戀我が本丸の小竜景光は、感情の起伏が控えめで、表情の変化が乏しい個体であった。
通常の小竜景光といえばーー基本的には人当たりの良い笑みを浮かべている。飄々としていて、自由で、掴みどころがない。喜怒哀楽の表現ははっきりしている方で、話し方は快活で、派手な色彩の装束も相まって出立ちも表情も華やかな刀剣男士だ。
しかし、つい数日前に顕現した小竜景光は笑うどころかほぼ無表情だった。話しかけたら相応の受け答えはするものの、演練で見かける余所の小竜と比べるとその話し方も声も随分とおとなしい。前述のとおり感情面も控えめなため、そもそも口数が少ない。
凪いだ海のような。あるいは精巧に作られた人形のような。なんとも物静かな男であった。
そういう訳だから旅に出たいなんて一言も言わないので不具合を疑った主人は小竜を検査に連れて行ったが、刀剣男士としての能力値にはなんら異常は無かった。バグではなく、あくまで個体差。そういう『性格』なのだそうだ。
それでも、他と違うという事はやはり心配になるもの。彼の顕現時に近侍を務めていた俺は、このおとなしい小竜を気にかけてやってくれと主人に頼まれた。
付きっきりで世話をする必要は無い、ただ少しばかり寄り添ってあげてくれないかと。主人に打診される前から俺自身も小竜のことが気掛かりではあったので、二つ返事でその任を引き受けた。
部屋を同じにしてもらって、ほんの少し多めにお節介を焼いた。通常個体の小竜ならおそらく鬱陶しがるほど話しかけた。
意外とそれが功を奏したのか、次第に小竜は俺に対して心を開いてきた。少しずつ交わす言葉が増え、顔つきが幾分か穏やかになってきた。こうなると親心のような気持ちが湧いてきて、もっと彼の色んな表情を引き出してみたい。そう思っていた……ある日のことだ。
二振り揃って非番だった昼下がり。何の話をしていたか思い出せないくらい、他愛無い雑談の最中、ふとーー小竜が、少しだけ笑ったのだ。
余所の同位体と比べると随分と控えめで、僅かに微笑んだだけに過ぎない。けれど、初めて目にした彼の笑った顔は今まで出会ったどの美術品よりも美しく、愛らしいと感じた。
もっと、この子が笑うところを見たい。静かな微笑みだけでなく、大輪の花が開くような満面の笑みを見てみたい。いつか、俺が笑わせたい。小竜が初めて笑った日から、そう願うようになった。
その想いの根源は、卵から孵ったばかりの時から見守っている雛鳥の成長を嬉しく思う親心だと、このときの俺は信じて疑わなかった。
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「ーー……ぅ、ん、……?おや、ここは……手入れ部屋?」
目を開けると自室ではなく手入れ部屋の天井を見上げていた。
掠れてうまく発せない声。思考がまったくまとまらない頭の重さ。身動きを取るのも厳しいほどの倦怠感、全身を支配するひどい痛み……なぜここで寝ているのか、思い出せない、確か自分は朝から出陣していたはず……
「っ、はんにゃ!起きたの、痛いところない!?」
その慌てたような声のほうへ視線だけ向けると、布団のすぐ傍に居た小竜がとても心配そうな表情で俺を見ていた。
「こ、りゅう……痛くない、ところのほうが無いんだが、おれは、なにが」
「え、覚えてないの……記憶が混濁しているのかな。あなたは、先の出陣で重傷を負ったんだよ」
「…………ああ、そうだ、った」
小竜の言葉でようやく自身の状況を思い出した。
俺は今朝から赴いた戦場で、時間遡行軍の攻撃をまともに喰らってしまった。お守りが発動する一歩手前というひどい怪我を負い、意識が朦朧とする中で帰還しすぐさま手入れ部屋に運び込まれたのだった。
「手入れが終わっても、熱が下がらないし、全然目を覚さないから、このまま折れたらどうしよう、って……主やみんなも、そんな事にはならないって言うけど、実際に目を覚ますまで、本当に不安で、心配、でっ……!」
震える声で胸中を語る小竜は、目に涙を浮かべていた。
ついにぽろりと零れ落ちるようにひとしずくだけ流れて。そして初めの涙が流れたあとを追いかけるように、ぽろぽろ、はらはらと、紫水晶の大きな瞳からはとめどなく大粒の涙が溢れて小竜の頬を濡らしていく。
「あなたが、折れるかと思ったら怖くて堪らなかった……!いなく、ならないで、だいはんにゃ」
俺がいなくなることを恐れて、不安で、小竜は初めて涙を流した。
ひく、と泣き慣れていなくて子どものようにしゃくりあげるその姿を見て……ああ、この子はちゃんと泣くことができたのか。感情を押し込めず、心のままに涙を流せるのだと分かって、俺は安心した。
「こりゅう……小竜。心配かけて、悪かったよ。ほら、俺はもう大丈夫さ」
少し動かすだけであちこち痛む体だが、無理やり上体を起こして小竜を抱きしめた。
初めて小竜が涙を見せたことによる喜びと……初めて泣かせた理由が自分だという、僅かな優越感と……そしてそれ以上の申し訳なさと。さまざまな感情が綯い交ぜになって、一番強く思ったことは。
「俺の可愛い子……どうか、泣かないでおくれ。あんたには、笑っていて欲しいんだ」
ーーやはり、この美しく気高く自由な竜には、笑っていて欲しいという願いだった。
「そ、んなふうにカッコつけたこと言うならっ……!泣かせるほど、心配かけるなよばかぁ……!」
「はは、ごもっともだ。あんたの笑顔を守るためにも、もっと強く、ならないとなあ」
「いや、歴史を守りなよ」
「おっと……正論で諭されてしまった。手厳しいなぁ、はははっ」
「もう、まだろくに体動かせないくせに、調子いいんだから。早く、良くなってね。大般若」
「ああ。ありがとう、小竜」
美しく愛らしいこの子にはずっと笑っていて欲しいと思うこの気持ちはきっと、愛によく似た何か。
雛鳥の成長を見守り喜ばしく思う親愛だけではない、別の想いも混ざった、何か。
その想いの名に気がつくのは、そう遠くない未来なのだろう。