ソウドウ 一人で入る湯と二人で入る湯、それから大勢で入る湯。どれにも利点長所と短所があり、一生同じことをして過ごせと言われればかなり難しいところだろう。
「『名無し』」
「はい、どうかしましたか永暁さま」
「最近思ったのだが、我が家も新しい事業に乗り出してみてもいいんじゃないか」
「どんな事業です?」
「銭湯経営……とか?」
「絶対今ぼんやりしながら考えてるじゃありませんか。ほら、肩まで浸かってくださいちゃんと」
「むむぅ……」
白い大理石の天井には複雑な幾何学模様が青い琺瑯の素材で描かれており、波の様でもあり、人の様でもあり、何か動物の様でもある。だが、ここを作った人間の弁によると、それは特に具体的なものを描いたわけではなく、単に色彩と形状によって人の目を楽しませるためだけに作図したのだという。
「我々の教えでは、何かの図像を礼拝することはよくないことだと言われておりますので」
「へぇ」
ふわふわと浮かぶ湯気に煙る天井を見ていると、成程、どことなく惹かれる様なものがある。温まっていく体の弛緩に従って、その模様が少しずつ動き回り、異なった形を作り出して意識から方向性を奪っていく。
「ふぁ、ぁ……」
「ちょ、ちょっと永暁さま!寝たら、寝たらいけませんよ!溺れちゃいますから!」
「ん、でも、仕方ない。だって疲れてるし、眠い……」
頤のところに湯が触れる。もうすぐ、ぼくの体は完全に湯船の中に沈み込んでしまうだろう。それでもいいだろうか。
「(気持ちいい……身体中が溶けていきそうだ)」
ぼくが完全に自分を取り巻く湯の中に意識を溶かし去ろうとしたその瞬間、
「よっしゃあ!一番乗り!」
「馬鹿、飛び込むんじゃない!」
脱衣所から待ちきれずに飛び込んできた子供がすぐ側に『着弾』し、大量の飛沫と波を跳ねさせて、ぼくの身体を激しく揺さぶった。うわぁ、と言う間の抜けた驚きの声を漏らして、ざぶりと身を起こす。
「よかった、目を覚ましましたね」
「お前、あのガキを誘導したろ。あんだけ近くに飛び込んでくるなんてわざとじゃなきゃおかしい」
「さあ、どうでしょうねえ?」
「いいや、お前の仕業だ。間違いない」
「そんなに子供が怖いなら、もっと近くによればいいんじゃないですか?」
『名無し』の力強い手が直接、何の隔たりも無しに肌に触れる。一瞬の感覚に思わず身が震えるが、すぐさまそれは安心できる温もりに取って代わられ、されるがまま力が抜けてしまった。
「……馬鹿。ばーか」
「銭湯でそういう言い草はダメですよ、ね?」
「……ん」
こういうのもたまにはいい。随分と贅沢で馬鹿らしい思いだと自覚はしている。でも、それでいいものはいいんだ。
漠然とした誰かに向けて小さく舌を出すと、大きな銭湯の真ん中で、ぼくは大きな大きな安心の中に、今度こそ身を埋めた。