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    OOO_amino

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    OOO_amino

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    【せいか】
    20250615 星願 無配

    転生脹相×転生虎杖 どちらも記憶有り
    耳の聞こえない弟に兄が出会う話 ハピエンです

    スペースまでお立ち寄りくださった方々、
    ありがとうございました。

    せいかーせいかー

     弟の操る言葉の節々が、まるで型しかない切り紙に見える時が、ある。

    【であい】
    ーきっと、神様が笑ったんだよ。
     そう打ち込んでスマホの画面を見せてきた末の弟は、上目で俺の表情を探った。俺はきっとなんとも言えない顔をしていたんだろう。ふ、っと口元だけで笑う。
    ー俺が生まれる時にさ、苦しみなさい、って送り出したんだと思う。
     この世界で、以前と変わらず暮らしているのだと何の疑いもなく信じていた。例え、自分の事を覚えていなかったとしても。暖かい陽だまりのように人を照らし、光の中心を歩んでいるものだと、きっと。そこに、自分はいなくても。
     今度こそ何の不自由もなく暮らしているものだと。
    ーかわいそう?
     弟の指が画面を滑り、新しく言葉を紡いだ。見つめる瞳からは、なんの感情も受け取れない。
    ー耳が聞こえない、今の俺はかわいそう?
     かわいそう。かわいそう、だろうか。そうかもしれない。その気持ちは、ああ、言われてみれば確かにある気がした。彼の指先に再び視線を落とす。あかぎれで切り傷のような血の滲みが手の至る所にあるのに気づく。弟は飲食店から出てきたところだった。格好からしてアルバイトの帰りだろう。補聴器をしている弟はフロアーには立てない。調理補助など、水を使う仕事をしているのだ、おそらく。
     ふ、と。一人、ぽつりと背を向けて静かに洗い物をする弟の姿を想像して、途端に胃がぐっと熱くなった。
    「腑が、煮え繰り返りそうだ」
     読唇術が使えると言う弟の為に、あえてゆっくりと話した。感情も充分にこもってしまい、すれ違った人々が振り返る。
     弟はいかぶしげな顔をした。
    「お前の身体から、一部をむしり取っていった神とかいう者を、切り裂いてやりたい」
     そう言って、弟の手を両手で握った。酷く荒れた肌が、かわいそうで愛おしい。パックリと割れた傷口に、優しく触れてみたい。そして痛がる顔を、見てみたい。色々な感情が、腹の奥から湧いてくる怒りの炎でくべられて、ぐちゃぐちゃに混ざっていく。
    「ほおほう」
     弟のまるみを帯びた拙い言葉が、自分の名前を形作る。
     形が歪なその言葉は、確かに己に向けた愛だった。

    【すき】
     悠仁との会話は主に、口話もしくは筆談である。
    ー正直、一回会って終わりかと思ってた。
     卓上に投げ出された薄いスケッチブックに、悠仁がそう綴った。

     出会った後日、再び彼の勤め先で待ち伏せてバイト帰りを捕まえた。彼は脹相を見つけると少し目を見開いた後、自分達を指差して、それから向かいのビルにテナントを構えている食事処を指した。元々食事に誘うつもりだったので、脹相はOKのサインをする。
     誘われた店に入ると、店員が悠仁に続いて店に入った脹相に目を向けて他の店員を呼ぼうとした。…が、それを店員の肩を叩いて悠仁が止めた。そして、脹相と自分を指差して、個室の方向を指さして、と色々ジェスチャーをして……恐らくなにかの会話をしていた。と、思う。脹相は後ろから、悠仁の指が流れるように動くのをただ見つめている事しかできなかったので。途中から店員が補聴器をしているのに気づき、彼も悠仁と同じ世界の人間だと知った。
     悠仁には既に悠仁の世界があって、そこにもう自分の在処は必要ないのかもしれないけれど、それでも出会ってしまったことが自分の運命だと信じていた。
     さて、なんと返事をしようかと少し考えて、俺たちにそんな塵みたいなやり取りが必要か、と思う。
    ー悠仁の傍にいたくて。
     悠仁は指で、そっと脹相の書いた文字を撫でた。その仕草に彼の知らない面を見た気がして、視線が外せなくなる。
    ーどうして?
    ー好きだと思ったから。
    ー初対面なのに?
    ー一目惚れだな。
     今の悠仁は以前の悠仁は違う。脹相の知っている悠仁はひだまりのような暖かな雰囲気をまとい、陽気で気がつく、太陽のような存在だった。
     今目の前にいる彼は、まるで儚い。
     脹相が捕まえていないと、ゆらりとどこかに消えてしまいそうな気配がする。初めて会ったあの日、確かに出会ったのはずなのに反面で夢のような心地がずっと続いていた。
    「ほおほう」
     悠仁の口から溢れた、自分の名前。
     あの言葉が愛ではなければ一体なんだと言うのか。
     脹相は焦っていた。どうすれば。どうすれば自分はあの言葉と同等の愛を彼に伝えられるだろうか。無意識に自分から距離を置こうとする、彼をどうすれば捕まえられるだろうか。
    「…ゆうじ」
     スケッチブックをなぞる、悠仁の手を握る。
     悠仁の瞳が、ゆっくりとした動作で脹相を捕らえた。
     脹相は視線を合わせて、もう一度彼の名前を呼ぶ。
     彼の言葉とは全く重みが違う。なんて薄っぺらい言葉だろう。全然足りない。
     悠仁は全てを乗せてくれたのに。
    「ゆうじ」
     まるで祈りをのせるように、何度も名前を呼ぶ。どうか、自分の気持ちが一雫でも彼に届くように。愛の形が少しでも視覚から伝わる様に。この際、聞いてくれるのであれば悪魔でも羅刹でも夜叉でもなんでも良い。神とかいう輩は駄目だ。弟の中身を奪って行った奴には祈るくらいならば地獄で閻魔に首を垂れたかった。どうか、どうか。
     何度目かの名前を口にした時、悠仁が空いている方の手で脹相の口をふさいだ。
     目を潤ませて、少しだけ悔しそうにして、
    ーもういい、わかった。
     スケッチブックにそう殴り書いた。
    ーそんなに連呼せんで。知り合いのやってる店だし
     それきり落ちる、沈黙。
     脹相ははて、と考える。名前を呼んだだけだ。それしか気持ちを伝える手段が、今は思い浮かばなかったから。そして悠仁はそれを聞いた、いや、読んだ。
     …それだけの。
     ゆうじ、の言葉の形。
    「…俺はお前を口説いていたのか」
     頃合いを見計らったように、補聴器の店員がメニューと水を持ってきた。戻りぎわ悠仁の肩を叩いて、手話で短い会話をしていた。悠仁は口をへの字に曲げて、店員の肩を少し強めに叩いて奥へ押しやっていた。

     その日脹相は、珍しく夢を見た。
     夢の中には悠仁もいて、自分の隣を歩いていた。肩が振れる距離で、歩調を合わせて緩やかに歩く。空から桃色の花びらが降りてきた事で、桜並木を歩いていることに気がついた。
     悠仁が手話で何かを話かけてきた。
     脹相も、まるでずっと前から使っていたかのように手話で返事をする。
     悠仁が、笑う。
     手話はわからないが、夢とはいえ自分の事だ。悠仁にかける言葉くらいわかる。
     悠仁が、また脹相に手話で話しかけた。
     とても、優しい顔だった。
     悠仁の言葉に、夢の自分は泣きそうな顔で笑っていたのだった。

    【さけび】
     悠仁と出会ってから、脹相は彼に秘密裏で進めていることがあった。手話を学ぶ事である。
     単純な話、もっとスムーズに彼と話したかったのだ。筆談は時間がかかるし、口話はたまに読み間違える事もあった。彼の隣で生きてゆくのであれば手話を学ぶことは必然に思えた。
     思い始めた当初、真面目に手話を独学で学ぼうとはしたのだ。
     だがいざ手をつけてみると、思ったよりも手話は奥が深かったのである。
     まず、手話は使う相手がいなければ上達しない。本や動画配信サイトを参考にしても、手のひらの角度や振るう指の幅など人によって個性がある。教科書のように指の形を頭に入れることはできたが、相手の言葉を読むと言う点ではハードルが高かった。日常会話を使いこなすとなればまた長い時間がかかるのはすぐに察せた。
     手話教室に行くことも考えたが、色々迷って選択肢から外した。社会人として働いている脹相にはゆく時間が限られているし、何より悠仁と話がしたくて手話を覚えたいのに、彼以外の相手で経験値を上げる事は自分の理想と違うように思えた。
     色々考えて、考えて考えて、考えた挙句脹相は最低な方法を思いついた。
     ズルをする事にしたのだ。
     所謂、前世で使った手を使ったのである。
     呪術師の中にも、手話を日常会話とする聾者はいるのだ。脹相は呪術師ではなかったが、そちら側の知り合いがいた。ツテを辿って、様々な手を使って呪術師名簿を漁り、そして魂の入れ替えを行える者を探して、だいぶ手は拱いてしまったが、どうにかこうにか対象相手を探し出して、そして脹相は驚くべき速度で手話をマスターする事に成功した。
     
     実は、悠仁との関係は未だ曖昧だ。恋人とも、友達とも、兄弟…とも言えない。悠仁が親元を離れて一人暮らしをしていると知ってからは彼の家で会う事も増えた。告白の返事はもらえていないが、お互いを確かめ合うようなキスと、肌を撫でるような細やかな触れ合いまでは許されている。
     悠仁に口付けたのは出会って割とすぐのことだ。どこまで自分は踏み込めるのか、言葉で伝えるより行動で示した方が早いと思った故にけしかけた。彼の肩を抱いて、振り返りざまを掠め取った。
     唇が離れた時、悠仁は目と口をポカリと開いて、まるで幼い子供の様な顔をしていた。そして小さく「まじで」と口の形が動き、じわじわと耳が赤く染まっていった。
     脹相にはもう、彼のその反応だけで十分過ぎる答えだった。
     だが、未だ彼の家に泊まったことはない。仕掛けるのはいつも自分からだが、舌を触れ合わせれば応じてくれるので望みはあると思う。舌を絡めている時に、鼻から抜けるような吐息と、口の隙間から漏れる音が、悠仁の聲の一部だと思うと嬉しかった。
     本当は彼に手話を教えてほしかった。だが、生活費の一部をバイト代で賄っていると知ってしまい、悠仁の貴重な時間を奪ってまで自分の欲に当てることなんて到底できないと思った。
     どうして一人暮らしをしているのか、なぜ親元を頼れないのか、そこを尋ねたことはない。その話にふれた時、彼が少し言葉を濁したので脹相は気にしないふりをした。金銭面で苦労しているのであれば自分が財布になってもいいが、それもきっと彼は喜ばない。悠仁の生活に入るには、当たり前だが彼の許可がいるのだ。
     手話を学ぼうとしていることは、悠仁には伝えていなかった。脹相が彼の世界に入る事を、悠仁が嫌がる可能性を考えたのだ。悠仁は聾者として生まれた自分を卑下しているきらいがある。彼が脹相に出会うまでに、今の彼を形作る軌跡があったのだろう。決して恥じる様な事じゃないのに、どこか申し訳なさそうに生きていた。
     それは、例えば悠仁が目を伏せた時の瞼の厚みだったり、ふと漏れてしまう声を無意識に控えてしまう癖だったり、様々な場面から見て取れた。それが、どんなに脹相の気持ちを抉っていくのかきっと彼は知らない。
     だから、ズルをして手話を覚えた後も暫く、脹相は自分が手話を使えることを悠仁には言わないでいた。悠仁の懐にもう少し入ることが許されたと思った時に、伝えようと思っていた。
     そう、自分は悠仁に心を許してもらえていると自惚れていたのだ。
    『悠仁、引越しいつだっけ?』
    『あと3日。あと歯ブラシとか食器とか…普段使うもん閉じたら荷造り終わり』
    『最後の方なかなか片付かないよな。マジで俺手伝い行かなくて平気?』
    『ありがと。初めてじゃないし、平気平気。慣れれば楽なもんだよ』
     目の前で行われている、会話を見つめている自分は果たしてどんな顔をしているだろう。指の先から体温が失われて、腕の付け根、心臓、そして頭から足の先までじわじわと冷たくなっていく心地。俗にいくこれが、血の気が引くという事かと脹相は後で気付いた。
     悠仁が住まいを変えるだなんて、自分は聞いていない。
     悠仁のバイトの店先。補聴器を嵌めた二人が静かに会話を続けている。
    『バイトも辞めちゃうんだろ?確かに給料良くないけど、そんな遠くに引っ越すわけでもないんだろ?学校だって変わんないだし、勿体ねぇよ。店先でも評判いいんだろ、お前』
    『店のみんなには申し訳ないと思ってるよ…みんないい人達だったし、まかないも量あって美味かったな』
     悠仁は黄昏るように自分の足元を見つめた。脹相は、相手の友人の顔を思い出した。悠仁に連れて行かれた、食事屋の店員だ。聾学校の同級生だと、悠仁が言っていた。
    『でも、もういいんだ。いいんだよ』
     悠仁の両手が、胸からはじき出すように押し出された。
    ー必要ないの、意味。
     それは、誰のことなのか。
     消えるつもりなのだ、彼は。脹相に何も告げず、夢の様に、布の様に触れ合った肌の感触だけを残して。
     手に持っていた、ビニール袋が滑り落ちた。今夜悠仁と食べる予定だったファーストフードが詰まっている。悠仁が好きだと教えてくれた店のチキン、2人で分かる予定の炭酸のペットボトル、スーパーで買ったおにぎりなどが、派手な音を立てて中身が地面にぶちまけられた。道ゆく通行人達は一瞬脹相を見、そして何事もなかったかの様に去っていく。
     悠仁は振り向きもしない。彼の世界に音はない。
     いくら脹相が、喉が裂けそうなほど叫んで彼の名を呼んだとしても、悠仁は振り向かない。
     彼の懐に入るには、ずっと彼が受け入れてくれるを待つしかないと思っていた。その結果がこれだ。引き止める気持ちだけは、彼は繋ぎ止められない。本当に、彼が欲しいのであれば、
    「悠仁」
     大股で近づき、脹相は後ろから悠仁の腕を掴んだ。友人が脹相に怯み、一歩足を引いた。悠仁は肩を振るわせて息を呑み、そして怯えた顔で振り向いた。驚いたのか、脹相に畏怖したのか、それとも両方だろうか。
     耳が聞こえない聾者に後ろから突然触れる事はタブー行動の一つだ。頭ではわかっていた。わかっていたが、あえて脹相は忘れることにした。
    「俺を捨てていくのか」
     悠仁の顔から色が消えていく。驚きに染まったその顔は、次第に無を取り繕っていった。それでも、彼の瞳は真っ直ぐに脹相を見つめている。
     暫くの間、二人は見つめあっていた。
     ふと、するりと腕が解かれる。悠仁は自分の鞄から一枚の封筒を取り出した。随分と厚みがある。そして、見るからに年季を感じる物だった。紙の至る所は色褪せて、角は全て折れ曲がっている。そしてパンパンに膨れ上がっていた。許容量を超えたものを、無理やり詰め込んだような雑さ。その封筒をぐっと胸に押し付けられて、反射的に脹相は受け取ってしまう。
     ボロボロの手紙の面には拙いひらがなで「おにいちゃんへ」と書かれていた。至る所にポツポツと、水が乾いたような茶びた古い染みがある。
     脹相の脳裏に、幼い悠仁が不器用にクレヨンを握り、テーブルに小さな身を乗り出して手紙を書く光景が映り込んだ。丸みを残すその柔らかな頬を、大きな目からと目処なくこぼれ落ちる涙。幼い悠仁は封筒に落ちる涙を拭うこともせず、懸命に覚えたばかりのひらがなを書き出している。紅葉のような手に握り込まれた黒いクレヨンが、力任せに書き殴られて彼の肌を汚していく。
     はたと脹相が気付いた時、悠仁はもう目の前から去った後だった。
     
    【おとうとのてがみ】
     おにいちゃんへ
     うまれたときから、ずっとあたまのなかにいる、おにいちゃんへ おにいちゃんは、いま、なにをしていますか?ごはんを、いっぱいたべていますか?おとうさんと、おかあさんはいますか?ほかのおにいちゃんたちは、げんきですか?かなしくはないですか?ゆうじは、まいにちかなしいです おとうさんは、おとうさんとよぶとおこります おかあさんは、あまりあえません でも へいきです ゆうじはつみほろぼしをしている、さいちゅうだから へいきだと、おもわなくちゃいけないんだよ せんせいが、おしえてくれました ゆうじはへいきだけど、おにいちゃんがゆうじみたいに、かなしいおもいをしていたらすごくすごくいやだなあと、おもいます
     おにいちゃんは しあわせですか?
     おにいちゃんが しあわせだと ゆうじもうれしいです

     会えるかもわからないけど、手紙を書きます。
     おれは文章を書くことがあまり得意じゃないので、もしかしたら読みにくいかもしれません。ごめんなさい。
     今おれは、小学4年生です。明日、ネグレクトしていた両親から離れて、俺を引き取ってくれる事になった人の住まいに引っ越します。片付けをしていたら、5歳の時に書いた手紙が出てきたので、続きを書くことにしました。
     5歳の時はぼんやりとしか思い出せなかったんだろうな。もう10歳になったおれはあなたの事を思い出すことができます。でも全部じゃない。ぼんやりしたりんかくが、だいぶせんめいになってきたって感じです。
     でも、ずっと、ずっと、にいちゃんを思っています。生まれた時から、ずっと思っています。会いたいと、毎日毎日思っています。にいちゃんが俺を迎えにきてくれたらいいのになあ、と思っています。一緒の家に住んで、一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒にゲームをしたりとか、やってみたい。まだまだ、にいちゃんと一緒にやりたい事がたくさんあります。
     おれがにいちゃんを探せばいいんじゃないかなって思ったこともあったけど、先生が「つみほろぼしができなくなるよ」と言うので、ごめんなさい、おれから探しには行けない。先生が言う事は守らないといけないから。
     だから、おれは毎日神様に祈ることにしました。
     にいちゃんがどうか、毎日幸せで暮らしていますように。おれが殺してしまったにいちゃんたちも、生まれ変わって幸せでいますように。ちゃんと、耳が聴こえる体でありますように。おれみたいじゃ、ありませんように。毎日おふろにはいれていて、ごはんもちゃんと3食食べれますように。大事だから、ごはんのところは特に力をこめてお祈りしてます。おれは3日ご飯食べさせてもらえなかった時は、本当に死ぬかと思ったので。でも生きるのも大変だなぁって思っていたから、少しだけこのまま死んでもいいかな、と思ったけどにいちゃんの顔を思い出してやめました。にいちゃんはおれを覚えていなかったとしても、いいんです。なんでだろう。にいちゃんを思うだけで、おれは力がわいてきます。
     それに、おれが今こんなに生きるのが辛いのは、もしかしたらにいちゃんたちが受けるはずの不運だとか嫌なこととかを引き受けているからかもしれないし。だったらむしろ、もっと不幸なことがいっぱいあってもいいのに。
     きっと神様は全部わかっていて、おれをこんな体に作ったんだろうなって、最近は思うようになりました。
     にいちゃんの声や、大きな手や、すごく強かった事、少し抜けてたところとか、思い出せる事はたくさんあるけど、なぜか名前だけはまだ思い出せません。
     会いたい。でも、会いたくない。
     でもにいちゃんを心から大切に思っている、この気持ちだけは本物です。
     大好きです。

     〇〇年○月○日 
     遂に脹相に出会ってしまったこの日を、一生俺は忘れないと思う。
     脹相、俺は今15歳になったよ。お前と、前に出会った時と同じ歳です。…なんで手紙って、自然と敬語になっちゃうんだろう。少し照れます。あと、俺は変わらず文章を書くのが下手です。10歳の時は子供だから下手なんだなって思っていたけど、どうやら聾者は文章を書くのが苦手らしいと、この5年で知りました。読みにくいと思うけど、それでもよければ読んでください。
     黙って消えた俺の事、恨んでいるかな。いっそ恨んで欲しい。でもお前が俺にそんな事を思わない自信があるのが、自惚れているようでちょっと恥ずかしい。
     前に挟まっていた、5歳の俺と10歳の俺が書いた手紙。捨てようかなって何度も思ったけど、読み返すたび恥ずかしさで死にそうになるんだけど、脹相は読んだら喜ぶんじゃないかなって思ってあえて入れておきました。
     小さい時からずっと、会いたいと思っていたよ。思っていたけど、今の俺は前の俺とあまりに違くて、そしてこの歳になるまでに本当に色々あったので、ちょっとくたびれてしまいました。
     脹相、あのね。お前は俺に気を遣って聞かないようにしてくれていたけど、家族構成とか、仕事の職種とか趣味とか色々、やっぱり俺だけがお前のことばかりを知っているのはフェアじゃない…というか俺が嫌なので、軽く生い立ちを教えようと思います。
     まず、おれは『両親』と血は繋がっていません。再婚再婚の繰り返しで、どっかのタイミングでどっちかの連れ子(俺)を引き取ったらしい。それで典型的なネグレクトを受けて、施設に保護されて、里親的な人に引き取られた。声を出せば周りから発音が変だって指を刺されてからは、人前で話すことも苦手です。それまでまともに学校に行けてなかったし、しかも俺は聾者だから、ちゃんと学校に行けるようになってからめちゃくちゃ頑張ったよ。里親になってくれた人は普通にいい人で、真っ当に生きて人に報いたいと思えるようになったのはその人のおかげです。頑張る事なら俺にでもできるから。勉強はあんまり得意じゃなかったけど、毎日ちゃんと勉強すれば結果はついてくるのは好きでした。
     その人が今度、独立して東京で事務所を構えるって言うので俺も一緒に上京して、そろそろ独り立ちする練習をしようって俺専用の部屋を借りてくれた。脹相と初めてキスをした、あの部屋です。
     あの人をお父さんって呼んだ事はないけど(あの人はお父さんって歳でもないし)、強いて言うなら親戚の叔父さんって感じで、離れるのが寂しいとかはないけど、一人で世間に放り出されてしまうような未来がいよいよ現実味を帯びてきて、ふとした瞬間に地面がなくなるような不安にかられる時があります。
     そんな時、やっぱり脹相の事を思うと、不思議と勇気が湧いてきます。
     そっけない態度しか取れないけど、もっと素直になりたいけど、素直すぎる俺はもう俺じゃないと思うので、この際手紙の中でだけ素直な俺を晒してやろうと思います。
     多分、俺はお前が思うより、ずっとずっとお前のことを大切に思っています。生まれて15年、ずっと脹相の事をしか思っていません。これが恋なのか愛なのか家族に向けるものなのか執着なのか、何にカテゴライズしていいのか、気持ちがぐちゃぐちゃになりすぎて、今更どう名前をつければいいのか分からないけど、きっと俺にとって唯一の人です。
     脹相。
     再会した時、もっと綺麗にお前の名前を言ってあげたかった。
     歪な名前を発した後で、俺はこの体を作った神様の本当の狙いを知りました。耳が聞こえない俺は、自分の発音がわからない。
     もうお前に、兄貴って言ってあげられない。
     ねえ、脹相。
     俺を庇って死んでしまったあの時、俺の言葉は届いていましたか?もう、事切れてしまっていたら、俺の言葉は届かなかったかもしれない。俺ね、兄貴って、言ったの。聞こえていましたか?
     以前犯してしまった罪は、やっぱりまだ清算できていないんだ、と生まれ変わってから何度も何度も思っています。人はやり直す事はできる。でもまだ俺はそのスタート地点にも立てていない。神様はきっと、それをわかっていたんだと思う。苦しみなさい。ずっとずっと苦しみなさい。脹相の事を覚えていたのも、苦しむための材料だったんじゃないかって。そんな事、思いたくないのに。でもそう考えないと、もう、俺はどうしていいのかわからなくなる。このままお前の隣でのうのうと生きていく事が、とても怖い。
     いつか神様が、お前にも微笑みかけてしまったらどうしよう。
     お前が俺のように苦しむことになってしまったら。それが、俺が一番恐れていることだから。脹相は今度こそ、幸せにならないといけないのに。
     だから近いうちに、俺はお前の前から消えようと思います。
     大丈夫、死んだりしません。俺は結構図太いので、どこにいても生きていけます。今までそうして生きてきたから、きっと大丈夫です。
     あと、脹相は俺の神様を嫌いみたいだけど、勘違いしないで欲しいんだけど、俺は神様のこと嫌いじゃないんだ。だって神様は、俺に脹相の記憶を植え付けてくれた。
     脹相が同じ世界に生きている。
     その事実を噛み締めるだけで、この先何年だって生きていけます。

     この手紙は、引っ越してから匿名でお前の手に渡るように手配しました。色んな術がかけてあるから、俺の居場所を探そうと思っても無理だと思います。実はそう言う術が得意な呪術師が知り合いにいます。
     ありがとう、脹相。
     俺の兄貴になってくれて、ありがとう。
     さようなら。

    【せいか】
     どうしてあんな事をしてしまったのか。虎杖は自分の行動に後悔しながら長い長い時間をかけて帰路に着いた。兄に黙って姿を消した後、すぐに手紙を出して、それでおしまいにするはずだったのに。今世の血の繋がらない兄は予想外のことをやらかしてくれる。
     勢いで渡してしまった手紙。もう内容なんてとっくに頭の中に入ってしまっていた。何度も何度も読み返して、幼い頃からこの歳にに至るまでに、随分と廃れてしまったなぁと思う。
    ー俺を捨てていくのか
     ……人の気も、知らないで。
     そう、捨てていく。兄のためではなく、自分のために。俺たちは離れていても、生きて行ける。ただ心にぽっかり穴が開くだけ。辛いけれど、それだけだ。
     全て兄の事を考えての事なのに、脹相があんな顔で縋るから予定が狂ってしまった。
     自分だって苦しいのだと、頭に血が昇って思わず押しつけてしまった手紙。きっとあの手紙では、脹相は諦めてくれない。だから姿を消してから渡したかったのに。
     どうしよう。兄はきっと待ち伏せている。
     重い足取りで、住まいのマンションへ向かう。親代わりの男がセキュリティを優先して選んだ物件は、高校生の虎杖には過ぎた物件だ。間取り1DKで、風呂とトイレは別だし、キッチンのガス口コンロが3つもある。虎杖はもっと質素な物件がいいと言ったのだが男は譲らず、結局家賃とライフラインにかかる金は男が払い、その他は自分で稼ぐことで落ち着いた。男は保護者として全て出すと説得をしてきたが、虎杖は縋る気持ちで頭を下げて断った。人から向けられる優しさは、虎杖に苦しさを掻き立てさせる。
     クリーム色のマンションの壁面が見えてくる距離まで帰ってくると、エントランスの前に人影があった。遠くからでもシルエットだけで誰か分かる。
    ー脹相
     男と目が合う。脹相は片手に大きなビニール袋を下げていて、今日は家で共に食事をする予定だったと思い出した。男は軽く手を上げて微笑んだ。口元は笑んでいるのに、目だけが暗く見えるのは気のせいだろうか。
    『家にあげてくれないか』
     ごく自然な、慣れ親しんだ動作で男は言った。

     テーブルの上に、用意された食事を並べながら『もしかして、まだ手紙は読まれていないんじゃないか』と一握の希望を持つ。脹相はやけに機嫌が良く見えた。脹相が自分の前で当て付けるように不機嫌だったことなんて今までないが、それにしてはあからさまだった。
     もしかして、まだ。もう少しだけ隣に。
     エンディングが決まっていれば、どんな物事でも多少は腹が決まるものだ。手紙は明日にでも読まれてしまう可能性がある。脹相と食事をするのは、これで最後にするべきだ。
     ローテーブルを挟んで、向かい合う。脹相が手を合わせたので、虎杖もならった。ーいただきます。
     最後の晩餐だな。
     いつものように、脹相だけが話す光景だ。今日あったこと、何を食べたか、仕事の上司の話。虎杖が返事をするときはスマホの画面を使う。たまに、脹相が指文字で単語を繋げる。いつの間に覚えたのか、しれっと使えるようになっていた。
     虎杖は、男の大きな手を見つめる。脹相は意外に器用だ。教科書に載っている形そのままで、箸を握る、長い指。骨が太いのか、指周りも虎杖よりも大きい。同じ男なのに、十代の自分とは全く違う形に見える。その手が握る箸が、脹相の皿に乗っていた焼き魚を分け、片切を虎杖の皿に運ぶ。
     脹相の癖だ。美味いと思ったものは、必ずシェアしようとする。
     虎杖は普段のように見えるよう、口角を上げようと意識した。さっきからずっと速い鼓動が、呼吸から外に漏れないよう気を配らなくてはならなかった。
     虎杖が不覚だったのは、手紙の事ばかりに気を取られていて他を失念していた事だ。追い詰められると他が見えなくなるとはよく言うもので、実際脹相が手話を操っていた事を気にも止めていなかった。
     それまで指文字で単語を繋げていた脹相が、そのまま流れるような動きを繋げる。
    『そういえば、あのラブレターだが』
     瞬間、全身の血の気が引いた。
     脹相は笑んだまま、言葉を紡ぐ。
    『悠仁は情熱的なんだな。あんな手紙を渡していいて、逃げられると思っているのか』
    『……ちがう。きっと、そう。俺はもうお前を独りにしたくないし、独りになりたくないんだ。あの手紙を読んでから、ずっと後悔している。もっと以前のように、悠仁に厚かましく踏み込んでいけば良かった。嫌な男に思われたくなくて、体裁を保っていた。向き合う時間は無限にあると勝手に安心していたんだ』
    『悠仁も、同じ気持ちだなんて限らないのに』
     虎杖は大きくかぶりを振る。
     脹相はラブレターと言ったが、そんな綺麗なものじゃない。あれは呪いだ。十五年溜め込んだ、自分の鉛なような願望を詰め込んで煮溶かした、誰よりも思った男に一方的に繋げた鎖。呪いの言葉。
     脹相がどうして手話を操れるのか、どこでどうやって学んだのか、気になる事は沢山あったが浮かんだ疑問はそのまま霧のように消えていった。首元に鎌を当てられているような、紙一重で存在ごと狩られてしまいそうな緊張感。
     兄は微笑んでいる。口元だけで、笑んでいる。その瞳は様々な感情が髑髏を巻いて、嵐のような激情を必死に留めている。兄が隠そうとしていても、虎杖に分かる。だって、自分は男の弟だから。
     後悔、希望、懺悔、憎しみ、切望、それから、それから……
     脹相の輪郭が滲んでゆく。男の気持ちが伝染したようだった。瞳の奥が熱い。唇が震える。喉の奥から溢れ出そうな何かを、虎杖は必死に留めなくてはいけなかった。
    『言っておくけど、俺の方が気持ちは大きいから』
    『心臓を抉りだして見せてやりたいな』
    『人のハートって頭にあるらしいよ』
    『じゃあ脳みそをぶちまけてやりたい。それでお前が俺を信じてくれるなら』
     脹相の手話は、迷いなく軌道を描く。力強く、ハッキリと、言葉を紡いでくれる。虎杖の記憶に、かつて聞いた男の声色が蘇る。低く、それでいて頼もしい。本当に辛かった時、ずっと隣で支えてくれた。
    『悠仁、俺とお前の神様。どっちを愛している?』
     そんなの、答えは決まっている。
    『そいつと別れて、俺を選んでくれないか』
     虎杖は両手で顔を覆いたくなった。ぐしゃぐしゃの顔を見られたくなくて、せめてもの抵抗で俯いた。
     ああ、脹相。そんな目で、俺を見ないでくれ。
     お願いだから、どうか神様に見つかる前に、俺を切り離してくれ。出来ればお前から手放してくれ。
     男の手が横から虎杖の両頬を包む。そっと顔を持ち上げられて、再び視線が交わった。いつの間にか男は虎杖の隣に座っていた。男の顔が近づき、唇が触れる。虎杖は避けなかった。
    『罰を受けているだなんて、そう思っているのはお前だけだ』
     脹相がゆっくりと唇を動かせて、言う。
     は、と息を吐く。冷えてしまった心の芯に、兄の言葉の先端が触れた気がした。
    『俺も、弟たちも、誰も、そんな事は思っていない。お前だけだ』
     そんなことは、ない。だって、先生は。先生が、罪滅ぼし、だと。先生が言う事は守らないと。
     ……先生、とは。誰だっただろう……
     兄と同じく、ずっと頭の片隅に居た先生。辛いことがあったとき、膝を抱える自分に寄り添って、肩を抱き寄せ、耳元で慰めてくれた。誰も頼れなかった自分の、唯一の拠り所だった、自分だけの先生。そう言えば久しく顔を見ていない。いつから、会っていないだろう。顔も、思い出せない。
     おかしい。
     先生の姿が、思い出せない。
    『悠仁。俺だけを見てくれ。他を見ないでくれ』
     瞬間、虎杖の心臓の近くで何かが砕け散る気配がした。
     芯の奥底に根を張っていたまやかしが、全て取り除かれたような心地がする。それまで重く澱んだ空気を、肺から全て出し切れたような。スッと視界が晴れたような、開放感。
     今まで自分が背負わなくてはならないと信じていた全てを、掬い上げられた。
    『…俺は、きっと。それでもお前と一緒にいるのが怖いって思い続けるよ』
     震え始めた指先を、虎杖は嗚咽を噛み締めながら揺らす。
    『それでも……いつかお兄ちゃんがお前の神様に勝つから。見届けてくれ』
    『また、逃げちゃうかも』
    『追いかけるから安心して逃げなさい』
    『……耳が聞こえない俺と生活するのは、結構めんどくさいよ』
    『……悠仁。お前はその体を悪い事のように言うが、勘違いするな。五体満足で生まれてくるのが当たり前じゃないんだ。そうだな、俺が仮に目が見えない体だったらお前はどう思う?』
     もしも反対の立場だったら。兄が自分に思う様々な感情を辿るのは容易だった。顔を赤くして、苦虫を噛み潰した様な顔をした虎杖を見て、男は肩の力を抜いた。
    『悠仁は何も悪くない。悪かったのは運だけだ』
     ……うん。
     うん。
     声帯を震わせて、虎杖は返事をした。

    『それとな、その、お前の里親なんだが…いや、その…うん。その男について詳しく教えて欲しい』
     兄としては知っておかなくてはならないからな。と脹相がとてもとても真面目な顔で言うので、虎杖は声をあげて笑った。
    「ほおほう」
     震える声で、兄の名を呼ぶ。兄は優しく微笑み、虎杖の頬にその手を寄せた。
     切り紙のような、決して完成する事はない、不完全な呼び声だ。
     自分にはその形すら分からない。
     けれど間違いなくそれは、音の鳴ることのない、静かな愛の叫びである。
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