秋の星見「星見?にござるか?」
「That’s right. アンタ寺に掛かってる星見曼荼羅なんざ見たことねぇか?『上古の聖人、仰ぎて天文を見、伏して地理を知る』てやつだ」
昏れなずむ夜長月を過ぎた秋の夕刻。
奥州伊達邸で、主と夕餉を共にしていた幸村は『見たことがない』と首を振る。
「今夜は朔日で月がねぇ。雲もねぇし星見にゃ打ってつけだ。団子にあったかい甘酒も作ってやる。夜のピクニックと洒落込もうぜ」
「政宗殿の、団子に、甘酒…!」
「あぁ。だから早く飯をすましちまおう」
たちまち目を輝かせ、白飯を掻き込み始めた情人に、竜は瞳を細め、己れも茶碗を持ち上げた。
目指すは米沢裏山のてっぺんに聳える大きな桜の木。春には何度となく訪れた花見で、よく見知った道である。
いまは紅や黄色に染まった葉が幾ばくか足元へ散り落ち、進む度にサクサクと軽やかな音を立てては耳を楽しませてくれる。
提灯の明かりを頼りに山の上まで登ってきた二人は、木の下で火を吹き消すや、満天より溢れんばかりの星々の出迎えに感嘆の声を上げた。
大はしゃぎの幸村は政宗の「地平が丸みを帯びている」旨の指摘に首を傾げる。
「この大地が?まるい?」
「魔王のおっさんの城にもあったろうが。地球儀ってやつ。例えば俺が右に走って…」
手をすーっと上げるや、逆の手を上げる。
「しばーらく経ちゃ左から現れるって寸法だ」
「何と…?その様な…よ、妖術の類いでは?」
「術でも何でもねぇよ。天球も同じだって話だ」
政宗は地から迫り出した木の根に腰を下ろし、まだホカホカしている団子を差し出してやる。
早速両手で受け取るやもぐつき始めた幸村は、まだよく分からない…という顔で口内のやわらかな食感に舌鼓を打つ。
「Let see. あれが北辰(北極星)だろ。あれを中心に天界は廻る。その周りに柄杓の形に並んでるのが北斗星…妙見菩薩の化身だそうだ」
「成程…!政宗殿はまこと博識でござるなぁ!あれは?あちらは?」
目を輝かせながら天を指し、くるくると忙しい幸村の後ろ髪がぴょこぴょこと跳ねる。
「あれも!政宗殿、あれは…」
また天を指そうとした幸村の右手を。
すぐ隣にきていた左手が、空中でパシリと捉え。
スルリと指を絡ませる。
少しの間、マジマジとその手を見つめてしまい。
弾けるように手の主を見る。
いつの間に木の根から立ち上がり、己れの隣へ立っていた男の、思わぬ近くにあったその顔、その瞳。
すっかり肌寒くなった秋の夜風がザァ、と吹き抜け、互いの髪を揺らす。
穏やかに、愛おしそうに己れを見つめるひとつだけの瞳が星を映して金に瞬く。
「星見に連れ出しといて何だが…」
弧を描く口元から、僅かに犬歯が覗く。
「ちったぁ俺も見ろ」
目線を絡ませたまま指に寄せられた口唇が、ちゅ、と音を立てて触れる感触にピクンと身体が揺れる。
「…冷えてんな。寒くねぇか?」
指先にハァと当たる吐息が熱い。
そこから熱がじわじわと伝うように、頬が赤くなってくるのが自分でも分かる。
———何でそう、何をされても言われても、破廉恥なんでござるか…!
この男の手にかかるといかなる時でもそういう雰囲気にされてしまう。
話題を、変えよう…!
幸村は慌てて目を逸らす。
「そ、某…!団子があまりに美味しく、政宗殿の分まで、食べてしまったでござる…!申し訳…」
「An?構わねぇさ。俺には…」
指を絡めたままだった腕を引かれ、前にのめるや。
はむ、と頬に柔く歯を立てられて、幸村はぴゃ、と喉の奥で声を上げた。
「こっちの甘味で十分だ」
「…そ、そ、某は…、甘味では…!」
「Ha…俺にはどこもかしこも甘ぇがな」
「は、は、破廉恥でござる……!」
「冷えてんのは間違いねぇだろアンタ」
腰に腕を回され、抱き込まれ。
政宗の広い胸に寄りかかるように寄せられた背なが温かい。
目の前に差し出される甘酒の竹筒。
「飲めよ」
受け取り、栓を開けるや、ふわりと漂う麹の香り。
後ろから肩に政宗の顎が乗る。
「指先は冷てぇのに、あったけぇなアンタは」
耳元で低く掠れる、心地の良い声。
幸村は目をつむる。
星見の誘い。
国主が手ずから用意してくれた団子に甘酒。
抱き込まれた背の暖かさに、トクン、トクン、と震え聞こえる、穏やかな鼓動。
眼前の星のようにキラキラとした想いで胸が膨れて、いっぱいになる。
この幸村、は———
横を向けば己れの肩の上、目の前に端正な顔がある。
破廉恥だのと戸惑う前に。
政宗の耳元に落ちかかる黒髪が風に流れ。現れた頬に、口唇を掠るように寄せる。
それが己れの精一杯。
隻眼が見開かれ、男の動きが暫し固まる。間近でそれを見るのも少し面映い。
「…今宵の、素敵な誘いに、感謝申し上げたく。いまは暫し、その、星を見…」
ぐいと顎を引かれ、言葉の最後が互いの口唇の間に溶ける。
———頬にとはいえ、己れから、接吻などと…
遅れてやってきた羞恥に頬が熱い。
政宗の背後、満天の星空を婚ひ星(よびしぼし・流星)が一筋、空を亘っていくのを視界の端に捉えながら、幸村はゆっくりと目を閉じた。