4月6日は手合わせの日 仮想任務訓練場に轟音が響いた。揺れる床、もくもくと立ち込める土煙。森林エリアの一角で木々がまとめて倒れていた。何事かと集まったエージェントたちは、倒木の切断面を見るや、蜘蛛の子を散らすように離れていった。得物が鋭い刀であると察するや、使い手にも思い至ったためだ。いま、あの青々と茂る森の中に、伝説的な最強の特級巻戻士とその弟子がいる。
森の中にいる弟子の方、クロノはうなじを汗で濡らしていた。先程まで駆けていた場所は亀裂でズタズタになっている。鬱蒼と視界を遮る木々も、今や背の低い切り株と化した。ただの一振りでここまで地形を変えられるとは、つくづく恐ろしい師匠だ。木の太い幹が刈り取られるだけでなく、地面も大きく抉られていた。14の頃に比べれば背丈も足も伸び、身体能力も向上している。だというのに、追われる背に感じるプレッシャーは数年前と遜色ない。ただ走るだけでは追いつかれるだろう。
その予想を肯定するかのように背後の剣気が鋭さを増す。だが、まだ早い。圧に負けぬよう距離を測り、数秒後。クロノは木々が密集している区画へと跳んだ。木を蹴って反動で跳び、勢いを殺さぬまま太い枝上へ乗り上げてまた跳躍。走るのと変わらぬ速さでz軸方向にも進んでいく。斬撃が届かぬ距離へ逃れつつ、目標ポイントへ辿り着かねばならない。ちらりと横目で距離が離れたか確認して、クロノは慌てて視線を前に戻した。走りながら納刀してシライも同じルートで追ってきていた。
「今年はパルクールで引っ張るか。またヘンテコ攻略しやがったな」
「攻略は攻略だ。さっきの納刀後でもっかい見せて!」
「おう、あとでな」
とある任務でみっちりパルクールをしていたクロノと異なり、シライは持ち前の身体能力とセンスと知識を併せた独自技術で追ってきている。クロノも"魅せ"を削ぎ落とした独自系でやっているのだが、まだ落とせる贅肉があったようだ。五点着地で木から地面へ、転がりすぐさま起き上がってクロノは崖側へと抜けてすぐ、「再生」という声を聞いて体をひねる。師が垂直に切り立った崖を走り抜けていた。
「は!?」
どんな技量かパワーか速度か、シライは平然と壁走りで上を取っている。流石に映像かと思ったが、どう見ても実物だ。慌てて複製を宣誓しようとして、背後からの殺気に気づくのが遅れた。再生の出現位置とタイミングを読み間違えたのだ。体を捻って突きを躱すが足がもつれた。もんどり打って地面に転がる。そのまま転がって立ち上がるよりも先に、壁を蹴ってシライが真上へ来る方が早い。気付けば首のすぐそばに刀が突き刺さっていた。敗北だ。
「はい、おれの勝ち。罠にかけるってのはな、こーやんだよ」
「いつから壁走れるようになってたんだ……次やらせてくれ!」
「策はあんだろうな? 暗中模索には付き合わねえぜ」
「ある! 今年こそおじさんに勝って、誕生日を祝うんだ!」
そう言いながら上体を起こすと、微かに鼻を鳴らす音がして、すっと手が差し伸べられる。何のためらいもなく手を掴めば、ぐっと引っ張り上げられた。立ち上がり、ほんの少し高い位置にある目を見つめる。
「祝われて嬉しいわって言わせてみろよ」
驕慢をふんだんに含ませた言葉とは裏腹、シライの目元は注視せねばわからぬほど細やかにしなっていた。立ち上がって泥を払い、互いに距離を取って向かい合う。
28の誕生日からずっとシライが欲しているプレゼントは、この手合わせでクロノが勝つことだった。特級巻戻士としてだけでは足りない。力においても対等になってくれという祈りであることをクロノは察している。
恋人にもなった師匠は案外寂しがりやだった。付き合って早々に抱えられベッドに引き込まれ、ただ寝ただけの時は心底驚いた。シライの隔絶したところのある空気感も好きなのだが、当人には呪いの枷のように思われているらしい。年かさの余裕は──そもそも大人げないひとだというのを差し置き──年々すり減って、クロノが18となる今やかなり甘えた態度を取っている。いや、16の時から勝手に休暇申請を出したことにされてツーリングに引っ張られてたりもした。
今年こそはと、練ってきた作戦はいくつも残っている。あの薄ら笑いを満面の笑みに変えてやるのだ。
「うぉ〜! おめでとーのたんじょーび、おじさんとの感情綴るよ♪」
「うおっ!?」
とりあえずは自作のバースデーソングを熱唱しながら殴りかかってみた。薄ら笑いは驚愕に変わったが難なく避けられたので、シライが驚いているうちにあらかじめ作っておいた落とし穴にうまく誘導したいと思う。