赤い水音ゆらゆらと、彼が掌中のグラスを玩ぶ。注がれたワインは大して減っていなかった。丸い玻璃の中で波立ち、赤い水音を立てている、はずだ。軽やかな音がグリスの耳に届かないのは、目の前の惨状にあった。グリスの命の恩人である男の妻と使用人が、獣の姿で交わっているのであった。
密通の再演を自ら命じたにも関わらず、男の顔に表情はなかった。彼にはただ、つまらない芝居の終わりを待つ観客と同じ、平坦な退屈の色だけが浮かんでいた。左手の杯をもて遊ぶ一方で、右手は油断なく新月刀の柄に置かれている。
グリスが男に従うようになって日は浅いが、この様な人格ではなかったと思う。
あの夜、グリスは女の血飛沫の向こう側に青衣の男を見た。彼の意思の強い黒い眼が、洋燈の灯りに一瞬、強く光った。
1220