祝福を贈る日いつもならとっくに眠っている深夜0時。ソファに寝転がって携帯の画面を見つめる。日付が変わった瞬間にいくつか届いたメッセージ。ポップアップ表示で確認だけして、待ち望んだ人からの物じゃないと勝手に落胆する。自分勝手だ。みんな俺を思って祝福のメッセージを送ってくれたというのに。
一分、また一分と時間が進んでいくのをただ見つめていた。時間が進む度に終わりが訪れたのだと思い知らされて体が冷えていく。
ぜんぶ、ぜんぶ初めてだった。想いを受け入れてもらえたのも、好きだと言ってもらえたのも、手を繋いだことも。抱きしめ合う心地良さ、他人の肌の温もり、唇の柔らかさ。いつも初めてのことばかりで戸惑ってしまう俺の手を引いてくれていたのに。急にその手を離されてしまったら、俺はどうすればいいんだ。恋人との別れ方なんて、俺にはわからないのに。
四月一日。エイプリルフール。俺の誕生日。
不格好な告白を受け入れてくれた恋人――ミッチーは、毎年この日になると俺よりも張り切って、はしゃいでいた。
恋人になって初めての誕生日は大学進学とそれに伴う引越しとで落ち着かない中、わざわざ会いに来てくれた。部活終わりの俺を校門で待っていたミッチーは「サプライズ!」と嬉しそうに笑って、でっかいホールのケーキを持ってきた。当然2人じゃ食べきれなくて、でも他の誰かに食べさせたくはなくて、2日かけて全部胃に詰め込んだ。誕生日だと教えてもいなかったのに知っていてくれたことが。新生活より俺を優先してくれたことが。嬉しくて少しだけ涙が出たことは本人にはたぶんバレていない。
俺が高校を卒業した年の誕生日は、数日後にアメリカに渡ることが決まっていた。朝から待ち合わせて「日本でやり残したことがないように」と俺がしたいこと、行きたい場所に付き合ってくれると言うから、日が暮れるまでバスケをして、日が暮れたら家でミッチーを独り占めした。知らない国で始まる生活への期待と不安、恋人と離れることの寂しさ、色んな感情がごちゃごちゃになる俺に、ミッチーは何度も「桜木なら大丈夫だ」と言って抱きしめてくれた。あの言葉と温もりがあったから、渡米してすぐのキツイ時期も乗り越えられた。信じて送り出してくれたミッチーの、自慢の恋人でありたかった。
渡米してからは毎年日付が変わるのと同時に電話をくれて「誕生日おめでとう!」と弾んだ声を聞かせてくれた。「一番初めにおめでとうを言いたいんだ」と言って、だけど「夜中に悪かったな、早く寝ろよ」とすぐに切ってしまうのも毎年のこと。アスリートにとって睡眠がどれだけ大切なのかを教えてくれたのもミッチーだった。それを無視してでも夜中に電話をしてくる恋人の小さなワガママが嬉しかった。
それから、毎年プレゼントを送ってくれる。中身はTシャツやスニーカー、腕時計などの日常使いできるものだったり、日本で流行っているというお菓子だったり、映画のDVDだったり、でっかいクマのぬいぐるみだったり。大きなダンボールで、時にはひとつに収まらずに複数個口で届くプレゼント。どれも俺のために選んでくれたという事実だけで宝物になった。ちなみにクマのぬいぐるみは「俺だと思って抱きしめて寝ろ」と言われたので、しばらくはその通りにしていた。ふかふかと柔らかなぬいぐるみはミッチーとは全然違くて、温もりを感じられない寂しさが増しただけだった。
日本とは違ってすぐに届くものでもないし、日時指定なんてできない。酷い時は一ヶ月も経ってから届くこともあったけど、それを待っている時間も好きだった。
定期的に電話をして、マメにメッセージのやり取りをして、オフになったら俺が帰国するかミッチーが渡米して一緒に過ごす。最初の三日間くらいは飯を食う時間すら惜しいと思いながら抱き合って、溜まりに溜まった欲を満たす。もちろん完全に満たされることはないが、セックス以外にも一緒に行きたい場所も食べたいものもやりたいことも沢山あった。
そうやって、日本とアメリカで離れた生活を送りながらも、上手く付き合ってきたんだ。上手くいってると思ってたんだ。そう思ってたのは俺だけだったのだろうか。
少し前からメッセージのやり取りが少なくなった。ミッチーから返事が来ないことが増えた。電話をしてもどこか素っ気なくて、なにかを誤魔化すように話題を変えたり、さっさと切ろうとすることが増えた。何年も付き合って来たけど、普段離れているからなのか喧嘩や言い合いをすることもほとんどなかった。だから急にミッチーの態度が変わってしまって、俺はどうしたらいいのかもわからなくて。
下手なことを言ったら、終わってしまうかもしれない。問いただして、もし「他に好きな人ができた」「もう別れたい」なんて言われたら?恋人のそばにいることよりもアメリカでバスケをすることを選んだ俺に、引き止める権利はあるのだろうか。心変わりを責める権利はあるのだろうか。
わからなくて、そのまま先延ばしにして、でも結局終わりは来てしまったらしい。ミッチーが一年で一番大切にしてくれていた今日。四月一日。俺の誕生日。その存在すら忘れてしまうほど俺のことはもう眼中にないのか、それとも覚えていてあえて連絡する気がないのか。どちらにしても、もう終わりなんだ。
来ない電話を待ち続けるほど虚しいことはない。時計が0:30を指した頃には諦めて瞼を閉じ眠りについた。目が覚めたら着信があるかもしれない。電話できなくてごめんとメッセージがあるかもしれない。なにか緊急事態があって、たまたまどうしても手が空かなかっただけかもしれない。そんな小さな希望も、朝になって途絶えた。着信はない。メッセージはどれも、待っていた人からのものじゃない。こんなに憂鬱な誕生日はいつ以来だろう。
誕生日にもらえる電話は特別だった。ミッチーはいつだって愛を伝えてくれていたけど、それを一層強く感じられる日だった。短い通話に愛と祝福と俺を大切に想ってくれる気持ちをたくさん詰め込んでくれていた。
そういえばと、ふと思い出す。様子がおかしくなるより前に電話で話した時、ミッチーは今年の誕生日プレゼントのことを言っていた。毎年届いてからのお楽しみだと言って中身を教えてはくれなかったのに、ずいぶん早いうちに「今度の誕生日プレゼントは絶対に当日に届くからな。絶対だから、ちゃんと受け取れよ」と念を押された。中身はやっぱり教えてもらえなかったが、日本ではない国で絶対に届くなんて当てにならないのになぁと不思議に感じたのを思い出したのだ。
別れてしまうのであれば、あの話しは無効だろうか。用意してくれていたプレゼントは発送されることなく日本にあるのか、既に処分されてしまったか。それとも餞別として届くのだろうか。
今日は元々練習も休みで、なんの予定もない。一人でダラダラとしていても余計なことばかり考えてしまうし、久しぶりにストリートバスケでもしてくるか。この国ではそこら中にコートがあって、いつでも誰かしら相手を見つけられるのがいいところだ。最初はアジア人だと馬鹿にされていたが今ではNBAで顔も売れ、コートに出向けば次から次へと人が集まってくる。ゴリゴリのおっさんと対決するのも小学生や中学生くらいの子どもと遊ぶのも楽しい。バスケは楽しい。それが日常にある国。俺にとって息がしやすい場所で、ただ、ミッチーだけが足りない国。
シリアルとプロテインで簡単に朝メシを済ませ、ジャージに着替えてストバス用のバッシュを履く。ジャージもTシャツもバッシュも、すべてミッチーがプレゼントしてくれたもの。俺の部屋にあるものはだいたいミッチーからもらったものだ。別れたらこれらも処分するべきなのか?そんなことをしたら俺の部屋に残るものはチーム支給のジャージくらいになってしまう。
「……っし、行くか」
また思考がネガティブな方向に進み始めたので、打ち切るように声を出して玄関の扉を開いた。外の空気を吸って日差しを浴びれば少しは気分も上がるだろうと、勢いよく足を踏み出して、
「うわっ!」
「あっ、ぶねぇ!」
ドアの目の前にいた人物に衝突した。アメリカ人と比較しても体格に劣らない俺がぶつかったのだ。当然相手は弾き飛ばされ、尻もちをつきそうになる。それを反射で抱きとめ、久しぶりに感じる匂いと体温に鼻の奥がツンとした。
「お前出てくる時は安全確認しろよ!俺だったからよかったけど、年寄りとか子どもがいたらどうすんだ!つーか、どっか出かけんの?まだ朝じゃん。出かける前に会えてよかったけどよー、すれ違ってたらどうする気だよ。ちゃんと受け取れって言っただろ」
「なんで」
「あ?」
「なんで、ミッチーが」
「なんでって……サプライズ!」
満面の笑みで両手を広げるミッチーに思い切り抱きついた。「いてぇ!力加減しろ!」と耳元で騒ぐ声は間違いなくミッチーで、匂いも、体温も、ぜんぶ知ってる。
「桜木、桜木」
ぽんぽんと背中を叩いて離れるように促され、腰に腕を回したままお互いの顔が見えるくらいまで身体を離す。本当離したくない。くっついていないと夢や幻なんじゃないかと疑ってしまう。
「泣くほど嬉しかったか?」
そうじゃない。いや、そうなのか?わかんねぇ。嬉しいというよりは安心してる。だけど俺の目元を優しく拭うミッチーの手に擦り寄るように「うん」と頷いておく。
「誕生日おめでとう。いっぱいプレゼント持ってきたんだ。部屋、入れてくれよ」
部屋に引き込むたった一歩、たった数秒も待てなくて、相変わらず小さい顔に片手を添えてキスをした。
「ん、さくぁぎ…まって、」
「無理だ、待てねぇ」
唇を重ねたまま部屋に引き入れ、扉が閉じた玄関で更に深く口付ける。ミッチーは抵抗する姿勢を見せているけどその力は弱く、本気で嫌がってはいない。また抱きしてめてもいいんだ。キスをしてもいいんだ。恋人同士のままなんだ。今までの素っ気ない態度の理由も、ここにいる理由も後回しでいい。目の前にミッチーがいて、待てなんてできる訳がない。
「あっ、こら!ほんとに…、んぁっ、ダメなんだって!」
耳元、首筋とキスを降らせ軽く吸い付いて跡を残す。前回会ったのは昨年の夏で、その時にたくさんつけた跡はもうとっくに消えている。消えてしまうのはわかっていても俺のものだという印をつけたい。印をつけることを許されるのがなにより嬉しい。
だけど薄いセーターの裾から手を差し込んで直接背中を撫でると、本格的な抵抗が始まった。身を捩って俺の手から逃れようとし、口調もキツくなる。
「ミッチーに触りてぇ……ダメなのか?」
こう見えてミッチーは俺からのお強請りに弱い。他のやつまで甘やかしてんじゃねぇだろうなと不安になるくらいには甘やかされてきた自覚がある。
「う……ダメじゃねぇんたけど、でも、時間がなくて」
また抵抗が弱まった隙に腰を撫でてそのまま尻を揉もうとしたが、最後の言葉で手を止めた。時間がない?それはどういうことだ?
少し考えればわかることだった。その少しも考えられなくなってしまったのはミッチーのせいなんだけど、今は置いておく。
四月一日。俺の誕生日。この日に毎年会えないのはお互いにシーズン中だからだ。それは今年も同じで、なのに何故ミッチーが今ここにいるのか。答えは簡単。0泊2日という強行スケジュールでこの地を訪れたからだ。ここに滞在できるのはたったの2時間ほどで、昼の便で日本に帰ると言う。
「去年のクリスマスにチームでパーティしたんだけど、チームメイトがみんなパートナー連れてくるから……俺も桜木に会いたくなっちまって」
そうだ、あの電話はたしか年末だった。年末に俺の誕生日の話しなんて随分気が早いと思ったんだ。
「チームに相談してスケジュールも共有してちゃんと許可取って来た」
どうせなら俺の誕生日に合わせて会いに来て驚かせようと計画したらしい。だけど会えるのが楽しみすぎて口を滑らせてしまいそうで、電話もメッセージも余計なことを言わないように気を張っていたらしい。それが、俺が感じていた素っ気ない態度の正体だ。
「一番におめでとうって伝えられなかったのは残念だけど、顔見ておめでとうって言ったのは俺が最初だろ?」
そう言うミッチーに、自分のスマホを見せる。たくさん届いているメッセージはすべて未読で、まだ誰からの祝福も受け取っていないのだ、と。それをミッチーは「返事はちゃんとしろ」なんて尤もなことを言いながら、でも嬉しそうに笑った。
「会いに来てくれて嬉しい。最高のプレゼントだ。でも機内狭いだろ?疲れ残んねぇか?」
「奮発して往復ビジネスクラスだから平気。お前よりは小さいし」
「……もう少し時間あるよな?一回だけ、ダメか?」
手を引いて、ソファに座る自分の上に座らせる。大人しく腕の中に収まるミッチーのこめかみにキスをしながらお伺いを立てると、ミッチーも体重を預けて寄り添ってくれるが、首は横に振られた。せっかく会えたのにお預けだなんて酷すぎるだろ。
「一回じゃ終われないだろ……桜木も、俺も」
「……う〜〜、じゃあ一泊くらいしていけよ!」
「そこはバスケが優先だから、すまん」
「くそ……っ!」
誤解も不安も消えて目の前にはミッチーがいて、なのにキス以上のことはさせてもらえない。これじゃあ天国なのか地獄なのかわからねぇ。
「次会う時のお楽しみってことで。な?」
「次会った時覚えとけよ。予約しとくからな、一週間は家から出られないと思え」
「一週間も?バスケしねぇの?俺と」
「……バスケも、する」
抱きしめ合って、キスをして、お喋りをして。ミッチーは時間いっぱい愛を伝えてくれて、俺も同じように伝えて。そうして本当に数時間の滞在で帰ってしまった。残されたのは大量のプレゼントやらお土産やら。その中にはミッチーが愛用してる香水やお揃いのTシャツなんかもあって、もしかして毎年のプレゼントってミッチーなりのマーキングだったのか?と今更ながらに気づいた。クマのぬいぐるみがベッドに鎮座しているのも、ミッチーは満足気に笑って見ていた。
「こんなファンシーな部屋に女連れ込めねぇだろ」
追加で持ってきた小さなうさぎやネコのぬいぐるみを一緒に並べると更に満足気になっていて可愛い。別にぬいぐるみがあっても女性は連れ込めると思うが、ミッチーがそれで満足するなら好きにすればいい。ぬいぐるみがいてもいなくても、ミッチー以外の誰かをこの部屋に連れ込む気なんてないのだから。
空港までついて行ってファーストクラスにアップグレードさせた飛行機を見送る。オフには帰国して今日の分もいっぱいセックスしてバスケもして……と考えていた俺はまだ知らない。自宅前と空港でパパラッチにしっかり激写されていて、ミッチーが日本に着く頃にはネットニュースで俺たちがキスしてる写真が出回ることを。
不本意な形ではあったけど、ミッチーが俺のもんだと世間に公表できたのが今年一番のプレゼントだった。