幸いよ、悲劇の上に咲く花よ 誕生日の行事性は年を降るごと失われ、還暦を迎えてからは加齢するにつれて再び祝われ始めるという不思議なところがある。二十代後半のシライに当てはまるのは前者だ。二十代の終わりが指折り数えて近づく……などと考えてしまうのは、弟子が執拗に「おじさん」と呼んでくるせいかもしれない。それに、誕生日祝いの記憶自体も遠いものだ。なにせ学業をそれなりに収めて早々、巻戻士として就労した身だ。親以外に誕生日を祝う人物もいない中、単身2087年に来ていれば縁遠くもなろうというもの。
巻戻士本部における出生データは機密情報だ。特にシライのものともなれば、調べるだけでも各所に連絡が飛ぶ。同僚から雑に祝われることもないまま何年も勤務しているのだ。クロノを鍛えている時など、忙しすぎて気がついたら4月も半ばになっていたこともあるほどだ。
それでは学生時代の記憶ならばどうか。シライがもしもそう問われたなら、苦み走った顔つきになって返答に困ることになる。少し前までは違っていた。迷わず「よかった」と答えていただろう。今はそうではない。
シライの記憶の中にある、何度でも振り返らずにいられない、最も輝かしい過去。とある4月6日は実在しないものだった。つい最近になって知ってしまった。
切欠は他ならぬ巻戻士の敵、クロックハンズの幹部を捕縛したことによる。クロックハンズ11時、マイ=ラッセルハートの拘束を成し遂げ、中学時代に殺されようとしていたシライを助けたのはクロノ、アカバ、レモンの三人だった。将来有望な三人だと頼もしく思うのと同時に混乱もした。目的が自分の殺害だったということも、事態が解決した今になって初めて知ったのだ。
混乱と苦い思いの根源はマイ=ラッセルハートの能力──編集にあった。記憶を植え付けたり、削除したりできる凶悪な力。それは中学生のシライにも及んでおり……あんなに賑やかで温かな剣道部は、本当はなかったのだ。
最高の日。可愛い後輩三人が、4月6日という始業式始まって早々の時期に当たるシライの誕生日を当日に知り、購買で買ってきてくれたありあわせで小さな規模のお祝いをしてくれたあの時。それが、植え付けられた存在しない記憶だったなんて。節々で虚構に躓けばいいとでも思っていたのだろう。つくづく、マイ=ラッセルハートはシライの鬼門のような女だ。
編集のことを知ったのがきっかけか、それとも捕縛されて効果が薄れたのか。ようやく、真実の学生生活がはっきりと思いだせるようになってきた。編集されたものとは真逆の、暗黒の記憶だ。一人ぼっちで、誰も彼もから浮いていて、遠巻きに見られていた学生時代。大変ながらも今なお眩く輝く文化祭の日だけが真実に体験したもの。
だったら、なんだというのだ。シライは苦い表情は浮かべても、瞳は陰らせず、顔を上げ続ける。何もかもが嘘で虚構であったならば応えたかもしれないが、シライは過去へ膝をつくことはしなかった。過去は未来だっただけだ。そして、未来は今だ。
色々なことを考え込んでいると、そのうちに騒がしい声が扉の向こうから聞こえ始める。コンコン、と元気に跳ねるノックの音。他所ではしない、少しだけ甘えの出た弟子の仕草だ。許諾の応えを出せばすぐに踏み込んでくる。
「シライおまたせ!」
「おまたせしました!! おまえが遅れたせいじゃぞノロマ!」
「行列だったんだ。仕方ないだろ」
「ケーキじゃダメだったの?」
「あー、おれが昼飯の時にデザートで食べちまってた」
「それで避けたのね」
三人が入ってくると、いっきに部屋に賑やかさが満ちた。シライは低い位置にある色とりどりの頭に順繰りに眺める。ケーキの代わりになるような何か変わったものを買ってきたらしいクロノと、待たせられたのが気に食わなくてギャンギャン吠え立てるアカバ、クールに質問をするレモン……三者三様の声音がうれしくて口元がほころんだ。
「で、なに買ってきてくれたんだ? ケーキの代わりだ、景気のいいもので頼むぜ」
「……は、はは」
「愛想笑いならしなくていい。するな」
「うん」
引きつり笑いをさっと引っ込め、クロノが紺地の箱を差し出した。
「あっ、待て! 一番はじめははわしじゃ!」
その前へと割り込んだアカバが、シライの名を呼んで木箱を差し出した。
「ここに置いておくわね」
二人を尻目にとことことレモンが回り込んで机の上に色とりどりのパンジーを飾った。
過去の記憶の光景は、当時の未来の今にある。
「誕生日おめでとう」
重なる声が鼓膜を揺らす。少しだけ目元が赤みを増したことには誰も気が付かなかった。
「ひさしぶり……いや、はじめてだな。こんなにうれしい誕生日は」
「アカバのは随分と仰々しい箱に入って……ん? 砥石?」
「はい! 手入れ用に最高峰のものを用意しました!」
(業者に任せっぱだったなー。これを機に、たまには自分でやるか……)
「ありがとうな」
「はい!!」
「レモンも花を……これ造花か」
「枯らしちゃうと思って」
「貰い物を枯らさねえよ」
「それでクロノは……パイ?」
「ドライいちごとミルククランチのバクラヴァ」
「バク、なんて?」
「だから、ドライいちごとミルククランチのバクラヴァ」
(パイじゃねえの!? え、得体が知れねえ……これなに?!)
「そ、そうか。ありがとうな。ええと……これ、どんな味だ?」
「? いちごミルク味だよ」
「バクラヴァの方だよ聞きてえのは」
「味見します! わしが!」
「あっ待てアカバ!」
「あんまっ!? 口が糖に支配される!」
「コーヒー飲みながら食べるんだよ! シロップ漬けのパイだぞ!?」
「それを先に言え〜!!」
「言う前に食べたせいだろ!!」
「コーヒー買わねえとな……4人分」