どうしよう、
もう、
逃げるしかない!
「だめ! 本当にだめ! こっち来ちゃだめ!」
「おや? 今日のクロエは追いかけっこの気分かい?」
「違う! き、来ちゃだめだって!」
「ふふっ、それじゃあ行くよ」
「わーっ! わーっ!」
自室の窓からベッドごと空へ飛び出した大騒ぎの俺。と、そんな俺を箒で追いかけるラスティカ。異様な光景のはずだけど、あらゆる異様な光景にすでに慣れてしまったこの魔法舎、かつ俺たちが西の魔法使いなせいもあってか、またなんかやってるね、と誰も気に留めない。
でも、でも、俺にとっては大問題だった。長い任務に行っていたはずのラスティカが、予定よりかなり早く帰ってきた。もちろん嬉しい。寂しかったし、会いたかった。でも今日は、今だけは本当にだめ。今の俺には、絶対にラスティカに知られたくない秘密があるんだから。
「風がとても気持ちいいね! クロエ、どこまで行こうか?」
しばらく逃げたけど、ベッドで空を飛んだことなんかないし、そもそも魔力の差がありすぎてあっという間に追いつかれてしまった。必死な俺とはうらはらに、さらさらの髪を風に遊ばせながら爽やかに笑っているラスティカは本来の目的?をもう忘れたらしく、雲のあいだでぷかぷかと浮かぶベッドのまわりを優雅に飛びまわっている。
俺はもう気が気じゃなくて、毛布にくるまって最後の抵抗をする、しかない。
「クロエ、どうかした? 顔が赤いよ」
「うう、寄ったら、だめ……」
「体調が悪かったらいけない。ほら、顔をよく見せて?」
「あっ……ラスティカ!」
ベッドに腰掛けたラスティカが、毛布をやさしく解く。
瞬間ふわり香った香りにラスティカは少し驚いて、それからいたずらっぽく笑った。それを見てもう恥ずかしさが限界の俺は、いったいどんな情けない表情をしてるんだろう……と思うくらいに顔が熱い。
「その、ラスティカがいなくて寂しくて……、あんたの香水をベッドにつけて、その中で寝てたの!」
「ふふっ。だからベッドごと逃げたんだね?」
「は、恥ずかしいから、絶対、絶対知られたくなかったのに……、あんたったら全速力で追いかけてくるから……っ」
「ごめんね」
「うそ、笑ってるもん……」
「きみがあんまり可愛くて」
ぎゅうと強く抱きしめられると、恥ずかしいのと嬉しいので泣きそうになるし、なにより本当のラスティカの香りは今の俺には格別に感じられて、胸が締めつけられるような気持ちが込み上げてくる。
好きだって伝えることは難しい。俺はラスティカみたいにうまく言葉にできないし、上手に甘えたりもできない。けれど俺の中はラスティカへの好きの気持ちが本当にいっぱいで、うまく発散できないそれが、今日みたいに不器用にあふれてしまったりする。ラスティカはそれをいつもまるごと受けとめて、嬉しそうにくすぐったそうにあまくやさしく笑うんだ。
「可愛いクロエ、いつものおかえりのキスはくれないのかい?」
「なんか恥ずかしいから、やだ」
と言うと、ラスティカが今までに見たことがないくらいのあまりに悲しそうな顔をするものだから、俺はその圧にあっさり負けてしまった。
「……おかえりなさい」
頬にした小さなキスのお返しが、全然小さくないのは置いといて。だんだん暗くなってきてちらちら輝きだす星の中でふたり、空飛ぶベッドで手を繋ぐ。秘密はあっけなくバレちゃったけど、こんなのもたまにはいいなって、思ったりなんかして。
「幸せだなあ」
「そうだね」
「……えっ!? 俺、いま口に出してた!?」
「うん? 気のせいかな?」
「また笑ってる! もうー……」
「幸せだね、クロエ」
「……うん」
夜風に吹かれてどこまでも、手を繋いだままがいい。夢みたいなのに夢じゃないから、この瞬間をずっと大切に思っていられる自分でいたい。……って俺、また口に出してた!? ラスティカが笑ってる。俺の隣で、俺のいちばん大好きな笑顔で。