豫親王ドドの小説 かけたとこまで『時に火勢愈(いよいよ)熾(さか)んにして、墓地の喬木(きょうぼく)を燒き、光り電灼(いなづま)の如く、聲山崩(こえやまくずれ)の如く、風勢怒號、赤日慘澹として之が爲に光り無く、目前に無數の夜叉鬼が千百の地獄の人を驅(か)り殺すを見るが如く……蓋し旣に此身の已に人世の間に在るを知らざるの有樣であつた』
(王秀楚『揚州十日記』)
豫親王の牙旗が門を潜った時、城の焔は粗方収まっていた。かつては華の都の繁栄を謳歌していた大路には所々ぶすぶすと黒煙が燻り、左右の隅に掘られた汚水を流す溝の中には隙間無く焼け焦げた人々の死骸が詰まっている。
中には小さな子供を胸に庇いながら、遂に逃れ得ずに果てた者もあった。十日間に渡り城内を舐め尽くした戦禍の置き土産である。
牙旗はそのまま静々と大路を進んで行き、辛うじて焼け残った政庁の建物の一つに安置された。中央の朝堂は大砲の射撃の為に半分が崩れ、公銀と食糧を保管していた蔵はとっくに荒らされ切って中は空であったから、兵士の中に誰一人として顧みる者は無かった。
ただ一人、従軍していた通訳書記(ビトヘシ)がそこへ赴いて、辛うじて焼け残った民籍や徴税に関する記録を必死でかき集めている他は、皆退屈そうに半崩れになった土塀に寄りかかったり、昔は知事や裁判官が使っていたであろう豪華な椅子で焚き火をしたりしながら、何某かの命令が降るのを待っていた。
牙旗が安置された建物に置かれた親王府─もとい大将軍府では、幾人かの参軍や書記官が忙しく動き回り、この十日間で生じた損益の整理に当たっている。戦が終わればまずは論功行賞をせねばならぬ、兵士や将軍に褒美を与え、しかるべく北京にいる皇帝(ハン)と摂政王に報告を申し上げねばならぬ。その根拠となる記録を編纂するのが彼らの仕事であったから、呑気に休んでいる兵士たちと違ってやることは積み上がる一方であった。
この書記官の中に、ヤルギャンという青年があった。歳の頃は二十を幾らか過ぎて、少しばかり茶色の混ざった髪の毛を辮髪に結い、腰の辺りまで下ろしている。纏った上着は薄い紅色に染められており、腰には細身の刀。頭上には羊毛で編まれた帽子(マハラ)を被り、切長の細目で一つ一つの記録を丁寧に見返していた。
ヤルギャンという名前には、満洲語で『真実』とか、『嘘偽りのない』という意味があるという。現代日本風に称するのならば、『まこと』という名前になるであろうか。兎も角も、その青年が他の年輩の人々に混じって、他の兵士たちのやりたがらぬ作業をしている。これで彼の立場や身分が凡そ推し量れるというものだろう。
「親王殿下、ご到着」
牙旗の入城から半刻ばかり過ぎた頃。その旗の持ち主であるところの親王本人が、改めて城門を抜けて政庁に入った。ヤルギャン達は積み上がった書類を一旦脇へ退け、作業を中断して建物の中央に小さな道を作り、それに沿って規則正しく並んだ。
大方、外にいる他の者たちも同じ様なことをしただろう。誰かは荒れ果てた路地の上で、誰かは今にも崩れそうな民家の戸口で、誰かは捕まえて今しもものにしてやろうと茂みに連れ込んだ女の前で。
「親王殿下、ご入来」
朗々たる声を持つ式部官は何も、中華や西洋の専売特許というわけではない。彼らの陣中にも無骨ながら良い声を出す者がいる。ヤルギャンは銅鑼を深く叩くような、という例えを思い出すその声を聞くや、すぐさま他の人々共に恭しく床に膝をついた。彼らの目の前を一歩一歩、過ぎ去っていく影がある。
金の錦で縫い取られた海水模様が一瞬視界の中に入ったかと思うと、その後に今度は金属の擦れ合う特有の高い音をさせた軍靴が続いた。一人、二人、三人─併せて八人ほどいた。彼らが全員通り過ぎた後、自然とヤルギャン達は向きを右の方へと変えて、今や貴人が座している上段の椅子の方を伏し拝む。
「立て(イリ)」
厳かながら、微かに甲高い。古くからの詩歌には『玉響む』という言葉があるが、正にそのような声であった。穴の空いたところに糸を吊るした玉石二つがぶつかり合う時に立てるあの音にも似た声が、彼らに立つように命じる。
「恐れ入ります」
誰もが立ち上がった。ヤルギャンがゆっくりと顔を上げると、果たして空であった椅子には確かに豫親王多鐸(ドド)その人がゆったりと腰掛けていた。頭には彼らと同じ帽子を被り、辨髪は尻で踏まぬように前の方へ降ろしている。椅子の前に立ちはだかる容貌魁偉な護衛達とは違って甲冑は着ておらず、正面を睨む団龍(ムドゥリ)の模様を中心に、都合五匹の龍を黄金の糸で刺繍した絹の外套を羽織っていた。
顔立ちは大将軍というよりは、寧ろヤルギャンの方に似ていた─つまり、文官のそれである。戦場で揉まれた結果の険しさであるとか、人殺しの罪を重ねたことで備わる人相の悪さであるとか、そういったものとは全く無縁のそれであった。どこまで行っても可愛がられた高貴な家の御曹司、という色が抜けていない。だが、この場に居る誰もが彼を畏れていた。思わず相好を崩してしまいそうなこの人好きのする笑みを見た時、ぞっとする様な恐ろしさが背中を這い上って行くのである。
「親王殿下、書記官、並びに参軍皆全て御前に参上しております。各手の将軍達も、掃討戦を終えたのち、間も無く城へ参集するでありましょう。此度の勝利、祝着至極に存じます」
「大変結構。だが、諸将らにはもはや掃討戦は無用である旨を申し伝えよ。明の残党はこれより、更に南に逃げるより他に無い。逃げる場所の決まった兎を今追いかけてやる必要は無い故……後でじっくりと、巣穴ごと焼き出してくれよう」
「畏まりました」
「ヤルギャンよ」
「はい、殿下(アンバン)」
龍の眼がヤルギャンを見た。ドドは彼よりも若く見えるやも知れぬ艶めいた口許に微かな笑みを浮かべて、
「史可法の首を寡人(わたし)の前へ」
「……承知致しました」
青年が恐る恐る歩みを進めて一度建物の外に出てみると、果たしてそこには黄色の帛紗に包まれた小さな箱を捧げ持つ兵士が一人立っていた。北京の皇帝より賜った公印と節刀は、先程御前に立っていた衛士が恭しく保持していたので、持って行くべきは間違いなくこれである。
帛紗越しにその箱を手に取ると、ずしりと重かった。異様な重さである─恐らくは何か、漬け込む為の塩か何かを共に詰めているのだろう。久しく用いていない腕の筋肉が不随意に振動するのをどうにか抑え込みながら、ヤルギャンは箱を持ってドドの前に戻って来た。
「開けよ」
「はい、殿下」
包を解いて姿を現した木製の箱の蓋を取ると、保存のために敷き詰められた白い塩の真ん中に、こんもりとした黒い塊が鎮座しているのがわかった。簪の刺さった髷である。
「ヤルギャン、寡人に向けてそれを持ち上げよ」
「は、はい」
ドドが椅子から立ち上がるのと同時に、彼は水分を含んで固まった塩の塊の中から、例の首を取り出した。原理は保存食となる獣の肉と全く同じである、塩漬けにした為に水分が抜けて頬はこけ、それでも多少の腐敗が入り込むのか色は黒ずみ始めている。彼には、顔がどの様な有様になっているかを見る勇気など無かった。ところが、ドドはあろうことか敗将の首を前にして膝を突き、
「史可法殿。再びこうして相見えるのに、言葉も交わせぬとは残念至極である。寡人は貴公を死なせるには何とも惜しいと、ずっと思うてならなんだと言うに」
ぽつり、ぽつりと言い流す主人の顔を首越しに目の当たりにしたヤルギャンの身体は、首の重さならざる理由でひどく震えていた。
「だが、これもまた因果というものであろう。お互い左様になる因果であったと心得ねばならぬのう─ご安心召されよ、じきに再び、天下泰平が戻ります。揚州の街は甦りましょう。それ故どうか、心安らかにお眠りあれ」
ドドは泣いていた。泣きながら笑っていた。目尻に一杯の涙を溜めながら、口元は確かに莞爾たる笑みを浮かべていたのだ。あまりにも惨めな姿になった敗軍の将を労いながら、その一方で、恐るべき悪意の嘲笑を閃かせていたのだ。
「ヤルギャン、史可法殿の首を丁重に葬らせよう。後で手配を」
「は、はい、殿下」
「トゥライ将軍はいるか」
「ここにおります」
「本日を期して、寡人の名で全軍に戦闘の停止を命ずる。殺戮と劫掠を停止し、民に食糧と衣服を拠出し、民心の安定に努めよ。従わざる者は寡人の名の下に斬り棄てて宜しい」
「心得ました」
ドドはヤルギャンに元の通り首を箱の中に戻させると、徐に彼の帽子を取ってぐしぐしと頭を乱暴に撫でた。丁寧に整えた辮髪が乱れるが、逆らう訳にも行かず、彼はされるがまま、如何にも面白そうな顔をして自分を弄ぶ親王の顔を戸惑った面持ちで見つめ返すしかなかった。
「ヤルギャン、戦は終わったぞ。少しばかり、ゆるりと休め。そうするといい」
「……はい、殿下」
順治二年(西暦1645年)四月二十五日。北京から江南攻撃の為派遣された豫親王ドド率いる大清国(ダイチン・グルン)の軍勢は、南へ逃れた明の残党にとって、長江以北最後の拠点であった揚州城を激しい戦闘の末攻め落とし、その後十日に渡って壮絶な虐殺と略奪を繰り広げた。一説によれば、この時八十万人に登る市民が満洲人の兵達の手にかかり、命を落としたとされている。
五月五日、豫親王は布告を発して全軍にこれ以上の虐殺と略奪を停止させると、続いて次なる標的へと目を向ける。明の残党が拠る旧都、南京であった。
*
天命年間 ムクデン
天命十一年(1626年)八月五日。
ただひたすら、茫漠たる平野。『何も無い』がある─と、少し気取った言い方をする位しか気晴らしの無い様な、掛け値無しの平野である。吹きしく風は次第に骨身に染みて、大地を満たす緑色の名もなき草達が、雪の中に姿を消し去る前の僅かな期間を精一杯生きている。人間もまたかくの如きものか、と気取った詩人ならばそう言ったことだろう。
その真ん中、僅かにこんもりと盛り上がった丘の頂に、一人の少年が大の字になって寝転んでいた。一応は羊毛で織られた質の良い着物を泥だらけにして、腰に括り付けていた短剣をだらしなく放り出し、新雪を塗りたくったような肌に開いた二つの目は眩しそうに細められる。
彼の上で旋回する鳥は時折ピューイ、ピューイと甲高い声で鳴いた。シルエットからして猛禽の類である、少年を獲物として狙ってはいるが、すぐ横で草を喰んでいる馬が邪魔で手を出しがたい。何処か舌打ちのような鳴き声であった。
「おうい、ドド。ドドやあ、どこに居るんだ!」
「ここですよう、多爾袞(ドルゴン)兄さん。ぼくはここです」
湿気を含んで重くなった土を蹴立てる蹄の音と共に、何頭かの馬に跨った一群の人々が丘の上に姿を現す。皆髪の毛を頭頂だけ残して剃り上げ、束ねた後背中に垂らす特有の髪型─辮髪姿であった。先頭に立つ痩身の如何にも凛々しい青年は、大の字になって草の上に寝転ぶ少年─ドドを見て苦笑いを浮かべた。
「ドド、どうした、落馬でもしたのか」
「いいえ、違います兄さん。あすこを飛んでいる鳥に見惚れて、思わず寝転がってしまったんです」
まだ喉仏が起き上がっていない、変声前の甲高く幼い声である。それを聞いたドルゴンは自らも空を見上げ、
「ああ、あれは海東青(ションコロ)だよ、ドド。どうした、あれが欲しいかい」
「うん、欲しいです兄さん」
「ようし分かった、今取ってやろう」
ドルゴンが箙から矢を出して弓に番えるのを見て、ドドは慌てて立ち上がり、
「兄さん、それじゃあ駄目なんです。生きてるのじゃなきゃ駄目なんですよ」
「何、生きてるのだって?そりゃあお前、無理だ。ああいう鳥は、卵の時に巣から持ってきて、刷り込みをしないと中々懐いちゃくれないものなんだよ。ましてや、ああまで大きく育ったら飼い慣らすのは無理だ」
「そこをなんとかできませんか、兄さん」
「いいや、無理だね、可愛い弟の頼みでも、おれは天地日月の動きまで変えられるわけじゃないんだ。残念だが、諦めろ」
「そんな……」
しょんぼりと顔を落とす弟を見て、ドルゴンは仕方なく自分自身も馬を降り、膝を曲げて視線を少し合わせてやった。
「さては、誰かに欲しいとせがまれたのか?」
「……はい。この前、ヤルギャンが市場で見かけたのを欲しいと言って。でも、お銀(かね)なんて持ってないから、自分で取りに行こうと思って」
「ははは、お前は優しいな。奴僕(アハ)の為に狩りに出てやる主人(エジェン)なんて、聞いたこともない。そんなにあいつのことが大切かい?」
「あいつはぼくの弟みたいなもんです。兄さんだって、弟には優しくしてくれたでしょ?おんなじことをしてやりたいんです」
「よしよしいい子だ。じゃ、父上がお元気になられたら、頼みに行ってみるとしよう。阿濟格(アジゲ)兄上ともご一緒に」
「本当!?きっと約束ですよ、兄さん」
「ああ。それじゃ、今日はもう盛京(ムクデン)に帰ろう。馬には乗れるかい」
「はい、兄さん!」
ドド少年は元気に頷くと、ここまで自分を乗せてくれた二歳くらいの牡馬にひょいと軽やかにまたがり、慣れた手つきで手綱を引いた。生まれた時から、自分の足で立つよりも馬上にいた時間の方が長い彼にとって、この程度のことは造作も無いのである。
連れて来た護衛に囲まれながら城への帰り道を直走る弟の背中を眺めながら、ドルゴンは笑みを消して憂いを帯びた表情を浮かべる。すぐ隣の近侍が囁く様に、
「宜しいのですか、あの様なことをおっしゃって」
「構わん。そうなればいいと、何よりおれ自身が願っている」
「しかし、もはや皇帝陛下は─」
「滅多なことを言うな。父上は必ずご回復遊ばす。そして、今度こそあの忌々しい袁崇煥の城を攻め落として、明を滅ぼして天下をお掴みになられるさ」
「そして……」
「その覇業を継ぐのは、このおれさ」
そこには最早、年相応の幼さや純真さは鳴りをひそめ、野望の暗い炎を燃やす奸雄の面影が顔を覗かせていた。睿親王、並びに皇父摂政王ドルゴン。言わずと知れた大清帝国建国の立役者。政戦両略に秀でた真の英雄─なのだが、この物語の主人公は彼ではない。今しがた駆け去って行った、ションコロを求めて芝生に寝転んだ、あの幼い少年の方である。
─さて、彼が盛京城に帰り着くまでの時間を使って、あの少年のことについて少し紙面を割いて話すことにしよう。名前は既に読者もご存知の通り、『ドド』と言う─漢字に転写すると『多鐸』、『多多』とも書くこの単語は、満洲語で『胎児』の意味があるという。
彼は父親の末の息子─正確には、四番目の妃から生まれた十五番目の皇子である。ドルゴンはその一つ上の第十四皇子、アジゲは一つ飛ばして十二番目の皇子。既に上の二人は成年の皇子として国政に参与し、長兄アジゲに至っては武勇卓抜なる将軍として多大な功績を立てていた。
この三兄弟の人物的な特徴については、驚くべきことに当時の日本人による面会と目撃の記録が残されている。越前国の漁師達が嵐に遭遇して日本海を越え、当時順治帝の下本格的な中華征服に乗り出していた頃の満洲に漂着した際の記録─『韃靼漂流記』と名前がついている。
『韃靼漂流記』に曰く、越前の漁師達を接遇したのは『キウアンス』と人々から称される男性で歳は三十四、五歳、痩身ながら朝廷で並ぶ者の無い権勢を誇っていた。この『キウアンス』が摂政王ドルゴンに比定されることは、作者の当たった資料の記述によればほぼ確実とのことであった。『キウアンス』とは『九王爺』、嫡出順ではドルゴンが九番目の皇子に当たる
また、『キウアンス』と並んで登場する『ハトロワンス』、こちらは五十代前後の大男で武辺一辺倒の人であったと言われているが、作者はこの人物は『バートルワンス』、『巴図魯王爺』の謂ではないかという内藤湖南博士の説を採用する。バトゥル、とは満洲語で『勇者』を表す言葉だが、同時にドルゴンの兄アジゲが称した親王号は『英親王』、『baturu cin wang』である。
三兄弟の末弟ドドは『シイワンス』、嫡出第十皇子として登場し、ただ一行「殊の外学者であった」とだけ記されている。これは、彼が学者にも匹敵する豊かな教養を持っていたのか、それとも武官らしからぬ穏和な出立ちであったのか俄かには判断が付きかねるが、作者はこれを両方であると解釈することにした。皇族随一の武辺を誇る勇者アジゲと、政治と知謀に優れ余人に勝る権勢を持ったドルゴン、そして二人の兄の下で一見目立たぬ立場に置かれた穏和で教養深い末弟のドド。順治初頭の北京朝廷において、日本人にはこの様な関係に見えたのではなかろうか。