① 久しぶりにやってきたベロブルグは平穏そのものだった。ここ最近はとんでもなくスケールの大きい事件に巻き込まれまくっていたからか、この単調な日常風景が伝えてくる平和さがとても懐かしくて愛おしい。星核のもたらした危機も解決した今、行政区には抜けるような青空が広がり、あたたかな日差しが降り注いでいた。
予定もないし散策ついでに友人たちに会いに行こうかな、なんて考えていたところで博物館の方からなにやら騒がしい声が聞こえてくる。胸の内にわいてくる開拓の精神を星は無視することはできない。考えるより先に足が喧噪の方向へと進み始めていた。
結論から言うと星はとてつもない後悔の念に駆られた。
星と同じく野次馬しに来た人々をかき分けたその先に広がっていたのは女の人が泣き怒りながら男の人に縋り付いているという、俗にいう痴話喧嘩の光景だった。それだけならなんてことはない、ただのもの珍しい出来事なのだが。その女の人に絡まれている男の容貌にどうにも既視感を覚える。髪型も服装も思い浮かべている人物とは違うのに、だ。
「貴方の望むもの全てあげる!私にできることなら何でもするわ!ねえ、だから…」
「はあ…あなたのせいでこんなに人が集まってきてしまったじゃないですか。本当にこういうの迷惑なんですよね。」
男の声は少し発声を変えているようだが…残念ながら明らかにサンポの声だった。上質そうな服を身にまとった女性を面倒そうにあしらう姿は見慣れたものとはかけ離れていて、星の目にはかなり新鮮に映る。それにしても結婚詐欺?までやってるなんて…いくらなんでも詐欺師すぎるだろう。
このままことの顛末を見守るのも面白いかもしれないが、そろそろお腹もすいてきたのでここらで切り上げてカフェテリアにでも行こうかと星が騒動から目を離した瞬間、「ああっ!」とわざとらしい声が上がった。思わず視線をその声のした方向に向けるとばっちり緑色の瞳と視線が交わる。まずいと思ったころにはもう手遅れで、サンポは事も無げに女の人を振り払ってこちらに向かって歩いてくる。やたらと集まってきていた野次馬たちのせいでなかなか逃げ切れない。もう少しで人混みを抜ける、といったところで腕を掴まれた。しぶしぶ振り向くと今琥珀紀最大レベルの満面の笑顔を浮かべたサンポがいる。
「星!会いたかったですよ、とっても。」
「はぁ…また面倒ごとに巻き込むつもり?」
「まただなんて人聞きの悪い。とりあえず借りは必ずお返しするので、今は僕に協力してください」
その言葉に言い返す暇もなく抱きかかえられる。お姫様抱っこされて半ば強制的に近づいた首筋からはいつもと違う甘ったるい香りがした。
「ちゃんとつかまっていてくださいね」
こうして女の人の悲鳴のような叫び声と街中の視線を浴びながら星はサンポに連れ去られた。
▼
人ひとり抱えて両手が塞がってるのによくこんなに速く走れるなあ、とかお昼ごはん食べそびれちゃったなあとか星が考えている間に景色はどんどんと変わっていき、いつの間にか下層部に着いている。ケーブルカーも、あのやたら長い階段も使っていないのにどうして、そんな疑問を口に出す前にそっと地面に降ろされた。
「ふう、ここまできたらあの熱心な方も追ってこられないでしょう」
「…一つ聞きたいんだけど、私を巻き込む必要ってあった?」
「もちろんですよ、とりあえず食事でもしながら話しましょうか」
サンポの奢りでね、仕方がないですねえ、そうしてなんてことない会話をしながら隣を歩くサンポを盗み見る。前髪をあげているから珍しくちゃんと両目が見える。服装だってあのワインレッドの派手な服じゃなくて、黒いスーツを着ている。そのせいでいつものうさん臭さなんて微塵も感じさせず、むしろ誠実で真面目そうな印象になっている。......悔しいが、かなり。
「あの、そんなにじろじろ見られるとさすがに恥ずかしいんですが…」
「ばれてた?」
「痛いほど貴女の視線を感じてましたよ」
「ただすごく違う人に見えるなあって思ってただけ」
かなり、かっこいいなんて思ってしまったのを決して悟られないように表情筋に力を込めているとゲーテレストランが見えてくる。サンポはあらかじめ部屋をとっていたらしく、二人はそこで話すことに決めた。
「あの。お話をするために食事に誘ったというのに、最後の一口まで黙ってるのはどうなんです?」
「仕方ないじゃん。あんたのせいでこっちは昼ご飯抜きになるところだったんだから」
「それはそうなんですけどぉ」
わざとらしい声を出しながら抗議してくるのを流しながら一緒に頼んでいたサイダーを飲み干す。
「で、貴女を巻き込んだ理由なんですけど。」
▼
「タバコのにおいが嫌いって前に言ってませんでしたっけ。」
「嫌い。だけど…今はいいよ。」
ああ、不愉快だ。サンポ・コースキと、今化けているこの男の何が違うというのだろう。どちらも「僕」が演じている役に変わりはないのに、どうして。
恋人のフリをしてほしいと頼んだその結果としては、これ以上ないほどの順調な進捗。これならきっと星さんが僕の予想外の行動に出て場を引っ掻き回したり、関係性を怪しまれることは絶対にないだろう。
そうして星がどんどんとすべてが虚構で象られた「男」に惹かれていくたびにサンポは苛立ちを覚えた。そうなるように仕向けたのは自分でしかないのに。
②
雨が降らなくなって久しい。そろそろ川の水が枯れてしまうと人々は恐れ、よくわからない怪談じみた話を囁きあっている。村の水門番の家の養女である星はそんなことは特に気にもせず、ただだんだん水量が少なくなっていく川の様子を眺めて過ごしていた。
そんなある日、村の長の家に連れていかれることになった。
そこには村の年寄りたちが集まっていて、話を聞かされた。どうやらこの村には昔から畏れの対象となっている蛇の化物がいるらしく、それがこの地域全ての水をつかさどっているというのだ。そしてそれは金品を好む性質のようで、今まではその類を捧げてきたらしい。しかしその効果が見られないためここは若く美しい乙女を…という結論になり、その対象に星が選ばれたという。
「ふつうに嫌だけど」
美しい乙女という評価はだけは悪くないが、あまりにも理不尽すぎる。どうしてよく知らない化け物の生贄にならなければならないのか。
そう不満を漏らした星だったが、村全体としてはそうも言っていられないので半ば強引に押し切られてしまった。養父に助けを求めたが、水門番の立場は芳しくないようで諦めてくれ、と言われてしまった。
そこで星は考えた。もともとあまり愛着のない村、納得できない決定、このままでは死ぬのは確定なこの状況。これは一矢報いてやらねば腹の虫がおさまらない。星は、その化け物を殺してやろうと決めた。そもそも、そいつが雨を降らせないのが悪い。村から金品をもらい続けているくせに何を出し渋っているんだ、と本気で思う。
そいつが死ねばきっと雨も降るようになるだろう。
そして数日後、連れてこられたのは高い山の上にある屋敷だった。大きな池の畔に横たわるその屋敷は、もはや貴族の住む御殿だといわれても納得するような壮麗さだった。
こんな場所に住んでいるのが蛇だというのは少し不思議だ。
「では、星。達者で」
そう言ってここまでついてきた村の長や養父はそそくさと帰っていった。いまここに棒状の何かがあったら最期の恨みとして殴ってやるところだが、生憎そんなものはないし、何より両手が塞がっているのでただそれを睨みつけることしかできなかった。その両手を占めていたのは大量の酒である。古来より蛇を退治するといったら酒で眠らせてその隙を——というのが相場。というわけで星は度数が高いといわれている酒を買い集め、太ももあたりに短剣を忍ばせてここまでやってきたのだった。
さて、とりあえず屋敷に入ってみればいいものか、などと思案していると池のほうから小さく水音が鳴った。視線をやると、濃紺の鱗に花緑青の瞳をした大きな蛇が水の中から頭を持ち上げてこちらを窺っていた。明らかにただの蛇とは思えない大きさや色をしたそれは、すぐに星の方へと音もなく近づいてくる。
「警戒する必要はありませんよ、お姉さん。僕は人を食べるなんて趣味の悪いことはしませんから」
声は蛇のいる方向から聞こえてくる。じっと、体を強張らせてそれに視線を集中させていると急にその輪郭がぼやけてみるみるうちに人の形になっていく。ひとつ瞬きをしたそのあとに星の目の前には濃紺の髪に花緑色の瞳をした大柄な男が立っていた。恭しいお辞儀をした後にそれは、星の髪にキスを落とす。
「初めまして、お会いできるのを楽しみにしていました。僕のことはサンポ、とでも呼んでください。貴女のことはなんとお呼びしたら?」
「…星。馴れ馴れしく触らないで、ヒモの化け物」
垂れた目の奥にある蛇のような縦長の瞳孔がふ、と開かれる。驚いたような、それでいて満足げなその表情はその裏に潜む心理が全く分からなくて不気味に映る。
「ヒモ!僕をヒモ呼ばわりだなんて面白いお方…いえ、ただの命知らず、でしょうか」
「事実でしょ、村の捧げもので養ってもらってるんだから。その上雨すらまともに降らせないし。ヒモで詐欺師とか最低だと思う」
「ひどい言い様ですねぇ…」
星が会話を続ける気がないことに漸く気が付いたかのようにサンポがわざとらしくおや、と声を上げた。
「その荷物、重いでしょう。持ちましょうか」
「平気だからこれ以上話しかけないで」
履物を脱いで、床に足を付けると部屋の奥からひんやりとした風を感じる。簾が空間を仕切るように張り巡らされているせいか屋敷の中は薄暗く、主と同じく底知れぬ不気味さを感じる。星はとりあえず見物でもしてやろうと廊下に沿って歩いていくと、いくつかの部屋があるのが分かる。水門のそばの小さな小屋で長く時間を過ごしてきた星にとっては眩暈がするほど広大だ。しかし不思議なのはそのどこにも人の気配はなく、そればかりか誰かが生活していた様子さえも感じられないことである。
「ねぇ、ここには他の人っていないの?」
サンポはその問いに足を止めて一瞬きょとんとした顔をした後、合点がいったようにあぁ、と呟いた。
「僕以外誰もいませんよ」
「……いない?それじゃあどうやって生活してたの?」
「どうとでもなります。なんてったって僕は化け物なので」
そう言ってサンポはうっそりと微笑む。その表情は一見優し気な青年に見えるのに、縦に割れた瞳孔や、不敵な笑みを作る口元から覗く舌がその印象を悉く台無しにしている。
「水もいらないってこと?」
「ええ」
「じゃあなんで捧げもの受け取ってたの?」
「それは……まぁ、趣味みたいなものですよ」
「趣味?」
星は眉を顰めて聞き返す。捧げものを運ぶ日には、金品のほかにもたくさんの米俵や野菜が大八車に載せられているのを見た。それはあまりにも膨大な量だったため、村の人々はその煽りを食らって貧しい生活を強いられていたのだ。その苦悩が趣味のために引き起こされていたなんて…信じられない。
「僕、価値のあるものが好きなんです。そしてそれと同じくらい愉しいことも好きです」
そんな星の様子を気にも留めずサンポが続ける。
「それなのに最近の村からの捧げものは正直、つまらなかったですから。興醒めしてしまいました」
「なにそれ…。じゃあ、私が捧げられて残念だったね。別に私は超絶美少女なこと以外は特にこれといって価値も、愉しいとこもあるわけじゃないし」
「いえ、僕は星さんにとても魅力を感じますよ」
「……は?」
「だって、貴女は僕を殺しにきたのでしょう?」
その言葉に星は一瞬息をのんだ。バレている。その事実が星を動揺させるが、それを意に介さぬようにサンポは続ける。
「村での僕の評判はご存知ですか?雨を降らせず、捧げものも受け取らず、その理由も明かさず…とくれば大層な悪評なのは想像に難くないでしょう。そんな時に捧げられた若く麗しいお嬢さん!こんなの…あぁ、村の人間は僕をどれほど無知だと思っているのでしょうか」
サンポの顔に心底楽しそうな笑みが浮かぶ。その笑顔に星は冷たいものが背中を伝うのを感じた。
③
「ここまで来ればもうあの方たちも追ってこられないでしょう」
「じゃあ、もう降ろしてくれる?」
「…そうですね」
星の両足が久しぶりに地面につく。その感触を確かめ、身なりを整えようとした瞬間、ネイビーブルーに視界を奪われ、腹のあたりを何かが締め付けているような感じがした。初めにそれがサンポの髪の毛だと気づき、その次にサンポに抱きしめられているのだと気づいた。
「は…、なに急に」
その体にすっかりと覆いかぶさられ、サンポの体温や脈をじかに感じている状況が星の動揺を誘う。腹に回されていた腕は、何かを確かめるように背中や腰にまで這って行く。
「サンポ…ねえ、ほんとに」
「貴女…ちょっと細すぎません⁈」
なんて藪から棒に、なんて思いながらサンポの表情を窺ってみると、そこには揶揄いなんて微塵もなく、本当に驚いているようだった。…少し意識した自分が恥ずかしい。
「ちゃんと食べてますか?いや、貴女が細身なのは知ってましたけど、軽すぎるし細すぎますって!」
「食べてるよ…列車にいるときは」
もごもごと口ごもりながら自分の食生活をそういえば、と思い返してみると確かに健康的とは程遠いかもしれない。じゃあ一人でいるときは何を食べているのか話してみろ、とでもいわんばかりのジトっとした視線が星に突き刺さる。
「大宇宙チャーハン、エナジードリンク(無糖)、スラーダ………あれ。これぐらい、かも」
最近食べたものを何とか挙げると、サンポは完全にあきれ顔になっていた。まるで何回言い聞かせても言うことを聞かない子供を見るような表情だ。
「…貴女が興味あるもの以外にそこまで頓着がないのは知っていましたけど、食すら疎かにするとはさすがの僕も予想外でした」
はあ、と一つため息をついてやっとサンポの腕が星の体を離れていく。
「先ほどのごたごたのお詫びに食事でもどうです?もちろん、僕のおごりで。」
「本気?あんたが自分からおごるって言いだすの、珍しい」
「それだけ僕が貴女の食生活を本気で心配してるってことですよ」
「ふーん…まあ、ただでご飯食べれるなら何でもいいけど」
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連れてこられたのはボルダータウンの外れも外れ、廃墟が並んでいる通りにあるアパートの一室だった。この時点でテンションは完全に地の底だったが、もしかしたら隠れ家的な店なのかとも思ったが、部屋の中に入った瞬間にその幻想は打ち砕かれた。
「ここ、なに?」
「僕のセーフハウスの一つです。電気も水道も火も使えるのに隣人が一人もいない!僕のお気に入りの一室ですから、シルバーメインなんかに教えたらダメですよ」
確かに外観からイメージされるものより室内は明るく、掃除も行き届いているように見える。しかし生活感は全くなく、部屋にあるのはキッチン、冷蔵庫、テーブルとイス、ベッドという最低限の家具しかない。
「ご飯は?どこにあるの」
「まあ、そう焦らなくても。今から僕が腕によりをかけて作って差し上げますから」
「サンポって料理できるんだ」
「少なくとも貴女よりは上手にできる自信がありますよ」
そう言いながらサンポは冷蔵庫の中身をのぞき込む。
「う~ん、オムライスでいいですか?ついでにサラダもつける、みたいな感じで」
「うん、任せる」
他人事ですねえ、と苦笑しながらサンポが手袋を外す。その所作があまりにも星の日常から逸脱していて、なんだか夢みたいだ、と思う。
「どうせなら一緒に作りますか?ただ待っているのも退屈でしょう」
「ううん、見てるだけにする」
面倒くさいのは少しあるが、何よりサンポが料理をするという物珍しい光景を目に焼き付けるほうが料理するのより面白そうだというのが大きい。どうせなら近くで見よう、とサンポの斜め後ろあたりに陣取った。
サンポは手際よく次々と食材を切っていく。料理にほとんど造詣のない星が思わず「手慣れてる」と呟くほどの鮮やかな手つきで調理が進んでいく。あっという間に包丁がリズムを刻み終わって、具材は次々とフライパンの中で炒められていく。