滴る感情 マリュー・ラミアスとムウ・ラ・フラガは、オーブ軍で有名な二人である。
地球連合軍を抜け、紆余曲折あり、オーブに亡命した二人は現在、オーブ軍からコンパスに出向中だ。だが、ファウンデーションとの戦いによってアークエンジェルを失ってしまったこともあり、いまはオーブでの業務に従事していた。
マリューの業務は、主に新しい艦の建造に向けたものであり、一方のムウは、代表首長から託されているアカツキの改修に関わっており、それぞれモルゲンレーテに現在出入りしている。
では、なぜ二人が有名なのかと言うと、もちろんアークエンジェルの艦長とアカツキのパイロットという点にもある。だが、それだけではない。ムウが所構わずマリューに愛情表現をし、それをマリューは「仕事中ですよ」と往なしながらも、なんだかんだで受け入れている姿が有名になってしまったのだ。つまりは、大立ち回りをした伝説の艦長とパイロットのカップルとして有名なのである。
ムウはともかく、この状態をマリューは嫌がるかと思いきや、それについて気心知れた仲間であるミリアリアが〝インタビュー〟したところ、思いがけない返事が返ってきたことも一部では有名な話だ。
「おかげで変な虫がつかずに済んでいるわ」
「なるほど~」
つまりは、金髪碧眼の美男と言っても過言ではないムウに寄り付く女性が現れないと前向きに考えているらしい。意外にもマリューは、二年間も離れ離れになった運命の恋人を独り占めしたい気持ちが強く、この状況を嫌がっていない。むしろ助かっているとすら思っている。
「わたしも連合にいたころはいろいろあったけれど、ここだとそういうこともないのよ。本当に助かっちゃう」
さらには、自分へ言い寄る相手も現れず、変なトラブルを起こさずに済んでいるのだ。連合にいたころは、そういう相手には実力行使でお断りをしてきた。そういう行為は、無駄にトラブルへと繋げられ、最悪の場合は評価にも反映される。最も、マリューは連合時代も上司に恵まれており、評価が下がるということはなかったのだが。
「大佐のイチャイチャ行為って、実は艦長の役に立ってたんですね」
「本当にね。最初はどうかと思ってたけれど」
「でも、案外いい事づくしだった……と」
「まあね。わたしも彼と一緒にいると幸せだもの」
マリューが静かに、だけれどあまりにも幸せそうに笑いながらミリアリアは思わず「ごちそうさまです!」と伝えたのだった。
※※※
職務中とは言え、気を抜いて雑談をする時間くらいある。ムウとマリューが「今日の夕飯をどうしようか」なんて、他愛もない会話をしながら廊下を進んでいると、マリューと一緒に仕事をしている技術士官が通りかかった。急ぎで確認したい事項があるらしく、ムウと会話中にも関わらず、ためらわずに声をかけてきた。
「ラミアス大佐、お話中に失礼します。急ぎの用件がありまして」
「ええ、構わないわよ。フラガ大佐、まってて」
「はいよ」
そうして二人でムウには分からない技術的な話を始めた。男の腕には分厚い書類の束があり、それを一枚一枚めくりながら必要事項を確認していく。時間がかかりそうだと思ったムウは、手持ち無沙汰に自身の端末で業務の確認を始めた。
しばらくすると、近くの扉から開く音がして思わずムウは顔を上げた。そこにはすっかり顔なじみの身内であるシンとルナマリアが立っていた。
「あれ、おっさん?」
「おっさんじゃない」
「すみません。フラガ大佐」
シンの代わりに謝るルナマリアを見ていると、自分たちがもっと早くに出会っていれば、こんな感じだったのかもしれない――なんてムウは思う。シンくらいの年の頃、ムウにもこれくらい親しい上官がいて、生意気を言っていたからだ。
「二人はどうした?」
「デスティニーとインパルスの件で呼ばれまして」
「ああ、まだまだ実用できるって証明されたしな」
「って……あれ、ラミアス艦長っすよね」
「ああ、そう。同僚に呼び止められてな。俺は待てを命じられているわけ」
二人の視線が技術士官と親しげに話すマリューに向く。ムウもマリューのほうをそっと見ると、生き生きとした表情で何やら議論をしているが、内容を聞いてもさっぱり分からない。元々技術畑出身のマリューは、たまにアスランとも技術の話で盛り上がっていた。敵対勢力の軍人ではあったが、二人の得意分野はいろいろと被っていて、性別年齢を超えて気が合う部分が多いらしい。
「なんか……距離近くないっすか?」
「そう?」
「わたしにも、そう見えちゃいますね」
時折笑いながら会話を進めるマリューたちを見つめるシンとルナマリアの表情は、どこか不安そうだ。一方のムウは、そんな二人の様子を見て、若いなぁと笑うだけだ。
「その、フラガ大佐は嫉妬ってされないんですか?」
「おっさん、嫉妬とかめっちゃしそうじゃん」
「嫉妬かぁ……昔はすっごいしてたが、いまはないかな」
その言葉にシンもルナマリアも思わずドキリとする。まさか常時ラブラブで、戦闘終了時に熱烈なキスを披露したという二人が倦怠期、なんてことに? と疑ってしまったのだ。だが固まる二人を見て、ムウはクスリと笑うとそれをさらっと否定した。
「お前さんたちが思っているようなことはないから安心しろよ」
「え?」
「俺がマリュー以外を見ないように、マリューが俺以外を見ないって信じてるからさ」
「わー」
思わずルナマリアが声をあげる。これが大人の余裕というやつなのだろうか。それとも、それだけパートナーのことを信じているからこその言葉なのだろうか。
ルナマリアは、まだまだ未熟で嫉妬だっていっぱいする。シンがちょっと女の子と話しているだけでムスッとしちゃうのだ。
「それに一番のライバルは俺の中にいるしな」
「それって……」
「ネオ?」
ムウの中にいる男、それはネオ・ロアノークにほかならない。ムウが不在の間、少しの期間ではあるがマリューとともに過ごした男は、ムウにとって最大のライバルである。
「あいつは俺がいない間、マリューと一緒にいたからな。俺の知らないマリューというわけじゃないが、俺がどう足掻いても触れられないマリューに触れた男だから」
「でも、フラガ大佐と同一人物、なんですよね?」
「まあな」
他人からみれば、ムウもネオも同一人物ではないかと思うかもしれないが、ムウとしてはネオはネオであり、自分は自分と考えることも多い。だが、同時にムウはネオであり、ネオはムウであるという考えも持っている。複雑な話ではあるが、そもそも意図せずに他人として生きた経験がある人間など、この不条理な世界をもってしても、なかなかいない。どう考えるべきかの答えを与えてくれる人などいないのだ。
「でも、ネオに対して嫉妬しているわけじゃないんだ。むしろ感謝してるよ。ムウとしての記憶がないのに、よくマリューの元にいると決めてくれたって」
「じゃあ本当に嫉妬って感情は――」
「ないな。水みたいなもんだよ」
「水?」
シンはわけが分からないという顔でムウを見た。そんなシンの様子を見て、ニヤリと笑うと自論を解説し始める。
「蛇口の水ってポタポタと落ちるが、きちんと閉めれば止まるだろ。それと同じってこと」
「嫉妬が?」
「そう。嫉妬も愛で閉めれば、止まるってこと」
「なんっすか、それ」
「お前たちもいずれ分かるよ」
ムウはこれ以上にない愛を手に入れた。連合の制服を着ていた頃は、嫉妬という感情に支配されることもあり、独占欲からマリューに無理をさせたこともあった。だが、ネオを経て得たものはとても大きく、ムウの心から嫉妬のモヤを取り除いた。記憶のないネオに与えられた無償の愛をムウはそのまま受け取ったのだ。そして、いまに至る。
「まあ、男どもが勘違いしないように見せつけとかなきゃなぁとは思ってるよ」
「それが噂のイチャイチャですか」
「そういうこと」
ウインクしてみせた男は、清々しい顔をしていた。そうこうしていると、技術士官との話が終わったようで、渡された資料の束を抱えてマリューが振り向く。
「ムウ、ごめんなさい。あら、シンくんにルナマリアさん」
「おつかれさまです」
「ええ、おつかれさま。もしかして機体のことで?」
「そうなんです」
その場で少し話して、四人でちょっとお茶をしようと食堂へと移動する。ムウとシン、マリューとルナマリアで並んで廊下を進んでいると、ルナマリアが聞きづらそうにマリューに尋ねた。
「あの、ラミアス艦長にもお伺いしたいんですが……」
「なにかしら?」
「ラミアス艦長は嫉妬ってしますか?」
「嫉妬?」
きょとんとした表情をしたマリューだったが、すぐにちょっといたずらっぽく笑う。その笑みに思わずドキッとしたルナマリアだったが、予想外の返事が返ってきた。
「ちょっとそういう気持ちになるときはあるわよ」
「なるほど」
「でもね、彼が与えてくれるものがある以上、嫉妬なんて必要ないんだって気付いたの」
結局のところ、二人は愛の力で嫉妬なんてもの、どうにでもしてしまうのだ。滴る感情の蛇口を愛で塞ぐ二人の姿を想像したルナマリアは、わたしもいつかこうなりたいと思いつつ、小さくため息をついてこう言った。
「……ごちそうさまです」
おわり.