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    tukaichi17

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    tukaichi17

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    アタワサのタコワサ視点みたいな話

     夜の海を二人で歩いた。
     まだそういう関係になる前の話だ。互いに好意はあったが、それを自覚はしていなかった頃である。
     目を閉じると瞼に光に重さを感じるくらい、その日の月は青かった。
     そろそろ潮が満ちるのか、海風は少し強い。風に煽られ、ばたばたと着物の袖と袴がはためく音が潮騒と良く合った。
    「前はもう少し、波打ち際が遠かったのだが」
     ちいさく呟くと、隣を歩いていた開襟シャツと洋袴姿の男――アタリメが耳聡く訊き返す。
    「何だって?」
     独り言であるからタコ語で呟いていたのだが、聞かれて不味いことではないので改めてイカの言葉で言い直した。
    「海ガ近イ、ト言ッタノダ」
     会話するには困らないが、流暢さにはやや欠ける。けれど、言わんとすることは伝わったのか、アタリメもため息のように呟いた。
    「そうだな。二年前と比べても、かなり水位が上がっておるようだ。原因はわからんが、どのみち天変地異には手も足も出ん」
     この男は普段のおどけた言動の割に、内面はとことんまでリアリストだった。例え原因が分かっても事態の好転など望めないと理解している。
     ここ数年で、海の水位はかなりあがった。これからも上がり続けるだろう。今は良いが、十年、二十年後にはどうなっているのか。考えるだけでうんざりする。
     けれど、どうしても海そのものを憎むことは出来なかった。
    「ダガ……忌々シイノニ、海ニ対スル郷愁が消エヌ」
     青く光る海を見つめ、ため息交じりに告げる。
    「俺もだよ。奇遇だな」
     苦笑しながらアタリメは胸ポケットから古いシガーケースを取り出す。アルミ製のそれは、月の光を反射して鈍い青に染まっていた。
     中に詰まっているのは手巻きのシガレットで、それに使われているのはタコ語の辞書だ。曰く、生真面目なタコが作る薄葉紙が一番口当たりが良く、それに使われる蛸墨が煙草の味を引き立てるらしい。
     だからお前はいつまで経ってもタコ語を覚えられぬのだと小言を言ったが、「知ってるか、イカスミよりもタコスミの方が旨味成分が強いんだってさ」とあっけらかんと返された。
     アタリメは、唇の端に煙草を挟むと、手慣れた風に使い捨てのライターで火を付ける。赤い火がぽっと灯り、そして青い月光の下で紫煙がくゆった。
     煙は海からの風に押され、陸の方へと追いやられる。ほんの少し棚引いて、青の中に解けて消えた。
     タコワサも多少は煙草を嗜むが、アタリメの紙巻き(シガレット)ほど匂いも色も強くない。アタリメはどこまでも暢気で享楽的に見えるが、その実どこか倦んだような気配があった。その歪さが呟く歌はざくり、ざくりと重みを伴い、心の奥を穿たれる気がする。
     以前に軽く音を合わせた折り、その事を話してみると、アタリメは煙草を一口吸ってから愉快そうに笑って言った。
    「ハハハ。俺の部隊は屯田兵の真似事もするからさ。その『ざくり、ざくり』は鍬の音だろ」
     しかし、それは畑を耕すような牧歌的な音ではなく、どちらかというと肉を穿つ刀のようなものに聞こえる。その刀にはいつか心臓を貫くような剣呑さがあって、タコワサがこの男の言葉に惹かれたのはそのせいであるかもしれなかった。
     真昼の太陽のような目をしているくせに、そんな歌を謳うのだと幾度も思ったし、これからも思うだろう。
     その歌に合わせる音は、過去の模倣では間に合わない。全く新しい物でないと、この男が内包する刃に負ける。
    ――負けるのは困るな。
     かといって、勝つという訳でもない。どちらかと言えば共存で、だから新しい音が必要だった。
     考え込むタコワサに、アタリメが訊く。
    「どうした、急に黙って」
    「イヤ、ナンデモナイ」
     咄嗟にごまかす。こんなことは本人に面と向かって言うことでもあるまいと思ったからだ。
    「ふぅん」
     自分から訊いてきたくせに、アタリメはそれ以上は追求してはこなかった。代わりに呟く。
    「母なる海への望郷はある。それなのに、今の俺等は海の中に入れば御陀仏だ。帰りたいのに帰れない」
    「矛盾ダナ」
    「そうだな、矛盾だ」
     言いながら、アタリメは深く煙草を吸う。
     その様子はどこか沈んでいるようで、いつもの飄々とした雰囲気もどこか形を顰めている。
     普段のこいつではない、と気付いたのはその時だった。いや、思えば海の散歩に誘って来たときからどこか違和感はあったのだ。
     どこか深く考え込むような、気もそぞろと言うような、そんな気がする。
     何かあったのか、と訊くよりも早く、アタリメがふらりと動き出した。
    すうっとタコワサの側を通りすぎると、そのまま波打ち際まで歩いて行く。
     その背中はやはり、何かを思い詰めているようにも見えた。
     海からの風に乗って声が聞こえる。
    「矛盾ついでに言えば、海に溶けるというのは、身体の無い生をはじめる事なのかもしれないとずっと考えて居るのだ。でなければ、海を見る度にこんな郷愁を抱えるはずもない」
     言いながら、煙草を咥えたまま一歩、海の中へと踏み込んだ。そのまま数歩、水平線の方へと進む。何故だか背筋がぞっとした。
     すれ違うときに見たアタリメの目は、日の様な色をしているくせにひどく昏い。この男はごくたまにこんな目をする。何かを予期した苛立ちのような目を、だ。
     あの、ざくり、ざくりと言う音を思い出す。あれは確かに刃の音ではあったが、それが向けられる先はよもやアタリメ自身ではなかったかと、急に思い立った。
    「オイ……!」
     そのままこの男が海の向こうまで歩いて行ってしまうような気がしたタコワサは、思わずその後を追いかける。海の中へ踏み込んだ途端、あの浸透圧でインクが溶け出す時の鋭い痛みを足に感じた。忘れていたが、イカやタコというインクを使う生き物は、海水に触れるとかなりの痛みが走るのだ。
    「ッ……」
    「な、莫迦!」
     痛みを物ともせずに躊躇無く海へと足を踏み入れるタコワサに、アタリメは初めて慌てたような声を出す。そのまま煙草を海に吐き出し、タコワサを担ぐように抱え上げた。
     莫迦はどっちだと言う間もなく、アタリメはタコワサを担いだままざぶざぶと陸に戻る。心なしか焦っているようだ。
     波の泡すら届かぬ場所まで走った後で、そのまま二人は砂浜にもつれるようにして倒れた。正確に言えばアタリメが転んだだけだが、結果としてもつれて押し倒すような格好だ。
     荒げた息を整えることもせず、アタリメが怒ったように言う。
    「莫迦か、お前は。お前まで海に入る必要は無かっただろう!」
    「莫迦トハ何ダ、莫迦トハ! 大体オマエガ、アンナ目ヲシテイタカラ……」
    「あんな目?」
    「寄ル辺ノナイ子供ノ目ダ! 何ガアッタカハ知ランガ、ソンナ目ヲシタ貴様ヲ、オレガ放ッテオケルト思ウノカ。ソモソモ今日の貴様は変ダゾ、アタリメ!」
     むかっ腹が立ったので、思わず怒鳴るようにして言った途端、ヒュッ、と息を呑むような音が聞こえた。
     直後にアタリメが、狼狽えるような声で言う。 
    「……気付いて居たのか」
    「貴様ガ普段ト違ウ事クライハナ! 詳細ハ知ランガ……」
     大体オマエハ……と続けるタコワサの口が、不意に苦みを帯びたものに塞がれた。
     それがアタリメの接吻だったと知ったのは一テンポ遅れてからだ。突き飛ばすことも起こることも怒鳴ることも、勿論ぶん殴る事だってできたのに、タコワサは異様に狼狽しつつも何故だかそれを受け入れてしまった。
     互いの鋭い歯が当たってガチリと音を立てる。こんな食い合うような接吻があるかと思ったのは一瞬で、唇が離れたあとに告げられた言葉に頭が真っ白になった。
    「すまん。一生言う気は無かったが、やはり言わんとならんと思うから言う。俺は、お前に惚れておる」
    「……は?」
     イカの言葉を喋る余裕も無かったが、それがタコの言葉でも同じ発音だったのは偶然なのか何なのか。
    「種族も違うし、立場も違う。だから一生言わんと腹をくくったというのに、全くお前という奴は……」
     浮かない様子だったのはソレが原因かと思ったが、しかしこんな図々しい責任転嫁は初めてされた。巫山戯るなと怒鳴りかけて、ハタと気がつく。
     まんざらでもないというより、当たり前のようにこの男を受け入れようとしている自分に、だ。
     むかっ腹が立つ。
     腹が立ちすぎて、アタリメに同じ事をしてやった。
     がちっとまた歯が当たる音がする。痛かった。
     アタリメが驚くでも痛がるでも無く、嬉しそうな顔をしているのが更に腹立たしい。
     けれど、不思議と嫌な気はしなかった。
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