞬かせたが、すぐに普段通りの表情に戻った。
「……何か用ですか?」
「夕飯は食ったか? まだなら奢るぜ」
カイヤーがそう言うと、ガネットは僅かに眉をひそめた。
「……先ほどの返事はまだ考えたいのですが」
「急かしていねえよ。飯食いながら雑談でもしようぜ」
そう言いながら、カイヤーは肩をすくめる。
ガネットは一度ため息をつき、ちらりと夜空を仰いだ後、小さく頷いた。
「はあ……構いませんが」
そうして、二人は並んで歩き始めた。
=====
「好きなもんはあるか? 好きな酒は?」
カイヤーは気軽に問いかけながら、足を止めた。
「好き嫌いはないです。お酒は……飲まないんです」
ガネットは少し間を置いて、淡々と答えた。
「じゃあ、俺の好きなとこにするな」
そう言って、カイヤーは歩き出す。
街はすでに夜の色へと染まり始め、行き交う人々の足取りもどこか軽やかだった。
灯された街灯が石畳を照らし、店先からは夕飯時を彩る香ばしい匂いが漂ってくる。
カイヤーは活気に満ちた通りを抜け、馴染みの創作料理店へと足を向けた。
「魚料理が美味いんだ。酒がなくとも楽しめる」
店の暖かい光の中に足を踏み入れ、適当な席へと腰を下ろす。
店内は落ち着いた雰囲気で、木造のテーブルにはキャンドルが灯され、ほどよく空いた空間が心地よい。
カイヤーは手慣れた様子で料理を数品、それと果実水を頼み、自分用に酒を注文した。
しばらくして、湯気を立てる料理と、鮮やかな色合いの果実水、琥珀色の酒が揃う。
カイヤーはグラスを持ち上げ、ガネットに向かって軽く掲げた。
「護衛任務に感謝する。お疲れ様!」
「……ありがとうございます」
ガネットはわずかに表情を緩め、静かにグラスを合わせた。
料理をつまみながら、カイヤーは改めて自己紹介を始める。
「改めて、自己紹介をさせてくれ。俺はカイヤー。商人ギルド所属だが、一応、冒険者ギルドにも名を連ねてる。パーティーに入ることもあるんだけどな……まあ、あんまり長続きしないんだ」
はは、と笑いながら言うカイヤーに対し、ガネットは静かな表情を崩さず、必要最低限の自己紹介を返した。
「ガネット。魔術師です。回復とサポートのスキルは一通り使えます……」
「一通りって、すげえじゃん」
「いえ……俺は治癒魔法が下手なんで……致命傷レベルは無理なんです」
「護衛任務中、慎重だったもんな」
「治せないので……」
ガネットは淡々とした口調で言ったが、その声音にはわずかに苦さが滲んでいた。
カイヤーは軽く頷くと、酒を飲み干し、すぐに二杯目を頼む。
ついでにガネットにも果実水を勧めようとしたが、「水でいい」と言われたため、水を追加注文した。
グラスが置かれ、カイヤーが改めて話を振る。
「カイヤーさんは──」
「カイヤーでいい。敬語もいらないよ」
「……カイヤー、俺と組みたいと思った理由を教えてくれ」
ガネットの瞳がまっすぐこちらを見据える。
「そうだな……お前のその慎重さが気に入った。状況を把握する能力も高い」
「……冒険者なので」
「お前は、生き残るための戦い方がうまい。さっき治癒が下手だって言ったな。でも、その分、無茶をしない確実さが俺は好きだ」
「はあ……」
「冒険者ってのは、どうにも無謀なんだよ」
カイヤーはグラスを回しながら、ゆっくりと語る。
「回復魔法に全てを頼るパーティーよりも、常に大怪我を警戒して戦うほうが安心できる」
淡々とした語り口の中に、確かな経験が滲む。
「俺は回復魔法を侮ってるわけじゃないけどな……いつヒーラーが倒れるか分からない状況で、"手がちぎれても腹の臓物をぶちまけても治せる"と思って戦う奴らのほうが信用ならねえよ」
そう言って、カイヤーは酒をひと口煽った。
グラスの中の琥珀色が、微かに揺れる。
ガネットはその言葉を静かに聞き、何かを思案するように視線を落とした。
料理をつまみながら、カイヤーはグラスを軽く揺らし、琥珀色の液体を眺めた。
ろうそくの明かりが、酒の表面に揺れる波紋を作る。
「商売は駆け引きだ」
彼はグラスを置き、テーブルに肘をついた。
「命をかけることはそうそうないが……とはいえ、金額次第では命もすっ飛ぶし、品物によっては命も落としかねない」
淡々とした口調だったが、その言葉の裏には、幾度もそうした場面をくぐり抜けてきた者の重みがあった。
ガネットはスプーンを置き、静かに返す。
「護衛ならば……やはり、他のジョブの方が適任かと思うが……」
「別に、護衛だけしてもらいたいわけじゃない」
カイヤーは軽く笑いながら、酒をひと口飲んだ。
「商売は人対人だからな。交渉や取引において、相手の心理を読むのは何より重要だ。その見極めの目は、多ければ多いほどいい」
そう言って、カイヤーはガネットを見つめる。
「お前からは……人を見極める力を感じる」
「……そんなことない、誰でもできる」
ガネットは目を伏せ、スープの表面に視線を落とす。
カイヤーは肩をすくめ、口元に笑みを浮かべた。
「そうでもないぜ? お前は──商人と同じ目をしてる」
ガネットはわずかに眉をひそめた。
「……」
沈黙の中、グラスの中の氷が、静かに音を立てる。
カイヤーはその表情を面白そうに眺めながら、軽く手を振った。
「まあ、あんまり気負わないでくれたら嬉しい。お前が引き受けてくれたら、俺にとっちゃ助かるってだけさ」
そして、酒をもうひと口流し込み、さらりと続ける。
「それに一応俺は、罠の解除とか、魔物の生態学とか、色々役に立つ知識は持ってるつもりだ。冒険のお供にどうだい?」
「……商人なのに?」
ガネットが疑問を口にすると、カイヤーはにやりと笑った。
「学ぶことが好きなんでね」
店のざわめきの中、二人の会話だけが、静かに交わされていた。
=====
店の灯りが少しずつ落ち、賑やかだった客の声もまばらになってきた。
カイヤーは最後の一口の酒を飲み干し、グラスを置くと、満足げに息をついた。
「俺は一週間くらいこの街に滞在する。もし、パーティーを組むことに異論がなければ、商人ギルドを訪ねてくれ」
ガネットは少しの間、考え込むように視線を落としたが、やがて静かに頷いた。
「……わかった」
それ以上、深く詮索するようなことは言わず、カイヤーは微笑んで席を立った。
店を出ると、夜の冷たい空気が肌を撫でる。
「じゃあな、考えてくれよ」
カイヤーは軽く手を振ると、夜の街へと消えていった。
ガネットはその背中をしばらく見つめた後、自分も静かに踵を返し、暗がりへと歩き出した。
---
一週間後。
朝靄が残る街の外れ。
カイヤーは馬車の荷台に腰を下ろし、商隊の準備が整うのを待っていた。
もうじき街を発つ──そう思っていた矢先、聞き慣れた足音が近づく。
「……仮契約でよければ、しばらく組ませてほしい」
低く、落ち着いた声が響いた。
カイヤーは顔を上げると、そこにはガネットが立っていた。
相変わらず表情は淡々としていたが、その目には迷いがない。
「それでいいよ」
カイヤーは口角を上げ、立ち上がった。
「お互い、見極め期間だな」
そう言って手を差し出すと、ガネットは一瞬ためらった後、静かにその手を取った。
こうして、二人のパーティーは結成された。
=====
ガネットは宿への道を歩きながら、静かに考えを巡らせていた。
カイヤーは、今までに出会ったことがないタイプだった。
人の価値すら見抜くような深い青の瞳──それを思い出すと、不思議と興味が湧く。
ガネットは長い間、誰かと長く組むことを避けてきた。
基本的にソロか短期契約。いつ契約を打ち切られるか分からない不安を抱えるより、確実に短期で雇われるほうがいい。
なぜなら──
"中途半端なヒーラーはいらねえなあ。"
"悪いが、もっと強い術者を雇うよ。抜けてくれ。"
そんな言葉を何度も聞いてきたからだ。
ガネットの治癒魔法は、致命傷を癒やすほどの力はない。
いずれ見限られるのなら、最初から深く関わらないほうがいい。
──なのに。
「お前が気に入った」
カイヤーの言葉が、ふと脳裏に蘇る。
あの商人は、なぜ自分を選んだのか。
本当に、"慎重さ"や"状況判断力"が理由なのか?
それとも──まさか、性的な意味で気に入られたのでは?
いや、さすがにそれはないだろう。
それでも、カイヤーの言葉は妙に引っかかる。
商人らしい話術に取り込まれただけなのか?
それとも、自分が知らない何か別の意図があるのか?
宿へと続く石畳を踏みしめながら、ガネットは思考を巡らせ続けた。
答えは出ない。
何度考えても、納得のいく結論には至らない。
──だが。
マイナスにさえならなければ、それでいい。
損をしない範囲で試してみても、悪くはないはずだ。
そうして一週間の間、ガネットはギルドの掲示板で任務を確認し、装備やアイテムを補充しながらも、結論を出せずにいた。
しかし、最終的に"組んでみる"という選択をしたのだった。
その選択が、いずれ唯一無二の出会いへと繋がっていくことを──
ガネットも、そしてカイヤーもまた、まだ知る由もなかった。
おしまい。