待ち人…… また騒がしい男がやってきた。ため息一つ思わず出たが、これはもう面と向かってはっきり言わねばならぬだろう。あれが聞いているわけでもない今こうしてため息をこぼすのも、どうにもため息の無駄、というような気もする。あれのためにこぼすものはたといそれがため息なんてものであろうと、勿体ない。
「土蜘蛛どのに来客が……」
「構わん、早う通せ」
と、どこからか響く使いの者の声が終わらぬうちに返事をした。座敷の前に浮かんでいた使いの者の気配が飛ぶように去っていく。
あれはまた妙なことをする。日頃は表から入っては来ぬくせに、こんなときだけ間怠っこしく門を叩くとは。どうせ気配でわかるのだ、勿体ぶるだけ時と手間の無駄である。早う来い早う来いと思っていればなかなか来ない。なんと天の邪鬼であろう。
「……まだか」
しびれを切らして独り言ちた。これもどうせ当の本人には届かない。なにせまだ来ていないのだから。あれのために独り言など、こんなに勿体ないことはない。
とにかく顔を合わせたら一つがつんと言ってやらねばならぬ。あの軽佻浮薄が衣を来て歩いているかのような蛙に一つ、きつい灸を据えてやらねば!
もしやあれは蛙ではなく軽薄の妖怪なのではなかろうか、と頭にふと浮かんできて、思わずふっと吹き出した。
無論これもあれには届かぬ。まだ来ない。しかしこればかりは届かぬことに、安堵した。あれのことを想像してふと吹き出すなど、これでは吾輩の方が軽薄ではないか。あれに知られれば腹を抱えて笑われるに違いない。危ないところだった。
しかしまだ来ない。いったいどういうつもりなのか。この忙しい中突然訪ねてきて、の割には屋敷の主人のところへは延々と姿を見せず待たせ続ける。失礼にも程があろう。
よもや客とはあれではなく? いいや気配は間違いなくあれのものだ。ここは吾輩の巣だ。入ってきた者が誰であるかなど、姿を見ずともわかっている。ではあれは吾輩以外に用があったのか? まさか、そんなはずがあるまい。あれに限ってそれはない。では一体何だというのか、どこで道草を食っておる? こちらから出向いてやろうか、それが早いか。
と、考えている最中にやっとのことで座敷の襖が開いた。
「遅い! 何をしておる!」
「ひぇぇぇ」
今のは一体?
思い切り怒鳴りつけてから、様子がおかしいことに気が付いた。期待していた反応と違う。それどころか声も違う。
「何考えてんだてめえ。初対面のガキに訳の分からねえイチャモン付けやがって」
「何を!? お主こそどういうつもりだ!」
「どうもこうも」
大ガマめ、今になってようやくひょっこりと顔を出した。はじめに襖を開けて現れたのは、たしかに初めて見る顔の幼子だ。その後ろから、大ガマのもう辟易だと言わんばかりの顔。
「こいつが土蜘蛛にどうしても助けてもらわなきゃなんねぇ用があるってのに怖がって尻込みするからさ、おれが連れてきてやったんだよ。ここまで来る間にもあんたの妖気に当てられて気絶しそうになるし大変だったんだぜ。オレがじゃねえよ、こいつが苦労したんだよ。可愛そうだと思わねえのか、子供相手に。機嫌が悪いのかなんだか知らねえが、なんだって屋敷中に妖気を走らせてんだよ。……大丈夫だよ、オレの影に入りゃさしもの土蜘蛛さんの妖気も通らねえさ。ほら、自分でちゃんと名乗れるな?」
……などと、吾輩を蚊帳の外にしてその青い顔の幼子をなだめている。
確かに、いきなり怒鳴りつけた吾輩に非はあろうが……それは認めねばなるまいが。しかしこれでは吾輩が悪者のようではないか。これはお主の日頃の行いのせいである、と一つ申し開きをしたいのだが。
【了】