廻1 末の弟の悠仁は不思議な少年だった。
兄である自分が言うのものではないかもしれないが、負の意味は無く全てを含めて自分は末の弟を愛している。そこは勘違いしないでほしいのだが、客観的にと言う意味合いを込めると「不思議な」と言う言葉を使わざるを得ない。
今年15歳になった末の弟の悠仁とは10歳が離れているが、この歳になるまでの彼の不思議たる所以の数々を言わせてほしい。
俺の母親は多産の家系の生まれで、その系室の血筋を見込まれてこの家に嫁いできた。当時の屋敷の当主であった俺の父親は仕事に熱中しすぎて長年恋だの愛だのにうつつを抜かす事もなく、気づけば50を当に過ぎてしまい、流石に後継が1人もいないと言う事実に焦ったらしい。慌てて見繕った妻と言うのが母である。母は当時まだ20になったばかりの若さであった。誰もが母を憐れみ、喜んだのは家の関係者だけであっただろう。
が、親子ほども歳が離れている夫婦の関係は意外とうまくいっていたらしい。式を挙げた次の年には自分が誕生し、2年後には次兄の壊相が、その3年後には三男の血塗が生まれた。その後は何度か母は孕ったらしいが、腹の子が育たず流れてしまうことが続いた。
次第に憔悴してゆく母に、思うところがなかったわけではない。父親がそもそも60手前な高齢な上、体が弱い母がそう何度も妊娠出産を繰り返す事自体負担が大きいのだ。部屋の隅で一人泣く母の姿は、成人した今でもよく覚えている。見えない何かにしきりに謝っていた。
もう、自分達がいるじゃないか。
それでは足りないのか。
母は優しく、父と違って学があるわけではなかったが頭のキレる人だった。父親は子供たちにあまり関心はなく、自分達も物心つく頃には「父親」の存在自体を忘れていた様に思う。仕事であまり家に寄り付かない男だ。幼子はすぐに顔も忘れてしまう。そんな夫と子供達の関係を潤滑油の様に見事に擦り合わせていたのが母である。たまに帰ってくる父親にそれとなく子供たちの様子を教え、子供達には父親のツボをつく様な話題を振る様会話を運ぶ。家族を無駄に拗らせない、見事な立ち回りであった。一見平穏な家庭が保たれていたのは間違いなく母のおかげである。
母は自分達兄弟を蔑ろにしたことはないし、学校に持って行く弁当も必ず手作りのものを持たせてくれた。充分に愛を注いでくれていたと自負している。それでも、母は次の子供を欲しがっていた。
まるで子を産むことが自分の責務であるかの様に、生きていた。
その日のことは、忘れもしない。
茹だる夏の迫る気配のする、鬱々とした夜だった。
身体にまとわりつく湿気と格闘しながら、どうにか眠りにつこうと無意味に寝返りを繰り返して、意識が落ちるのを待っていた。
ふいに、胸の奥から込み上げる熱さに驚いて脹相は飛び起きた。
心臓が止まってしまう、と思った。
今まで感じたこともないぐらいの興奮と、歓喜の震えが身体中を走っていく。呼吸が浅くなり、明らかに脈が早く、こめかみの血管からドクドクと音が聞こえるようだった。それなのに手先は驚くほど冷たかった。それが緊張からくるものと気づいたのは、呼吸をすることすら忘れて己の鼻から血が流れた時だ。
会いたかった。ずっと待っていた。嬉しい。
涙が止まらない。
胸を押さえながら、隣に並んで眠る壊相と血塗をそっと見る。2人はこの暑さの中でも、健やかに眠りについていた。額に張り付く髪の毛の束が、体の内の熱さを語っている。壊相の額に浮かぶ汗を拭ってやろうと手を伸ばしたが、今だに自分の手はブルブルと震えていた。汗を拭うことを諦めて、手を抱え込む。
この気持ちはなんなのか。
この興奮と、切ない気持ちはどこからくるのか。会いたい何かはどこにいるのか。
得体の知れない感情に揺さぶられ、翻弄された忘れられない夜だった。
その次の日、一睡もできなかった脹相はふいに「母に会わなくては」と思った。普段でも朝一で挨拶に向かうのは母であるが、今日はなぜか「会わなくては」と思ったのだ。
母に会った瞬間、脹相は昨日の奇妙な体験の正体が分かった。
ーーいる。
いるのだ、ここに。
母の腹の中から気配がする。ずっとずっと会いたかった。懐かしさと愛おしさに、脹相の目からは再び涙が溢れ出す。脹相は母の下腹部に縋りついて、声を推し事して泣いた。昨日一晩中泣き明かしたというのに、まだ涙が溢れることが不思議だなとぼんやり思った。
母は突然縋りついて泣き出した息子に驚いていたが、息子の態度にハッとして脹相ごと自分の体をかき抱いた。この子を待っていたのは自分だけではないのだ。母と2人、静かにこの子が健やかに育つよう心から願った。
昨晩体に走った衝動は、この子が宿った事の知らせだったに違いない。
他二人の弟たちの時は感じたことのない感情だった。
その後、正式に母の妊娠が確定した。脹相は一層母の体を重んじ、母と腹の子に影響がないよう家事や買い物を率先して手伝った。重いものも協力持たせないようにする姿は、まるで父親よりも父親らしかったに違いない。母も今までにないぐらい自分の身を案じて生活をした。
トツキトウカ。
長いようで一瞬のような時間を超えて、脹相が10を迎えたその年に悠仁は生まれてきた。
よく晴れた日の、暖かな日だった。庭に植えられた桜の開花が始まった頃で、生まれたばかりの桃色の髪の毛をみて「春が生まれてきた」と思った。悠仁が宿った時にも泣いたのに、その小さな指に触れた瞬間また泣くことが止められなくなって、涙で窒息するんじゃないかと思った。
生まれてきてくれてありがとう。
ずっとずっと会いたかった
亜麻色のビー玉のような瞳と見つめ合い、存在を抱きしめながら脹相は言い聞かせるように何度も何度も繰り返した。
これが悠仁が不思議な少年だったと言わしめる、一つ目の話である。