シグの虫好きについてシグが虫を好きな心と、自分がキノコを好きな心はなんとなく似ている気がしました。
人間でありながら人間ではないような、どこか達観している仙人のようなマインドがあると思います。
例えるなら青、海や空のような、どこまでも広がるものに近しいと思います。(だから好きなのかもね)
人間はある意味囚われている。感情というものに支配され、目の前のことに一喜一憂する。しかしそれが何よりも人間らしいのである。ぼんやりと、そういう人間を眺めて「いいな」と思う。
虫は動物と違って感情を示さない。(本来カエルやタマネギもその分類だったかもしれないが、ケロケロしたりオニオーン!したりするのでポップに例外)
虫のキャラクターがいないので、感情を持つ枠にならない。何を思い生きているのか分からない、だから興味を持つ。感情を分かりやすく出さないから、気になる。頭に乗せたら友達になった気がする。ある意味、絶対に嫌がらない心の友達。
何考えてるか分からない、何か思考するものなのかも分からない虫が不思議で面白い。忙しい人間たちとはまた違った存在なのだと思う。
虫を自由の象徴として見ているかもしれない。みんな気ままに生きている。プリンプタウンの人達もそうだけど、虫は人や動物と違ってゆっくりである。そしてのびのびと生きている、感情にすら囚われず、細脚を組み替えて進んでいく。ちょっと変わった存在。
ただ、虫になりたいかと言われたら違う。虫になったら虫と友達になれない。虫として虫を見れない。あくまで虫を楽しむ人の立場でありたい…うーん、よくわからないけど、多分そう。
それに、のんびりしていると捕まってしまうかもしれない。人を捕まえる網はないけど、虫とり網はある。捕まったら、放してくれるかわからない。
強い虫になれたらカッコいいとは思う。だけど、虫はどうしても人には勝てない。虫の世界でいちばんになれても、人には負ける。まぁ、しかたないけど。
虫になりたくないとは思うけど、飛べる虫なら空に近づけるかも。例えば、カブトムシになったら大空の広さを少し体験できる。本当に世界は広いんだなって思う、そんな世界でこの体で、何をするかは決まってないけどさ。だけど何か、自分も空になれるような気がして、いいかも。空にも果てはあるのかな…
今日はここまで。また思いついたら何か書くかも